第2話 初めての外の世界
ビリー・アームストロングは鉄の船に乗っている。箱舟の住人が製造したものだ。燃料は化石燃料である。精製しないでとっておいたものだが、もうじき底をつきかけていた。
ビリーの他には友人のルイ・アイリッシュの他に十代後半の男女で占められている。二十代はビリーたちが調査してから出発するつもりだ。
長年、箱舟で暮らしていたから、外の世界が怖くてたまらないのである。文字通り箱入り娘のようだ。
船には建築用の資材や猟銃などの武器も積んである。外の世界の住人が友好的とは限らない。敵意を剥き出しにするかもしれないからだ。
そもそも大航海時代は未開地の人間に対し、徹底的な虐殺を行った歴史がある。スペインはその代表だった。イスパニアの悪名は遠い日本でもとどろいていたが、のちに世界一の座から滑り落ちている。
さてついに箱舟の入り口が開くことになった。ドームは半透明で外の様子はわからない。知っているのはスーパーコンピューターのグランドマザーだけだ。自分たちはグランドマザーから聞いた言葉でしか、外の世界を知らない。
「ふふん、こんなにも気分が高まってきている。最初からこいつに志願すればよかったな」
ビリーは興奮していた。先日まで退屈で死にそうだったのが嘘みたいだ。もっとも周りの人間は外への恐怖と好奇心の半々で、頭や腹部をさすっている。
扉は特殊な金属でできており、百年海水に浸かっていたのに錆びている様子がない。扉は鬼のような顔が描かれており、地獄への門に思えた。
それがごごごと音を立てて開いていく。十年前から、箱舟は外の空気と水を取り入れてきたから、自分たちが外の世界の細菌に殺される心配はない。
逆に外の世界に衝撃を受け、死んでしまうかもしれなかった。ビリーは緊張で心臓を押さえているが、好奇心の方がはるかに上回っていた。
☆
扉が開き終わると、目の前には海が広がっていた。近くには島が見える。緑豊かな森が見えた。
ビリーたちは船を動かすと、最初にスペインのバルセロナを目指すことにする。
バルセロナとはスペイン北東部、地中海に臨む港湾都市のことだ。カタルーニャ地方の商工業・文化の中心地である。紀元前3世紀にアフリカ北部にあったカルタゴが建設した植民市として始まったそうだ。
もっともキノコ戦争によって、現在はどうなっているかわからない。海の色も普通に見えた。
果たしてこの世界の人間は自分たちを受け入れてくれるか心配になる。
だがビリーは気にならなかった。なぜなら彼女は温かい太陽の日差しを浴びているからだ。箱舟では味わえない本物の太陽。もちろん彼女らは初めての太陽なので日焼け止めは欠かせない。下手をすれば皮膚がんになるからだ。
海の香りとさわやかな風は、今まで怠惰に生きてきたビリーの心を融かしていったのである。
「あら、ついに箱舟から出てきたのね」
どこからか女の声がした。まるで銅鑼を鳴らしたような声だ。いったいどこから聞こえているのか、ビリーはきょろきょろと辺りを見回す。しかし誰も見えなかった。
「ここよ、ここ」
声がした。すると海面からざばんとしぶきを上げると、巨大な魚が顔を出した。いや顔は人間の女の顔だ。一戸建てのような迫力があった。
それは巨大な魚の怪物であった。表面はぬめぬめしており、唇はぽっちゃりと太い。目は魚のように丸く、ぎょろりとビリーたちを見ていた。
船の中は大騒ぎになった。ルイですら怯えてビリーの背中に隠れるほどであった。しかしビリーは恐怖よりも好奇心が上回っていた。
「俺の名前はビリー・アームストロング。先ほど出てきた箱舟で育った人間だ。あんたの名前は?」
「あら、異形のわたくしを見ても物怖じしないなんて、感心だわ。わたくしの名前はセイレンヘッド。この地中海を中心にゴミを喰らい、人を喰らってきたものよ」
セイレンヘッドが説明した。なんでも彼女はビッグヘッドというもので、遺伝子改造で産まれた存在らしい。彼女自身は五十年前に生まれたが、自分の開祖であるエビルヘッドは百年前の中華帝国にいて、キノコ戦争で自我を得たそうだ。
五十年前の地中海はキノコ戦争の影響でヘドロとゴミだらけだった。セイレンヘッドと自分の兄弟であるネプチューンヘッドにより、海面に浮かぶゴミは減っていった。しかしまだまだゴミは海底に残っており、彼女はそれらのゴミを食べて回っているという。
「ビッグヘッド……。確か日本の企業が生み出した禁忌の生命体と聞きます。ですが自我を持つなど知りませんでした」
ルイが恐る恐る声を出した。ビッグヘッドの事はグランドマザーが教えてくれたのだ。基本的に植物の遺伝子を組み込まれており、放射能に汚染された土壌や鉱石を食べるという。そして頭部に詰まった内臓でろ過し、目から涙と共に浄化した鉱石を涙膜に包んで排出するという。
遺伝子設定により、寿命は数年と決まっているそうだ。もっとも宗教団体や原子力発電を反対する団体によって研究をとん挫されそうになっているらしい。放射能の脅威よりも論理的な問題が重要視されているのだ。
「あなたの言う通りよ。でもエビルヘッド様を始めとしてビッグヘッドには神応石という第二の脳がある。キノコ戦争の影響で神応石が刺激され、自我が目覚めたと言っていたわね」
神応石。それはビリーたちの額に埋められているものだ。これがなければ狭い箱舟の中で彼女たちは発狂していたかもしれない。いや、第三世代と第四世代は終わりの見えない箱舟の生活で、精神を疲労していったのだ。ビリーたちはまだ若いので擦れていないだけである。
「わたくしはあなたたち箱舟の人間が出てくるのを待っていたわ。この周りにあるゴミはすべてわたくしが飲み込み、汚れをべろべろと舐めて奇麗にしたの。でも生き残った人間たちはわたくしを怪物として殺そうとしたわ。海岸にびっしりと牽き詰められ、悪臭まみれのゴミを処分したわたくしをね。だからわたくしは殺しに来た相手を丸呑みしてやったわ。おかげでわたくしを殺しに来るものはここ数年少なくなったもの」
セイレンヘッドの言葉に何とも言えなくなる。二十世紀のゴミ問題は深刻であった。ゴミを処分にするにも燃料はいるし、リサイクルをするよりも新しく作った方が安上がりだった。面倒なゴミは山に埋め、海に捨てるのが常識であった。
ビッグヘッドはそれらのゴミをまとめて喰らい、分別して涙鉱石にするという。それなのに人間は完全リサイクルを否定した。ゴミ処理業者が失業するし、人々がゴミの分別をしなくなり怠け者になるからだと、日本の企業を叩いたそうである。
文明が崩壊した今も、セイレンヘッドたちはキノコ戦争で産まれたゴミをたべ続けてきた。なのに人間は彼等を化け物呼ばわりし、集団で殺しにかかった。偉業を殺せば自分たちは幸せになれると信じ切っていたそうだ。
ルイたちの気は重くなった。人間の醜さを異形に告げられて気まずさを感じた。
だがビリーは平然としている。
「俺たちを憎んでいるなら、説明せずさっさと食べていたはずだ。あんたは俺たちに用事がある。違うかよ?」
「その通りよ。正直わたくしは人間に興味がないの。涙鉱石を交易の材料にするネプチューンヘッドも同じね。わたくしたちはあくまでエビルヘッド様の命令を聞いているだけよ。ゴミを喰らい、人間の敵として生きる。それがわたくしの役目ね。そして今のわたくしはあなたたちをバルセロナに案内すること。そこではエビルヘッド様の命令された者たちがあなたたちを歓迎するはずよ。わたくしはただの道案内ね」
セイレンヘッドの言葉に含みはなかった。人間に攻撃されても自分の役目を優先しているだけだ。感謝されても憎まれても関係ない。自分の仕事をこなす。それが存在意義であると言わんばかりである。
セイレンヘッドは巨体を海に沈め、泳いでいく。ビリーたちは後を追った。
☆
ビリーたちの船は港に着いた。粗末なコンクリートの作りだが、港としては十分機能していた。
港は数件の石造りの家が建ってあるだけだ。バルセロナの町並みは見えない。キノコ戦争で滅んだにしても、廃墟が残っていると思っていたが、奇麗なものだ。
「ビッグヘッドが胞子に汚染された土と石を喰らいつくしたのよ。もっとも原発や処分場、軍事基地を最優先したけどね。ただしバルセロナにはバルセロナ大聖堂があるわよ。こちらはビッグヘッドたちが修復し、復元したものだけど」
バルセロナ大聖堂とはバルセロナの旧市街、ゴシック地区にある大聖堂のことだ。
正式名称はサンタエウラリア大聖堂であり、13世紀から15世紀にかけて建造されたという。
二〇世紀初頭にファサード部分が完成したそうだ。カタルーニャゴシック様式の傑作として知られており、バルセロナの守護聖女エウラリアの遺骨が納められているそうだ。
「まあ、歴史的建造物を復元するとはすごいですね」
ルイは感心した。
「キノコ戦争は人間の愚かな行為らしいけど、歴史的建造物には罪がないとエビルヘッド様はおっしゃいましたわ。カーペンターヘッドという種類のビッグヘッドが壊れた建築物を喰らい、その建築物の記憶をたどって復元しているのです。まあ、それは後でじっくり見ればよいでしょう」
セイレンヘッドが説明する。もうじき港に着く。港には数十人の人間がいた。
よく見ると全員毛深く、猫耳や犬耳を生やしていた。
その中で一番体格があるのは、カピバラであった。杖を突いている。
カピバラは齧歯目カピバラ科の哺乳類である。齧歯類では最大で、体長七十五~一三〇センチ、尾はほとんどない。前足に四指、後足に三指あり、後指に水かきをもつ。
南アメリカの湿地近くの森林にすむと言われていた。
もっともこちらは指は人間と同じ五本で、サンダルを履いているが、足の指も五本だ。ただし足指には水かきが見える。ビリーよりはるかに高い一八〇センチほど身長があった。
ビリーたちは船から降りて、港に上がる。カピバラの男が前に出た。
「ようこそ、箱舟の皆さん。私の名前はラタ。皆さんを歓迎いたします」
そう言ってラタは頭を下げる。




