第2話 七海
それは山だった。小さな山がのっそりと揺れながら歩いていた。
正体は切り揃えられた岩だった。三角のように積み上げている。
山の下には一人の男が支えていた。黒ヤギの亜人で、身長は180ほどあり、腕も足も丸太のように太く、胸板も樽のように膨れ、腹部は鉄の門に見えた。
その黒ヤギは一歩ずつ前に進んでいく。そして指定された場所へ運んでいくのだ。
周りの人間はその迫力に腰を抜かす者もいれば、大したものだと感心する者と反応が真っ二つに分かれている。
ここは囚人を働かせている採掘所だ。看守や囚人も彼に対して畏怖を抱くものや、尊敬の目を向けるものもいた。
「さすがは羅漢様だ。今日でもう一か月分の仕事をこなしてしまったよ」
「あんな真似ができるのは羅漢様だけだ。俺達には真似できないね」
「やはり大臣の孫は一味違うねぇ」
男たちは褒めるのもいれば、やっかみを抱くものもいる。だが黒ヤギの羅漢は無視していた。自分の仕事に夢中なので、他人の声などセミの鳴き声にしか聴こえないのである。
羅漢は指定の場所へ石材を運ぶ。看守も毎度のことだが、呆れるやら驚くやら複雑な心境であった。
羅漢はポイっと石材を放り投げた。それはでたらめにばらまいたのではなく、きっちりと揃えてしまう。看守や囚人もそれを見て拍手をするほどだ。
「ふぅ、また戻るか」
羅漢は額の汗をぬぐうと元来た道を戻ろうとした。しかしそこに重慶犬の看守長が立ちふさがる。左右に白と茶の犬の看守が槍を手にして控えており、右の白い犬は革袋を持っていた。
「龍羅漢。お前は先ほどの作業で、刑期を終えた。普通なら十年はかかるものをさすがだな。この袋には十年分の賃金が入っている。さっさと出て行ってもらおうか。そして、二度と来るなよ」
横柄な態度と思えるだろうが、囚人に対して敬語を聴く必要はない。だが羅漢はまったく見向きもしない。すぐ作業へ戻ろうとした。
「待て! もう刑期は終わったのだ、早くここから出ていけ!!」
看守長が叫ぶ。声を荒げているが、羅漢は動じない。そよ風を受けたような感じだ。
「……断る。俺はここを出ていく気はない。金は他の奴らにやってくれ」
羅漢が背を向けようとするが、看守たちが前をふさぐ。
「勝手なことを言うな! 出て行けと言ったのがわからんのか!!」
看守長が部下に命じて羅漢を取り押さえようとしていた。槍の切っ先を向けるが冷や汗をかいているのは看守の方だ。なまじ犬の亜人なので汗をかけず、舌を出してはぁはぁと息を吐いている。
「やめておけ……。俺には悪魔が憑りついている。俺にも制御できない悪魔がな」
その瞬間、看守たちが吹き飛ばされた。羅漢は何もしていない。それなのに看守たちは何かに触れたわけでもないのにその身体が弾けて飛んだのだ。
「見ろよ、羅漢さんのアレを」
「ああ、いつ見ても不思議なものだな」
「確かに悪魔が憑りついているとしか思えないね」
囚人たちが歓喜の声を上げている。彼らは特に羅漢の信奉者であった。弱い彼らにとって羅漢は権力に逆らう象徴なのである。
「大臣はポージングを行うことで、自分の体内の熱を操作したことがあるという。しかし羅漢は何もしないで看守を吹き飛ばした。これはいったいどうなっているのだろうか……」
重慶犬の亜人はただつぶやくしかなかった。
☆
「ふんふんふ~ん、今日の夕餉は何かしら~ん」
龍京にある市場はにぎわっていた。各地にある野菜や果物、織物や細工物を出すテントが並べられている。現在の鳳凰大国は大臣の金剛とビッグヘッドの王大頭改めエビルヘッドの尽力により、人間として必要な文化を取り戻していた。さすがにビッグヘッドを利用した施設は龍京だけである。
市場には亜人はもちろんのこと、人間の数も多い。五十年前、人間の一部が龍京を荒らしたが、その子孫たちは無関係である。あんまり押さえつけても反発を生むだけなので自由にやらせていた。しかし龍京の役職は龍一族以外ありえない。金剛の妻、女巫を除いて人間はいないのだ。
そこに一人のマレークマの娘が歩いていた。右手には竹細工のかごをぶら下げている。
マレークマとはクマ科の哺乳類である。マレー半島・スマトラ島・ボルネオ島などの森林地帯にすんでおり、体長百~百四十センチとクマ科ではもっとも小さい。体毛は短く、胸にU字形の白斑がある。
彼女の名前は七海といい、海賊王国の王、海男の娘である。
彼女は船よりも陸の生活を好んだ。四年前から住んでいる。
母親は元マレーシアがあった村に住んでいたマレーグマの亜人で、二十年前に海男に惚れて船に乗ったという。その母親は五年前に海に落ちた挙句、ホオジロ竜に食われてしまった。
「今日は白菜が安いわね~、餃子にするのも悪くないわ~」
七海は鼻歌交じりで店の品を見て回っていた。母親は死んだが、人が死ぬのは日常茶飯事である。葬式の時に涙は流したが、次の日にはきれいさっぱり忘れている。それが海賊王国の娘というものだ。
「おや、七海ではないか。ひさしぶりだな」
通りを馬車が通った。ヤギウマが八頭牽いている特製の馬車だ。これは大臣の乗る特別なものである。
窓から白いノヤギの亜人が顔を出した。大臣の金剛だ。七海とは親戚なので顔なじみである。
「まあ、大臣様。ご機嫌麗しゅう」
七海はうやうやしく挨拶する。
「ふぉっふぉっふぉ。わしとそなたの間に畏まった挨拶など不要じゃ」
「そうはいきません。大臣様はこの龍京の象徴でございます。無礼があってはいけません」
七海は頭を下げたままだ。彼女の身分は高い。それでも目上の敬意は忘れないのである。
「それはそうとお前さんも一緒に馬車へ乗らぬか? これから孫を迎えに行くのじゃよ」
「孫……、羅漢が何かしでかしたのですね」
「しでかしたわけではないのだかな。真面目に仕事はしているのだが、刑期を終えたのにまったく出ていこうとしないのだ。それでわしが直接引っ張り出す羽目になったのじゃよ」
金剛は頭を抱えていた。自分も昔はやんちゃをしていたから、文句を言う義理はない。それでも注意せざるを得ない。なぜなら自分と同じ轍を踏ませるわけにはいかないのだ。
七海は買い物籠を金剛の部下に預けた。羅漢の事が気になるからだ。
「ですが悪魔とはいったい何なのでしょう。そもそも羅漢の力は大臣様と同じではありませんか」
七海はすでに馬車に乗っている。彼女は羅漢の幼馴染だ、彼が悪質な人間ではないことを理解している。それに自分が行けば羅漢も心変わりすると思ったのだ。
「わしの場合はポージングを決めてから発動するのじゃ。しかし羅漢は特に特訓もしていないうえに、ポージングを取らないのに力を発動させることに恐れをなしておるのじゃよ」
能力というのはきっかけがいる。無条件で超能力が発動するわけではない。昔、自分が熱を発する能力を身に着けたのは、ボディビルがきっかけだった。
ポージングを取ることで能力を発動させていたのだ。
友人である賢人は午の亜人だから鼻毛を、主角はカピバラの亜人なので前歯を操っていた。
そもそも最初から能力を使えたわけではない。なんとなく使える気がしたので、特訓したら使えるようになったのだ。
これも自分たちの額に埋め込まれた神応石の影響かもしれない。
「私も幼い頃から船に乗り、世界を見て回りました。腕が鞭のようにしなる人や、胸毛を操る人もいましたね。ですが海賊島のディーヴァほどの力はありません。彼女のようにビッグヘッドを生み出す能力は常人ではありえないからです。やはり人の力でないと規格外の力は出せませんね」
「チャールズ・モンローのようにか……。確かに奴は天才だった。ディーヴァのような新人類を生み出す力を持っていた。その力を正しく使えば世界を幸せに導くことができたかもしれないな」
七海の言葉に金剛は昔の事を思い出した。彼はチャールズ・モンローと戦い、勝利した勇者なのだ。
モンローは金属細胞を埋め込み、銀色の肌という異常な人間に生まれ変わった。
乳首を自在に操り、人を苦しめることが好きな性格なので金剛を苦しめた。
龍京ではチャールズ・モンローは悪の象徴として学校の子供に教えている。
「モンローといえばニューエデン合衆国では悪名が高いですね。特に人間は悪魔の寵児と呼ばれてます。逆にリベルターシティでは救世主として崇められていますね」
「確かニューエデンでは人間はビッグヘッドの奴隷にされているんだろう? そして、リベルターでは亜人がほとんどで自由に暮らしているとか。死んだお前の爺さんがよく話してくれたよ」
「そうですね。あとヨーロッパもひどいですよ。あそこの人間はほとんどが虫型の亜人に変化しています。そこの海岸線にある村に寄ったことがありますが、モンローに対する敵意が強いです。自分たちがこんな目にあったのはモンローだと村人は子供たちにおとぎ話のように教えています。イギリスは妖精の亜人が多く、ドイツは巨人や小人が多いですね。アフリカは動物系の亜人がほとんどで、イタリアは亜人がおらず、人間ばかりでした」
七海が答えた。金剛もそれを聞いて唸る。彼はほぼ龍京を出たことがないので、七海の話は大変貴重なのだ。
現在は川の下流に新たな都市を作った。下巴といい、顎を意味する言葉だ。龍の顎という意味を込めている。
ここでは巳一族が管理している。蛇型の亜人が多い一族だ。
「羅漢は何も知れないのに大胸筋を動かしたら、石造りの家を一軒吹き飛ばしたのだ。さらに暴漢から子供を守ろうとして背中を向けると、暴漢が吹き飛んだという。羅漢は自分の力を制御するために採掘場にこもったのだろうな」
ごろごろと馬車は動いている。金剛は若い頃の自分もこのように周りに迷惑をかけたのだなと、反省した。




