1章 霊障対処課
1章 霊障対処課
霊障対処課。
霞が関、元官庁街を拠点として行動している組織。
本業は電子化されなかった、紙の書類の発掘である。
数百年以上分の書類の電子化は今尚不可能だ。
●
霊障対処課の人間は皆コードネームで呼び合う。
この課が出来た頃からの慣習だ、理由は特に無いらしい。
霞が関にある事務所で3人は待機している。
仕事が無い時は依頼を待つか、見回りに行くか、機材の整備をするかだ。
ブッチャーはシケモクを吸いながら機材の整備をしている。
先日の仕事は終わらせた為、次の仕事に備える為だ。
他の連中も似たような事をしている中に似つかわしくない会話が聞こえてくる。
「COは2人のお付き合い、CO2は3P、CH3CH2OHは乱交パーティー」
「ベンゼン環」
「ハプスブルグ家」
「良し」
「良くねーよ」
事務所の中でハンターとシーカーが教科書アプリを見ながら何やら唸っていた。
出された結論にブッチャーがツッコむ。
表紙を見れば化学の教科書だ。
保健体育ですら無い。
「急に何だ、教科書なんか持ち込んで」
「いや、アレ見てさ」
そう言ってハンターがテレビの画面を指差す。
ニュースキャスターが深刻そうに、学生の学力低下について述べていた。
何の事は無い。
最近の若者は、を小難しく捲し立てる昔からの風物詩だ。
ブッチャーが若い頃から学生の学力は下がっている。
いつになったら底辺になるのだろうか。
そんなどうでもいい考えを振り払い、話を先に進める。
「はぁ、それで」
「読んでみたら超ツマんねぇの。暗記だけ。こんなんやる気なくなるって」
「教科書なんかそんなもんだろ」
そう言いながらブッチャーもペラペラと教科書をめくる。
味も素っ気も無い文章がずらずらと続いている。
覚えようというやる気よりも眠気が勝る。
40代後半になっても、その辺りは変わらないようだ。
「化学なんかどうせ原子と分子の出会い系なんだから面白おかしくやれば覚えるんじゃね?」
「流れで3人以上の行為は同意があっても違法って教えれば法律知識も完璧だろ?」
「教師の社会的立場が飛び降り自殺してる事以外はな」
ダメかー、と2人が机の上に伸びた。
ハンターが20代後半、シーカーが30代半ばというだけあって落ち着きが無い。
2人を放置し、ブッチャーが再び整備を始めようとすると事務所のドアが乱暴に開く。
入ってきた男がハンターの方を見た。
「ハンター、客だ」
「へぇい」
男の呼びかけにハンターがヘルメットを持って立ち上がる。
作業を中断し2人もハンターに付いて行く。
後ろから視線を感じる。
ブッチャーの背中越しに、ハンターへ視線が向けられているのを感じた。
どいつもこいつも、ここの連中はガラが悪い。
●
「電子ドラッグ?」
「はい。ネットで学生中心に流行しています」
課の応接室。
ブッチャーとシーカーが対応し、ハンターは壁に寄りかかっている。
こういった場面は年上に任せるのが1番いい。
仕事を持って来たのは上層街の役人だ。
上層街。
この国が一斉に電子化、電脳化を行った時に作られた空飛ぶ街の事だ。
ハンターはちら、と窓の外から空を見上げる。
日照権の関係上、空を移動する街は丁度、霞が関の真上に来ていた。
環境保全と治水の観点からこれ以上の開発は不可能と判断した当時の政府は、街を浮かべる事を提案し、実行した。
今から150年程前の話だ。
その際、中央省庁は上層街へと移り、新たな情報は全て電子化される事になった。
容量の関係で電子化出来なかった書類はまだ地上に残っている。
「当該ページは凍結。犯人は逮捕。被害者は病院へ搬送しました。
解析した所、ステルスマーケティングとサブリミナル効果等を駆使し脳に強烈に訴えかける物だと判明しまして」
「その関係の書類を発掘してほしいと」
具体的には、と促すシーカーに役人が答える。
「禁止法の根拠となった医療データを。現場が必要としていますので」
「禁止法ってーと……」
「400年以上前の法になります」
マジですか。
マジです。
思わずそんなやり取りをしてしまう。
書類の古さは仕事の難しさに直結する。
探す手間だけでは無い。
霊障は何故か元官庁街や古い場所、稀に個人の強烈な意志に反応して現れる。
そして古ければ古い程、力を増す。
しかし、そうも言ってられない。
既に被害は出ているのだ。
「そういう事なら急ぎましょう。元厚労省かな」
「恐らくは」
ハンターはヘルメットを被り、真っ先に部屋を出る。
●
1人の学生が元官庁街に立ち入った。
霊障対処課ではない、ただの学生だ。
霊障が発生する地区は一般人は立入禁止になっている。
それを無視し、立ち入れば命の危険があるからだ。
それでも尚、学生は奥に向かっている。
厚生労働省に向かっている。
荒い息遣いが断続的に続く。
怒りが渦巻いている。
やり場の無い怒りだ。
反抗期、閉塞感、煩わしさ、白黒はっきりしない物事、物事が汚らわしく見える感覚。
高揚感、万能感、自己肯定感、自身が正義である強烈な革新。
それら全てがないまぜになり――。
ドラッグに、命じられた書類を、破棄して、燃やせ。
あれ。
俺、何に怒ってるんだっけ。