プロローグ
1940年ヒトラー率いる第3帝国はポーランドに侵攻し第2次世界大戦が勃発した。ドイツ軍は航空機と戦車による電撃戦により侵攻から2週間でワルシャワは陥落しポーランドは降伏した。前年にソ連との間に結ばれたモロトフリッペントロップ協定により西ポーランドはドイツ、東ポーランドはソ連にへと分割された。
その後ドイツは黄号作戦を発動しオランダ、ベルギー、ルクセンブルクのベネルクス3国に侵攻し、2週間でベネルクス3国を陥落させた。フランスは主力の大部分をマジノ戦に配置しており、ベルギー国境に配置されていた部隊はごくわずかであった。イギリスからの大陸派遣軍は歩兵8個師団を主力する部隊であった。機械化部隊も送られていたがごく少数であった。ベルギー国境でイギリス軍はドイツ機甲部隊に前線を突破され撤退したがドイツ機甲部隊の侵攻速度が早過ぎたため部隊の3割を損失しダンケルク方面に撤退した。ドイツはその後もフランス国内の防衛戦を次々と突破しフランス侵攻から1ヶ月でパリは陥落した。ダンケルクには撤退してきた兵士が密集していた。イギリスはダイナモ作戦を発動し艦艇1500隻を動員しダンケルク撤退を成功させたが大陸に派遣した装備をほぼすべて損失した。時のイギリスの首相チェンバレンは停戦条約を受け入れわずか数カ月の第2次世界大戦は終結した。ドイツはベネルクス3国及びフランス本国北部及びフランスアフリカ植民地を手に入れた。フランス及びオランダ極東植民地は同盟国である日本に割譲された。
世界はつかの間の平和を享受できるはずであったがソ連が中国に影響力を強めていた。ソ連は中国共産党に武器支援や軍事顧問団を派遣し国民党と内戦を繰り広げていた。中国内戦は1941年1月16日に勃発した。国民党は中国東北部を日本に割譲する事で和平条約が成立し中国での影響力拡大を狙いたい列強諸国が支援を乗り出し中国は代理戦争の戦場となり新兵器の武器試験場と化した。中国の空ではアメリカ、イギリス、日本、ソ連製の航空機が入り乱れ地上では平地では戦車戦が起き山岳では双方ゲリラ戦が行われ地獄の様相であった。
5年に及ぶ内戦の末中国西部は共産党、東部側は国民党で膠着状態に陥り1946年6月5日停戦条約が結ばれた。ソ連は共産主義国による陣営を構築し西側諸国との対決を露わにした。一方アメリカ、ドイツ、イギリス、日本などの列強諸国は共産国との対立ため同盟を構築し世界はまた軍拡に乗り出して行った。
共産陣営はどの陣営に属していない東欧諸国やバルカン半島に進出しようとしていた。
新たな戦争の舞台は東欧から始まろうとしていた。