第0話 真実と嘘が入り混じる街 その2
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「それで警察に言ったはいいけどEPTOに行くよう言われたわけですね」
「はい、紹介状もわざわざ作ってもらって」
「まあ確かにそういう原理の分からない事件は警察とか防衛省とかよりもうちの専門分野ですからね」
適材適所ってやつですね、といって厚木チーフは笑ってみせる。EPTOという組織は国際的なぶぶんに根差していることもあって相当大きいものだった。といってもほとんど人間からするとEPTOに対する認識は薄い。別に称賛するわけでもないが、非難されるほどの物でもない。インターネットに定期的に情報を公開していたり何か問題があれば改善策や問題解決策をすぐに発表するなど、フットワークの軽い組織だなと巡自身は感じていた。何か人間に対する不可思議な現象に対応したり、超巨大犯罪組織に対しては鎮圧するだけの能力を持っていることもまた明らかになっている。
その不可思議な現象を起こす存在。一般的にアルカナマグナと呼ばれている。人間離れした能力を持っているということ以上巡はしらなかった。
「すぐにでも調査を出します。ミライくん、イルニス。行ってもらうよ」
厚木チーフがそばにいた二人に声をかけると向こうからやってくる。片方は少年、年のころは巡とそんなに変わらない。透明感を感じさせる美少年。というか髪を伸ばして化粧を施し然るべき格好をさせれば少女だと偽れなくもないような気がする。そしてもう片方、息をのむような美しさをした少女。小豆色の髪色と真っ青な瞳、黒っぽいゴスロリ服が目を引く。一度見れば忘れることはな息を飲むような美しさだった。そして背負っている日本刀、否が応でも目がいく。
「海老名ミライです。どうも」
年相応というも言うべき満面の笑顔を浮かべて、正面の席に移動してくる。目の奥が笑っていないとかではない。ちゃんと心の底から笑っている。
「で、こっちが」
「イルニス」
美少女のほうが淡々と名前を告げる。名乗るときだけ視線をこちらに向けたがすぐに元の方向へ戻す。肩に白いリスのような生き物が乗っており珍しいペットを連れているな、と巡は思った。その生き物はすぐにミライのほうへと乗り移り、彼が着ていたパーカーのフードへ入っていく。
「若いけど、実績は結構あるから信頼してくださいね」
「は、はあ」
「もう出たほうがいいんですか」
ミライが時計を確認してから、厚木に尋ねる。
「うん、そうだね」
「わかりました。行くよイルニス」
「ん」
イルニスが頷くとミライに続く。かくして秋坂巡に関する事件は解決へと移すプランが実行されようとしているのであった。
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ミライとイルニスは巡が遭遇したという怪現象の事件現場へとやってきた。そもそも現地調査を行うのも主な目的ではある。写真やら資料やらで情報を知るのと、実際に自分の眼で見て状況を知るのとでは色々感じ方も変わってくる。
「ここです」
件のビルの前で立ち止まった。入り口には立ち入り禁止のテープが張られて内部に入ることはできない。ただ防ぐものがないだけであくまで心情的なことであった。主な構造としてはビルの正面口までコンクリートの段差エリアが続いている。
「うーん、ここまで作ったけど放棄してしまうとは」
「完成していればオフィス街として機能するはずだったって聞いてます。ただ景気的な問題とかもあって、比較的規模の小さいこのビルは開発計画を取りやめて駅前のビルをメインにするって」
彼らがいる場所というのは、いわゆる繁華街から離れている住宅街との境目のような地域だった。大きい住宅が立ち並んでおり密集というよりは結構空間の余裕が残っている。
「青い光が放たれたっていうのは何階?」
「一番上ですね」
巡が指をさす。完成していればきっとそこはオフィスフロアになっていたはずだ。
「あそこが敵の本拠地なのかなあ。多分怪しい実験でもしているとか」
「可能性はある」
黙っていたイルニスが突如口を開く。見た目と違ってしっかりしているらしい。待っている間にゲームをしていたり年相応なのかと思っていた。しかし人は見かけによらない。
「一般人は入れないんですね」
「はい。中は壊れてはいないと思うんですが危ないので立ち入らない様にと」
今ここは市の管轄になっている。解体できないからどこの会社も引き取りたがらなかったため妥協案として、公共地扱いとなっているのだ。
「何はともあれ入ってみようか。イルニス、彼のことお願い」
「わかった。気を付けてね」
ミライがビルの中へと入っていく。内部の暗がりを照らすためのライトが一瞬だけ見えたがすぐになくなった。上の回へと上がっていったのだ。
「その石綺麗」
二人だけになった状態でイルニスが話しかけてきた。
「え?」
「光ってるから」
イルニスが巡のカバンを指さす。持ち手の部分にひもでつながった石が下げられていた。琥珀色で光を受けて、キラキラ輝く。
「これはオレが母からもらったんです。なんでも家宝として伝わっているお守りだから持っているようにって」
「家宝。そういえば宝石とかでも最近変な事件が多発してるってチーフが言ってた」
「あの宝石屋の襲撃事件?」
「うん。あれも最初は警察の管轄だったけど、数日前からイルニスの仲間が捜査を担当することになったの」
輸入代理店、博物館など宝石が所蔵されている地区ではよく発生している事件だった。件の発火事件が起こるまで新聞の一面を飾っていたのはこれらの事柄だった。巡が新聞を読んだ限りではどれもこれも手口が複雑怪奇で、一言で解決できるような事件でないことは明らかだった。
「でもこの道見落としそう。何でここ知ってるの?」
「子供の時からよくとおってた場所だから。遊び場っていうのかな、この辺りがね」
タダの遊び場ではない。巡にとっては特別な場所。どれだけ姿が変わっていこうとも。
「見てきましたけど、何もありませんでした」
イルニスと少しばかり話していると、最上階まで行ったミライが戻ってきた。
「やっぱり取引とか会うためだけに使ってるだけかも」
「イルニスの言う通りその可能性はあるね」
捜査するべき点は他にもあるはずだった。イルニスが持ってきた資料を取り出して目を通す。そこには巡の話をもとにして今回の事件の概要が記されているわけで時田がビルから出てきたの目撃したこと、ストーカーされていることについても載っていた。
「ここ以外にも学校に行ってみたい」
イルニスがつぶやく。こうやって囲んでいると恐らく敵も近づいては来ない。ならば行くべきところはもう一つ。謎の多き人物である時田が本来の活動拠点としている場所だ。
巡の案内で電車を再び乗り継ぎ、学校へ向かう。放課後でみんな帰っている中一人だけ反対方向の目的地を目指すというのはなんだか変な感じだ。そうそうあることではない。そして電車内ではイルニスの服装が目立つため、視線が三人に集中している。一体この集団は何だ思われているのか。
最寄り駅にまでくると、巡と同じような制服の学生が増えてきた。もう時間も時間なのでほとんどの学生は下校してしまったらしく、人影はまばら。そもそも学生街として発展してきたエリアなので夕方以降は静かなものだ。
「ちょっと学校内に誰か残っているかだけ見たいので、先行きますね」
学校前までやってきた一団のうち、巡が一足先に学校内に入り校舎へと消える。後に残っていたミライたちが児童になっているゲートで身分証を提示した。どこにでも入っていけるのだからある意味便利な書類である。人工音声で許可が下りたので校門を超えようとしたところだった。
「っ!」
先に気づいたのはイルニスだった。遅れてミライも異変を察知する。少女がピストルを引き抜くと発砲した。撃った先には普通の人間では視認できないが確実に何かが存在する。
「あら残念」
乾いた音が響くと弾丸が落ちる。そして人が姿を現した。黒スーツにサングラス。声と風体からして女性。銃が通用しない時点で普通の人間ではないことは明らかだった。この存在は特徴から考えて、巡を狙っていた存在とみて間違いない。
「あなたたちに邪魔されると困るの」
ナイフのようなものを投げてきた。それをミライは今度は見逃さず前へ飛び出す。その際に首から下げいていたペンダントを手の中で変形させ槍に買える。その状態で敵に突撃するといわんばかりに地を蹴り。突っ込んでいく。
「イルニス、向こうは頼む!」
「うん!」
こっちにいるということは巡の方にも危険が及びかねない。ここで敵を抑え込んで勢力を分散させる。走って槍を構えると突っ込む。そのスピードは風をも切り裂くまさに神速。目にもとまらぬ速さで槍を振りかぶるが敵も黙って立っているわけではない。
「ついてこれるかしら」
挑発するように煽ると塀の上を走っていく。ミライも負けじと後を追いかけて行った。残っているのはイルニス。彼女の使命はただ一つ。校舎内に行った少年の身柄を守ることだった。そうと決まればあとは早い。危機から巡を救うためイルニスは走り出す。
※
巡が廊下を歩く。職員室へ行って、そもそも時田が今もいるのかを確認しておかなければならなかった。
「いた!」
息を切らさずイルニスが階段を飛ばして走ってくる。ただ勢いがありすぎたのか階段からそのまま止まれず廊下へと飛び出した。普通だったらバランスを崩すところだが前のめりになる瞬間に体をひねり、横に一回転し滑りながら着地する。
「ど、どうしたの」
急にイルニスが飛んできたことで巡は戸惑う。確か彼女は校門の前で待っていたはずだ。
「行っちゃダメ。死んじゃうから」
イルニスがまっすぐ見つめて告げる。その青い瞳に偽りの色は存在しない。巡自身であってからまだ数時間しかたっていないものの嘘をつく人物では思わなかった。目は口程に物を言うとはこのことだ。
「下校しないのかい君は」
どこかから聞き覚えるのある声が聞こえてきた。時田だ。純粋に生徒を心配するような目。何処にも濁りなんてない。けれど寒気がするのはなぜだろう。何か企んでいる。そこの奥に隠しているものが見えてこないのだ。
「あ。いやその」
「用がないなら早く帰ったほうがいい」
「そ、そうですよね」
巡が冷や汗をかきながら、イルニスを立ち上がらせて一緒に階段を降りようとする。その直後、
「え」
イルニスの姿が消えた。否消えたように見えたのだ。刀を構えて巡の背後に立ちはだかる。少女らしからぬ険しい目つきで時田をにらんでいる。
「チッ、失敗か。てめえなんか簡単に殺せると思ったが」
「甘く見すぎ」
甘さのない冷徹な声色。胸元へ日本刀をイルニスが突きつけながら言い捨てる。
「全くゴルゴ―ニアがきっちり抑え解けばこんなことにならずに済んだというのによ」
「向こうはミライにぃが押さえ込んでる。戦力が半分になっているのは、どっちにしろ同じ条件」
刀を構えたかと思うと踏み込んで相手の懐へ切り込む。ミライと違って助走はしておらずほぼ一瞬で相手のもとへ到達した。人間の眼には瞬間移動したようにしか見えない。実際はステップ数を省いているだけなのだが、同じことだ。切りつけられれば急所を狙っているためほぼ即死。
しかしそれは致命傷になりえなかった。構えた刃は難なく防がれている。巡の眼には今繰り広げられていた戦いが現実のものとは思えなかった。しかし耳に響く音の残響、頬をかすめる衝撃波などの感覚は間違いなく本物。コマ送りで動いてるので人間目線にはとらえきれない。
「まじめにやれ!」
男が吠え手の先から光弾を飛ばしてきた。イルニスを狙ったものであり、早業で蹴散らしていく。散らされたので、その体には到達しない。複雑な軌道を描いているが、一瞬で動きを把握し剣を動かしているのだ。が、それでもさばききれなかったものが1つ。イルニスに落ち度があったわけじゃない。彼女はすべて把握していた。ただそれは自分を狙ったものに限った話。巡を狙った弾丸にまでは気を払ってはいなかった。
「伏せて!」
イルニスが叫んで、巡がそれに呼応して動く。微かにイルニスには、弾丸が見えるが普通の視力を持っている人間にはそもそも捕えられない。取れる方法はただ一つ。地面を蹴り上げ瞬間的に加速。此処まで物の数秒。空気を切り裂いて突風が吹き抜けた。その風に体を任せる。そしてもっとスピードを上げ、ついに巡のもとへたどり着いた。剣を構えなおして迫りくる弾丸に刃を向ける。目をそらさず恐れず、向かい来る相手を捉え。そして抜刀。光弾を真っ二つに切り裂き巡の外側に弾き飛ばす。物理的にはっきりとした形を持っていたならば相手に向かって撃ち返すこともできた。しかしこの光弾は特殊。
「これこそ、イルニス夢幻流 風斬り」
「大した能力もないくせにやりやがるみたいだ」
男が称賛の言葉を述べるが、その言葉には感情がない。本気で思っているとは思えない。というかそんなはずがあるはずもない。
「めぐはイルニスが守るから、殺させない」
「あ、ありがとう」
腰が抜けてしまった巡だが、イルニスが後手に差し出した右手をとり立ち上がる。少女の方はといえば守るために、刀を構えたまま相手をにらみつけていた。しかし妙だ。なぜ時田は自分を殺そうとするのか。恨みを買ったとかそんな単純な話でもないと思うのだが分からない。
「無知は時として罪だ」
そんな巡の様子を察した時田が、おもむろに口を開く。
「君は事件が起こった時関係者でないと思うだろう。違うんだよ。君は関係者になってしまっている。この先も狙われ続ける。私なら君を関係者から外すことができる」
「いったいどうやって」
喋りたくないが言葉が出てくる。
「君が持っているその石を渡してくれればいいんだ。それは八つ揃えれば莫大なエネルギーを生み出すんだがな。なに簡単なことだ」
心当たりはある。常に持っている大切なもの。何か特殊な力があるのは事実だしよからぬことに使おうとしているのも創造に難しくない。渡せばどうなるのか。多分死んでしまう。されど死ぬ以上に理由としては。
「……嫌です」
「なんだと」
「いやです。これだけは絶対に渡したくありません。これは大切なものだから」
自分でも驚くほど気丈に相手に立ち向かっていた。けれどこの石はそうまでしてでも守りたいものである。こんなところで手放していいはずがない。そうなれば脅しに屈することもなかった。
「そうかい、残念だよ。君は聞き分けがいい理知的な子供だと思っていた。だがそういう選択肢をとるのであれば!」
男が構える。身を低くしたと思えばそれは一瞬イルニスもろとも巡に対して疾走して切りかかろうとした。しかし間に立ちふさがって刀で受け止める。よく見れば腕のあたりから分岐して刃のようなものが生えている。手のひらからも剣が伸びており合計三本。しかし独立して動かせるようなものでないと見える。それならイルニスが止めている剣以外のも動かして突き刺せるはずだから。そのことに気づいたイルニスが取る方法は一つ。
「これで!」
腰に刺さっていたピストルを抜き取り、時田の額目掛けて引き金を引く。ゼロ距離射撃で相手に回避する隙を与えない。トカレフの破壊力は折り紙付きだった。そもそも命中力に難があるといわれるが、イルニスはそんなことものともしない。彼女はどこから狙っても相手の首を射抜く。
「っぁ!」
「ヒット!」
首筋を貫き薬莢が床に落下する。首に当たったとして簡単には死なない。それで死ぬのは相手が普通の人間だった時。今相対しているのは違う。人知を超えた驚異の存在、アルカナマグナ。
「このガキ、やりやがったな!」
恨み節を吐くがダメージを負っており、首筋を抑えその場にうずくまる。追加攻撃を加えるため続けざまに引き金を何発も引く。
「これで!」
弾丸なんかあとで装填すればいい。予備の銃ももう一本隠してある。
「とどめ!」
「甘い!」
イルニスを風圧で突き飛ばし、時田が逃亡する。反撃で一発撃つが、それはかなわない。逃げる間際に蛍光灯をすべて粉砕しガラスの破片が飛び散ってきたから。美しくそれでいて怖ろしいほどまでに、残酷なきらめき。まともに浴びれば全身傷だらけの血まみれ。イルニスはともかく、ただの人間である巡は無事では済まない。抱きかかえる姿勢で床を蹴り安全圏まで一旦退避する。
「危なかった」
「あ、ありがとう」
巡は正直戸惑っていた。イルニスは自分より体が小さい。そんな少女が自分自身を抱きかかえて疾走する。それも尋常ないスピードで。やはり彼女は普通の人間とは何かが違う。
さっきの神速のようなスピードの剣さばきといい攻撃を避けきる身体能力といい、普通の人間であればできない。できたとしてもせいぜいが一つ。三つすべてを兼ね備えている人間なんてそれはもはや―。
心臓を掴まれたような緊張感が巡の体を走る。照らし出す夕日によってイルニスの体が浮き上がる。影で輪郭はおおわれている物の特徴的なサファイア色の瞳だけは輝いていた。それでもその姿は、何が起こっているか分からない巡にとってみては救いのような存在で。
「!」
思考の混乱している巡をよそにイルニスが飛ぶ。彼の肩を超えていき背後のアルミサッシを右の平手だけで弾き飛ばした。ひしゃげてしまい元が何だったか分からない金属片と化していく。もはや驚きもしない。イルニスが何をしようとも。ただ今のアルミサッシがそのまま落ちてきていたら危なかった。巡にぶつかっていたはずだ。
「立てる? めぐ」
「う、うん」
巡が動けるのを確認してから、イルニスは屋上へと向かおうとする。時田を確実に仕留めるつもりだ。
「待って!」
巡の声に反応してイルニスが立ち止まる。けれどこちらを向こうとはしない。
「オレもつれて行ってほしい。そりゃ役には立たないけど」
何ができるかなんてわからない。けれどこの戦いを最後まで見届けたい。一度乗り掛かった舟というわけでは、ないがここまで来てしまったのだから。
「自分の身は自分で守って」
イルニスが短く伝える。それは工程の言葉だった。先頭を走っていくイルニスについて巡も廊下を走る。