第0話 真実と嘘が入り混じる街 その1
オレンジ色を基調としたラウンジに、学生服を着た少年が一人。場違いな気もするし雰囲気が合わない。サービスとして出された、紅茶もずいぶんと前に飲み干してしまった。
「紅茶のお代わりいかがですか」
「え、あ、お願いします」
しどろもどろになりながらも、お代わりを通りがかった店員に依頼する。
そもそもこの学生がなぜ、こんな場所にいるのか。むろん自分から臨んでここに来たわけではない。はじめは誰もが遭遇したら、絶対に相談に行くような機関に向かってそこで対応してもらおうと思った。
「秋坂巡さん、ですよね」
緊張しているために誰かに話しかけられると、驚きのあまり飛び上がりそうになる。そんな彼の名前を呼んだのは、どこかで見たことのある顔。しかしどこで見たのかまでは思い出せない。
「は、はい」
思い出すという作業を実行するよりも先に返事をした。肩まで伸ばした長い髪と明るい髪色。性別を感じさせない顔つき、身にまとうのは膝まで伸びた黒いコート。胸にはこのラウンジのある建物を本部として使っている組織名の略称。EPTO。正式名称をユーラシア太平洋条約機構。その組織が巡が持ち込んだ以来の解決を最終的に任された組織なのだった。
「秋坂巡です。余、よろしくお願いします」
「そんなに緊張しないでください。って言っても難しいですよね」
微笑を浮かべると、巡の向かいの席に腰かけた。近づいてきた店員にアイスコーヒーを頼むと手に持っていたカバンの中からクリアファイルを取り出す。
「ああ、私の紹介をしていませんでした。厚木元哉っていいます。EPTO首都圏管理局特殊戦略捜査班チーフです」
軽快な口調で言いよどむことなく喋る。同じような紹介をしていることが伝わってくるような言い方だった。
「じゃあ早速ですが依頼内容を確認させてもらっていいですか。書類で伝達はされているんですが]
「わかりました」
巡の話した内容は、こういうものだった。
※
3週間前のこと。巡は携帯電話で時間を確認した。18時29分。学校で居残って作業をしていたら帰るのが遅くなってしまった。
「じゃあな、巡」
「ああ」
途中まで一緒に帰っていた友達と別れて裏道に入っていった。一瞬だが人通りの少ない道をですぐに繁華街に出る。といっても百メートル歩くのでそれを長いと取れえるか短いととるかは人によって違うわけで。車が通れるくらいには広さが確保されているので路地というほどでもなかった。なんでもこの辺は再開発地区から見放されたような一角でそれを象徴するものがある。
七階建てのビル。再開発計画のとん挫で中途半端な状態で放置されてしまっている。通称お化けビル。外壁まで作られたはいいものの内装工事にとりかかろうとしたところで元受け会社が破産。
不気味だな、と思う。周りは光に満ちている空間なのにここだけぽっかりと抜け落ちたように真っ暗。足早に去ろうとするが何かおかしい気がする。何が、とは具体的には言えない。直感的に感じてしまうのだ。
「!」
感覚の正体は以外とすぐにわかった。歩くたびに何かが動いているのだ。小さい虫とかではない。もっと大きな何か。感覚から逃げるためすたすた歩く。相手は後ろから近づいてきてる。走り始める。自分の足音で分からなくなっているため相手が来ているかもわからない。とにかく夢中になって走り始める。光の中に飛び込んで暗闇は終わる。次にとる進路は右だ。自宅のある方向。ここからある気に切り替える。しかしそれでも安心できない。息が上がる。
「!」
肩に手が当てられゆっくりと振り返る。
「大丈夫かい、秋坂くん」
「先生」
意外な人物だった。理科助手を務める時田孝雄。若さと気取らない性格で生徒たちから人気がある。
「ここの大通りを通ってたんだ。そしたらそこの通りから君が真っ青な顔をして飛び出してきたから気になってね」
「心配をかけてすいません」
「大丈夫そうでよかったよ」
じゃあ、と手を挙げると反対の方角に歩き始めた。見送られてたから家路を急ぐ。しかしかし妙なことに気が付いた。何故先生はここにいたのか。液の方向だが妙な気もする。
「先生、ちょっと待ってください」
振り返るときにはもう遅かった。そこに時田の姿はない。すぐ歩けば大通り。こんなところで立ち止まっているわけで似も行かない。すぐに去るべきという予感が叫ぶ。どうして時田はもういなくなってしまったのか。背筋が凍る思いがして歩こうとしたとき
「っ!」
地面から唸るような声が響き渡る。地獄の底の冥王が目覚め、叫び歌う。恐怖が体を支配するがどうにか、動かそうとしたとき、異変は目に見える形で起こった。ビルの屋上が光った。それも一瞬ではなく数秒間にわたって。青く不気味な光を放ってその存在感をアピールする。まるでこの世の終わりのような風景だった。
恐怖で走り出す。大通りにはさっきの騒ぎを見聞する人であふれている。誰も逃げ出す巡に興味なんて持っていない。不気味な存在がいたかもしれないという事実はもはやどうでもよくなっていた。家に帰り、急いで風呂に入るとそのまま寝てしまう。結局この日はその後、誰とも喋らなかった。食事はとる気が全くしなかったわけで。
寝て起きてみたら冷静になっていた。昨日のことは二かの夢だったのかもしれない。そう思えるくらいにはなってた。何かの見間違いだったりしたのだろうか、そう考え始めた矢先のこと。
起きて目に入った新聞の真ん中くらい。多分地域ニュースか何かのコーナーだと思うのだがそこには
東京西部のビルで謎の発光現象。目撃者多数。
テレビのニュースも同じような話題を取り上げている。ここまでくると白昼夢だとか何かの見間違いという言い訳も成立すらしない。見てしまったものは真実だった。しかし巡の思考回路は中々その事実を、理解しきれなかったのである。午前中から学校に行くが授業なんて頭に入ってこなかった。
※
今日も又おそくなってしまった。ただ昨日とは違って予備校に通っていて、出てくるところからずっと一人だったわけだが。またあの恐ろしい道を通らなくてならない。別にここでないと家に帰れない というわけでもない。反対側の出口から駅を出てガード下をくぐればいい。しかしこちらもこちらで人通りが少なく真っ暗であまりいい場所でもない。何より時間がかかってしまう。
「あれ?」
通りに入ろうとした瞬間だった。見慣れた顔が歩いてい来る。時田だった。しかし様子がおかしい。いつもの柔和な笑顔を浮かべてはいない。険しい鬼のような形相だった。反射的にその顔を見て姿を隠してしまう。いわゆる野生の勘ともいうべきものだ。当てになるかは分からない。けれどたまには信じてみてもいいかもしれない。
物陰から時田の様子をうかがう。スーツの上から薄手のコートを羽織っているようで風でひらひら揺れていた。そのまま右折し路地の中に入っていく。こちらに気づいていった様子はなかった。通りをまっすぐと直進しやがて立ち止まった。そこはビルの前である。立ち入りできないようにロープ出入り口の周辺は囲ってあるが、通ろうと思えば通れてしまう。別に有刺鉄線が張り巡らされているわけではないのだ。あくまで心理的な効果に期待するだけのもの。ためらうことなく教師はロープをくぐって中へと入っていった。この時点でもはや彼は普通の世界で生きる人間では似ような気がする。
どうするか。このままここにいるべきなのだろう。無理に動いてばれるのも危険だ。兵のそばに行って体を隠して隙間から向こうを見る。ビルの入り口しか見えないがこれで十分なはずだ。しかし室内は暗くなってなっており何も分からない。また少し移動して十分に距離をとって遠目から見る。
遠目からうかがっているとまず時田が出てきた。何食わぬ顔で反対方向へ歩いていく。数分後また誰かが出てきた。今度は女だった。高そうなコートにサングラス。映画の撮影みたいな雰囲気だ。というかここだけ切り取ってみせれば疑うものはおそらくいない。どっちに行くかと思ったらこっちに向かってきた。すぐに隙間に体をねじこむ。確かこの先に進んでいけばどこかの店の裏手に出る。そっちから帰ろう。息をひそめて潜入しているとかつかつという音が響いた。徐々に大きくなりだす。どうにかばれないように。祈る、願う。総てを駆使した。その甲斐あってかは知らないが、女がこちらに気づくことなく通り過ぎて行った。それに安どして体から力が抜けてしまう。どうにか助かったのだ。そのまま家路につく。こうやって日常の風景に戻ってくると今までのことが夢だったように思える。
翌日は土曜日だった。まさか昼間からいるはずはないわけだがもう一度あのビルへ行ってみることにした。昼間で太陽がさしていてもやはり不気味ではある。ガラスが貼られることなく放置されてしまったビル。幽霊ビルとかお化けビルとか言われているが、本来であればマンションとかビジネスビルとして活躍し日夜変わらず稼働するはずだったのに。なんだか不憫にも思えてしまう。
地元からもちろん施工会社が潰れようと解体するべきだという意見もある。というか解体も施工会社が破産したからできないなんておいうこともない。実際、何社か名乗り出て実際に、工事に着手したこともある。しかしそれらすべてうまくいったことはなかった。工事を開始してから何日も経つと必ず不審な事故死によって作業員の身に危険が及ぶのだ。最初の一軒であれば不手際か何かで処理されていたのだがこうも続くとどこの会社も不気味だといってひきうけてはくれなかった。そのまま放置されて時間だけが経過していく。一番恐ろしかったのは解体工事中に火災が発生したということだった。どこか黒焦げになっているのだが、そんなもの観察に行くと気分が悪くなりそうだった。
「ひそひそと眺めているのはよくない趣味ね」
「!」
声が響いて後ろを向く。誰かと思ったらあの女だった。時田とともにビルから出てきた謎の正体。本質的に恐ろしくなって走り始める。行きも上がり吐きそうになる路地を飛び出して大通りに。ここまでくれば大丈夫。膝に手をついてしまっていたが起き上がる、しかし
「ばあ」
「ひっ」
不釣り合いな子供っぽい仕草がさらに不気味さを倍増させる。
「人の顔を見て逃げるなんてひどいじゃない」
「……」
恐怖のあまり声が出ない。
「あなたを殺すつもりなんてないから。あるものを渡してくれればそれでいいの」
「あるもの?」
「それさえ渡してくれればいいから」
それだけ言うと歩き始めて人ごみの中に消える。命拾いをしたかもしれない。土曜の午前中からこんな目に合うとはついていない。もう諦めて家に帰ろう。そしていったん寝たほうがいい。
そう考えていたのがどうやら失敗だったようだ。次の日から不審な出来事が続き始めた。巡の自宅に怪文書が投げ込まれてくる。とにかく彼にとって直接かかわるような出来事が始まった。外に出れば、家に戻ってくるまでの間に何者かにつけられているのだ。といっても相手の姿は見えない。後ろを振り返ったところでだれもいない。最初の頃は。
異変は3日経ってからだった。相手が姿を見せ始めたのだ。しかし何かをしてくるわけでもない。まいたと思ってもいつの間にか自分が歩く方向の数メートル先を歩いている。向こうの目的はさっぱり分からないので具体的な対策も思い浮かばなかった。そうなってくると頼るべき作は大体限られてくる。
まずはその日の午後、警察に行った。被害が出ていないため追い返されると思ったが、対応はしてもらった。見たこともないような応接室に通される。お茶を出してもらって気持ちを落ち着けるために飲んでみた。とても美味しい緑茶だ。入れ方がいいのか、いい葉っぱを使っているのか。あいにく巡にはお茶に関する知識がないのではっきりとは分からない。
茶を堪能していると、扉が開いて二人の男性が入ってきた。共通しているのはとても怖い顔をしている。
「お待たせしました。なんでも例の発光した事件に関連する事柄で相談したいことがあるとかですよね」
「はい。実はですねあのビルに人が入っていくのを見たんです。それを見てから不審なことが続くようになっていって」
時田についてもうそうなのだが、被害報告をすべき直接的なことはもっと別にある。
「具体的に教えていただけますか?」
「そのですね。ストーカー被害にあっているような気がして。最初の頃は後ろから足音がしてるのに振り返ると誰もいないんです」
刑事は黙って、巡の話に耳を傾けている。
「最近になってからなんですけど、後ろを向けば姿を見せるようにはなってきました。ただ後ろを歩いていても気が付くと自分の前にいるというか……」
巡の話を聞いた二人の表情が曇りだす。何かひそひそと話し出すと片方の男が
「ちょっと待ってていただけますか」
2人とも出て行ってしまった。やはり取り合ってはもらえないのだろうか。巡が少しばかり落胆していると。
「この案件は我が所では対応しかねるのでこちらの役所に行っていただけますか。紹介状もちゃんと用意しますので」
差し出された名刺に書かれていた住所。それこそがEPTOのものだった。