第二十二話 フィガロのアスモデウス
「ふわぁ、いい天気だわ」
マレーグマの亜人である龍七海は伸びをした。今は黒いローブを着ている。今の彼女はアスモデウスと名乗っていた。
ここはコミエンソより北にあるフィガロという町だ。石造りの家が並んでいる。彼女は共同水道の前で顔を洗っていた。
他の亜人たちも顔や手を洗っている。他にも食事の準備をしている姿がちらほらだ。
「よう、おはよう」
金華豚の亜人である亥吃豆が挨拶した。今はベルゼブブと名前を変えた。
「今日もいい天気ですね」
ナミチスイコウモリの亜人である子黒夫も挨拶する。彼はマモンと名乗っている。もう彼等は自分たちの故郷である鳳凰大国の龍京に戻らない。一生をここで骨を埋めるつもりだ。
「おお、アスモデウス様、おはようございます」
「ベルゼブブ様もおはようございます」
「マモン様、今日もいい天気で何よりです」
亜人たちは次々とアスモデウスたちに挨拶していく。彼等はここでは司祭の地位を得ていた。
毎日、龍賢人こと、スレイプニルの指導を受けている。フィガロは蟲人王国にある国だ。
昆虫型の亜人が多いが、動物型の亜人も多い。植物型の亜人もちらほらいる。彼等はフィガロに来るまでは村八分扱いされていたものが多かった。
スレイプニルはそんな人々を集めて国を作った。元はイタリアであったオラクロ半島出身のフィガロは芸術家であり、町の作りに力を注いでいた。
さらに南方には岩で塞がれて生まれた被爆湖がある。ガリレオという豚の亜人が責任者となり、ガリレオ要塞という名前で呼ばれるようになった。
「ふぅ、今頃、羅漢は達者でやっているかしら?」
「なんだ、ちー、いやアスモデウス。そんなに羅漢が恋しいか?」
「なっ、なによ、吃豆!! そんなわけないじゃない!!」
「今はベルゼブブだ。早く慣れろ」
ベルゼブブはアスモデウスを茶化した。ちなみに彼等の名前は七つの大罪に例えられる悪魔の名前を付けていた。
アスモデウスは色欲。
ベルゼブブは暴食。
マモンは強欲を意味している。
スレイプニルはサタンで憤怒の意味を持つ。
もっともスレイプニル自身は憤怒とは逆の忍耐の人であった。
アスモデウスは純潔で、ベルゼブブは暴食よりも節制を重んじている。マモンは慈善だ。手柄を欲するばかり焦っていたが、今は落ち着いている。
他には傲慢のルシファー、嫉妬のレヴィアタン、怠惰のベルフェゴールがいるが、こちらはまだ決まっていない。
これらの名前はあえて悪魔の名前を付けることで、反発させるためである。
悪いことがダメと教えられても、なぜ悪いことをしてはいけないのか、理解できないことが多い。
かと言って盗みがダメだと教えても、育ちによっては盗みをしないと暮らせない人もいる。人間は追い詰められると自分を正当化したくなるものだ。
「羅漢は今頃何をしているのやら。もっともあいつの事だから何が起きても平然としているだろうけどな」
マモンがつぶやいた。長い列車の旅を続けていると、互いの性格は理解してくる。羅漢に対して心配はしていない。
「向こうで女を作ったりしてな」
ベルゼブブが言うと、アスモデウスが目の色を変えた。
「ななっ、なんですって!! 羅漢に限ってそんなことありえないでしょうが!!」
「あっはっは、冗談ですよ。羅漢のような朴念仁が女を作るはずがないでしょう」
ベルゼブブは軽く笑っているが、アスモデウスの顔色は悪い。
「皆さん、こちらにいらっしゃいましたか」
白馬の亜人、スレイプニルが現れた。この町の責任者でもある。
「おや、スレイプニル様。おはようございます」
「はい、おはようございます。実は朝食が済んだら皆さんに仕事をしてもらいますよ」
スレイプニルが朝から仕事を持ちかける。ただ事ではないとアスモデウスはそう思った。
☆
「ノストラゴメス……、ですか?」
朝食が終わった後、スレイプニルは自分の部屋にアスモデウスたちを集めていた。
カメムシの佃煮を挟んだパンに、ヨーロッパイエコオロギを乾燥させて作ったスープを食べた。
この辺りでは昆虫食が中心で、コオロギと豆腐のハンバーグや、カメムシで煮詰められた油に、サソリのフライなどがあった。
最初は難色を示したが、慣れると美味しくなった。最初はノストラゴメスなど知らなかったが、蟲人王国に暮らすようになってから徐々に知るようになった。
百年前にキノコ戦争が起きて、文明は衰退したが、口伝でノストラゴメスは語り継がれてきたのである。
本名はフランシス・ノストラゴメスという。十六世紀のヨーロッパを中心に活躍していた占星術師であった。
占星術師とはかつてバビロニア・エジプト・ギリシャ・中国などに古くから発達し、十七世紀ごろまで盛んに行われた星占いである。黄道十二宮の位置や月・惑星の運行によって、人生・社会などについて吉凶を占ったり予言したりしたそうだ。
ノストラゴメスは予言者として名を馳せていた。彼は占星術に基づく長大な予言詩「諸世紀」によって名声を博したという。
もっとも彼の予言は当時タルティーブ教を信仰するカウフ帝国に関する予言が多かった。
彼のもっとも有名な予言の一つ『一九九九年、七の月。西の大陸に住む恐怖の大王は世界を瞬く間に炎を包むだろう。しかし、それは終わりではない。南に住む箱舟の住民が百年後に現れ、世界に秩序をもたらす始まりの日でもあるのだ』というのがある。
この詩は世界の終わりを示すと言われているが、実際は違う。
そもそもノストラゴメスはオルディネ教を信仰していた。当時は神が世界の終わりを導くというのに、そのような予言を残せばノストラゴメスはおろか一族もろとも死刑になっている。
この予言は当時西の大陸へ向かったマレク・カウフ王子のことだ。彼は裏切りと虐殺を愛する人間だった。ノストラゴメスは一九九九年にマレク王子に相応しい人物が、カウフ帝国を率いて世界を火の海にするという意味だ。
南に住む箱舟の住民はヨーロッパ人であり、世界は彼等によって秩序を取り戻すという内容であった。
もっともカウフ帝国は二〇世紀初期に滅んでおり、この予言は外れている。
「ですがあの予言は当たっていますね。実際に一九九九年にはキノコ戦争が起きていますし、今も南方には箱舟の子孫たちが外を出ています。決して荒唐無稽とは言えませんね」
ベルゼブブが言った。
「大体知っているならそれでいい。問題は今なのだ」
スレイプニルが続ける。なんでも蟲人王国ではノストラゴメスを自称する者が現れたという。
そいつの姿は明らかに異形であった。三メートルほどの体格に上半身は異常なまでに盛り上がっているという。
そして胸や腕に人間の顔が浮かび上がっているそうだ。その怪物は口々では恨みつらみをこぼすが、村を一回り暴れたらすぐに消えてしまうらしい。村人を滅多に殺すことはないが、村を壊され家畜は殺されてしまっている。
もっともバルバールのように、破壊と略奪を楽しむような人種に比べれば遥かにマシであるが。
「我々エビルヘッド教団と繋がっている村は多い。もちろん関係ない村も襲われているが、復旧で手を貸すことで繋がりができるからな」
「スレイプニル様も結構俗物なのね」
「宗教というのはそういうものですよ。中世ヨーロッパ時代では宗教が政治を担っていました。国王ですら教会に逆らうことができなかったそうですね。鳳凰大国では考えられない話ですが」
アスモデウスが言うと、スレイプニルが答えた。
「蟲人王国の南部を中心に暴れているそうです。ここはなんとしてでも止めねばなりません。皆さんの力を頼りにしておりますよ」
スレイプニルはニコニコ笑っている。
「ちなみにどれほどの強さなのでしょうか?」
マモンが訊ねた。相手がどんな力を持つのか知っているだけでも対処ができるからだ。
「かなり強いです。ゴリラよりも大きいので木造の一軒家はパンチ一撃で吹き飛びますス、手刀では牛の首を簡単に切断したそうです。もっとも蹴り技は使わないそうですよ」
「相手は単純に腕力が強いようですね。むしろ厄介です」
アスモデウスが不安になる。自分の力が通用するか疑問を抱く。
彼女はフィガロに来てから自身の能力を磨き続けてきた。
彼女の能力は声帯に特化している。自身の声を使うことで相手を倒すのだ。
ベルゼブブは脂肪を、マモンは血液の能力を操ることができた。
スレイプニルの場合は鼻毛を操ることができる。三匹の巨大なアライグマを瞬時で首を刎ねることができた。さらに鼻毛でアライグマの解体をすることもできる。
「力を鍛えても、私は戦ったことがありません。勝てるのでしょうか」
「別にあなた一人で戦う必要はありませんよ。これは戦争です、一対一の見栄などいりません。どんな手を使ってでも勝つ、それが一番なのですよ」
「まあ、信者向けには正々堂々と戦った方が受けはいいけどね。最近作り出した紙芝居の評判は上々だし」
気落ちするアスモデウスに対し、ベルゼブブとマモンは慰めた。それを聞いた彼女は覚悟を決めるのであった。
今回から七海たちはアスモデウスになりました。
龍七海=アスモデウス。
亥吃豆=ベルゼブブ。
子黒夫=マモン。
ここからマッスルアドベンチャーに繋がるのです。最初はここまで話が広がるとは思いませんでした。
継続は力なりです。
カウフはアラビア語で恐怖を意味します。マレクはアラビア語で王です。
オルディネ教やタルティーブ教は架空の宗教です。
ノストラゴメスのフランシスは、英語でフランス人を意味します。
ノストラゴメスのモデルであるノストラダムスはラテン語で、フランス語はノートルダムといいます。




