3.5話 人をつなぐ願い
EPTOの施設で朝食を食べる。どこの施設でも食事は一線級の味を維持しているのだから驚きだ。これが職員のやる気を維持している秘訣でもある。お代わりが自由なのでイルニスにとっては天国。
「美味しかった。東京でも食べたい」
「おひつが空になるくらい食べる人はいなかったみたいだけどね」
「リンゴがおいしかったな。どこでもらえるか知りたい」
イルニスとグレーテルは気楽なもの。大食いなのはうすうす知られているが実際目の当たりにするとみんな、冷や汗が止まらなくなる。特に今回はおかずの種類が豊富だったり御飯の音もが多いものだからイルニスが全種類試すと言い出した。そしてそれをやったのけった。なんのけなしに気楽な顔をしている。
「リンゴは後で電話して答えたもらえるかなあ」
グレーテルはこの星に来てからというもの、色々食している。その中で一番気に入ったのがリンゴだ。触感と味がとてもいい。見かけるとスーパーでも買ってほしいとミライに頼む。今日も選べるメニューの中にリンゴジュースが入っていた。それ以外にも切ったリンゴが出されており全部食べていた。
という話をしながら、施設を出てバスでいったん駅まで戻る。ここから今日の目的を達成するミライの実家へ向かうことになる。中心地に近い住宅エリアではあるが、歩けない距離ではない。海は遠い。バスとタクシーを使わずとも少し歩けばたどり着ける。天気も悪くないので歩くことにした。
大通りから横道を入るたび、人が少しずつ減っていく。車も通らない。住宅地に入ってきたので家ももうすぐ。似たようなデザインの一戸建ての前を歩ていくと彼の生まれた家に着いた。
表札には「海老名」と書かれている。
「ここだよ」
「ミライにぃの生まれた家」
補修工事をしているので、外観は近代建築そのもの。東京都内にあるような住宅と比べればやはり広い。門の隣にあるインターホンを押して誰か出てくるのを待つのだが指が震える。久々に来たせいで緊張しているのだ。
インタ―ホーンの音が鳴ったが、特にモニターに誰か出てくるわけでもない。もしかしたらこの時間は誰もいないかもしれない。それもそのはず。まだ10時前。買い物に出ているとか用事を済ませているとか。
「今開けるから」
物々しいドアの向こうから、女性が出てきた。黒い髪に切れ長の瞳。一見すると分からないがその瞳はミライと同じもの。落ち着いた雰囲気の彼とは少し違う。だがその特徴が二人は親子だと証明した。
海老名カノン。ミライの母親その人である。
「おかえり。ミライ。ごめんね。少し手が離せなかったの」
「うん。気にしてないから」
「久しぶりね。こっちいらっしゃい」
玄関から二人が続き、居間へ通された。
「誰かと思えば。ミライかね」
障子の向こうから、老紳士が顔を出す。タオルを頭に巻き、隙間から白い髪が覗いている。おっとりしたのんびりそうな印象。少し笑っているようにも見える顔。
「おじいちゃん」
「帰ってくるとは聞いておったが。ずいぶんと早かったじゃないか」
「元々こっち泊ってたからね」
「ばあさんも家におるはずだから」
庭作業の途中だったのかハサミを腰に差すと建物のほうへ向かって大声を出して呼び掛けた。落ち着いた雰囲気とは似合わないはつらつとしたことである。
「ばーさーん、ミライが帰ってきたぞー。おるんだろ」
「聞こえてるというのに」
軒先から老婆が顔を出した。真っ黒い服をきてはたきを持っている。
「父さんは声が大きいのよ」
ミライの母があきれた様子でつぶやく。
「ま、おじいちゃんとおばあちゃんも元気だからね」
大机を囲む形で3人が座り込んだ。祖父母は縁側で何かを話していて今に入ってきたがテレビのほうへ向かっていく。
「上手くやってる?」
「仕事は困ってないよ」
「昨日、電話でも行ったけどちゃんと説明してね」
「分かってるよ」
「それで、まずはその隣にいる娘について」
「イルニスのこと?」
ミライの隣に座り、件の少女が頭を傾ける。目に映るものが新鮮だったらしく、後ろに置いてある写真を見たり、机の上の菓子を覗き込む。
「EPTOの仕事で、調査をしていて……。その途中で出会ったんだ。身寄りがないから連れてきた」
「突拍子もないことばっかりね。ある程度聞いていたけども」
紙束をミライに手渡す。手紙で差出人はナタリア・スコパになっていた。その内容にはミライが何をしていたかについてが記載されている。そこにはミッション中にイルニスに出会ったことについても。
「あなたが東京に出て行ってから、ナタリアさん定期的に連絡送っていたのよ」
「……」
「その女の子のことも、時が来たらあなたの口から説明させるってことも」
確かに書いてある。彼女の詳しい素性、生まれについては伏せてあるがそれ以外のことは開示されていた。イルニスについてはEPTOに所属している職員にしかその正体は明かされていない。そのことはミライもある程度、上層部から説明を受けていた。今回に限らず、外部に説明が難しいときは全てを無理に開示することはないと。それ以外の家族関係者にも。ゆえに彼女と遊ぶ生田遊恵、松田開もそのことは知らない。気づいていても人とは少し違う何かかもしれないという疑惑どまり。
「思ってる以上に、色んな人があなたのことで動いてたってこと」
ナタリアがミライに対して、顔を出して説明しろという話をしたのはいい機会だったから。それに彼女としてはきっちり責任と義務があると考えていたこともある。彼のことを預かってEPTOに所属させた以上、何をしているのかのは伝えていた。そして、ミライの意志でイルニスを連れてきた。自分で決めた行動なのだから、そのことについてはきっちり説明をする必要がある。出会って長い時間が経過していだのだから。
「この子に道に迷ったところを案内してもらって、助かったのもあるから。音があるのに見捨てられないからナタリアさんに、頼んで赦してもらったんだ」
ミライの話をお茶を飲みながら最後まで聞く。手紙に再度目を落としてミライとイルニスを交互に眺めた。次に聞くべきことを考えているのだ。
「それで一緒に暮らしてるのね」
「うん」
肯定をしたが、あまりよくないことのような気が一瞬した。ミライはもう慣れてしまっていたからあれだが高校生くらいの少年がそれより幼い少女を連れて一緒に暮らすという状況を世間はあまり歓迎することはなかった。
しかし、彼の母は。
「騙されてるとか騙されたりとか、よくないことをしてるってことはなさそうね」
予想に反し、世間のことは言わなかった。
「もっと生活のこと聞かれたり、お説教されるかと思った」
「本当によくないことしてたら、ここにだって顔を出せないでしょ。っていうか多分ナタリアさんが手紙で伝えてくるかまず来るような話は出さないって」
「ミライにぃ悪い子じゃないよ」
「イルニス」
黙っていた少女が口を開く。一緒に暮らしていて彼を一番すぐそばで見ていて全容を知る存在。彼には恩義があった。行くところもなかったところを拾われた借り友うべきか。ここまで面倒を見てもらっているのだから、悪いことをする人間なわけがない。
「そこまで言わせるんだから、本当に何もないんじゃろ」
後ろで話を聞いていた祖父が割って入ってきた。いつの間にか掃除を終わらせていたようで
扇子で仰ぎながら祖母と将棋をしている。金と銀がすべて取られてしまっているので恐らく逆転は難しい。
「それにその目の輝きを見れば真実を語っている。分かりきったことよ」
駒を動かして、盤上のドラマに一つの区切りをつける。
「ほい、王手」
「あ、しまった」
「もうあきらめたほうが」
横にある紙に勝負結果を記入した。ここまで九十九勝。何か奪われるということもないのだがが負け続けるのもあまり楽しいものではない。
「そういうことだから。さ、少し早いけどお昼にしましょ」
長机に焼きそばが配膳される。ソースで搦めたシンプルなものだがこういうものほど作るのが難しい。目玉焼きが乗っているので崩しながら食べていく。
「ミライにぃが作ってくれたのと同じ味がする」
口に運びながら、イルニスがそんなことを口にする。味付けは彼女が覚えているものに近い。ミライが作る料理が彼女の価値基準になっているので、慣れたものほど食べ進めるスピードが速い。
「オレが教えてもらったのと同じ人から母さんも学んでるからね」
二人でひっそり話し合う。つまりは同じ人物が彼らに料理を教えたということ。一通りのことはこなせるミライの料理だが、基本はここで学んだ。
「誰?」
「おばあちゃんが教えてくれたの」
「ミライは何でも作りたがったから教えがいがあったよ」
食べ終わていた祖母が二人の会話に参加して、また離れていく。台所に食器を片付けに行ったのだ。
「今日はお客様が来るからこういうものしか用意できなかったけど」
「誰か来るの?」
「おじさんとおばさんたちが来るのよ。ミライが帰ってくるって伝えたらみんなね」
「なんで、またそんな」
「みんな会いたがってるってことよ」
朝から、部屋の片づけをしていたのがそういうこと。ミライ、イルニスが来ることに加えてお客を受け入れなくてはならない。どれくらい親戚が来るのか分からないが、すぐに面識があって思いつく顔が数人。
「で、夕食の買い出しとか準備もしないといけないの」
「掃除はわしとばあさんで終わらせたからな」
「爺さんそんなやっとらんだろうに」
台所から祖父母たちは会話を続ける。仲がいいのがここだけでも見てわかる。
「ごちそうさま」
「はい。さ午後も忙しいからね」
皿が空になったものをカノンが全て手際よくまとめ、流しへもっていく。
「ミライ。ちょっといい?」
「なにさ」
「イルニスちゃんと話をさせて。彼女からも聞きたいことがあるの」
「オレを信用してないの」
「物事を多面的に図るために彼女からも話を聞くのよ」
ミライがあまり納得していないようではあるが。ここでも動きを整理したのは。
「かわいい子には旅をさせろ、というじゃないか」
彼の祖母だった。事態が困窮すると場を進んでまとめ上げる能力に昔から長けていた。
「それって、こういう時に使うものだっけ」
「まあいいから。実はおばあちゃんがミライと話をしたいんだよ。買い物もあるからちょうどいいじゃないか」
「うーんそいういうことなら」
ここで長いこと争ったところで不毛。
「んじゃ、ミライや。ばあさんと買い物に行くぞ」
「分かったよ」
身支度を整えて街へと向かう。靴ひもがほどけたりしないように、もう一度きつく結びなおした。
「行ってらっしゃい」
イルニスが見送ると、テレビがある部屋に戻ってきた。さっき見ていなかった写真を覗き込む。思い出の具現化、時間の固定。彼女が知っているミライよりも、幼い雰囲気の少年が移っているのだが美少女らしいのはこの時から変わらないらしい。
「気になる?」
「うん。ミライにぃの子どもの時初めて見たから」
大きなボウルを持っていたカノンが腰かける。ボウルの中身は枝豆だった。
「手伝ってもらいながらね」
イルニスが自分の手を見る。いつものロンググローブ。彼女が異形としての力を発揮するデスサイズクロ―を保護するものであるがこういう場合には不向き。紺色の名が手袋を外すと流しへ向かって、手を洗い始めた。
「石鹸、置いてあるの使っていいから」
洗いなおして、作業を始めた。枝豆をむしっていく。やり方を説明して実際に見せれば彼女はすぐに吸収した。
「上手、そんな感じ」
手に傷があるかっていうとそんなことはない。きれいかどうかでいうとところどころ切り傷が絶えない。工具で切ったりぶつけたり。気を付けるように言われているがミライはいつも治療してくれた。ある程度、イルニスは治癒能力も高い。しかし殺し合いをすれば命の危険が付きまとう。相手はアルカナマグナである。
「あの子どんな感じ?」
ミライがいた時と同じ質問。彼がいないところでイルニスからの見たまんまの印象を聞いてみたかった。悪い印象が出ることは多分ないのが分かっていたが、忌憚のない意見が欲しい。
「ミライにぃ優しい。お菓子食べ過ぎるとお説教されるけど」
イルニスが怒られたと認識してるのはそれくらい。夕食が食べられなくなることはないのだが、やはり限度がある。そしてお説教されることになるのだが、かなり長い。
「ご飯だっておいしいし。この服も作ってくれた」
今日着てきたのは紫色を基調としたゴスロリ服だった。アニメキャラが来ている衣装を基本としてミライが実用性を考え着やすいように直している。
「ちゃんと覚えてるんだね。服のことも御飯のことも」
「どういうこと?」
「衣食住に困らないようにって。父さんと母さん、ミライから見たらおじいちゃんとおばあちゃんだけど。教えられることは全部教えてあげたの」
ミライがさっき少しだけ話していた。母親と自分の作る料理が似た味なのは教えてくれた人が同じだからだと。
「ミライのおじいちゃん、つまり私の父さんは人形職人なの。だから裁縫なんかも得意だから巾着袋とか、ナップザックから始まっていろいろ作ってたみたい」
写真の隣にケースに入った球体関節人形。日本人形。人形そのもののデザインが違っても来ている服は色鮮やか。ここで学んだことが、今の暮らしにつながっていた。
「可愛らしいデザインだけど。完成イメージみたいな絵もあの子が?」
「それはミライにぃとイルニスが半分ずつ」
ミライも絵が描けるのだが、希望をくみ取るためにイルニスも、デザインを考えることがあった。アニメキャラそのまんまということはなく、ミライが実用性を考えて手直しをする。そしてイルニスが最終的にどうしたいのかという、図を協力しながら作っていくのだった。
「服の話は聞いたから……。食かな、ミライの作ってくれる料理で一番何が好き?」
「ビーフストロガノフ。あれも教えてもらったの」
「うーん。それは違うかも。ミライが独自に研究して覚えていったのかな」
今でも料理に関する情報を収集しているのを彼女は知っていた。夜にやっている料理番組を欠かさず見て、それから寝る。
「でも仲がいいのね。よかった」
「ミライにぃのこと心配なの」
「あの子を信じてはいるけど……。やっぱりどうしてもね」
実際のところ。海老名ミライは16歳という年齢から考えてみてもしっかりしているほうではあった。EPTO職員としての業務、高校への通学、家計の計算、家事全般の取り仕切り、やることはいろいろあれど基本的にはまっとうできている。掃除と洗濯の一部についてはイルニスとグレーテルが担当することもあった。
少なくとも。
イルニスたちの前で弱音を吐いたり諦めたりするようなことはない。疲れてしまえばミライもイルニスも一緒に寝てしまうことはあるのだが。
「ミライにぃの子どもの時のこと。少しだけ教えてもらった。学校でうまくいかなかったって」
思い出すだけで不快な話。絶対に間違ったことなどしていない。なんて理不尽なことか。黙っていれば共犯だの言いだすくせに動いた人間に対する仕打ちがこれとは。
「小さいときから優しい子なのよ。それに決断力があるのか助けてほしいと思ってたり、困ってる人がいれば真っ先に出ていく」
多分、それは今も変わっていない彼の本質。異星人であるグレーテルを住まわせイルニスに対してもともに暮らす選択をした。その優しさは間違っていないはず。その気持ちがあるからこそイルニスは今ここにいるのだから。だから彼を信頼し、守りたい、仕えたいという強い重いが生まれる。イルニスという少女は。海老名ミライの剣であり騎士。この命は彼とともにああり最後まで貫きたい。
「優しいままでいてほしい」
きっと。それが裏切られた結果になったこともあった。間違っていると糾弾されそれが受け入れられ、彼の居場所を失ってしまったことにもなる。優しくて勇敢だけど。何かの拍子で失われてしまうことだってあり得るのか。
「優しいミライにぃが大好きだから」
「あの子のそばにいてあげてね」
「ずっと一緒にいたい」
優しさを失わないで居続けるのはきっと難しい。それは真なる意味のものだから。何があっても立ち向かえる勇気と強さ。少女にも実は受け継がれているのだが、無意識のうちに行動に出ていた。きっとそういう人間に出会えたことは幸運だった。
「ミライのこと、気にかけてた人もいるのよ」
カノンが数多くある写真の中に目をやる。その中の一つ。二人の男の子が写っていたもの。
「伊勢原成くんって言って。ミライのことを弟と一緒に認識してよく遊んでくれた子がいるの」
キョトンとした様子でイルニスが話を聞いていた。その様子を見てカノンは何かに気づく。
「彼のこと何か聞いてる?」
「知らない」
「そう……」
続きを話すかどうか迷ったようだが、イルニスが知らなかったことをミライに無断で進めるのもよくないと思ったのか。
「ミライが話していないなら、ここから先はあの子から直接聞いたほうがいいかもしれないね」
そして二人は枝豆の仕分け作業へと戻っていく。イルニスが好きなものをしゃべり続けていくことで時は流れた。
※
「さて、肉はどうしようかね」
「みんな来るんだろ。なら多めに買っといていいんじゃないかね」
町の中心エリアにあるスーパーへとミライは祖父母に連れられやってきた。彼が子供の時からこのスーパーは今も残っている。有名なことだが、おまけのついているお菓子の品ぞろえがあたりで一番いいのはここ。
「イルニスも結構食べるから大きいやつでいいと思う」
「あの娘そんなに食べるのかい」
「一人で3人前は食べることもあるし」
「はぁー、最近の娘は育ちざかりなんだねえ」
と言いながらレジかごに肉を放り込んでいった。既に野菜は調達済み。カートは三人それぞれで持ってきたがスペースに余すことない商品の山。
「人がそろうのは久しぶりだからな。張り切るぞ」
「爺さんが張り切るとろくなことにならんからな」
「ばあさんは厳しいなあ」
「あたし以外に誰が留んだ。カノンちゃんはもっと手ごわいがそっちがいいか」
「そりゃ勘弁だ」
二人が、子気味いい会話を繰り返しながらレジへ向かい会計を澄ます。レシートがあまり見たことない長さになっていたが。
「何か食べるかい。ドーナツでも買おうか」
「いいの?」
「おばあちゃんが買ってあげるよ。ミライは払うんじゃないよ」
「持ってるのに」
「いいからばあちゃんに払わせろ。なにがいいんだ」
「んーと。カスタードが入ってるやつ。後イルニスと食べたいからチョコレートのがいいかな」
ショーケースの前で、どれがいいか選ぶ。もっと小さいときもこうやってドーナツを選んだ記憶があった。その時は体が小さいから一つ食べるのがやっとだったのもあり、大体半分に割って食べていたのだ。今はさすがにそんなことはないのだが、種類が圧倒的に増えたこともあり、選ぶのが難しい。
「やはり変わったね」
「ドーナツは昔から好きだけどね」
「それだけじゃない。あの娘の話をするとき、楽しそうなのが分かるから」
ミライ自身も気づいてはいなかった事実。一人より二人。今は二人より三人。ミライ、イルニス、グレーテル。あの二人といればミライは毎日の暮らしに退屈しなかった。知ることはたくさんある。
「懐かしいなあ」
ドーナツを買い、袋を持った3人が家路へ向かう。
「ミライは覚えてるか。じいちゃんとばあちゃんが二人で手をつないで歩いていたこと」
「うん」
それは。いつのことだったか。ミライはもっとずっと小さくて。二人はもう少し若くて子どもを持ち上げられるくらい元気だった。
「いつの間にか、大きくなったな」
「……」
時間ほど残酷なものはない。手加減せず誰にも平等に与えられ縁緑なく去っていくのだから。
「でも変わってないところもある」
「え?」
「漆黒の髪と瞳。何物にも影響されない強い信念の証」
「それって」
かつて祖母がミライに語ったことがある。彼の真っ黒な瞳。黒は闇ではないと。光がさす世界で黒は輝く。それは闇に包まれた世界でも同じ。黒は黒。何者にも左右されない強い信念の象徴。それが彼にはあると。
「誇りに思うんだよ。ミライの強さだから」
「おばあちゃん」
「その強さは優しさと勇気。たとえ何があろうと失うことはないってわかる」
小さいころから常々言われてきた話。励ます意味でも元気づける意味でも大事なことだった。
「ただいま」
「帰ってきた」
玄関にイルニスが出てきた。と思ったらセロリをかじっている。
「どうしたの、それ」
「ミライにぃのママがくれた。おやつだって」
「ゆでたセロリを気に入ったからあげたのよ」
むしゃむしゃと茎のほうから食べ進め、あっという間に平らげてしまった。よく見ればそれ以外にもまだ野菜を抱えている。
「おいし」
「そういえばきゅうり食べてたこともあったね」
彼女の好物はチョコレートなわけだが。別にそれしか食べないわけじゃない。甘いお菓子が好きなのでそれをよく食べているが、夏場はトマトやきゅうりも水洗いしてお腹がすいてるときに食べている。
「ドーナツ買ってきたよ」
「……」
セロリをかじる音が止まる。一瞬何かを迷ったのかが分かる行動だ。食べることに関して返答に時間がかかることはあまりないが、セロリやら野菜やらが、よっぽど気に入っていると見える。
「夜に食べようか」
「うん」
再びセロリをかじり始めた。ミライの言葉で場を収めては廊下を歩く。台所に食材を預けて居間にやってきた。祖父母は自室に戻り将棋の続きをやるらしい。
「ねえミライにぃ」
「ん?」
「イセハラジョーって誰?」
イルニスの質問に空気が硬直した。
「誰から聞いたのそのこと」
「ママが言ってた」
「母さんから情報が出たか」
予想していなかったわけではない。ミライのことを知っている人間が多い環境なのだから誰からどういう話が出たとあっても不自然ではなかった。
「イルニスとグレーテルにはちゃんと離しておかないとね」
異星人の存在はまだ、EPTOの外部には秘密。故にバレないように部屋の片隅へと移動していく。同時に音を拡販するためにテレビの電源を入れた。ローカル番組のようだが、音が激しいほうがこの場合望ましい。
「僕ならここに」
イルニスの服の間から、小動物の姿になっていたグレーテルが飛び出す。黙っている限りであればその正体が露呈することはない。
「伊勢原成、って言ってね。オレがEPTOに行くきっかけをくれた人なんだ」
写真立ての中から一つだけ、選んで二人の前に置く。少女を思わせる顔立ちのミライともう一人、どこか影を思わせる美形の少年が写っていた。はっきりとした目鼻立ちと強い目力の持ちぬし。いっしょに写っているミライよりも少しばかり年上。
「もしかして昨日言おうとした人?」
「うん。隠そうとしたわけでもないんだけど」
ただタイミングが難しかった。それだけのこと。いつかはなさねkれ場ならない事柄だった。ここに来てから、いい機会だからいうべきだとは思ってた。ミライはこの時気づいてはいなかったがナタリアの考えは、伊勢原についても話せというのもあった。ミライという人間の人生を決める役割を担った存在。現在密接なかかわりを持つイルニスには知っておくべきこと。
「年は離れてるけどオレが小さいときからよく遊んでくれたんだ」
夏祭りに一緒に行ってくれたり。魚釣りの方法を教えてくれたり。頼む前からお菓子をあhン文分けてくれたり。
「多分、成にできないことはないんだと思う」
顔もよく運動神経もよくたぐいまれな頭脳を持っており欠点というべき欠点は、おそらくなかった。強いて言うなら人の輪から少し離れる。
「EPTOに入ろうと思ったのは自分の意志だったけど。その時すでに入局してた成が推薦状書いてくれた」
伊豆半島を出て東京に行きEPTOへ入局する。16歳になるのであれば推薦状がなくても入ることはできた。その状態は今も変わっていない。しかし、一部試験の免除が適応されるなどの優遇措置が取られた。
「自分の知らない世界を見てみたかった。東京に行けばそれが叶うと思ったんだ」
伊勢原成という青年はその若さで、EPTOの出世コースにいるような存在だった。日本だけではなくアジア、アメリカとも渡り合うことになる国際組織は彼にとってその能力をいかんなく発揮できる環境であった。
しかし。
「でも、そんなひとイルニス知らない」
「僕の査問委員会の時にもいなかったね」
EPTO首都圏管理局の総指揮は3名が担当している。町田織香、ナタリア・スコパ、狛江宗次がそれにあたるわけだが、準ずるメンバーにもほかの組織にも伊勢原成という職員の名前はおろか話にも上がらなかった。
「行方不明になったんだ。成」
それはイルニスがミライと出会う少しだけ前のこと。ミライがEPTO入局して数日後。起きた事件だ。当時、EPTOでは新型の兵器開発が行われていた。その実験パイロットを務めていたのが伊勢原場だった。
「完成間近になっていたところだったんだけど。その兵器を持ち出して行方をくらました」
「……」
「……」
イルニスもグレーテルも黙って聞いていた。EPTOがなんの兵器を開発していたのかまでは現状の時点ではすべて明らかになっていない。だが伝え聞いている限りでは、ミライの使っているアーマーに近いものが作られていたという。
「EPTOの中でも別セクションになっているところがあったみたいで」
首都圏管理局の上部組織。中央委員会議がEPTO日本の統括をしている。そっち側が執り行っている活動になると、ナタリアたちでも干渉できなかったらしい。
「ミライにぃは何も言われなかったの」
「少しだけ呼び出されたけど。でも状況証拠が何もないってことですぐ戻されたんだ」
彼が呼び出された理由は伊勢原成と関係が深かったことになる。推薦状まで出していたのだからなおのこと。しかし、ミライ自身が入局後にはほとんど接触していなかったこと、EPTOが研究していた分野への出入りもなかったことによりそれ以上の追及はなかった。そしてわざわざ東京に出てきた前途ある若者を送り返すことを是とはしなかった。
「寂しい?」
話をすべて聞いたイルニスが問う。真っ青な丸い瞳はミライを見つめた。
「え?」
「ミライにぃ独りぼっちになっちゃったから」
「それで言うならあんまり寂しくなかった。当時から」
疑問はあった。なぜ姿を消したのか。何がしたいのかもわからない。寂しいとかという感情よりもそっちのほうがつよかったので意識が回らなかった。
「EPTOに行けば人はいっぱいいたし。それに」
手を伸ばしてイルニスのことをなでる。
「イルニスにも会えた。今はグレーテルもいるから」
「だから、寂しくない」
イルニス、グレーテル。帆霞にナタリア。蓮、厚木チーフ、あぜか。EPTOに入り多くの人間と出会った。
「僕がそばにいてサポートするからね」
グレーテルが手を伸ばしてミライの頬に触れた。小動物の小さな手だがはっきりと感触が伝わる。リスにもネコにも犬にもウサギにも似た姿なのでふわふわになっていた。
「2人とも?手が空いてたらちょっと台所に来て」
カノンが呼んでいるので2人揃って出て行った。
「何か」
「呼ばれた」
「お肉と野菜、長机のほうに持って行って。ここだとスペースなくなってきたから」
切り分けられた皿の中身を持ち出す。
「あれ誰?」
並べるだけでまだ焼くことはないので、リビングで見張る。その一環で彼女の視界にリビングの奥にあった掛け軸が入った。。
「海老名巳之助。あれがうちのご先祖様」
掛け軸に描かれた家計図と肖像画。代々海老名に伝わる品の数々。本家本流にあたる家は静岡市にあるという話を聞いたことがあった。巳之助は戦国彩末期から、江戸事態初期の人間らしい。
「強いの?」
「侍だからそれなりに戦えるような人だと思うけど」
巳之助、来丸、伊左衛門と続くらしい。夕方のチャイムが鳴ったあたりに鉄板を並べて、焼く準備をする。
「鉄板が熱するまで待つんだよ」
「肉いっぱい」
「人がそろうからね」
長机の前に座ったミライとイルニスが向き合っていると。
「ただいまー」
「そこでおじさんと一緒にあったよ」
「ミライ君帰ってきてるんだってね」
賑やかな声が玄関から響き渡ってきた。
「ねーいるんでしょ!」
「あんたはもう。こんばんわミライくん」
髪を切りそろえた中年の女性が入ってきた。傍らにはセーラ服姿の少女。
「ご無沙汰ですおば様」
「東京でEPTOの仕事してるんだってね。その娘は」
「彼女でしょ。絶対そうだ!」
セーラ服の少女がイルニスに興味を示す。
「誰?」
「佐美子おばさん。母さんの妹だよ。で」
「みのり!」
柏佐美子、柏みのりとミライの母方の親戚にあたる。年も結構近い。ゆえにこういう集まりがあるときは人まとめにされやすかった。
「ほら、ミライくんが手伝ってるんだからあんたも手洗って」
「ちぇー」
母に促され、二人揃って洗面所へ行く。徐々に賑やかになってきた。
「ただいま、いやあ久々だ」
リビングに黒いスーツを着た男性が入ってきた。朝からこの家の中では不在だった人物。蛯名家の大黒柱。
「父さんおかえり」
「久しぶりだなミライ」
彼の父海老名トキヤ。地元の鉄道会社の総務部に勤務するサラリーマン。
「その子かい。ミライが連れてきて一緒にい暮らしている女の子っていうのは」
「うん。母さんにも説明したんだけど実は」
「いいよ、言わなくても、。実は母さんんと二人で話し合っていたんだがね。ミライが選んだことだしいっしょに暮らせてるってことは悪い子じゃないんだろうさ」
客間と応接間、リビングを解放して机を並べた。鉄板は2つ。ミライが帰ってくるとなったこともあり正月、盆以外で珍しくここまで集まれる人が集まった形。
「はい、これ焼けてるから食べていいよ」
「やった」
あくまで主役の位置づけで呼ばれたミライなのだが彼はせっせと肉を焼き、イルニスの皿に回していく。
「甲斐甲斐しいね」
「ほんとうにふたりとも仲良しね」
「?」
野菜も肉も彼が焼いているニスの皿に取り分けて、たまに彼女にさらに置いたものを食べさせてていた。
「ミライにぃ」
「どうしたの」
「あーん」
「ふぐっ」
ミライが口を開けた瞬間に肉と野菜を巻き込んで放り込んだ。さっきから彼が焼いてばかりでほとんど手を付けていなかったのを見かねて食べさせたのだ。
「なんだよ、いちゃ付きやがって。おにーちゃんぜってー彼女だろ」
「イヤ彼女っていうか」
「じゃあなんなのさ」
みのりが肉を離さず聞こうとする。ミライとみのりくらいの年頃の親戚たちは多い。その半分が、今もいるのだがミライとイルニスの関係を聞いてきた。が、みのりが彼らを制して代表権を獲得した。ことになっている。
「ねーねは往生際が悪いのさって」
姫カットの少女。ミライの従妹であるセナがたしなめる。2人より年下なのだがよっぽど大人びていた。
「なんだと!」
「事実」
「やめんか、お前たち」
見かねたミライの祖母がたしなめた。助け舟を出してくれたということはミライは察知しイルニスを連れて少しばかり移動する。
「2人はどこ行ったの。昨日、社宅みたいなところに泊ってたって言ってたけど」
佐美子が移動した先で質問してきた。みのりとセナは祖母の前でまだ言い合っている。その手には山盛りになった茶碗があった。
「水族館にも一緒に行った」
「海岸沿いにあるとこだよ」
EPTOの施設に行く前に時間があったので、水族館に行った時の話。東京にも同じようなところはあるが、見られる動物がこちらとは違う。
「シャチにあったんだ」
「あの子ね」
関東周辺で、珍しくシャチを飼育展示している水族館。東京では見ることができず、なかなか貴重な存在。
「大きくてふわふわしてて。手を振ってくれた」
水槽越しではあるもののシャチと接触した。彼女とシャチが終始見つめあいしばらくその場を動かなかった。手を差し出せばシャチのほうもそれにつられて動く。何か交信しあっているかのようだった。
「気に入られたのかしら」
「そうかもね」
彼女の出自や特徴から考えればそれもあり得る話。シャチにも似た本来の姿と能力を持つイルニスに仲間意識を持ちやり取りをしたのかもしれないが、真実は果たして。そして彼女はさらに持ってきた肉と野菜を食べる。宴会はその後も続き、用意していた材料がなくなったあたりでお開きとなった。片づけた後でみんなが帰ると。
「ドーナツ」
「オレは明日でいいや」
と、ミライが食べないならイルニスもいらないといったことで結局朝食に持ち越されることになった。
※
夜が明けた。昼前の特急で東京へ戻ることになっているので朝食をとり、駅へと向かう。ロータリーでは既に出勤した父以外、母と祖父母が見送りに来てくれた。
「じゃあ、気を付けてね。連絡はたまにはしてちょうだい」
「うん。手紙だけでも出すから」
「ほら、これ持っていきな」
祖父が紙袋を手渡す。中身は野菜。全て庭で育てて収穫したもの。
「これだけあれば健康は大丈夫だろ」
「ありがと」
「そばにいておやり」
祖母がミライとイルニスの頭をなでた。外様だとしてもイルニスは大切な身内と一緒にいる存在。
「あれ?」
改札をくぐろうとしたとき、見慣れた人がいる。ゆみだ。薄い青をしたスーツケースを片手に持って、切符を照会していた。
「ミライ君、イルニスちゃん」
「見送りに来てくれたの?」
「ううん、私もきょう東京に戻るの。あれで」
ホームには既に東京行きの特急列車が止まっていた。ミライたちが乗るのはこの一本あと。
「東京戻っても会えるといいね」
「都合なら付けられると思う」
「そっか。じゃあこれ上げる」
去り際にメモ用紙を握らされた。
「それ私の携帯の電話番号とアプリのアカウントIDだから」
そのままカバンを引っ張る形で改札内へ入り、特急に乗り込んだ。ミライが返答するタイミングは失われてしまった。
「賑やか」
「また会って話をするってことだねこれ」
財布の中にさっきのメモを仕舞い、代わりに切符を取り出した。待合室で特急が来るのを待っていると、次の列車が来た。
「色々あったな」
「僕も面白かったよ」
グレーテルがイルニスの服の間から顔を出す。海をちゃんと見たのが初めてだったのもあるが興味深いものが多かったはず。
「海、珍しいの?」
「色んな星にあるけど。同じ海はないからね。その辺で行くと興味深いかな」
いつのひか他の星の海も見てみたい。けれど。
「……」
寝息を立ててミライのところへイルニスが寄りかかる。既に寝てしまった。行きの時は駅弁を平らげたり、遭遇する列車を見たりしてはしゃいでいたのだが。
「オレもなんか眠くなってきたな」
ミライが目を閉じた。検札はもう終わったはず。そして深い眠りの海へと落ちていく。その府二人を白銀のキツネは眺め、尻尾で首元をなぜた。2人は今自分が守るから。ゆっくり寝ていい。睡眠時間の調整もできているので順番が変わっただけ。
「お休み、二人とも」
2人の服の隙間に飛び込み、窓の外を少しだけ眺めてみる。東京までの道のりは約3時間弱。
ここはまだ伊豆半島の中部あたりであった。




