第三十話 ヘル
「ふぅ、疲れたな」
人が来そうにない森の中でビリーは汗を拭った。彼女は切り揃えた黒髪を風に揺らした。ぴっちりしたピンク色のスーツに皮の手袋と皮の網靴を履いていた。
他にはルイと羅漢、ラタ三世がいる。
ルイは白い帽子に白い厚手の服を着ていた。軍手に厚底の靴を履いている。背中にはリュックサックを背負っていた。
黒ヤギの羅漢は背中に組み立てのテントを背負っている。コマネズミのラタ三世は先頭を歩いていた。彼はこの辺りの森に詳しい。だから率先して先導していたのだ。
「ナダ村によることはできないのでしょうか?」
ルイが訊ねた。羅漢やラタ三世はともかく、自分とビリーは人間だ。一休みくらい認めるかもしれないのだ。だがラタ三世は首を横に振る。
「だめれす、だめれす。だめなんれす。ナダ村はフエルテの怒りで揺れておるのれす。例え人間でもよそ者はすぐ殺しにかかるのれす」
これは祖父であるカピバラの亜人ラタが手紙で教えてくれたことだ。羅漢はエビルヘッドからメッセンジャーヘッドを預かっている。スイカほどの大きさで、両腕の部分は翼が生えている。手紙を油紙で包んで飛ばすのである。
メッセンジャーヘッドは巨大化したカラスを相手に引けを取らない力を持つ。毎日一回は飛ばしており、近況報告をしていた。
「現在はナダ村の名を忘れるよう、村長が村人に指示をしているそうなのれす。そしてフエルテの名を子供に付けないように命じているそうなのれす」
「名前には魂がこもっている。言霊という奴だ。連中が呪われた名前を消したがるのも無理はないだろう」
羅漢は皮肉を込めて言った。世の中には姑息でも過去を忘れないと未来に進めない人種がいることを理解している。しかし心情ではゴミクズを見るような想いがあった。
「しかしロキとエスタトゥアを殺してなんになるんだ? 馬鹿どもを押さえつけているんだからいいじゃないか」
ビリーが言った。確かにロキのやっていることは強引だが、平和を生み出している。
「あなたはそれを許せるの? 人の気持ちを無視して、自分の都合を押し付ける存在を」
「許せないな。」
ルイが訊ねるとビリーはあっさりと答えた。
「今はサルティエラだけで済んでるようなのれすが、徐々に範囲を広めているのれす。やばいのれす」
ラタ三世が教えてくれた。ロキは腕の立つ亜人たちを配下にして世界各国に広めているという。
「俺の故郷である龍京では女巫おばあちゃんが襲われたそうだ。最初は人間を嫌う亜人が憂さ晴らしに殺しにかかったと思ったらしいが、実際は誰かに操られていたことが判明したそうだ」
羅漢が答えた。彼は龍京の情報を知っていた。定期的に報告書が送られてくるからだ。
「ロキは相手に人を操る力を与えているのれす。でも操る人の感情を増幅する程度らしいのれす」
つまり女巫を襲った亜人は女巫が嫌いだから襲ったのだ。普通は人を暴行したいとは思わない。感情のタガが外れることで常識外れの行動を起こせるのだ。
「そうなのだ! ロキは偉大な指導者なのだ!!」
突如叫び声が聞こえた。ビリーたちは辺りを見回すと、空から何かが落ちてきた。
それは女だった。三メートルほどの大きさで、銀髪で腰まで伸びた三つ編みをぐるぐる回転させて空を飛んでいきたのだ。
両腕は地面につくほど長く、足は短いが丸太のように太い。まるでゴリラの様だ。
「へっへっへ。おらはヘルだ。巨人王国がら流れづいだのだ。ロキ様の命令でおめだぢを皆殺しに来だ」
ヘルはにやりと笑った。
「巨人王国だぁ? 一体どこにあるんだ?」
「そいつは元ドイツと呼ばれた国だ。スレイプニルが教えてくれた。今は首都ベルリンの面影は消えて、世界樹が生えているらしい。女はアフリカゾウ並みに巨大化し、男は小人として暮らしているそうだ」
羅漢が説明してくれた。目の前の女は確かに巨大だがアフリカゾウとは程遠い。
ちなみに巨人症とは成長ホルモンの分泌過剰のため、四肢の骨が長くなり、身長が異常に伸びる病気のことだ。成長期以降に起こった場合には先端巨大症となるらしい。
だが大抵は2メートルほどだがヘルの三メートルは異常と言えた。
「へっへっへ、おらはぢびどして扱われでぎだ。それで不貞腐れで旅さ出でロキ様ど出会ったのだ。あのお方さ出会えであだいは救われだ。そんだがらあのお方の命令は絶対なのだ!!」
ヘルは再び首をぐるぐる回し始めた。長い髪はヘリコプターのように鋭く回っている。
周囲の木は次々と鉈のように切断されていった。人間が触れたらあっという間に首を刎ねられるだろう。
ヘルは孤独な人生を送っていた。周りと違うことに劣等感を抱いていた。彼女の心は擦り切れていたのだろう。そこにロキと出会ってしまい、いいように扱われていたのだ。
彼女はロキに心酔している。敵を殺せと命じられたら素直に従っている。
ビリーたちは素手だ。武器など持っていない。途中で巨大アライグマが襲ってきたが、ビリーの拳で屠ってきた。
だがヘルの髪の毛は間合いが広い。石を投げても彼女には届かない。
彼女はビリーたちを目指して近づいてくる。ヘルが疲れて攻撃をやめるまで待つしかないのだ。
「ヒャッハー!!」
そこに物陰から何かが飛び出した。それは巨大な猿であった。亜人と思ったが違う。アカゲザルに近かった。
アカゲザルとはオナガザル科の猿だ。ニホンザルと近縁で毛色は灰褐色で腰が橙色だ。かつてはインドから中国南部にかけて分布していたらしい。リーサスモンキーやベンガルざる、インドざるとも呼ばれていたという。
そいつらは打製石器の斧を持っていた。ビリーたちに襲い掛かってくる。
「なんだこいつらは!!」
「へっへっへ! こいつらはモノオンブレという猿です!! キノコ戦争の胞子で巨大化したらしいです!!」
ヘルが叫ぶ。さすがにヘルも自分の技の欠点を知っていたようだ。モノオンブレたちはビリーたちを追い詰めようとしている。
「さあ、おめだぢ! そいづらおらのヘルブレードの範囲内さ追い詰めるんだ!!」
「ヒャッハー、ヒャッハー、ヒャッハッハー!!」
こいつらはヒャッハーとしか言えないようだが、知性は高いようだ。ビリーは襲い掛かるモノオンブレの顔面を殴って吹き飛ばす。一人一人は弱いが数が多い。ロキという男はモノオンブレという猿たちを利用しているようだ。
「ぺっぺっぺ!!」
さらにヘルは痰を吐きつける。それは木の幹に当たると穴が開いた。そして湯気が上がる。酸性が強いようだ。ヘルは首を回しているので出鱈目に痰を吐き出す。羅漢はルイを護っているが、下手に当たれば死んでしまう。羅漢は死を恐れないが、使命を果たさずに死ぬつもりはない。
ビリーはヘルの動きを見た。そしてラタ三世に向く。
「おい、ちびすけ! お前がヘルを殺せ!!」
「え? ええ!? ボクがどうやって殺すのれすか!! ボクは弱いのれすよ!!」
ビリーがそう言ってナイフをラタ三世に渡す。するとラタ三世は察したようだ。
ビリーはラタ三世の首根っこを掴んだ。そしてぐるぐる回して天高く投げ飛ばした。
天高く飛ばされたラタ三世はヘルの頭目掛けて落下した。
「ちゃけらぁ!!」
そしてヘルの頭部にナイフを突き立てる。ぐさりとナイフの衝動が走る。ヘルはぴたりと動きを止めた。ラタ三世はぼとりと落ちると、ビリーが走ってきて受け止める。
「ぷしぇーーーーー!!」
ヘルの眼球が飛び出し血が噴き出た。さらに口を大きく開くと、滝のような血を吐き出す。
さすがのヘルも回転の中心をやられてはどうしようもなかった。
ヘルは立ち往生して果てた。
「ふぅ、なんとか倒せたな」
「うぅ、むちゃすぎるれすよ……。人を殺したのは初めてではないれすけど……」
ラタ三世はぐったりしていた。それでもビリーの無茶ぶりに応えるなど、彼は小柄だがただものではない。この荒れた世界を生きてきたのだ。弱い存在ではないのである。
ビリーはにっこりと笑い、ラタ三世を抱き寄せて頬にキスをした。ラタ三世は真っ赤になる。
「ほう、なかなかやるものだな」
「ええ、ラタ三世さんも素晴らしいですわ」
羅漢とルイは感心していた。さてモノオンブレは主を失ったために逃げ出した。ヘルが死んだのに仇を取る気はなかった。所詮は猿である。
だがモノオンブレの存在は誰も知らなかった。この世界にはまだまだ知らないことが多すぎる。
「しかし相手はヘルだけとは限らないぜ。モノオンブレだってあいつらだけとは限らねぇ。このことはきちんと報告するべきだ」
「ああ、わかった。急いで報告書を書こう」
羅漢は紙を取り出すと、ペンを取り出し手紙を書いた。そして油紙に包むと、指笛を吹く。するとメッセンジャーヘッドが飛んできた。
メッセンジャーヘッドの口に入れると、メッセンジャーヘッドは空を飛んでいった。
☆
「ヘルが殺されたわ。コマネズミの亜人がビリーに投げられて、ヘルの頭にナイフを突きつけたわ。」
ここはサルティエラにある家だ。エスタトゥアがつぶやいた。
「そうか。伝説のヘルは冥界の番人だが、自分自身がそこに行く羽目になったな」
ロキはほくそ笑んだ。
「悲しくないの?」
「悲しくないね。あいつは敵の情報を教えてくれた。悲しむよりあいつの功績をたたえるべきだ」
ロキはけろっとしている。かといって死者に鞭打つわけではない。
「今回はヘルが死んだが、いつ俺が死ぬかわかったもんじゃない。なんでも思い通りになると考えたら痛い目に遭うぜ」
ロキが言うと、エスタトゥアは目を瞑る。それっきり二人は語らなかった。
今回ヘルというキャラを出しましたが、元ネタはラードアルケミストに出てくるロキヘッドです。
さらにマッスルアベンジャーに出ていたモノオンブレも出しました。別に伏線ではなく後付け設定です。
6年近くシリーズを書いたおかげで、築き上げた財産をいかせましたね。
ヘルは福島弁でしゃべってます。




