第10話 女巫の憂鬱
女巫は人間の部族の娘であった。部族は狩猟が中心で自然と共に生き自然とともに死ぬ。そんな感じだ。
もっとも聞こえはいいが実のところ彼らは保守的であった。変化を異常なまでに恐れ、他人と関わることを忌み嫌っている。
これは人間の部族に共通しており、村の人間が新しいことに挑戦しようとすると族長が真っ先に反対し、発案した人間を袋叩きにして殺すのだ。
女巫の父親は村人から袋叩きにされた。その後家族は村八分にされたのである。
幼いころの彼女はなぜ変化を嫌うのかわからなかった。族長はよそ者が目撃されると村人を集め、執拗に相手を殺すように命じた。
現代で言うなら石器時代の人間であった。打製石器を愛し、森の恵みをもらうのが日常なのだ。
畑を耕すのはよほどの変わり者くらいで、族長の目を盗むしかなかった。
村八分と言っても村人は女巫の家族を毎日罵るためにやってきた。
お前らの親父はクズだ。
残されたお前たちはもっとクズだ。
早く死ねばいいのに。
母親と幼い兄弟を数人抱えた女巫は心をすり減らしていた。
それと同時に彼らはなぜ自分たちを生かしたのか、理解してきた。
彼らは不満のはけ口が欲しいのだ。彼らは村の中を出れない。変化を拒み続けなくてはならないので、弱い者いじめを楽しむ必要があったのだ。
その生活はある日突然終わった。
北から来た亜人の集まりである龍京の軍隊に攻められたのだ。向こうは鉄や青銅の武器を所持し、こちらは打製石器しかなかった。弓矢すら持っていなかった。
一方的に蹂躙された部族は龍京の奴隷となった。
実は他にも人間の部族は存在した。龍京はそれらの部族も制圧していたのである。
指揮をしていたのはキンシコウの亜人で胖虎将軍と名乗った。
「今日からお前たちは我々の奴隷だ。お前たちの自由はもうない、我々の言うことだけを聞けばいいのだ」
そう宣言した。
族長は反発した。彼はここで一番偉いのだ。そんな彼が奴隷になるなど耐えられるわけがない。
族長は胖虎に石器の斧を振るおうとした。しかし、胖虎は長い尻尾の槍を使い、族長の顎を貫いた。
口から血が噴き出し、目玉が飛び出した。それを見た村人は恐怖に染まり、そのまま降伏したのである。
「逆らうものはいないな。今日からお前たちは他の部族と共に暮らしてもらう。そして同じ村の人間同士の結婚は認めないからな」
それを聞いた村人たちは阿鼻叫喚の地獄絵図のように反発した。彼らは他の部族と血が交わることを死ぬほど嫌っていた。
だが胖虎の軍に勝てるわけがなく、村人は龍京の奴隷となったのだ。
「奴隷になったのに、まるで桃源郷に来たみたいだわ」
真夜中に月が浮かんでいる時刻に、女巫は今布団の中で寝ている。白い寝間着を着ており、髪は後ろにまとめられていた。
ここは龍京にある病院だ。なんでもこの国の宰相である小夫の息子が経営をしているという。狸の亜人で様々な薬草を育てては貧乏人には無償で施し、金持ちからはふんだくるそうだ。
女巫は二階建ての病院で、二階の部屋で寝ていた。床は畳で壁は石造り。布団と水差し、衣服を入れたつづらくらいしかない。
「それって私たちを実験体にするためなのよね」
女巫はそのことに気づいている。しかし彼らは最初から危険な薬を投与することはない。クマネズミたちを利用してからだ。なので貧乏人でもよほどのことがないかぎり死ぬことはない。
それに貧乏でも医者にかかれるだけでもありがたいことだ。文句を言うなど罰が当たる。
女巫はこの国の権力者の息子である金剛が後ろ盾なのだ。粗末に扱われることはない。
「……本当にあの人は変わりものね」
女巫は目を閉じ、回想する。
女巫の家族は龍京に連れてこられた。
彼女らは小間使いとして権力者の屋敷で働かされた。
とはいえそこでの生活は村と比べると天と地の差がある。
何しろ毛皮以外の服を着るのは初めてだ。食も狩りで得た獣の肉ではなく、育てられた家畜からである。家もすきま風の吹く木造ではなく、丈夫な石造だ。
母親は龍京の兵士と再婚した。弟たちは別の家に養子にされた。
これは血が混じるのを恐れたからである。
女巫の場合は玉葉館に買われた。理由は人間の遊女がほしかったからだという。
そこでの生活は厳しいものだった。とにかく毎日芸の稽古で忙しく、他の遊女の世話もしなくてはならない。
それに人間は彼女一人なので居心地の悪さを感じた。
ある日、やり手婆が教えてくれた。人間がなぜ閉鎖的になったのかを。
なんでも五十年前に起きたキノコ戦争で世界は一旦滅んだ。
それでも人間は生き延びた。あるものは亜人に変化し、人間はそのまま身体能力が上がったそうだ。
そのおかげで人類はキノコの冬にも耐え、今に至るという。
なのに人間は文明が退化した。原始時代へ戻ったのだ。そしてよそ者を忌み嫌う閉鎖的な社会へと変化した。
亜人たちはそれなりに交流しているのに、なぜだろうか。
「あいつらは自分の恥を他人に知られたくないのさ。自分たちは同じ人間の肉を食った。あいつらはそれを恥じているんだよ。亜人は人間じゃないから、人肉を食べても抵抗がない。けど人間は違うんだ。自分たちがけだもの以下だとばれるのが怖いんだよ。世界は滅んじまったのに、何を取り繕う必要があるんだか」
やり手婆はあきれていた。彼女はキツネの亜人だった。彼女は寅一族出身だという。
女巫は思った。馬鹿げていると。大体生き延びるために他者を犠牲にすることの何が悪いのだろうか。
誰でも自分の身が一番ではないだろうか。それを隠す理由がわからない。
「若いあんたには理解できないだろうが、人間はそういうのが多いんだよ。そりゃあ中には亜人と取引する部族はいるけど少数だね。村人が飢えるより矜持を優先するのが多いのさ。それに中華帝国は儒教が浸透していてね、年上の言うことは絶対だと思っているんだよ。実際の儒教は年上を敬うのであって、絶対服従じゃないのにね」
やり手婆の言葉を聞いて女巫は納得した。
族長はなぜか必要以上に偉そうであった。そして頭が悪かった。
女巫の父親が畑を耕すべきだと主張したとき、彼は憤怒したのだ。
恐らくは根拠のない自信を傷つけられ、父親を殺したのだろう。
村は族長の見栄であった。自分の思い通りになるおもちゃなのだ。それ故に逆らうものがむかついて仕方ないのである。
「でも今の大臣も似たようなものだよ。大事な決定は王大頭様と宰相様が決めているからね。軍も将軍様がうまく動かしている。いわば案山子だね。英雄の息子というだけで座っている感じだよ。おっとその息子の金剛様は別だよ。あの方が国を治めてくれれば龍京は安泰だね」
女巫もやり手婆の意見に賛成だった。あの男は自分に入れあげている。
珍しい人間の娘という意味ではない。純粋に女巫本人にぞっこんなのだ。
あの男は権力者にありがちな傲慢さがない。そして彼の出す愛情はすべて平等であった。
本来なら金剛は太い客で同僚たちの嫉妬を買うはずだ。
それなのに彼女たちは仲がいい。なぜなら金剛に愛された女はみんな姉妹なのだから。
その話を聞いた女巫は噴出した。普段は冷静沈着の鉄面皮と呼ばれた彼女が笑顔をほころばせるのだ。
金剛は今旅に出ている。自分を救うためだ。
あの男は見知らぬ相手が苦しんでいても助けるだろう。彼はそういう人間なのだ。
自分が
「本当に……、馬鹿なお人」
女巫は胸を押さえる。彼女の体にはチャールズ・モンローが仕込んだ毒で蝕まれていた。
体調はすこぶる悪い。医者もあまりにも特異な症状に匙を投げてしまった。
わかるのは元凶を倒さねば元に戻らない。
「無事に……、帰ってきて」
女巫はそうつぶやくしかなかった。
すると外が急に騒がしくなる。何事かと窓の外を覗いてみた。
そこには人間の男たちが暴れていた。棍棒を持ち、亜人たちを襲っていたのだ。
なぜ人間がここに? 基本的に人間の男は朱雀県にまとめられているはずだ。そこにはビッグヘッドが集めた涙鉱石が埋蔵されているという。
自分の部族でもビッグヘッドは忌み嫌われていた。邪悪大頭と呼ばれている。
「ヒャッハー! 獣どもを殺せー!」
「俺たち人間を差し置いていい生活をするなんて許せねぇ!!」
「絶好の狩場だぜ、見つけ次第なんでもかんでも蹂躙しろ!!」
彼らは鉄の武器を身に着け、目につく亜人たちを殺して遊んでいた。
全員正気ではなかった。中には自分と同じ部族の男たちもおり、まるで祭りのように人を殺して楽しんでいたのだ。
おかしい。女巫はそう思った。
なぜ人間たちが龍京にたやすく入れたのだろうか。
彼女は遊女だが客から世間話を聞いている。簡単に武器の持ち込みはできないし、人間は厳しく管理されていた。
それなのにあっさり人間たちが暴れまわっている。さらに龍京中に火が放たれていた。
これは異常事態である。何が起こったのか。
「それは僕の仕業だよ」
女巫が驚いて振り向くと、そこには全身裸で銀色の男が立っていた。
チャールズ・モンローである。こいつが女巫の命運を握っているのだ。
「それと協力者がいてね。その人が手伝ってくれたのさ。おそらく都の人間が知ったら仰天するだろうね。くっくっく……」
なぜこの男はここにいるのだろう。金剛に嘘をついて絶望の淵に落としたいのだろうか。
「まさにその通りだよ。なんで僕が律義に獣どもの約束を守らなくちゃいけないのさ。あいつには絶望を味わってもらうよ。神はテレビの中にしかいないけど、僕は正真正銘の神なんだ」
モンローはそう言った。女巫の顔は絶望に染まる。




