第二十四話 ノストラゴメスの大予言
「まったく、アスモデウスは厄介だな」
ベルゼブブは教会の一室にある寝室で、マモンと二人きりになっていた。
すでに夜で辺りは真っ暗だ。部屋はベッドとタンス、燭台しかない質素な内装だ。
二人は食事を終えており、風呂に入った後、寝室に入った。ベルゼブブとマモンは互いのベッドに乗っかっている。
「女のヒステリーは手に負えない。下手に障ればこちらが痛い目に遭う。しかし、今回の件はそうはいかない。ノストラゴメスがどういう性質なのか見極めないとな」
「まったくだな。とはいえあいつにも背負うものがある。一概にヒステリーの一言で片づけて良い問題ではなかろう」
「マモンはあの女の肩を持つのだな。アスモデウスの心の中には羅漢、いやシオンディしかいないと思いますが」
ベルゼブブに茶化されたが、マモンは平然としている。
「そんなんじゃないさ。俺の立場で見比べれば、世の中、誰もが天下泰平とは言えないと悟ったのさ」
「ああ、なるほど。君はチャールズ・モンローから力をもらったんだっけ。だからズルタンに同情しているのかな」
「そうかもな」
マモンは否定しなかった。今でこそ彼は血液を凝縮して手首の血管から鋭い針を出すことができるようになった。
それはチャールズ・モンローの一人、ヒュー・キッドとその仲間スプーキー・キッズの一人、巨大ネズミのガリバーから目覚めさせてもらったのだ。
現在、世界には複数のチャールズ・モンローいるという。少年時代の心を維持するヒュー・キッドに、十九歳のモンローと百年前に死んだ毬林満村が合体したモンロー十九がいる。他にもいるそうだ。
マモンは故郷の龍京から旅立つ前は大した能力はなかった。幼少時から鍛えている武術以外は目立った力などない。
それを旅の途中でガリバーと密会した。その際に彼等の秘密を知ったのだ。
龍京の指導者であった龍金剛を苦しめたモンローとは別人らしい。数多くいるモンローの一人だと聞かされ、力を得た。
金剛を苦しめたのはモンロースニークなので、自分たちとは別人だと言われた。それを言い訳にマモンはそれを受け入れたのだ。
マモンは恩を忘れない。鳳凰大国の人間は忘恩が多いと言われているが、マモン個人はそれを忌み嫌っていた。もし自分を殺そうとするなら返り討ちにはする考えは持っている。
「まあ、それはいいでしょう。実は羅漢たちから手紙をもらいました。これです」
そう言ってベルゼブブは手紙を差し出した。メッセンジャーヘッドというスイカくらいの大きさに翼を持つビッグヘッドだ。こいつは指示された場所に飛んでいく性質を持つ。エビルヘッド教団と関わる村では毎日手紙のやり取りをしていた。もちろん羅漢とも連絡は取りあっている。
「羅漢は箱舟の子孫と接触したそうですね。そこでビリーという人間の女性と仲良くしたそうです。まあ、女性にしてはやたらと筋肉があるようですね。互いに己を高め合う武人同士として気が合うようです」
手紙によれば龍主角ことカピバラの亜人ラタが、孫のラタ三世と共に異なる亜人の村と交流しているという。さらに箱舟の子孫たちのために町を作り、そして科学の力を復活させるそうだ。
人間の住む村は亜人よりさらに閉鎖的だという。蟲人王国でも人間の住む村はあるが、こちらも排他的で余所者は容赦なく殺しにかかるそうだ。エビルヘッドが赴いて徹底的に潰さないとこちらの言うことを聞かない。
箱舟の子孫たちはあまり外の人間と関わりを持ちたがらない。だがビリーはやる気だ。ホビアルやアトレビドという異形の力を持つ人間たちと戦い勝利したという。
だが彼等の中には何十万人の神応石が詰まっているそうだ。さらにチャールズ・モンローに対して悪意を抱いている。
「確かにチャールズ・モンローは龍京でも悪名が高い。かつては金剛様の父君である超人様をそそのかし、奥方である女巫様を苦しめたからな。しかしそれは五十年前の話だ」
「向こうでは百年前に起きたキノコ戦争の事を今も口にしているそうですよ。スレイプニル様曰く、何十万年の歳月で数億人分の神応石が大地と一体化し、現代の人間に影響を与えているそうです。現にエビルヘッドは野球の球のようになった神応石を数百メートルから掘り起こしました。それも数千万個は固いとのことです」
「やることが多すぎるな。だが今はノストラゴメスをなんとかしないといけない。ズルタンがうまくやってくれればいいがな」
「どうも彼は自分の身の上を完全に受け入れていますね。犬の身体を得たのは自身の生前の行いのせいであり、自業自得と思っているようです。アスモデウスの場合は彼が苦しみもがく姿を見たくてたまらないのでしょう。それなのに開き直るのが許せないのかもしれない」
ベルゼブブとマモンは首を横に振るった。ズルタンが協力するのはいいが、アスモデウスが足を引っ張りかねないと予感していた。
☆
夜の森をズルタンが走っていた。視力は人間の時と比べると格段に落ちている。逆に嗅覚は鋭くなり、夜の森でも植物や動物、土の臭いをかぎ分けることができた。
ズルタンは犬の身体を受け入れていた。自分がこの身になったのも生前の報いが自分に帰ってきただけだと思っている。
かつて百年前、キノコ戦争で荒廃した帝京においてズルタンは大勢の人間を殺した。キノコの胞子によって死にかけた人間が徘徊しており、止めを刺してやったのだ。
妻と娘は死んだ。夏休みに自分の仕事を見せてやりたかったのだ。だが二人は死んでしまった。自分が呼び寄せなければ二人は死ななかったかもしれない。そう考えたこともあった。
しかしキノコ戦争によって世界は腐りかけていた。妻と娘があっさり死んだのは幸運だったのかもしれない。悪夢のような世界で生きるにはつらすぎるからだ。
それにキノコ戦争の影響で地球にキノコの幕が空を覆っていた。気温も下がり、雪も降ってきた。
ズルタンは猟銃を手に取り死にかけた人々を殺して回った。他にも生き残った者たちもおり、彼等を仲間にして人を撃ちまくった。殺した人々は丁寧に埋葬した。店を荒らしては残った食糧を手に入れたが、すべて仲間たちにあげていた。弾丸が尽きそうになったら、最後の一発は自分のために残していた。
だが彼は死んだ。龍金剛の祖父である龍英雄を殺そうとして、逆に相打ちになったのだ。
英雄とは恨みはない。亜人になり果てた彼等を殺すことで生きる苦しみから解き放とうとしたのだ。彼の子孫が自分を憎むのはわかる。いかなる事情があっても許されることではない。
アスモデウスが自分を憎むのは当然だと思っている。
さてズルタンの目の前に巨大なアライグマが現れた。
アライグマとは食肉目アライグマ科の哺乳類である。タヌキに似るが、尾に黒の輪模様がある。木登りがうまく、巣は木の洞につくるそうだ。
名称は、水辺で食物を探すしぐさが、手を洗う姿に似ることからつけられた。元南北アメリカの森林地帯に分布していたそうだ。
かつてはペットとして飼われていたが、飽きたので捨てられたという。
アライグマはキノコの胞子で巨大化していた。初期は目が一つであったり、手足がない奇形も生まれたが、現在は五体満足の巨大アライグマが各地に生息している。
今は木の洞どころか地面に穴を掘り、巣を作っている。
現在はアカシカなどを捕食したり、集落の畑を荒らしたりしていた。そいつが三頭ほど前にいる。ズルタンをにらみつけていた。
「……厄介だな」
ズルタンはアライグマをにらみつける。向こうはこちらを餌だと思っているようだ。
アライグマは雑食性で自分はごちそうに見えるのだろう。犬の武器は鋭い牙だ。いや牙以外ない。
ズルタンの牙はそれなりに鋭く、喉笛を噛みちぎる威力はある。
ここで逃げても問題はないが、アライグマたちがせっかくの獲物を逃がすとは思えない。逃げ切ることはできるが、ズルタンを逃したアライグマたちが暴れ回る可能性がある。
アライグマは立ち上がった。雄たけびを上げると、ズルタン目掛けて襲い掛かる。アライグマの武器は牙だ。手は獲物を洗うだけで攻撃には使わない。
だがズルタンの動きは素早い。電光石火の如く、目の前のアライグマの左足を噛みちぎる。
傷口から血が噴き出るが、アライグマは怒り狂った。他の二匹も血の臭いで好戦的になっている。
そもそもアライグマはチームワークがない。あくまでこいつらは仲間ではない、近くにいただけだ。
ズルタンはアライグマの喉笛を噛みちぎった。次から次へと血しぶきが上がる。
数分も経つとアライグマたちは死んだ。冷たい地面に倒れこみ、血が流れている。
ズルタンは他にもいないか、辺りを見回していた。彼にとっては仕事と同じだ。与えられたノルマを淡々とこなすだけである。
「ほう……。こいつは珍しい生き物だねぇ」
闇の中からねちっこい声が聴こえてきた。それは巨大な人間であった。六十代の老人だが、雲のようなもみあげを垂らし、ひげを生やしていた。そして肩や胸部には苦悶の表情をしている人間の顔が浮かんでいる。
ズルタンは察した。こいつがノストラゴメスだと。
「俺の名前はズルタン。あんたは噂のノストラゴメスかい?」
「ほう、きちんの名乗りを上げるとは大したものだ。いかにも吾の名はノストラゴメス……」
「あんたが村を無差別に襲撃していると聞いてね。本当かどうか確かめに来たのさ」
「そう思われていたのかね。まったくいい迷惑だ。こちらは面白半分で襲っているわけではないのだがね……」
「あんたに暴れ回れるのは困るんだ。おとなしくしてもらえるなら、手を出すことはない」
「そいつは難しいな。吾は平和主義者だがね、身体中に浮かぶこいつらがうるさいのだよ。人の不幸を味合わないと気が済まないのさ。抑えるのに一苦労しているのだよ」
「じゃあ、死んでもらうしかないな」
「死んでも、生き返るから無駄だと思うがね」
ノストラゴメスがにやりと笑う。
「吾は不死身だよ。吾の残した予言は今も残っている。原書が消えてもね……」
「なるほど、あんたは死なないんじゃなくて、死ねないというわけか」
ズルタンは憐みの眼で、ノストラゴメスを見た。
ノストラゴメスを出すのは最初から予定していました。しかしどう出すかは迷っていたのです。
今回、ズルタンと出会ったのはなんとなくです。そもそもアスモデウスが彼を徹底的に嫌うのは、彼女のキャラ付でした。




