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獣騎士の捧げる牙  作者: 鳥飼泰
本編
1/27

1. 騎士を拾った

男は金の瞳を熱で潤ませ、寝台の上で起こした体をぐっと近づけてくる。

ぎしりと寝台がきしんだ。

距離を取るために後ろへ身を引こうとしても、男に掴まれた手がそれを許さない。水色の短い髪に金の瞳、優し気な王子様のような風貌を持ちながら、男は確かに武人だった。

いっそ魔術で吹き飛ばしてやろうかとも思うが、先ほどまで弱っていた男にそれをするのは躊躇われた。

そうして考え込んでいる間にも、男は勝手に話を進めていく。



「…………あなたに、俺の牙を捧げたい」



思いもしない事態に、メリノは眩暈がした。






その日、メリノはカラカル領内の森の浅いところで見回りをしていた。

上司である領主から、魔獣目撃の報告があった旨を伝えられ、その討伐を任務として与えられたのだ。

カラカル領主直属の魔術師として、メリノはこういった討伐任務を受けることも珍しくない。領内ではそれなりの腕だと自負している。

この辺りに現れる魔獣はそれほど種類も多くないし、どれも対処方法が確立されている種であり、メリノひとりでも十分に対応可能だった。



しばらく歩いていくと、少し奥の方に妙な場所があった。


(静かすぎる…………)


魔獣が森から出て来なければ問題はないので、いつもはあまり奥の方までは立ち入らない。だがこの静けさは、何か大物が潜んでいる可能性がある。確認だけはしておくべきだ。

メリノは視線を鋭くしてそっと近づいた。


「っ、……!」


するとそこにあったのは、おびただしい数の魔獣の死体。十や二十ではないそれらによって、一帯が赤く染まっている。

どの死体にも、鋭利なもので切られたような傷跡が見てとれることから、おそらく人間のつけたものだろうことが分かる。魔獣同士の争いでは、こうはならない。


とにかく状況を把握しようと、メリノがさらに慎重に辺りを探っていると、魔獣たちの死体の近くで、木に寄りかかって座り込んでいる男がいることに気づいた。その手には抜き身の剣を握っている。

男はとりわけ上半身を赤に染めて、軍服のような服が見るも無残なものになっている。俯いているためにその表情は見えない。返り血なのか、自身の血なのか。

一方で、その手に握る剣には血がまったく残っていない。何か特別な加護を受けた武器なのかもしれない。


「…………」


男はぴくりとも動かないが、周囲を警戒して威嚇しているように感じる。まるで手負いの獣のようだ。

あまり関わり合いになりたくはないが、生きているらしい人間を放っておくことはできない。ここは恵まれた豊かな土地カラカル領であり、優しいカラカル領主は、領民が魔獣に殺されたと知れば悲しむだろう。


メリノは男にそっと近づいてみた。

すると、それまでなんの反応もなかった男が、かっと目を開いた。その金色の目は、まさに野生の獣のようにぎらぎらと光り、口からは牙のようなものがのぞいている。


(人間だと思ったけれど、違うのかな……)


だが、飛びかかって来る様子がないことを不思議に思って男を観察すると、腕の傷口から紫の煙が上がっていた。


「……ああ、魔獣の毒にやられて動けないのね。絶叫するほどの痛みがあるでしょうに」


メリノが慎重に歩を進めると、男は唸り声を上げそうなほど睨みつけてきた。


「私はこの領の魔術師メリノ。この魔獣の群れは、私が討伐任務を受けていたのだけれど、あなたが駆除してくれたのでしょう?どうもありがとう。お礼に、手当てくらいはしてあげます」


さらに一歩。

男の体に力が入ったのが分かった。魔獣の毒で動けないはずだが、さいごの力で飛びかかってくるつもりかもしれない。


「ひとまず、眠りましょうか」


メリノは左手をひらりと振り、眠りの魔術を飛ばした。

眠りを促すように、柔らかく囁く。


「大丈夫、起きたら体も楽になっているし、あなたを脅かすものは何もありませんよ。……おやすみなさい」


メリノの声を聞いて、男はするりと眠りに落ちた。




メリノは男を家に連れ帰ると、ひとまず寝台に寝かせた。

眠りの魔術を使った後、魔獣の毒を浄化し、全身の傷も魔術でふさいである。幸いなことにどれも浅い傷ばかりで、男が動けなかったのは毒による影響だけだったようだ。ただ、魔獣の毒は特殊なので、後で薬湯も飲ませる必要がある。

上半身は返り血の汚れがひどかったが、上着を脱がせれば下のシャツはそれほど被害がなくて幸いだった。

体力はありそうなので、しばらく休めば回復するだろう。



「起きないな……」


魔獣の毒がよほど奥まで浸食していたものか、男はその日は目を覚まさなかった。

眠り続ける男を、メリノはじっと見つめた。

先ほどの野生の獣のような獰猛さは鳴りを潜め、その整った顔立ちが際立った。脱がせた上着は軍服のような意匠であったし、何か加護を受けているようなあの剣といい、どこかの高位の騎士かもしれない。


すぐには起きそうにないので、メリノは上司であるカラカル領主へ事の次第を報告に行った。上司はどこかの騎士らしい人物が関わっていることに驚いていたが、ひとまず様子を見るようにとのことだった。




翌日、ようやく男が目を覚ました。

男は意識がはっきりした途端、はっとすると、すぐに起き上がろうとする。が、もちろん予想済みであったので、メリノは拘束の魔術をかけている。

動けないことを悟った男が、目だけをメリノへ向けてくる。視線で殺されそうだ。


「落ち着いてください。私はあなたに危害を加えるつもりはありません。カラカル領の魔術師メリノです。覚えていますか?あなたは魔獣と戦って毒を受けていたのです。そこへ通りかかった私が、毒を浄化して傷を癒やし、家まで運びました」

「………………」


男の雰囲気が少し和らいだ。その目に、もう殺気はない。

であれば大丈夫だろうと、メリノは拘束の魔術を解く。

すると男は、困惑したように自分の体を確かめている。


ひとしきり確認を終えると、納得したのかメリノに向かって頭を下げた。


「……確かに、傷が癒えているようです。あなたが治療してくださったとのこと、ありがとうございます」


男の殊勝な態度に、メリノは微笑む。


「あなたの上着は、血の汚れがひどかったので洗浄に出しています。数日ほどで戻るでしょう」

「重ね重ね、お手数をおかけして申し訳ない」

「いえ。軍服のようでしたが、あなたはどこかの騎士様ですか?」

「……ああ、名乗りもせずに失礼しました。俺の名はマダラ。偉大なる獣神にお仕えする、獣騎士です」

「獣騎士!」


獣騎士は、獣神を唯一の主として仕える存在である。

どの国にも、どの組織にも属さない。彼ら獣騎士に命令できるのは、獣神のみであり、あらゆる権力から独立している。また、俗世のものに執着せず、浮世離れしたところがあると聞く。地方によっては神の代理人のように扱われることもあるとか。

獣騎士は獣神によって選ばれた騎士たちであり、その実力は折り紙付きだ。よって、子供たち憧れの職業となっている。


メリノが獣騎士を見るのは初めてで、もちろん子供のころに抱いた憧れもある。有名人に会えた気分だった。

きらきらと目を輝かせて見つめるメリノに、マダラは苦笑した。


「……獣騎士に興味がありますか?」

「はい。初めてお会いしました。ですが、獣騎士であるなら、あれだけの魔獣を討伐したのも納得できます」

「ええ。たまたま魔獣の群れに行き合ってしまったので、殲滅しておきました」


穏やかに微笑みながら話すマダラの口から、するりと殲滅などという物騒な言葉が出てきたことに、メリノは少し驚いた。確かにあれは、討伐というよりも殲滅といった方がしっくりくるような惨状だった。

獣騎士の主である獣神は、武の神として名高い。どこまでも穏やかそうな見た目のマダラだが、やはり荒々しいところもあるのだろう。そういえば森で発見したときも、手負いの獣のような獰猛さだった。


だが今のマダラは、短く揃えられた繊細な水色の髪に、金の瞳を優しげに細めて柔らかく微笑んでいる穏やかな人物だった。


「そうです。その魔獣は、私が討伐任務を受けたものでした。改めて、ご協力ありがとうございました。おかげで領民に被害は無かったようです」

「それはよかった」

「ですので、あなたの体調が回復するまではここで療養してください。あとは薬湯を飲んでもらえれば解毒も完了するので、しばらく安静にしていれば、すぐに良くなるでしょう」

「いえ、そこまで迷惑をかけるわけには……」


はじめは遠慮していたマダラも、カラカル領主もそうしてほしいと言っていたと伝えると、躊躇いつつも了承した。


「では、お言葉に甘えますね。ありがとうございます」


そう言って微笑んだマダラは、まるで王子様のように麗しかった。




それから数日をともに過ごしたが、マダラはとても穏やかで紳士的な人物だった。初対面時の、相手を殺さんばかりの獰猛さは負傷していたからであって、こちらが本来の性格なのだろう。

回復して少し動けるようになると、家の中のことを手伝ってくれるようになった。



「……すみません、洗濯を手伝ってもらってしまって」

「これくらいならいつでも。あなたの役に立てるのであれば、嬉しく思います」

「ありがとうございます。おかげで、大物が洗えてとても助かりました」


獣騎士に洗濯のような雑用を手伝ってくれと言うのは申し訳ないかとも思ったが、試しに言ってみたところ、マダラは快く引き受けてくれた。おかげで普段はなかなか洗わないような大きなものも洗うことができた。

洗ったり干したりと、メリノはずっと一緒に作業をしていたが、その間マダラは微笑んで働いてくれたし、女性への気遣いを忘れない。


「そちらは重いので、こちらをどうぞ」

「いえ、大丈夫ですよ、これくらい」

「いけませんよ。そちらは俺が。……はい、あなたはこちらです」

「あ、ありがとうございます……」



それに加えてその容姿が、どうにも物語の王子様のようなきらきらしさがある。

もともとの人当たりの良さそうな性格と、世話をしているメリノへは好意があるようで、とても優しい。そのような人物に穏やかに微笑まれるのは、メリノにとって悪い心地ではなかった。



そんな中で、寝るときの時間は少し特別になった。

マダラが目を覚ました日の夜。起きたばかりで体力が削られているだろうからと、早めに就寝を促した。


「さ、今日は早めにやすんで下さいね」


寝台の横に立つメリノを、マダラはもの言いたげに見つめてきた。


「…………」

「どうしました?」

「……森で俺を助けてくれたとき、眠りの魔術をかけたでしょう?俺はあまりあのような魔術は効かない性質ですが、あのときは、あなたの声に抗う気が起きずにすぐに眠ってしまいました」

「え、そうなのですか?」

「あなたが柔らかく話すときの声が、俺は好きなようです。あ、もちろん普段の声も好きですが」

「……、あ、ありがとうございます」


いきなり好きだと言われて、メリノは驚いて動揺してしまった。なにせ相手は、見た目も物腰も王子様のようなひとなのだ。


(いやいやいや、声が!私の声が好きということで!)


ひとり慌てるメリノをよそに、いきなり爆弾を落とした当人は気にした様子もなく続けた。


「だから、あなたに優しくおやすみと挨拶をしてもらうと、よく眠れる気がします。お願いしても?」


嬉しそうに少し頬を染めたきらきら王子様からそんなことを言われたメリノに、抗う術などなかった。


「…………わ、わかりました。では、療養中はそうしますね」


できるだけ動揺を見せないように答えたつもりだが、どこまで成功しているかは分からない。

ひとまずマダラが嬉しそうにしていたので、それでよしとしよう。


その日から、就寝の挨拶をしてマダラを寝かしつけるのが日課となった。



そうして、メリノはすっかりこの紳士な獣騎士を好ましく思うようになっていた。

獣騎士は特定の組織に属することはない。剣の腕前はすでに分かっているし、特に行く先が決まっていないなら、しばらくカラカル領に滞在してくれないかなと考えてしまうほどだった。


だが、メリノのうかつな行いで、この穏やかな日々は一変する。




ある日、夕食を終えてひと息ついたところで、マダラがだるそうにしているのに気が付いた。今日は少し負荷のある手伝いをしてもらったので、その疲れが出たのだろう。

放っておいても回復するだろうが、手伝ってもらったことでメリノはとても助かったので、少し申し訳なくなった。

それにマダラへの好感度は上がるばかりだったので、贔屓してもいいかと、このときのメリノは思ってしまったのだ。


「少し、消耗がひどいようですね。私の魔力を分けましょうか」

「……いいのですか?」

「手伝ってもらって、とても助かりましたから」


にこりと笑って、メリノは断ってからマダラの手を取る。

その手は確かに剣を握る武人の手で、自分のものとの違いに少しどきりとしたが、努めて平静を保つ。


魔術師の魔力は、万能栄養剤のようなものだ。特定の病気を治したりはできないが、体力回復や気力回復などにはとても効果がある。その効果は魔術師の質に比例するが、メリノの魔力ならマダラの消耗を軽減するくらいはできるはずだ。


「…………」


マダラの手を両手で包み、目を閉じて集中し、繋いだ手から少しだけ魔力を送り込んでいく。

あまり送りすぎるとメリノ自身に負担がかかるし、相手にも酩酊のような症状が現れてしまう。そこを上手く調節するというのはそれなりに繊細な作業なのだが、魔力の細かい操作はメリノの得意とするところだ。



無事に魔力を送り終えたと息を吐いたところで、繋いでいた手をがしりと組み直され、マダラの大きな手がメリノの手を掴んだ。

こちらに身を寄せたマダラの動きに合わせて、寝台がぎしりと音を立てた。


「……メリノ」

「はい?」


名前を呼ばれて顔を上げると、目元を染めたきれいな顔が目の前にあった。


「あなたの魔力は、なんと甘美な甘さなのでしょう。まるで甘露のようです」

「は?」

「俺は、今まで他人の魔力に特別な感想を抱いたことはありません。それが、あなたの魔力は……、ああ、本当に」


金の瞳をとろりと潤ませ、その言葉に込められた熱をこちらに伝えてくる。

王子様然とした男性に顔を寄せて甘く囁かれ、その熱がメリノにも移るようだった。掴まれた手が熱いのは、メリノの熱か、マダラの熱か。


「これほどの甘露を、これからも味わえたら……どれほどの幸せでしょうか」


手を振りほどこうと引いてみても、びくともしない。メリノが戸惑って体を引こうとしていることに気づいていないはずもないが、マダラは一向に意に介さない。


自分の意志で動けないことに、メリノはだんだん追い詰められているような気になってきた。

先ほどまでの紳士ぶりはどこへいったものか。今のマダラには、最初に見たときのような獣の獰猛さの方を強く感じる。



「…………あなたに、俺の牙を捧げたい」




そして、冒頭に戻る。


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