第4話 筋肉の熱風
「ぐへへへへ……、ころすぅ、殺してやるぞぉぉぉ」
人面鹿は視線が定まらず、カメレオンのようにぎょろぎょろと目を動かしている。
口からよだれを垂れ流し、かちかちと歯を鳴らしていた。まるで精神疾患者のようだ。
明らかにこの世のものとは思えない不気味さに、龍金剛は少し後ろに下がった。背筋に寒気が走る。
「なんなんだあれは……。今まで僕がどの本にも載っていないぞ!!」
「うむ、俺も初めて見るな。初体験は深く記憶に刻まれやすいそうだな」
白馬の亜人である賢人は初めて見る怪物に恐れおののき、カピバラの亜人である主角は呑気そうに関心している。
「お前らは子供たちを守れ。こいつは俺が……」
金剛が前に出ようとすると突如戸が開き、兵士が二人飛び出してきた。
白と黒の犬の亜人だ。彼らは槍を持ち、鼻息を荒くしている。口を開き、ハァハァと舌を出していた。
「皆様、ここは我らにお任せを!!」
「双子の兵士、双白、と双黒が闖入者を倒しますぞ!!」
彼らは人面鹿に立ち向かった。背後にいる子供たちは頼もしい大人の言葉に歓声を上げている。
それに対して、二人は片手を上げた。それを見て、ますます子供たちは騒ぐ。まるで演劇で正義の味方が活躍する場面を見たような感じだ。
「……確かあの二人は怠け癖のある問題児のはずだけどな」
「うむ、この件で手柄を立てたいのだろうな!!」
賢人と主角は双子の薄っぺらい考えを見抜いていた。彼らは基本的にサボることばかり考えていた。面倒事はすべて後輩に任せ、上司にはこびへつらう人種だった。
そのくせ上司にズルがばれると、同僚にお前が密告したなと難癖をつける恥知らずの兵士だった。
金剛も同じ気持ちだが、ここはひとつ双子に任せようと思った。相手がどれだけ強いのかを試したかったのだ。
「さあ、怪物め。我らの槍の餌食になるがいい!!」
「そう我らは無敵!! 龍京を平和を維持する守護者なり!!」
双子は意気揚々と人面鹿に槍を突き刺そうとした。
要は一人の相手を二人かかりで潰すという意味だ。
もっとも彼らは卑劣漢ではない。どんな手を使っても勝つのは当然のことである。彼らは兵士としては並であった。
人面鹿はにやりと笑うと、角を剣のように振り回した。
槍は二本ともガッチリと角で受け止めてしまったのだ。
双子は焦っている。押しても引っ張っても槍が抜けないのである。
「ぐっひゃああああああ!!」
人面鹿が叫ぶと双子は吹き飛ばされた。槍はへし折られ、双子は床に叩き付けられる。
そして、折れた槍がくるくると宙を舞い、やがて双子の喉を突き刺した。
「「ぐえっ」」
そのまま、二人は絶命した。呆気ない最後であった。子供たちはその様子を見て、恐怖で顔が真っ青になる。そしてそのまま逃げ出した。
「……一見、情緒不安定に見えて、戦闘センスはバッチリというわけか。厄介な相手だな」
満を持して、金剛が前に出る。人面鹿は金剛を見ないで、きょろきょろしていた。
「ぐへへへへ……。殺すぅ、殺してやるぞぉぉぉぉぉ」
「さっきからそればっかりだな。言葉を覚えたての赤ちゃんみたいなやつだ」
人面鹿は前触れもなく金剛に突進してきた。金剛は全く動かない。
正確には両腕を伸ばし、突き出した右手に左手で掴んだ。
それから左手で右手を引っ張り、ポーズを取る。
ボディビルではサイド・チェストのポーズだ。チェストとは胸の事だ。金剛は海外の情報を知っていた。
海外を旅する龍虎鳳がもたらした情報には、美しい筋肉の育て方も含まれていた。
金剛はその中でボディビルに興味を抱き、筋力トレーニングを日々繰り返していたのである。
人面鹿の攻撃はかわされた。ポーズを取っただけなのに、人面鹿の角は金剛に触れることすらできなかったのだ。
人面鹿は首を傾げた。なんで当たらないんだ。自分は相手を無残に殺すつもりだったのに、どうしてなんだと、見た目ではわからないが苛立ちを感じていた。
人面犬が真正面から突進してくる。今度こそ自分の角で相手を潰してやるんだと感情を込めていた。
次に金剛は両腕を突き出し、身体を前に傾け、力を込める。
モスト・マスキュラーのポーズだ。
先ほどからポーズしか取らない金剛だが、賢人と主角はまったく動じていない。金剛が負けるという考えがまったくよぎらないのだ。彼を信頼しているのである。
人面鹿が金剛目掛けて突進すると、がつんと頭に衝撃が走った。
人面鹿の角は金剛ではなく、壁に突き刺さったのだ。
もう意味がわからない。なんで自分の思い通りにならないのか。
「見えたか?」
「うむ、見えた」
「金剛がポーズを取ると、周囲の景色がぐにゃりと歪んだね」
「うむ。金剛の神技、筋肉の熱風が炸裂したな」
二人は感心していた。実は金剛はポージングを取ることで筋肉から熱が生じ、陽炎を生み出すのである。
人面鹿は陽炎によって景色を歪ませたのだ。そのために人面鹿は相手を仕損じたのである。
「さて、お前さんにはあの世へ旅立ってもらうとしようか」
金剛は双白の腰に差してある剣を抜き取った。そして首目掛けて剣を振るう。
ずがっと権を握る手に衝動が走った。獣の首を刎ねることは初めてではない。時々狩りでヤギウマの首を刎ねることが多かった。
ところが首はまったく離れない。剣は首筋で止まったままだ。
刃からたらりと流れるものが見える。それは水銀の様なものであった。
「おいおい、首を切れないなんて、どんな生き物だよ……」
「うむ。普通の生き物は剣で斬られたら死ぬからな!!」
賢人たちは驚いていた。金剛も混乱していた。普通ではありえないからだ。
「ぐへへ、コロスゥ、コロシテヤルゾォォォォォ」
先ほどと比べると人面鹿はますます目が血走り、どんどん顔が歪んでいった。
「参るな……。普通の技では倒せそうもない。ならば普通じゃない技をお見舞いしてやろう!!」
金剛はモスト・マスキュラーのポーズを取る。さらに身体から湯気が出る。景色がさらに歪み始めた。
そしてぐるぐると胸部を中心に渦を巻いていく。その渦は槍となり、人面鹿を貫いた。
「筋肉の熱風!!」
人面鹿は苦しみだす。次に身体がぼこぼこと膨れ上がり、顔がどろどろに崩れていった。
「ぐぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
周りに金属臭が広がっていく。顔の骨はむき出しになった。骨は金属で、溶けた肉は水銀のように溜まっていたのだ。
もう人面鹿は二度と動くことはなかった。
「やれやれ、不気味な奴だったな。でも今回の事を本にすれば大儲けできるぞ!!」
「うむ、俺は長い文章は読めないから、買わないけどな!!」
賢人と主角は好き勝手に言っている。一方で金剛は人面鹿に対して疑問を抱いていた。
「いったいこいつはどこから来たんだ? なんで俺たちに敵意をむき出しにするんだ? まったくわからん」
金剛は首を傾げていた。そして次に人面鹿が入ってきた窓の方を見る。
ここは二階だ。普通の生き物なら来ることはできない。それに城の庭は兵士が巡回しているはずだ。さらに訓練された巨大化したイエイヌもおり、闖入者の喉元に食らいつくのだ。
「この騒ぎは何ですか?」
ユキヒョウの亜人が部屋に入ってきた。雪花である。
部屋の中は大騒ぎであった。雪花はてきぱきと指示を出した。
あっという間に部屋の中は片づけられた。双子の兵士の死体はもちろんのこと、人面鹿の死体も運ばれたのだ。
「実はおばあちゃん。かくかくしかじかで……」
金剛は祖母に説明した。
それを聞いた雪花は何か思うことがあるようだ。
「……実は王大頭様が帰ってきて、重要な話をしてくれたのですよ」
雪花は説明した。
「なんでも五十年前に起きたキノコ戦争は、裏があったのです。あの当時、世界中の核ミサイルがほぼ同時刻に発射され、世界は荒廃したというのです」
「ほぼ同時刻だって? つまり誰かが先に撃ったわけじゃないのか」
雪花の話に金剛が訪ねた。やられたらやり返すのがこの世の常だ。核ミサイルも相手が撃ったら撃ち返すのが鉄則だという。
それがほぼ同時刻で発射されるなどありえないという。
王大頭が世界中の施設から神応石を喰らいつくした。
そこから当時の人間の思考が読み取れる。記憶は文字のように並んでおり、大抵は恨みつらみがほとんどだった。
王大頭はそれらを読み解き、分析した結果がこれである。
もちろん時差があるので、そこも配慮している。数分、時間差はあるがほぼ同時に核ミサイルが発射されたのは間違いないらしい。
「王大頭様の話では、突如核ミサイルが発射されたそうです。中には基地ごと爆破されたところもあったようですね」
「恐ろしいな。いったいどうやってそんなことが可能になったのだろう」
「なんでもチャールズ・モンローの仕業だそうですよ」
初めて聞く固有名詞だ。英語なのでアメリカ人か何かかもしれない。
「王大頭様が食べた神応石からはチャールズ・モンローに対する恨み辛みがほとんどだったそうです。もっともその人が確実にキノコ戦争を起こしたと確信していたわけではないそうです。モンローなら世界を破滅に導いてもおかしくないとのことでした。つまりデマですね」
「デマですか? それは世界規模でのことですか?」
金剛の問いに雪花は首を縦に振った。
「なんでもヨーロッパにはノストラゴメスの大予言というものがあったそうです。その予言では一九九九年に世界を滅亡に導くものが現れるとのことでした」
「それがチャールズ・モンローなのですか?」
「いいえ、違います。彼は風評被害に遭っただけです。そもそも事実無根の噂が世界に蔓延していたとのことです」
雪花は沈痛な面持ちだった。よほど胸糞悪い話を聞いたに違いない。
彼女は重い口を開いた。




