猫の入学式
「さあさ、お集まりの皆さん、御団欒のところ恐縮ではございますが、しばし私めの方へと耳を傾けて頂きたい」
汚い狐の甲高く喧しい声が大衆に呼び掛けた。各々の場所で宴を楽しんでいた皆の視線が、舞台の上の狐に一斉に向けられる。
「皆さん既にご承知かと存じますが、改めて紹介仕ります」
そう言うと、狐は振り向きもせず背後に手招きをし、舞台袖にいる私に上がってくるよう促した。
しぶしぶ舞台をよじ登り、狐の横に立ち皆を見下ろすと、途端に夜の集会所は割れんばかりの拍手に包まれた。
「我々の村から、実に四百年ぶりに入学生が出ることになりました。りとさです」
狐に促され、私は小さく頭を下げた。再び集会所に拍手が起こった。
「皆々様のおかげを持ちまして、今日で七つになりました。明日からは晴れて小学生でございます」
何がそんなに嬉しいのか、舞台を囲んでいた鹿や猿が、やんややんやと踊り出した。
一升瓶の酒を瓶ごと煽り、自治会長の猪が変な節回しの演歌を唄っている。
どうすれば良いのかわからず狐を見ると、とろんとだらしなく溶けた表情で、ふらふらと盆踊りをしている。恐らく舞台に上がる前から、しこたま飲んでいたのだろう。
仕方なく私は、一人で舞台の後ろへと飛び降りた。
頭上には大きな烏が一羽旋回している。その奥に見える空は赤い。
「大っきくなったねぇ。ランドセル背負って、いっぱいおべんきょして、先生の言う事しっかり聞くんだよ」
誰の声かと辺りを見回すと、丸々と肥えた狸が、寝転がりながら私を嬉々とした目で見上げていた。
足下に転がる狸を、私は何となく蹴ってみた。狸は緩やかな坂を音もなく転がっていく。
後悔などはしなかったが、ごろごろ転がっていく狸を見ていると、何だか泣きたくなってきた。
「こんな所にいたのね。ほら、戻りますよ」
上を飛んでいた烏が、突然私の肩に乱暴にとまり、早口で私を捲し立てた。
私の周囲に烏の艶やかな黒い羽が散らばった。
いつの間にか宴会の騒音が遠くに聞こえる。肩の烏は氷のように動かない。
「こんな所にも光線銃があるのね。おちおち飛んでもいられやしない。嫌な世の中になったもんだね」
烏は悪態をつくと、勢いよく私の肩を飛び立った。
爪が容赦無く肩に食い込み、鋭い痛みがはしる。
「ほら、たったかたったか歩かないと。足が棒になるわよ」
烏は私を先導し始めた。どこに誘うつもりなのか。
「ほら、見えてきたよ。お天道様だ」
烏は枯れ木の細い枝にとまった。そこは断崖絶壁だ。これ以上道はない。
「ここから先は一人だよ。早く行きな。遅刻するんじゃないよ」
早く行けとはどこの事だろう。学校だろうか。
しかし、私は崖の先には行けない。私には羽はない。
「あたしはお琴を弾かなくちゃいけないんだよ。ごらん、木々の葉が回り始めてるだろ?」
確かに私たちの背後の葉っぱがくるくると回っている。夜更の合図だ。
「ひとつ教えといてあげるよ、空が赤いのは祝いだよ」
そう言い残すと、烏は崖の向こうへと飛び立っていった。
確かに空が赤い。私を祝福してくれているのか?
ふと見ると、私の白い毛のそこかしこに血が付いている。その血がやけに獣臭い。
背後に気配を感じ見てみると、地面に先程の丸々とした狸が息絶えていた。
臭い死臭を漂わさせ、それに釣られたカラスが死肉に群がっている。
そうか、これが烏の誘いか。
私は群がるカラスを追い払い、狸の屍をよく観察してみた。
裂けたヘソから腹わたがはみ出ている。不思議ともう臭さは感じなかった。
私は狸の腹の裂け目に手を入れると、思いっきり押し広げた。
汚い血が溢れ出た。それが収まると、その奥には内臓はなく、深く奥まで続く真っ暗な穴が開いていた。
「早く来なさい。心の準備はできてるんでしょ?」
烏の声が穴の奥から響いた。
当たり前だ。覚悟などとうに出来ている。
私は七つになったのだ。もう後戻りはできない。
私は狸の腹に顔を突っ込んだ。
苦しくはなかった。生暖かい感触に吸い込まれるように、私は暗く長い穴を降った。