第1話 青き星へ来た者 その2
EPTO総本部のエントランスは5階までは吹き抜けになっている。それを利用して非常時になったら飛び降りて逃げ出そうなんて無謀なことをいう馬鹿者がたまにいるのだが実際ロープが使えればできなくもないとか。
「ブレイゾート?」
「うん、正確にはミライにぃのこと襲撃したのは下っ端」
敵の正体についてイルニスが予想し知りうることを話しながら正面にある大階段を登っていく。よくパンフレットや公式サイトに掲載される宣材写真に使われるのでEPTOの代名詞のような扱いとなっているのだった。
「いくつか種類がいて……。限定的に気配を消し去る能力を持っているのがいるの。数秒くらいだけど背後から襲撃するくらいなら十分」
「そいつがまた来たら厄介だな」
「……ところでミライにぃ、医務室行った方がいいんじゃない?」
「ああ。そうだね」
「何を話してるんだ、お前たち」
二人のそばをたまたま通りがかったどうみても中学生くらいにしか見えない外見の女性が話しかけてきた。ミライたちとは違う所属であることを示す赤いコートを、間近ならそんなことはないのだが遠くからだと引きずっているようで、どうにもコートに着られているように見えてしまう。
ミライとイルニスとは違う別部署の上司である春日野あざかだ。年は二八歳なのでれっきとした大人である。色気はないしなぜそこまで幼いのかは誰も知らない。本人ですらそのことを聞かれるのは嫌がるので実態がはっきりしないのだ。なお嫌がったらそれ以上追及してはいけない。死ぬから。
「あーに……春日野班長」
「ん?」
「あ……」
瞬発的に右手を隠す。彼の考えでは適当にその場を取り繕ってやり過すつもりだった。
「お前、その手どうしたんだ?」
「いやこれは……」
向こうの目をごまかしきれるはずもなく隠すより早いか、ハンカチで応急処置を施してそのままだった腕を掴まれ処置の部分を睨まれる。あまりの気迫に怒られることを覚悟したのだが。
「ついてこい。ちゃんと医務室に行くぞ。そのまま行ってこの怪我が原因でさらにひどい事態にでもなったらお前も困るだろ」
予想に反する穏やかな口調で彼の腕をつかんだまま歩き始めた。緑色の扉の前で立ち止まると「所要のため不在」と書かれたプレートが下げられている。
「留守みたいですね」
「見ればわかるよそんなの」
部屋の主がいないので引き上げるのかと思ったがあざかはポケットから鍵を取り出した。彼女はいくつか仕事を引き受けているがミライが知る限り医療局とは関連がなかったはずである。
「なんでそんなものもってるんですか」
「ん。知らないのか。私クラスの階級になると全員医務室を自由に使っていいことになってるんだよ。色々面倒を見ないといけない奴らも多いからな。そのくらいの治療ならなら私でもできるさ」
カチャリという音がして開錠できたことが分かるとドアノブをひねって推して中へと入っていく。それにミライとイルニスも続いた。
「そこに座っていろ」
小脇に抱えていたノートパソコンを右側のフリースペースとなっている丸机に置くと近くの棚から道具を取り出してきた。あらかじめ座らせていたミライのハンカチをほどいていく。
「じゃあ、ミライにぃ、イルニス先に行ってるから」
「あ、うん」
「大丈夫だから、ね?」
自分より年下の少女に励まされたうえに心配されていたようにも感じる。そしてドアの向こうへとイルニスがいなくなってしまったことで沈黙が訪れた。
「怒ってないんですか」
「なんで」
目も合わせずまた手を止めることなく作業を続けていく。
「だって、怪我したりそのことをごまかそうとしたから……」
「怪我はするのお前だけじゃないし、誤魔化そうとかそういうことも気にしてない。消毒するからな」
「痛いっ!」
「こらえろ、子供じゃないんだから。まあ私が怒るとすればだ、お前さっきあーしゃんとか変なあだ名で呼ぼうとしただろ」
「してないですよ」
「嘘だ。さっき言い直したのを私はちゃんと聞いているからな。少年がそういう呼び方をすると真似するやつがいるんだ」
「別にそれオレ関係ないんじゃ……」
「あるんだよ、それが。お前の言動で私の威厳が下がっていく」
そう不満を言いながらも、慣れた手つきでガーゼをあてそのまま包帯を巻いていく。なんだかんだ言いながらもここまでやってくれる優しい性格の持ち主なのだ。
「はい、終わったぞ、これからは怪我よりもお前は言動に気を付けたほうがよさそうだな。さもなくば少年の上司の監督責任が問われる」
余った分の包帯を巻きとってケースにしまい、手を洗うために立ち上がる。その時一緒に治療の時に出たゴミをまとめると足元にあった頑丈そうなゴミ箱へ放り捨てた。ミライが一部始終を座ったまま見ていたがちゃんと蛇口には身長が届くらしい。あんまり見ていると彼女の怒りや不興を買いそうなので早々に切り上げることにした。傷の手当てもしてもらったので荷物をまとめようとする、が
「さて少年」
「……」
「おい返事をしろ」
「え?」
「ちょっと待て」
返事はしたもののそのまま無視して部屋の外に出ていくことも不可能ではない。しかしあまりにも無作法なことをすると後々の報復が怖い。今までの事例を踏まえて素直にいうことを聞くこととした彼はそのまま椅子に座ったままでいる。手を拭きながらあざかがミライのそばに立って見下ろす。
「何か私に言うことがあるんじゃないのか」
手当のあとを見て自分が言うべきことを悟る。大した難易度の高いことでもない。素直に心の中で浮かんだことを口にする
「……傷を手当てしてくれてありがとうございました」
「いいだろう。お前もちゃんと言えるんじゃないか。うん?」
彼の髪を掴んで無造作に撫ぜる。ミライの方も特に嫌がるそぶりも見せない。
「さ、ここは任せて行って来い」
「はい」
一言だけ言葉を返すとミライは扉を開け廊下へと出た。まっすぐに階段を目指す。エレベーターを使わない理由としては目的地が現在の貝から数えて十階以上に位置していないというのと
エレベーターホールが遠いからというものがある。と、いくつか条件がそろったので階段を利用したほうが早く到達できるのだ。
「いらっしゃい」
3階程度階を上に移動してノックせず引き戸を開ける。事前に行くということ初割っているはずなのだ。そんな予期された来訪者を迎え入れてくれたのは、八幡帆霞だった。彼の姉代わりを自称するが年はそう大差はない。というか一緒である。特徴なのは闇に溶け込むような漆黒のロングヘアーに大人びた顔立ち。そしてワインレッドのフレームのメガネ。それらは落ち着いた印象を与えどこか知的さを感じさせる。イルニスはと言えば先に話が終わっていたのかパソコンの前に座り漫画を読んでいた。相変わらず彼女らしい。
「解析は終わってるよ。はい」
「ありがとう」
紙が数枚挟まれたボードを渡されたミライは近くのソファに腰かけてページをめくり始めた。
数枚にわたって物質の構成式や取り出す際の仮定図など詳細な情報が帆霞の分析も交えて記されている。要点だけをまとめると次のようになった。
1、ミライが持ってきた缶の中身の一成分と粉は一致。
2、粉は遅効性の毒。効力を発揮するのは缶の大きさから考えて毎日飲んだと仮定し場合およそ5日ほど。なお遺体には見られず。代わりに岩石などが検出された。
3、よって犯人はエナジードリンクに毒の含んだ粉を仕込みその毒が致死量に達し被害者が死亡したのを確認してから放火事件を起し証拠隠滅及び粉の回収をしていたと思われる。
4、同時に放火は不純物を取り除く作業の役割も兼ねていた可能性がある。そして粉は体年生を持ち燃えずに残る。
「やっぱり敵の目的は粉の方か……」
「問題は、その粉末が何に用いられるかってこと。検査にかけても何の正体もわからないの」
ここまで敵の手口と目的を理解したがミライにはまだ疑問が1つのこっていた。先ほどの資料に載っていない核心に至るべき最後の事項。イルニスから犯人はブレイゾートというアルカナマグナだと告げられた。しかしそれだけでは不十分だった。なぜなら彼らは普段人と同じ姿をしているから。まぎれこんでおりどの人間がアルカナマグナかというのはさすがのイルニスでも写真などから特定するのは難しい。そもそも彼らは人として完璧に成り済ますことができるらしく気配から相手を感じ取れるイルニスであっても人だかりの中ではさすがに難しいという。会社自体は分かっている。そのことが気がかりとなって彼の心の中で次の戦略を打ち出す傷害となりつつあった。
そんな彼の心中を察してか黒髪の少女が面前にファイルが付きだされた。中央部分にEPTOのロゴが配置され背景が黒一色できわめてシンプルなものである。
「これが欲しいんでしょ。犯人のリスト。まあ載ってるのは一人しかいないけど」
「特定できてたんだこんな短時間で」
「そう、ミライが拾ってきた缶に書いてあった会社名と別働隊の情報からね。知ってるかしら八幡帆霞に不可能はないのよ?」
どこか得意げな表情でメガネをはずし足を組んで座る。彼女に渡されたファイルの中身は先ほどと打って変わって薄く履歴書のような紙が一枚だけはさんであるだけであった。と言うか顔写真を張る位置や紙面構成から考えて履歴書かもしれない。
「石倉ゲンヤっていう名前でアカツキに潜伏してるみたいね。年齢は35くらい。別働隊の報告から火災が起きた日に夜間どこかへ外出してたって。それに加えてさっき調べた結果、火災が起きた日は必ず非番になってたみたい」
「調べたって何で?」
「内緒」
言わないということはあまり合法的な手段を使っているというわけではない、とミライはすぐに理解する。彼女との付き合いもある。長く一緒にいると誰にだってある特徴も見抜けるようになるのは自然なことだ。
「それだけ分かれば十分だよ。帆霞ありがと」
ミライが礼を言うと帆霞の方は一瞬目を丸くした後すぐに顔を染めて目線を脇へとそらす。
「ベ、べつにね、私一人でやったわけじゃないもの。協力してくれた人だっているしね」
照れていた帆霞だが上着を着なおそうとしていたミライの右腕に目をとめた。まだ震えている声で平常心を装いながら口を開いた。
「そ、その傷の治療ってあーしゃんにみてもらったの?」
「なんでわかるのさ」
不思議そうに聞く彼に対しさも当然とばかりの態度で
「だって、イルニスが先に来たから。あの子は緊急事態でもなければ、ミライを置いてここに来るような子じゃない。だとすれば、大方捕まって医務室に連行されたんじゃないの」
絶対当たっていると確信を持っているのか顔には自信があふれていた。なんというのかこういう小さいところで偉そうにするのが彼女が子供っぽいとか言われる特徴なのだ。
「見てた?」
「それくらいわかるわよ。あーしゃんのやりそうなことだからね」
「その名前で呼んでると怒られるよ」
「平気、本人に知られなければいいんだから」
「そういうもんなの?」
「ミライは詰めが甘いからよ」
「なんだよそれ」
腑に落ちないといったことを言いたげのミライが何か言いたげだが時は一刻を争う事態だ。言葉を飲み込み再び外へ向かう準備をまとめる。
「怪我してるから本当は一緒に行きたいんだけどね」
「帆霞は来ないんだ」
「私はここで今留守を預かってる身だし。何か情報が入ってきたらそれをまとめないと」
どこか残念そうな表情を浮かべ心配していることをフランス人形のような少女が立ち上がってミライの基に寄り添う。
「平気。イルニスがついてる」
「心強いのね」
イルニスが強い決意を持った目で帆霞を見つめた。イルニスのほうが体が小さいのでどうしても見上げる形になってしまう。そんな栗毛の少女の頭を帆霞が優しく撫でた。
※
国道を東へと走ると市街地の外れのところにその建物はあった。
警備が頑丈で簡単には入れないだろうとミライたちは踏んでいた。しかし会いたい人物がいると要件だけ言ったらあっさりと入れてしまい彼らは今会社の応接室にいる。秘書か何かが入ってきてお茶を出してから数分が経った。イルニスがあたりを見回したりとどこか落ち着きがない。刀とかおいてあるのは誰の趣味だろう。
そろそろ茶が冷めるんじゃないかと思い始めたころ唐突にドアが開き1人入ってきた。髪を首のあたりまで伸ばし適当に結って髭もロクに剃っていない。おおよそサラリーマンとは思えない外見だ。
「おまたせしました、いやいやEPTOの方が来るというのは一体どうしたことでしょう」
写真で見た通りの顔、石倉ゲンヤその人である。見かけによらず声が高い。その声が似合わないくらいのいかつい外見だった。座っていたので単純比較はできないのだが身長は、おそらくミライよりも高い。
「これですよ」
そんないかつい大男を目前にしても彼は怯まない。もっと怖いものだって見たことあるのだから。未知数の物に臆する理由などどこにもない。例の缶を大理石でできたテーブルの上に置き相手の反応をうかがう。顔色が変わったということは特にない。この程度は想定済みなのか。
「わが社で出してる商品ですが……何か?」
「例の出火事件ご存知ですよね」
「あの人が燃えたとかってやつでしたら、知ってますよ。しかしそれと我が社が一体何の関係があるというのか」
「大ありですよ。成分分析を行った結果、被害者は全員これを飲んでるんです」
証拠となりうるデータを机の上に置いていき最初の頃は半笑いを浮かべていたゲンヤの表情が徐々に険しいものとなっていくのが分かる。それでも皮肉気に唇の端を釣り上げているのは変わらない。その状態のまましばらくそれを眺めていたが
「なるほど、既に気づかれていたというわけか。まったく」
声の調子が変っ鷹と思えばおもむろに立ち上がり歩き始めた。その目は一介のサラリーマンというより人を殺める者の目だ。ミライはまだ体制を変えないがイルニスはすでに戦闘モードに入っている。彼女を知らない人から見れば何も変わっていないように思えるだろう。しかし共にいる彼だからこそ、その違いが分かる。
「おとなしく、引っ込んでる連中でもないよなあ!」
腕を振り上げミライを殴ろうとするが、瞬時に立ち上がって顔の目の前で拳を掴んで直撃を防いだ。隣に座っていたイルニスは腕が振り上げられたのと同時に後方へ飛び退く。
「意外とやるらしいな」
「すぐ襲い掛かるなんてこらえ性がないね」
軽口をたたいではみせるが、余裕がないのかその顔に笑みは見えない。いつもと比べて動きがどこか鈍い。何か迷いでもあるように。ここぞとばかりに攻めに出るのだが今は防戦一方で攻撃に転じる様子が見られない。
「秘密を知られた以上お前らを生きて帰すわけにはいかない!」
防御の隙を突かれ肩に一発喰らった。ダメージは大きく投げ飛ばされ窓際にあった執務机に激突し床に転がった。反撃に出ようとするが眼前まで男の拳が近づいている。避け切れないと覚悟し防御姿勢を取ろうとした時。
「っ!」
寸でのところで男の動きが止まった。よく見ると体中に何かが巻きつけられている。中止すればそれは鎖のようなもので微妙に発光していた。最も気にしないとわからないレベルだが。問題は誰が使ったかと言えば。
「今度は守るって言ったから」
表情には出さないが淡々と意志を口にした。
「小賢しい真似を!」
ミライが反撃に出るよりも早く、鎖を振りほどいた痩躯の男は懐から銃を取り出して銃口をイルニスへと向ける。普段なら簡単によけられる。イルニスの運動能力なら不可能じゃない。しかし今は動きを直前まで拘束していた。多少のラグが出る。引き金に指がかけられるかどうかの瞬間でミライが立ち上がり床を蹴って走り始めた。乾いた音があたりに響き火薬のにおいが立ち込める。イルニスを押し倒しそのまま伏せた状態で一発の銃弾をミライの髪をすれすれで抜けていった。
「ミライにぃ……」
押し倒された状況下でイルニスが不安そうな表情でミライの顔を見つめる。
「イルニスに守られてばっかの甲斐性なしじゃないんだよ?」
息つく暇もない。顔をあげて相手の様子を伺おうとすると二発目を発砲してきた。一刻も早く対処しなければならない。が既に姿は見えない。どうやら伏せている間に部屋の外に逃亡したらしい。ドアが開きっぱなしだ。銃を続けてうたなかったところを見れば威嚇射撃くらいの意味合いしか持っていないようだった。向こうの意図がどうであるかは分からない。
「……」
ミライが廊下へ飛び出しイルニスもあとへ続く。一方向は行き止まりになっているのでこの応接室が建物の先端区域にあるようだ。通路を走って追いかける。とても狭く精々すれ違いができる程度の余裕しかない。
やがて踊り場のような広い空間に出た。正面の階段に頭の後ろで髪を結った男の姿が見える。イルニスの持っている鎖では届かない。後を追うべく走ろうとしたミライが足を止めた。微かだが誰もいないはずのフロアに音が響く。
「何かが近づいてる……」
目を凝らせば来た道と階段以外にある別のフロアへの通路から何かが向かってきた。普段は灯っている蛍光灯がなぜか消えており何であるか視認できるようになるまで少し時間を要する。
彼の目に間違いがなければそれはトカゲだった。その身体は赤黒い鱗に覆われ微かに開け放たれた口の中で鋭い牙が見える。地を這うようにこちらに近づいてきた。目視できるだけで一〇体近くはいるだろうか。
「ただじゃ行かせないってやつかな」
「ここは何とかするから先に行っていいよ」
イルニスが両腕のロングローブを脱ぎ右手を出す。すると露出した部分の肌に棘のような物が生えてきた。やがて金属質の混じった群青色をしたそれは腕全体を侵食していく。手の甲から指の部分にかけては猛禽類のような爪を連想させる。その鋭さはまるで剣のようだった。肘の部分からも、鎌のようなものが生えて変形している人とは思えない異形の腕。それこそが彼女が人ならざる者の一員であることの証明。もっとも彼女はそのことをあまり好んでいないようで、そばにいるミライに対してもあまりこの姿を見せようとはしない。
「任せたよ、イルニス」
「うん、あとこれ使って」
変化させてない方の左手で首から下げていたペンダントをミライに手渡した。彼女が武具として用いている特殊兵器である。用いる人物によってさまざまな姿へと変えるのだ。彼が握ったのを確認すると残った左手も変化させた。 立ち向かってくる敵に対してイルニスはその剣のような腕を頸へ突き立て切り裂いていく。戦闘能力だけなら彼女の方が勝っているのだろう。イルニスの活躍は早くも成果を上げ敵の配置が乱れ始める。その隙間をかいくぐってミライは廊下を走り抜けた。
階段を駆け降り下を目指す。最下層まで到達するとあたりを見渡す。どうやらここは駐車場らしい。御多分に漏れずどこか薄暗く陰気な印象を感じる。人の姿は今の段階では見当たらない、しかし。
「!」
突如として飛来してきた火球を横へ飛びかわす。彼が立っていた外とを隔てる戸に激突し
ガラスを粉々に打ち砕いた。火の粉をまとった破片が当たりに飛び散りミライのもとに雨のように降り注いでくるが瞬時にペンダントを槍へと変化させガラス片を跳ね返して身を守る。それでも防ぎきれなかった粉塵の一部が肌をかすめるので少々ひりついたが何も対策を取らなかったということに比べれば多少はましだろう。
「さっきはガキが鬱陶しくてお前を捕えそこなってしまったがな、ここなら邪魔も入らんだろうし全部事故で報告すればいい」
後ろから例の声の主が近づいてくる。低く冷たい相手を不安にさせるような声。
「それにあの部屋は狭く物が多い、戦うのは向いてないんでな」
タバコを取り出し一服し始める。
「お前もそうは思わんか?海老名ミライよ」
「……」
黙ったままでミライは槍を地面に突き立てその場を動こうとはしない。何もしゃべらない少年に痺れを切らしたのか、
「連れねえな、黙ってばっかでよ、少しはのってくれてもいいんじゃないか、え?」
ボディブローをくらわせようとミライに襲い掛かるが彼はそれを予期していたかのように後方へと宙返りし難なく避ける。
「不意打ちがお前の常套手段か、ブレイゾート」
「俺の名を知ってるのか、名乗った覚えはないが」
「イルニスが教えてくれたからね」
何のことだか分からないといった具合でイルニス、とミライの言葉を反芻する。考えているのでチャンスに見えるかもしれない。ここで髭の男と同じように不意打ちを仕掛ければ勝てると思うだろうがそんなことで倒れるほど相手も弱くはないだろう。しかし向こうが答えを得るまでに不意打ちを仕掛けるほどの時間はなかった。
「ああ、あのガキか。物好きだよなあ。あんな欠陥女をそばに置いておくんだから」
冷静で居ようとするのだが頭に血が上っていくのが分かる。
「馬鹿にすんなよ、彼女は大切な仲間なんだ」
内容にとげがあるもののミライの声は穏やかでいつもどおり。なのだが顔が笑っていない。彼にとってみれば大事な家族を馬鹿にされたも同然なのだから。
「そういう反応をするってことは、よっぽど大事らしいな」
「お前ごときにイルニスの何がわかるんだよ」
右手の先に炎のようなものが揺らめき始めやがて、剣のようなフォルムで実体化する。刀身は赤く鍔のような部分が見られない。持ち手から上が歪曲してるので曲刀かそこら辺の系統とみえる。
「だが残念だな。お前はここで俺に殺されるんだ。もう二度と彼女には会えない!」
その宣言をした直後、刀を構えてミライに切りかかってきた。対する少年も逃げもせず槍を構えて応戦する。そして反撃に転じて彼らも戦いへと突入していったのである。上層階で何が起きているかなど当然ミライは知る由もなかった。
※
「……」
無言で立ち尽くすイルニスにいつもの面影はない。あるのは殺戮という本能に心を支配されることを許した凶悪な生き物。美しい少女の姿をした別の何か。
茫洋とする少女の視界の中にいる数多くのトカゲたちの1匹がはねた。それを見た少女は地面を蹴り、向こうの動きよりも早く宙を飛ぶ。そうして浮き上がった少女は自身に向かってくる対象に腕を振り下ろした。次の瞬間には血しぶきが彼女の体に降り注ぐ。切り裂かれた方は有無を言わさずモノと成り果てた。一連の様子をイルニスは軽蔑するような目つきで見る。
「その程度? バーカ」
着地を試みようとするが、場所は敵陣の真っただ中であった。当然敵もそれを迎え撃つべく数匹が飛びかかってくる。しかしイルニスは、臆する様子も見せない。大口を開けたトカゲの口内に腕を突っ込んだ。落下の勢いもあって異形の剣と化した腕は、容赦せず喉から腹にかけて一気に貫通する。鎧のような役割を果たす鱗など、何の役にも立たない。即死だったのかすぐにこと切れた。その状態のまま下で待ち受けているトカゲたちに叩きつけられる。死体が飛び散り血液をぶちまけ、醜く果てる。死に様とは格が現れるわけで。ひどいさまを見せるようなレベルの低さ。腕についた血液をイルニスが舌先でなめとる。その様子は少女とは思えない妖艶さ。まるで本来の姿が垣間見えるような。
「……まず」
美味であるはずなどない。不快極まりない。そして二陣目が来る。動きはとうに読み切った。ミライに仕向けられた刺客と同じ能力を持っている存在はいないようだった。随分と馬鹿にされたものである。ただ仮にいたとしてもイルニスに対して気配を隠すことなど、無意味だったかもしれない。
「うるせえんだよ!」
振り返ることもなく右手を、トカゲにたたきつける。体勢を崩してその場に倒れこむ。決定打にならなかったのか、すぐに起き上がった。だが腕にダメージが入ったのか起き上がるとき少しばかり妙な動きを見せる。この時点で万全とはいいがたい。
「あーあ。かわいそうに。でももっとイルニスを楽しませろよ? この下等生物ども!」
腕を構えなおすと、イルニスのほうから襲い掛かる。トカゲも防衛本能からなのか向かってきた。しかし無駄なあがき。剣によって串刺しになり、さらし者になっていく。勝負とか闘いなんて言葉は似合わない。一方的にイルニスが舞う。彼女が目立つ血の舞踏。殺戮すら美しく彩ってみせた。まき散らせる火の粉は花吹雪。
「無駄だって言ってんだろ!」
死体を蹴り飛ばして、絶叫した。その叫びに込められた感情は怒り、喜び。同居するわけではない反する要素が相まみえる。不可能を顕現させた魔性に愛されし少女。
「イルニスには勝てねえんだよ、そんなこと分からないなんてぇ!でももっとこの感覚味わいたいな。だから、さ。もっと死んでよ!!!」
あまりの興奮に声が上ずっている。今の彼女には恐怖という文字は存在しない。戦闘、殺戮へと突き動かすもの。それは心の中に宿った快楽。悦楽。愉悦。感動。快感。決して満たされないがゆえに起こる現象。味わえることのできる方法。すなわち戦うこと。それによって得られ、感じる甘美な感覚。何物にも代えがたい贅沢で。最高のときめき。味わうために必要なもの、それは命の散る輝き。舞う血の煌めき。。暴虐。破壊。悦楽をもっと味わいたいという思いが彼女を殺戮へとさらに駆り立てていった。
「アハハハハハハハ!!!!!」
ついに笑いが抑えきれなくなりだした。だが今更ためらうことでもなかろう。後ろめたさを感じることでもないのだから。目の前に迫ってくるトカゲに腕を突き立て切り裂いては屍へと変えそして彼女は踊る。
このいつまで続くか分からない殺戮と共に。