13章 霊障
13章 霊障
一面ガラス張りの建物は真っ黒に染められている。
入口から中を見る。
床一面に真っ黒な液体がぶちまけられている。
不気味に胎動するそれは赤い液体を取り込みながら成長している。
今の所、外に出てくる様子は無い。
「どうだ?」
「ちょっと待ってろよ……、よし」
シーカーが高層ビルの内部をスキャンする。
立体地図が手元のパッドに現れる。
ビルの回線は完全に乗っ取られていた。
これでは助けも呼べなかっただろう。
この状況で対応できる回線など警察や自衛隊、上層街の役所か対処課しか持っていない。
映像で見た通り、霊障は屋上で動きを止めている。
ハンターはビルを見上げる。
見た所、50階以上はある。
だがエレベーターを使うのは自殺行為だろう。
あの黒い液体に殺されるのがオチだ。
階段で行くしか無いか、と覚悟を決めた時だ。
『ハンターに入電。旧官庁街に年代推定不能霊障発生、至急戻られたし』
「は!?」
被害状況を聞くと無し、との返事。
聞けば東京駅前広場に佇んでいるだけ、との事らしい。
以前現れた霊障と同じ物と判明しているそうだ。
「了解、今から戻らせる」
「おい」
シーカーが勝手に返事をする。
しっし、と追い払われるように手を振られた。
「行って来い、こっちは何とかなる」
「……」
返す言葉も無く、再びフォックスの車に乗る。
2人の背中を見送り、発車した。
●
民主主義という形式は混沌が常だ。
あらゆる事が、誰もが正しく、間違える。
そして人は間違いを恐れるものだ、この情報化社会においては特に。
であるからこそ、わかりやすい正義は脳髄にたやすく叩き込まれ、その旗印となれば誰もが服従する。
そして旗印は神秘的な程、効果を増す。
最も強烈な記憶は真空管の中から覗く研究室の光景だ。
まだ技術が未熟な頃、脳だけを液体に浸けられ保存されていた頃。
解析に100年、技術の進歩、収集に100年、作り上げるのに100年。
自身の精神の完成に500年。
機械化、人工知能では誰かの手によるメンテナンスが必要になる。
それでは誰かに命を握られるのと同義だ。
個体による完全な不老不死。
目指すのはそれだ。
不老不死には至らずとも、個人の完全な霊障化。
アクシデントの結果ではあったが叶った。
次に目指すは上層街。
この国の全ての情報が集まり、しかし独立している場所。
電子を通じ、人々の知能を上書きするにはうってつけの場所だ。
●
「膝に水溜まりそう」
「お前その年で何言ってんだ」
上を目指しながらシーカーはぼやく。
先を進むブッチャーが建物や道路を見ながら突っ込んだ。
黒い液体は上に向かって流れている。
吹き抜けから下を覗くと、床の液体が減っていた。
霊障の元に集まっているのだろう。
上に集まった黒い液体が分厚い壁となり日光を遮る。
食残しと思われる部位に目もくれず、液体が上を目指している。
時折白い何か、恐らく骨が吹き抜けを通って落ちてくる。
「爆破してぇ」
「誰が仕掛けるんだ誰が」
ブッチャーがタブレットを見て足を止める。
ヘルメットを出しておけ、と言われた。
「そろそろ重圧で割れるぞ」
「マジかよ」
ペストマスクを被ると同時にピシリと音がした。
ガラスが割れ、破片が下に落ちる。
液体が壁となり、風は吹き込まなかったが時間の問題だ。
自然と足が早くなる。
液体が足首までの深さになってきた。
床には骨が沈んでいる。
屋上へ出るドアが水圧で開かず、ブッチャーが無理矢理こじ開ける。
足元に注意しながら進む。
屋上は庭園のようだ。
全ての草木は枯れている。
霊障、強欲。
以前対処した霊障。
黒い塊に口と手足が生えた生き物。
それがどろりと溶け、這いずり回る。
ゴボリ、と音がして霊障の頭から人間の上半身が生えた。
身なりのいい男だ。
「人間は居ないっつってなかったか……?」
シーカーはタブレットを操作して霊障全体をスキャンする。
数字を見た後、結論付ける。
「半分程度、霊障化してるな」
「おっしゃ、引っこ抜く」
そう言って同時に二手に分かれる。
花壇の上、まだ無事な足場に立つ。
着地の瞬間を狙って霊障が液体の弾を吐き出してきた。
避けると水圧で地面が抉れる。
安全地帯を探しながら課に報告を入れる。
液体に浸されていない木の後ろか、何かしらの障害物のある場所。
木、室外機、芝生の小さな丘、花壇、ベンチ。
「こちらシーカー、嫉妬と接敵。人質1名発見。救出後交戦開始」
再び弾を吐き出そうとする口をブッチャーが殴りつけた。
あらぬ方向に飛んだ弾が屋上の一角を削る。
霊障が唾の様に液体を撒き散らしながら叫ぶ。
「霊障、対処、課アァア」
男、女、若者、年寄。
あらゆる声を重ねて不協和音にしたような声。
「無知な若造、善悪の区別が付かぬ者」
「知識と権利を与えてやるというのだ」
「正義として育ててやったのに」
「誰のお陰で生きていられると思っている」
「崇めよ、人を辞め、霊障となり、不老不死を得る完成された私を」
『邪魔をするなァアアア!』
霊障が弾を吐き出しながら屋上を走り回る。
床やガラス壁を縦横無尽に這い回る。
ブッチャーがそれを追いかけ、シーカーはタブレットを操作しながら弾を避ける。
アクセスするのは高層ビルのネット回線。
解析し、開き、目的の場所に到達する。
「!?」
霊障が床に居る瞬間に遠隔操作によるビル内の全機材の電源停止と回線のシャットダウン。
通常ならば照明や接続が切れるだけの仕掛けだ。
だが目の前の霊障は回線と一体化している。
霊障の動きが止まり、人質との接続が切れる。
数値が霊障の物から人間の物へと戻っていく。
「ブッチャー!」
「おっしゃ!」
ブッチャーが霊障の上によじ登り、人質を引っこ抜く。
ブチブチと線が切れる音がする。
引っこ抜いた瞬間に霊障が動き始める。
人質を抱えたブッチャーがこちらに戻ってきた。
室外機の後ろに隠れ、容態を確認する。
怪我は無いようだ。
ゲホゲホと噎せながら人質が目を覚ました。
状況を理解し、口を開く。
「……フォックスから何処まで聞いてる?」
「お前さんが多分カッターで、ややこしい出自だろうな程度には」
「俺ごと殺すべきだった」
「冗談じゃねぇや」
霊障の対処であって人殺しは仕事では無い。
シーカーはタブレットをブッチャーに渡して霊障を見る。
「こちらブッチャー、人質救助完了、これからシーカーが対処に当たる」
ブッチャーの声を背に霊障に近づく。
人質を引っこ抜かれた霊障は足元がおぼつかず、先程の機敏な動きが嘘のようだ。
何か核になる品物が有る訳でなく、人の強い思いで現れた訳でも無い霊障だ。
電源が無くなればこうなる。
「ふ、ふざ、ふざけ」
「何も犠牲にしない癖に」
「500年の叡智に唾を」
『この人殺しがぁあああ!』
「妙な事を言うな」
ブッチャーが煙草の煙を吐いた。
「お前さん、人間辞めたんじゃねぇの」
シーカーの両手にナイフが現れる。
交差する光が霊障の頭を切り落とした。
霊障侵犯。
特殊装備展開を承認、処分を開始します。




