ソ連ルーマニア侵攻
1959年ソビエト軍はルーマニアに戦線を布告しモルダヴィア地方に侵攻を開始した。ソビエト軍は侵攻部隊として戦車500輌、重砲300門、航空機1500機を用意し国境線を超えた。またセブァストポリから黒海艦隊と海兵隊5個旅団を搭載した輸送部隊が出港した。黒海艦隊は海兵隊が上陸する地点に数日前から艦砲射撃を実施していた。数日における発射弾数は15インチ砲2500発、6インチ砲8000発にも及んだ。
ルーマニアモルダヴィア地方軍は歩兵15個師団、騎兵3個師団、戦闘機20機のみであった。
ルーマニア軍は地方都市ガラツに臨時前線司令部を置きオルト川流域に防衛線を構築し遅滞戦を展開した。ソ連のルーマニア侵攻に際し資本主義陣営は支援を表明し義勇軍を送ると共に支援武器を大量に送り始めていた。しかし統一されていない規格のため補給を圧迫するのが判明するのはまだ後の話である。
ルーマニア軍は義勇軍が到着するまでの間絶望的な戦力差の中で防衛戦を展開しなければならなかった。ソ連地上軍はT54主力戦車を中心とする機甲部隊で侵攻し旧式のルーマニア軍では歯が立たなかった。ルーマニア軍はハンガリー国境近くのオラデアに遷都し防衛しやすいトランシルヴァニア山脈方面への撤退を決定し後方の予備兵力から撤退を開始し前線に配置されている部隊も徐々に撤退を始めた。
前線では主力部隊は密かに撤退し橋など需要インフラを破壊しつつ撤退していった。
ソ連軍はオルト川に架かっていた橋をすべてルーマニア軍に破壊された為水陸両用戦車は先に進撃し主力戦車は工兵が臨時の橋を掛けるまで足止めを食らっていた。
オルト川を渡った水陸両用戦車部隊は近隣の集落に進駐していく。