第8話 毬林の夢
神応石とは何か?
これを発見したのは米津平という医者であった。
脳を研究しており、人間の脳を愛していたという。もちろん当時は変人扱いされた。
一九四三年の日本共和国の首都、闘京にある捕虜収容所において発見されたのだ。
当時の日本は戦争をしていた。アメリカやヨーロッパに対して発言力を高めるために戦争を起こしたのである。それは世界中を巻き込んだものであった。日本軍は世界各国で戦地を広げていったのである。
結果は終戦という形で終わった。日本の核実験による失敗で疲労島と詠崎が壊滅したのだ。問題は神応石である。
当時のアメリカの捕虜たちは牢屋に閉じ込められて、非常にストレスを溜めていた。処刑される恐怖に捕虜たちはやせ細り、髪の毛は白くなったのだ。
米津医師は軍医として彼らを検診していた。さらに彼らの中には身体が変形し、明らかに人間以外の何者かに変化したのである。
米津医師は彼らを解剖した。そして脳から砂粒ほどの石を発見したのである。
昔から日本には特殊な石の伝説はあった。名前はヒヒイロカネといい、精神に呼応すると言われている。
ヒヒイロカネは日本に伝わる伝説の金属だが、具体的にはわかっていない。三種の神器はヒヒイロカネで出来ていると言われているが、定かではないという。
米津医師は死亡した捕虜たちを次々と篤志解剖し、捕虜たちの尋問を行った。彼はこっそり英語を平気で使っていた。
その結果、変貌した捕虜たちは神を呪ったという。神に祈っても助けてくれない。神に毒づいたあと彼らは獣へと変わっていったのだ。人間をやめたのである。
他の捕虜たちも恐怖した。彼らは捕虜になる前にパルプ雑誌を読んでいた。そこでタコ魔人の呪いという小説に背筋が凍ったという。
主人公はタコ魔人の血筋で、成人になるとタコ魔人に変わるというものであった。
実のところその作品は人種差別者が書いたものだという。自分に黒人の血が混じっているという恐怖を描いたものだった。
恐怖は連鎖し、捕虜たちは次々と獣へと変化していった。
しかし身体が付いていけず、そのまま死亡してしまったのである。
「それで米津医師はどうなったんだ」
毬林満村は後輩であり、研究者である杖技網厚に質問した。
中華帝国の首都帝京にあるホテルの一室だ。世界が滅ぶ三日前の話である。
「米津医師は死刑になったそうです。捕虜を虐待し、死に追いやった挙句、解剖するという暴挙に出たのですからね。実際は日本政府によって影武者を使い、生き延びました。それが僕の祖父なのですよ」
毬林は驚いた。日本政府が米津医師をなぜ守ろうとしたのだろうか。
「日本は戦争に負けてアメリカの手先になりました。しかし向こうはロシアとの冷戦に突入し、ある程度法律を整えてから、日本に政治を投げ出したのです。日本は資源が乏しい。だから人間から取れる神応石の研究はどうしても必要だったのですよ」
「その研究の成果がビッグヘッドを生んだというわけか」
「そうですね。もちろん放射能を除去する研究は続けられましたが、それを神応石に結び付いたのは偶然でした。本来植物の遺伝子を組み合わせ、未知の生命体を生み出すのは至難の業です。神の領域ですよ。それに神応石を組み合わせることで命が生み出されたのです。大勢の被爆者遺族を集め、放射能汚染を除去する生命体が産まれてほしいと願った結果ですね」
「しかし、すごいものだな。神応石というのは正に神が応じる石だ。それなのに日本以外に研究がされないのはどうしてだろうか」
「決まっていますよ。他の国はほぼ一神教なのです。この世は神が作ったものであり、それ以外を認めないのですね。日本の様な多神教の国はありません。ビッグヘッドのような生命体を寛容できるのは日本だけですね。それも僕らの様な変人でなければ無理かもしれません」
「なるほどな。宗教によっては偶像崇拝を嫌い、それを違反した者を殺すと聞く。宗教は恐ろしいな」
「例外ではアメリカの天才少年モンロー君がいますよ。彼は生物学の権威ですが、すごすぎて孤立しているそうです。そのくせハーレムを作っているからわけがわかりませんね」
杖技がそう締めくくった。彼はいわゆるマッドサイエンティストだが、毬林自身も変人であった。
彼の両親は彼が大学を卒業し就職した後に交通事故で亡くなった。相手は酒酔い運転だ。当時の法律ではたった数年刑務所に入るだけで済まされた。
しかし毬林はあまり悲しくなかった。もう自分は就職しているし、保険金もおりている。
それに相手の刑罰が軽いというが、すでに社会的制裁は済んでいる。加害者の両親からは見舞金をもらった。家や車を売ったという。さらに引っ越したそうだ。近所では人殺しの家族と陰口を叩かれたためである。
さらに加害者は会社をクビになり、住んでいたアパートも追い出された。友人たちも付き合いをやめてしまい、孤独になったという。
毬林は魅羅と結婚しており、死んだ両親のことはどうでもいいと思っていた。人間は必ず死ぬ。それが早まっただけの話だ。それをマスコミの前でしゃべったら顔をしかめられた。
もっと悲しい顔をしろ、加害者を守る法律を呪えと言われる始末だった。
親戚も彼のことを憎んだ。毬林とて両親の死は悲しいが、もう相手はこの世にいないのだ。大事なのは生きている人間だと葬式で口走ったため、周囲の人間には狂人扱いされたのである。
もっとも毬林は蛙の面に水であった。
☆
「まったく人間はおかしなものだな。人は永遠に生きられないのに、死を否定するなんて」
今の毬林は猟銃を手に、生き残った人間を撃ち殺していた。もう世界は終った。自分ももうじき死ぬだろう。せめて死ぬ瞬間まで多くの人々を生きる苦しみから解放したかった。
英雄たちのような亜人を見て、毬林は考える。杖技の話ではアメリカ人の捕虜は獣に変化した後、耐え切れずに死んだという。
しかし英雄たちは子供がほとんどだった。アメリカと中国では思想は違う。それでも子供たちが亜人に変化したのは、やはり相手が子供だからではないか。
子供は真っ新な心を持っている。汚れるのは大人たちの教育のせいだ。
そして新たな環境にも適応できる性質があった。
大人にはそれがない。目の前に起きた異常事態を受け入れることができないのだ。
もっとも毬林の様な人間もいるが、もしかしたら特殊な性質のために生き延びれたのかもしれない。
生き残った者たちは毬林の思想に共感した。さらに周囲には変人と馬鹿にされたことがあるという。
常識に囚われない人間だからこそ神応石の影響で生き延びられたのだ。
自分たちは世間のはぐれモノだ。自分の妻であった魅羅も高校時代は不良だった。孤児院出身で男を相手にケンカを繰り返し、かつあげで稼いでいた。
毬林はそんな彼女を口説き、何度も抱き着いた。その度々に魅羅は毬林を蛸殴りにした。
高校卒業後は根負けをして、毬林の婚約を受け入れた。バイトで稼いだ金で華道や日本舞踊、薙刀や合気道を習ったのである。
昔は不良少女だったが、毬林が大学卒業後には立派な大和撫子に生まれ変わったのだ。
もっとも時折ストーカーに狙われ、殺されそうになったことがあった。そんな時は相手をボコボコに半殺しにすることがほとんどだった。
娘の茉莉花も可愛い女の子として成長した。将来の夢は歌手で、学校行事では自慢の歌声を披露し、地元のコンテストでも優勝したことがあった。
魅羅から護身術を習い、やんちゃな男子生徒たちの腕をへし折ることが多い。相手が凶器を振るい、傷つけさせてから正当防衛としてへし折ったので、常に相手の方が問題視された。
今はもういない。二人とも死んだ。二人の遺体はホテルの庭に埋めた。
初めは二人の死を嘆き悲しんだ。しかし数分も経つと、悲しみは薄れた。世界はめちゃくちゃになり、生き延びても苦しむだけである。
二人があっさり死ねたのは幸福だと思った。杖技のことはわからない。死体は発見できなかった。
「あいつらは不幸だ。こんな世界に生き延びてもいいことなどあるわけがない。早く殺してやらないと、苦しみで心が獣へと変化するだろう」
これは慈悲である。獣たちを殺すのは生きる苦しみから解放するためだ。
はっきり言えば独善的である。英雄たちにして見れば小さな親切大きなお世話だろう。
それでも毬林は願わずにはいられない。生の苦しみから解放されるのは死だけだ。医学の進歩を否定する気はないが、最終的に人間を救うのは死だけである。
……毬林は長い夢を見ていた。体感からしてさほど時間は過ぎていない。数秒気絶したくらいだろうか。
自分は山羊の亜人と戦った。そして追い詰められた。腹部に刃物が突き刺さっている。
とても熱い。湯たんぽに入れたお湯が流れ出てくるのようだ。これが途切れたら自分は死ぬ。
もう自分は助からない。息を引き取るのも時間の問題だ。
大事なのは最後である。毬林の腹にはダイナマイトが巻かれていた。建築会社から盗んだものである。
今まで使う機会はなかったが、今が使う時だ。仲間たちにはすでに教えてある。自分が爆発したら、俺を見捨てて逃げろと。集めた食糧で残りの人生を楽しく暮らせと。
「……一人じゃ死なないよ」
あの世があるなら魅羅と茉莉花が待っているはずだ。そう思うと死ぬことは怖くない。
毬林は導火線にライターで火を着けた。
バチバチと煙が上がり、嫌な臭いがする。
そしてそこから毬林の意識は途切れたのであった。
米津平の名前はアメリカのバンド、マリリン・マンソンのギターを務めているタイラー・ベイツです。