第五話 悪い男
「ひぃ、死にたくない。あたしは死にたくないんだ……」
ボサボサの銀髪に、赤目の少女は紙をかきむしりながら、助命を嘆願している。着ている服はズタボロで垢や糞尿の臭いが染みついていた。
まるで獣のようである。今までろくでもない環境に押し込められていたか、よくわかった。
カーミラという少女は先ほどから同じことしかしゃべらない。さらにビリーたちと目を合わせようとしなかった。ビリーはそんな彼女の態度にイライラし始める。
「なんなんだこいつは? こんなむかつくガキ初めて見たぞ」
「ビリー、この子は恐らく家畜のような扱いを受けていたのよ。ボロボロの髪と衣服がその証拠だわ。まるで幽閉されたエドモン・ダンテスみたいだわ」
ルイは目の前の少女を愛読していた小説の主人公に例えた。もっともあちらは復讐のために暗闇と飢えに耐え抜いたが、こちらはネズミのように怯え切っている。
「ラタさん。あなたは彼女の事をどれだけ知っているのですか?」
「ええ、それは……」
ラタ三世が説明しようとしたら、突如、大きな影に包まれた。何事かと振り向くと巨人がルイとラタ三世を殴り殺そうと拳を振り下ろそうとしていたのだ。
「あぶねぇ!!」
ビリーが固まっていた二人を抱きかかえて、飛んでいく。ざざっと地面に転がった。
次に振動音が響く。まるで巨大な岩が落下したような衝撃だ。
相手はホビアルだった。
「なんだこいつ、生きていやがったのか?」
ビリーは相手が生きていたので、再度構えを取る。だが様子がおかしい。
ホビアルの目は白く濁っており、口はだらしなく開いている。それに股間から糞尿の臭いがした。恐らく死後に括約筋が緩んで中身が零れたためだろう。
ホビアルは死んでいる。それは間違いない。なのに起き上がって自分たちに襲い掛かっている。解せない。
「にゅふふふふ……。ホビアルを殺す人間がいるとは驚き桃の木山椒の木でございますわね」
ホビアルがしゃべった。しゃべり方は女みたいだ。
「なんだお前、いきなり気持ち悪いしゃべり方になりやがって」
「にゅふふ。あなたがホビアルを殺したのですか? お猿さんにしてはお利口そうな顔をしておりますが、どこのどなたでしょうか?」
なんとも人を馬鹿にした口調だ。
「俺はビリーだ。人を猿呼ばわりとは感心しないな」
「やれやれ、質問したのに答えないとは。もっともあなたの衣服は猿たちが身に付けているには上等すぎる。もしかしたらあなたは噂に聞く箱舟の十人ではないかしら」
「だとしたらどうなんだ?」
するとホビアルはゲラゲラと笑い出した。鼓膜が破れるほどの大声だ。
「こいつはいい!! ついに箱舟の人間を皆殺しにできる日が来たのか!! あいつらを殺さないと猿どもが人間に進化してしまうからね!!」
ホビアルは拳をふたつこつんこつんと叩く。どうもホビアルはビリーたちに殺意を抱いているようだ。
ホビアルはビリーに殴り掛かる。ビリーは右拳を躱すと、ビリーの右拳が腹部にさく裂した。
しかし相手はけろりとしている。ホビアルは右手でビリーを払った。まるで飛んでいる蠅を叩きつぶすようにだ。
ビリーの身体は吹っ飛んだ。何か鉛の塊に殴られたように、身体中に響き渡る。ゲホゲホと吐き出した。
「にゅふふふふ!! こいつはすでに死んでいますのよ。だから痛みを感じない。あなたがいくら殴っても私は一向に痛くもかゆくもない。私は万能無敵なんですよ!!」
ホビアルが高笑いを上げる。なんとも不気味であった。
「しかし、あなたを甚振っても面白くありませんね。あなたは女性にしては頑丈だし、演劇のヒロインのような悲劇とは皆無。ならば!!」
ホビアルはルイの方へ振り返った。そして駆け足で近づいていく。まるで猛牛の様だ。触れたら弾き飛ばされそうである。
「あのか弱い彼女から死んでもらいましょう!! そしてあなたは彼女の遺体を遺族に渡し、口汚く罵られるのです!!」
げらげら笑いながら、ルイを殴り殺そうとした。ルイは動かない。恐怖で固まってしまっているのだ。カーミラも頭を抱えながらぶつぶつつぶやいている。
ビリーは彼女に声をかけた。それでも思考が停止して石像のように固まっている。
ホビアルはようやく弱い者いじめを楽しめると言った笑みを浮かべていた。ビリーは強すぎる。殴っても泣かないし命乞いもしない。そんな相手をするのは御免だ。やはり相手の鳴き声を聞かないとイライラしてしょうがない。
自分の拳がルイの可愛らしい顔を潰す。これほどの快感はないだろう。そしてビリーが怒りに震えているところを見たら、即座に逃げ出す。ホビアルは戦うのが好きではない、いじめが大好きなのだ。
「にゅふふ!! 死ねぇ!!」
ホビアルが殴ろうとしたその瞬間。彼は思いっきりこけた。脚に何かを引っかけたのだ。まるで蛇に巻き付かれたような感覚である。
それが何かわからないまま、地面に口づけする羽目になる。
次に膝の裏に衝撃を受ける。倒れた自分に何かをしているようだ。だが痛覚はない。痛みを感じない自分は最強なのだ。次に腰にも衝撃が来る。何か刺さっているようだが、痛みがないのに、意味はあるのかと疑問を抱く。
どこのどいつだ。この私を地面に叩き付け、悪戯をする馬鹿は。そんな愚者は思う存分、自分の拳で叩きつぶしてやる。そう思ったが、足に力が入らない。それどころか腰にも力が入らず起き上がれずにいた。痛みはない。痛みはないのに、なぜ動けないのだ。
ホビアルの頭の中にはてなが乱舞している。
「……足の関節と脊髄を切断したよ。脊髄とは脊椎動物の中枢神経系の一さ。延髄に続き、脊椎管内を縦走する。内側に神経細胞の細胞体を主体とする灰白質があり、そいつが神経線維を主体とする白質が覆っているそうだ。分節的に脊髄神経が出て、感覚・運動の刺激を伝達し、反射機能をつかさどっている。つまり切断されたらお前さんは起き上がれないんだよ。永遠にね」
ホビアルが首をねじると、そこには一人の老人が立っていた。
白髪のボサボサ頭で、肌は日焼けして真っ赤だ。目は鋭く、歯はボロボロである。着ている服は麻で出来ていた。
手には槍を持っており、先端は磨製石器で出来ていた。
ルイは見ていた。老人はポーラという玉に縄のついた罠を投げて、ホビアルの足を引っかけたのだ。ルイしか見てないので足元がおろそかになったのである。そして倒れたホビアルに対して両膝を潰し、脊髄目掛けて突き刺したのだ。
痛覚がなくても傷跡は残る。なまじ無痛であるために体の危険を察知できなかったのだ。
「おっ、お前はサビオ!! 逃げたはずでは!?」
「お前さん、少し見ない間に女みたいな口調だな。いや、それ以前にまともに言葉もしゃべっていなかった。いきなり性格が変わるのはありえるが、知能はそうはいかん。お前さんは何者だ?」
「くっ!! お前さえ、お前さえ余計な知識をばらまかなければ、こいつらを含め、周辺の村は猿でいられたのです……。この世界が崩壊した原因はチャールズ・ヒュー・モンローのせいなんですよ!! 私ではなくモンローを恨みなさい!!」
支離滅裂な言動を繰り返すホビアルに、サビオと呼ばれた老人は髪をガリガリとかきむしった。そこからフケが粉雪のように舞い散る。
「……どうやらお前さんはスプーキーキッズとは違うようだな。自分の不幸を他人のせいにする。マウスピースという輩だな。こいつの対処はわしには手に余る。お客人、もういいですよ」
サビオが声をかけた。すると巨大な影が現れる。それは巨人であった。巨大な顔に丸太のように太い手足がくっついている。目玉はスイカのように大きく、口はカバのように大きい。
ビリーとルイは初めて見る異形に驚いた。その一方で、昔授業で見たビッグヘッドに似ていることを思い出したのだ。日本の大企業が放射能に汚染された土壌を浄化するために生み出した生物であることを連想したのだ。
だがビッグヘッドはこんなに大きかっただろうか。確かドラム缶並みの大きさだったはずだ。日本人の科学者が一緒に並んでいたが、かなりの大きさだった。
「お嬢さん方、お初にお目にかかります。儂の名前はエビルヘッド。百年前に自我が目覚めたビッグヘッドでございます。そしてこいつは何やら邪悪な意思を持つ存在。放置すれば必ずやこの世に害をなすであろう。なので、ぽーい!」
エビルヘッドは右手でホビアルの身体を掴んだ。まるでクレーンのように持ち上げている。そしてホビアルを大きな口に放り込んだ。ばりばりと食べていく。
「ひぃぃいぃぃぃぃいぃぃいいいいい!! 食べるなぁぁぁぁ!! 痛くはないけど、気持ち悪いぃぃぃぃぃぃぃぃいぃぃいぃいい!!」
ホビアルは助けを求めた。だがビリーたちは平然としている。巨大な異形が人間を食べているが、ホビアルの邪悪さを見た後では彼が食われても同情できなかった。
「因果応報という言葉がある。お前さんは今まで村人を甚振って楽しんでいた。今度はお前さんが甚振られる番だ。自分に順番が回ってきただけなのだよ」
サビオが言い放つ。しかしホビアルは聞いていない。自分が巨大な顔に身体を食われる恐怖の方が上回っていた。
「やめてぇぇえぇえええええ!! 私の左手を奪わないでぇぇぇぇぇぇぇ!!」
最後まで意味不明な言葉を発しながら、ホビアルは食われた。バキバキと骨が砕かれ、肉を咀嚼する。やがてエビルヘッドは食べ終えた。
「? 不思議だな。こいつからは何十万人の神応石が出てきたぞ? それもみんなばらばらだ」
「神応石!! あなたは神応石を知っているのですか!!」
ルイが喰らいついた。彼女だけでなくビリーも神応石は知っている。エビルヘッドは何を知っているのだろうか。
「とりあえずは後始末を優先させたい。話はそれからにしてもらえないだろうか」
サビオに言われて、ビリーたちは納得した。ゆっくり話を聞けばいいからだ。
サビオはブラッドメイデンに出てきた司祭の名前です。
ホビアルも同作の主人公ですが、今回は彼女と全く別物として出ています。




