9章 招待
9章 招待
「あら」
「ん?」
事務所に向かう途中、フォックスとばったり鉢合わせた。
ブッチャーの横に立ち、ついて来る。
早足で歩いてもついて来る為、諦めて速度を落とす。
「こっちは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
「そちらの課長さんから許可は貰ってましてよ」
「マジかよ。何の用だ」
「コンダクターさんのその後のお話と……、また別の仕事を」
どうせロクな仕事じゃねぇ。
そんな表情を隠さずにいても、目の前のフォックスはどこ吹く風である。
「って言っても今日は依頼人の代理として来ましたの。ちょっとあちらの御自宅まで御足労頂けません?」
「待て待て、普通は用がある方が出向くもんだろうが」
「その辺りも含めて説明しますわ」
そうかい、と不機嫌そうにブッチャーは話を打ち切った。
2人の足音だけが廊下に響く。
静かになった廊下に耐えきれずブッチャーは口を開いた。
「コンダクターなら神社管理の指導受けてるよ。暫くは職員と一緒に勉強だ」
「あら」
「アイツの親がやった事でアイツが捕まる訳じゃねぇからな」
本人に罪が無い以上、警察に引き渡す理由も無い。
霊障対処課としては必要な指導を行い、見守るだけだ。
「霊障は退治されたように見えましたが」
「あの神社をな、誰も居なくても続けたいんだと。まぁ、廃神社にだって現れるんだ。管理してくれるなら文句もねぇ」
「そう、ですか」
霊障を生み出す仕掛けは全て撤去された。
残るのは巨大な力だけが存在する神社だけだ。
様々な謎は残るが、そこは管轄外である。
そう言っている間に事務所に着いた。
ドアを開ける。
「昨今はモザイクが無いと興奮しない男が増えてるらしいな!」
「つまりモザイクが猥褻物扱いになり、AVからモザイクが消えるな!」
『……』
刑法175条。
猥褻な文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、
2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
尚、猥褻物の定義は、徒に性欲を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する、だ。
ブッチャーが現実逃避をしながらドアを閉めようとすると、分厚いファイルが挟まった。
ドアから手を離し、中に戻そうと押し合いを始めている向こうで、馬鹿2人の会話が続く。
「つまりチンコは猥褻物じゃ無くなる!」
「……見たいか?」
「男のは見たくない!」
ちらり、とフォックスを見るとにやにやとしながらブッチャーを見ていた。
貸し1つ、と言った表情か。
ブッチャーはドアを音を立てて乱暴に開ける。
「ハンター! 客だ!」
「……へぇい?」
ブッチャーの大声にハンガーが目を丸くしながら返事をした。
●
「は!? 壱之口 采薪!? 政治家の!?」
「ええ」
応接室にブッチャーの声が響いた。
思わぬ大物の名前に流石のブッチャーも驚いたようだ。
壱之口 采薪。
テレビでよく見る顔だ。
70を越えた程だっただろうか。
政治家らしく、それなりに黒い噂が絶えない男だと記憶している。
フォックスが話を持ってくると言う事は組織の一員なのだろうか。
ハンターは首を傾げる。
シーカーが頭を掻きながら続きを促す。
「はぁ、それで先生はなんて?」
「霊障被害救済に関する法案を作る為、資料の発掘を依頼したく。詳細は自宅で、と」
「あー、はい。長くなりそうね……」
実の所、霊障被害に関する法整備は進んでいないのが現状だ。
難航している、というのが正確か。
霊障の発生プロセスを考えると、やたらな法規制というのは思想、信仰、内心の自由の侵害に直結する。
様々な専門家がそれぞれ違った意見を出しているのが現状だ。
そして霊障発生による被害者への風評被害。
これらを助長させる法整備は絶対に避けるべきだ。
災害と同じような扱いにするのが1番丸く収まるのではないか。
そのような方向性になってはいるようだ。
そうだなぁ、とシーカーがハンターを見る。
ハンターは3本、指を立ててシーカーに見せた。
「そうだな……資料の準備があるから最短2日後には伺えるが」
「問題ありませんわ。そのように。……ちなみにあの3は?」
「関連する法律の数……。憲法とか刑法とかの」
憲法、刑法、行政法。
関連しそうな法律はこの辺だろう。
これに民法と商法、民事訴訟法、刑事訴訟法が加わったのが日本の法、その基本だ。
「今、用意出来る資料を見て頂いて、足りない分を探す形になるかな」
「そうですねぇ……。現場の意見も欲しいとの事で、こちらの素案も見て頂けます?」
「判った。課で纏めておく」
そう言ってフォックスがシーカーのタブレットにデータを送る。
暫くしてハンターのスマホにもデータが届いた。
ハンターはすぐに確認する。
素案なので訂正する部分は当然あるが、妙な内容は無い。
組織の一員であるならば非道な話を持ってくると思ったが、その様子も無い。
本当に法案を作りたいだけのようだ。
ならば断る理由は無い。
フォックスが珍しく、しおらしい表情で口を開いた。
「申し訳ないですわ。アレが無ければ直接出向けたのでしょうけど」
「ん?」
「あぁ、なんか聞いた事あるぞ」
シーカーがタブレットで資料を探しながら言う。
興味津々にその場の全員が画面を覗き込んだ。
「壱之口は暗殺者に狙われてるって」
そう言ってシーカーが見せる資料には枯れ木のような男が写っている。
3人の視線がフォックスに向かい、フォックスの目が逸らされた。




