第16話 大便魔法
「もうじきワルシャワに着くな」
黒ヤギの亜人、龍羅漢は列車の中で、外を眺めながら言った。まだ森しか見えないが、車掌が教えてくれたのである。
ワルシャワはヨーロッパ東部にあるポーランド共和国の首都である。同国中部、ウィスワ川中流に位置し、交通の要地であった。キノコ戦争以前は国土の大部分は平野なので、鉱物資源も多く、機械・金属・印刷工業が盛んだったという。
一五九六年以来の首都で、第二次大戦でドイツ軍に破壊されたが復興、旧市街は復元されたという。
キノコ戦争の犠牲になったが、ビッグヘッドによって復元されている。
列車は静かに走っている。赤ん坊を抱きかかえる母親の如く、ゆったりと、それでいて家事を忙しなく動くように早く進んでいた。
「そこについてもただ休むだけじゃな。まあ、次はウィーンからヴェニス。ジェノヴァとマルセイユを通れば目的地のフィガロにたどり着けるそうじゃ。わしも初めての旅だから胸がわくわくしたのう」
白ヤギの亜人で、羅漢の祖父である金剛が腕を組みながら言った。彼は今まで自分の生まれ故郷以外、外へ出たことはなかった。今回は見るものすべてが初めてであり、心が躍っている。
一方で羅漢は相変わらずの仏頂面だ。機嫌がいいのか悪いのかさっぱりわからない。
「暢気なじいさんだぜ。旅はそこで終わるかもしれないが、やることは山積みなんだ。こいつは実際に見ないと何とも言えないがね」
「ふふん。羅漢も旅立つ前に比べて柔らかくなったではないか。良い兆候じゃな。ところでお前は七海と良い仲にはならんのか?」
「……じじい。殺されたいのか?」
羅漢が鬼のように睨んだ。祖父はおお怖いとおどける。後ろの席で七海が盛大に噴出していた。
「ところで黒夫の野郎だ。あいつ最近おかしいと思わないか?」
羅漢が金剛に尋ねた。ここ最近ナミチスイコウモリである子黒夫の様子がおかしいのだ。元々自分たちとは冷めた態度を取っており、一歩引いた感じである。実際は人見知りで辛らつな口調も自分を護るためであった。羅漢は気にしていないが、金剛はすでに黒夫の性質を理解していた。
ところが黒夫は力を見せたことで自身をつけた。積極的に人と話すことができるようになったのだ。これは良い傾向であるが、なぜ彼が力を出し惜しみしたのかが謎である。
同じく同行した金華豚の亜人である亥吃豆は落ち着いたものだ。
「今のところ黒夫はわしらに殺意を向けておらん。いざとなればエビルヘッドが、あ奴を喰らうだろうよ」
「なんとも冷たい話だな。いや、国を治めるものならそれくらいでないと無理か」
「それよりもお前の力だ。ここ最近のお前は見事に力を抑え込んでいる。暴走することが少なくなっておるぞ」
金剛の言う通りであった。羅漢は当初、体の中で小人が暴れるように力を押さえられずにいた。ところが故郷の龍京を離れるごとに身体に羽根が生えたように軽やかになり、頭も重しが取れたようにすっきりとしている。
「龍京では英雄の子孫だの、金剛の孫だの言われたからな。うざいといったらなかったぜ」
「わしも同じじゃよ。そしてわしの父親である超人は英雄の息子であることに押しつぶされた。民衆の身勝手な期待と願望によって破滅の道を歩まされたのだよ。今はわしの妻である女巫が国民の学業に力を入れておる。おかげで国民の民度は他所より高くなっておるのだ」
「確かにおばあさんは偉大な人だ。俺もあの人の前では頭が上がらないよ」
さすがの無頼漢である羅漢も祖母だけは尊敬しているようだ。いや祖父もそれなりに尊敬しているが、口に出さないだけである。
☆
突如列車が揺れた。どうやら緊急ブレーキをかけたようである。まるで地震のように激しく揺さぶられた。なんだなんだと他の客たちは蜂のように騒ぎ出すが、羅漢は素早く外に出る。
今までの行動から相手がスプーキー・キッズの襲撃であることは覚悟していた。
その期待は外れることがなかった。目の前には大きなカバが二本足で構えていたのだ。
麻の服とズボンを身に着けている。
「俺の名はパブロ。コロンビアから来たカバの亜人だよ」
「コロンビア? 確かニューエデンの南方になる国の事だな。だがカバはアフリカの南部にしかいないと聞いているが」
「その認識は正しい。かつてコロンビアでは麻薬王がカバを飼ったという。今もそのカバたちは生きている。言わば外来生物だな」
カバのパブロはにやりと笑う。巨大な口がぐにゃりと歪むと、何とも言えない迫力が生まれる。
「……闇討ちしないで堂々と来るとはな。相当に自信があるというわけか」
「その通りだ。それにモンローには恩がある。荒れ果てた国を緑と畑で復興してくれたのだ。俺はその恩返しをせねばならぬ」
パブロの目は真剣である。しかしモンローが国を復興させるとは意外であった。七海の話では元アメリカであるニューエデンの西部では、彼の人気は高いという。
「さて、お前たちは皆殺しだ。なので俺を本気で殺さなければ生き延びる道はないぞ」
するとパブロはズボンを脱いだ。しかもパンツまで脱いでいる。狂ったかと思いきや、パブロは座り込んだ。そして力む。何やら不快な音が耳に入ってきた。
それと同時に大地が揺れる。最初は赤ちゃんの寝るゆりかごの様な大きさだったが、子供が激しく乗るブランコのようになってきた。
なんと大地が盛り上がり、手の形を作る。それは巨大な両腕であった。パブロの前に巨大な土で出来た腕が現れたのである。
「こいつは大便魔法と言ってな。俺が放りだした糞が大地と同化することで、大地を操れることができるのだ!!」
パブロが叫ぶ。巨大な手は羅漢たちを叩きつぶそうとしていた。バンと大地が叩かれると、びりびりと森が揺れる。木の葉は舞い落ちて、鳥たちが一斉に飛び立った。
「ちくしょう!! でかい手だから動きが鈍いに決まっている! 俺たちが倒してやるぜ!!」
列車からネズミや牛、犬や猿の兵士たちが飛び出てきた。彼等は龍京から一緒に同行していたが、目立った活躍はなかった。
彼らは黒夫や吃豆とは違うが、それぞれの部族を背負っている。ここで目立った活躍をしなければ、自分たちの地位が危うくなると思っているのだろう。
「甘い!!」
バチンと兵士たちは土の手で叩きつぶされた。確かに巨大だが間合いは圧倒的にパブロの方が上だ。人間もハエを捕まえるのは至難の業だが、頑張ればなんとか手で叩くことはできる。
兵士たちは煎餅のようにぺしゃんこになって殺された。パブロの力はここにいる人間を皆殺しにすることができるのだ。
羅漢は気を引き締めて相手を見据える。パブロは先ほど人を殺したが、それを楽しんでいない。あくまで自分の仕事をこなしただけのように見える。
こういう相手が一番怖いのだ。
「「ここは俺に任せてくれ。じじいは他の客を避難させておけ」
「おう、心得た」
金剛は孫に任されたことを嬉しく思いつつも、客たちの避難誘導に専念した。
「さぁ、相手をしてやるよ」
「遊ぶつもりはない。一気に片をつけさせてもらう!!」
パブロの土の手が襲ってきた。羅漢は後ろを向くとバック・ラットスプレットのポーズを取った。背中の筋肉を見せるポーズだ。
背中の肉が翼を広げているように見える。すると羅漢の背中から真空波が生まれた。広範囲に空気の壁が生まれる。
土の手は空気の壁を壊すことができず、そのまま手が崩れてしまった。
だがそれで諦めるパブロではない。すぐに土の手を再生させると、今度は握りこぶしを作り、それを振り下ろした。
どがぁんと大地がこれでもかと揺れる。それに恐怖したアカシカやノヤギの野生動物たちが線路に向かって逃げ出してきた。
羅漢は両腕を降ろし、力を込める。モストマスキュラーのポーズだ。
狙うはパブロである。大胸筋をぴくぴく動かすと、陽炎が生まれた。それは竜巻となり、空気の槍となってパブロに襲い掛かる。
パブロの胸に大きな穴が開いた。パブロは血を吐き出し、前のめりになって倒れる。
そして土の腕はボロボロと崩れ落ちた。羅漢の勝利である。
☆
パブロには勝てたが、失ったものも大きい。なぜならパブロのせいで線路はめちゃくちゃにされたのだ。もっとも線路はエビルヘッドが修復してくれた。だが大地の方は簡単にはいかない。ビッグヘッドたちを連れてこないと修復は難しいとされる。
「奴は手ごわかった。というよりフィガロに近づくたびに敵が強くなってきているな。その一方で奴らが何をしたいのかさっぱりわからない」
「どういうことじゃ、羅漢?」
金剛が尋ねた。
「確かに奴らは襲ってきたさ。だがその目的がわからない。邪魔をするならもっと露骨な妨害をすればいいはずだ。それなのに奴らは堂々と襲撃してくる。まるで俺たちの強さを調べるためにみたいにな」
羅漢の言葉は言い得て妙だ。金剛もかつてチャールズ・モンローと戦ったことがあるからわかる。モンローは子供じみた性格で、正々堂々などくだらないと思っていた。約束を破るなんて日常茶飯事で、相手を苦しめることが三度の飯より好きそうであった。
それに龍京との連絡はまめに行っている。伝書バトならぬ、空飛ぶビッグヘッド、ポストヘッドが飛んできては手紙を配達してくれる。
龍京では目立った事件は起きていない。留守を預かる女巫は何もないと毎回手紙に書かれていた。それ以外のつてでも同じである。本当に事件は起きていないのだ。
「本当にチャールズ・モンローがボスなのか?」
金剛は頭をひねるのであった。
コロンビアにカバがいるのは本当です。
実は麻薬王が飼っていたものが、野生化してしまったのですよ。
パブロは麻薬王の名前で、故人です。
大便魔法はラードアルケミストで初めて出しました。




