第3話 人間鹿
「よぉ~、お前たち元気にしていたか~」
金剛は間延びした声を出しながら、部屋に入る。
龍京城の二階にある、一番西側にあった。
中には壁や床がすべて桃色の部屋で積み木や滑り台などのおもちゃが並んでいた。他にも熊や犬のぬいぐるみも置かれており、本棚には絵本が豊富にあった。
そこには様々な亜人の子供たちが遊んでいる。侍女らしきものたちが見守っていた。
ネズミと牛の亜人がにらめっこしながら、囲碁を楽しんでいた。
犬と猿とカエルの亜人が、おいかけっこをしている。
ウサギや蛇の亜人がままごとに夢中になっていた。
それを十代後半の亜人たちがたしなめたり、遊んだりしている。その中でもひと際存在感が強いのがいた。
ユキヒョウの亜人の女性だ。年齢は六十八歳で竹製の椅子に腰を掛け、周りに指示している。
黒いドレスを身にまとっており、地味であるが単純ゆえに彼女の美しさを際立てていた。
「あら、金剛ではありませんか。お早いお帰りの様ですね」
「げっ、雪花おばあちゃん……」
金剛は老女に声をかけられ、うろたえている。あからさまに会いたくない相手のようだ。
ふてぶてしい態度を取る金剛でも、苦手な人間はいるだろう。
そして雪花と呼ばれた女性は立ち上がり、つかつかと金剛の元へやってきた。
「聞きましたよ、城下町で警邏とやりあったそうですね。そのおかげで警邏二名は命を落としたとか。どういうわけですか?」
きっちりスパッと切りこんできた。まっすぐに見つめられると背中に刃物を撫でられる気分になる。
金剛の身体から汗がだらだらと滝のように流れていく。まるで見えない糸に首を絞められる感覚だ。
金剛は素直に白状した。
「遊郭に行く途中、警邏に見つかり、言い争いになった。それに腹を立て関係ない庶民に八つ当たりをした挙句、自滅したわけですか」
淡々と雪花は確認する。金剛は無言で首を縦に振った。
「それはよいことをしましたね」
雪花の口から意外な言葉が出た。周りの侍女たちは驚いた顔になる。
「この国に住むものは全員、王大頭と超人大臣が預かっております。それを危害に加えるなど言語道断。死刑になって当然です。どうせその者たちは近く処罰される運命だったに違いありません」
雪花の言葉に金剛はホッとした様子であった。彼女は非暴力主義ではない、理不尽な行いを見逃すほどお人よしではないのだ。
むしろ人として道が外れた者には厳しい罰を与えるのが、雪花なのである。
「それはそうとあなたは鍛錬をさぼり、遊郭に行こうとしましたね。罰として今すぐここで鍛錬を始めなさい。ノルマは倍ですよ」
その言葉に金剛は絶望のどん底に叩き落されたのであった。
☆
「まったく雪花おばあ様を怒らせたらどうなるか、長年世話を受けているのに、なぜわからないのですか……?」
白馬の亜人の少年が答えた。身体は金剛と同じくらいだが、おとなしい性格で本を読んでいる。題名は水滸伝と書かれていた。原書はキノコ戦争で焼き払われたが、王大頭が人々の記憶を読み、新たに文章を書きおろしたのである。
名前は賢人。胖虎将軍の孫である。母親は午一族で馬の亜人だ。
「ふん、金剛にそんな頭はないよ。あるのは女の事ばかりだ。立派な筋肉があるのにもったいない真似をする」
文句を言ったのはカピバラの亜人だ。カピバラは齧歯科では体が大きい。子一族の母親を持ち、宰相の小夫の孫だ。
黒い鉄アレイを使って筋力トレーニングをしているのは、主角という。
勇猛果敢な胖虎将軍とは違い、文学が好きな賢人。
宰相で国一番の知恵を持つ小夫とは対極に武闘派の主角。
彼らは幼馴染である。身分の違いはあるが気心の知れた仲だ。
「ふん、男には、やらねばならない、時があるのだよ。ふんふん!!」
金剛は腕立て伏せを繰り返している。祖母の命令であった。彼は周りの意見を無視するが、雪花の言いつけだけは頑なに守っている。
それは幼い頃に母親を亡くし、雪花が代わりを務めたからだろう。
もう何百回も続けており、体中から汗が流れている。
周りには子供たちが遊んでいる。彼らは超人の子供、つまり金剛の弟と妹たちなのだ。もちろん国の重鎮たちの子供たちも一緒である。彼らは金剛の鍛錬など無視して遊んでいた。
「遊郭に行くことは男と関係ないだろう。本当に君は馬鹿だなぁ」
賢人は呆れていた。兄弟と言っても仔細ない関係だが、彼には驚かされてばかりだ。
そして主角は豪快に笑っている。
「はっはっは!! 雪花様の目を盗んでまで行くんだ。さぞかしいい女であろう!!」
「おお、わかるか主角! そうなんだよ、とてもいい女なんだ。玉葉館の遊女で女巫という人間の女なんだよ!!」
それを聞いた賢人と主角は目を合わせた。金剛の言葉が信じられないのだ。
「人間だって? 人間はこの世から消えたんじゃないのか?」
「賢人の言う通りだぞ。五十年前のキノコ戦争では人間は死に絶え、みんな亜人に変化したと雪花様から習ったと思うがな」
そう人間はこの世から消えた。キノコ戦争による衝撃で人間は亜人という獣に生まれ変わった。
この国には学校がある。文字の読み書きとそろばんはもちろんのこと、歴史も習っていた。
人間は滅んだ。それがこの国では一般的な考えである。
「お前らは内側ばかりしか興味がないから頭でっかちなんだよ。人間は今もいるぜ。南の朱雀県には人間の集落がいくつかあるらしい。虎鳳おじさんが言ってたぜ」
虎鳳。英霊となった龍英雄の弟だ。今年で六十三歳になる。彼は王大頭が生み出した大頭船を使い、七つの海を旅していた。
大頭船とはビッグヘッドで作られた船だ。船の正面には巨大な顔があり、口から汚れた水とゴミを飲み込み、目から綺麗な水と涙鉱石と共に出す。
二十年前に作られたのだが、虎鳳が自分から船長になることを望んだのだ。
本来なら超人より虎鳳の方が政治に関わるべきだと言われていた。だが虎鳳は英雄の息子が跡継ぎになるべきであり、自分は未知の航海に出るべきだと主張したのだ。
そして彼は一年に一度帰ってきては、大量の涙鉱石を持ってくる。食料は涙白肉があり、保存食の木の実と共に食べていた。新鮮な水は決められた時間に流れるので問題はない。
「おじさん曰く、人間の集落とはここ数年で交易しているそうだぜ。女巫は数年前に玉葉館に売られて以来、遊女として磨きをかけたそうだ。一度話をしたがなかなかいい女だぜ」
金剛は自慢げに語っているが、聞いている二人は不安しかなかった。人間の集落があるのは構わない。世界のすべてが亜人に変化したわけではないのだろう。
だが娘をすぐに売ることに、違和感を覚えた。聞けば女巫以外にも売られた人間はいるという。
これは賢人たちが滅多に城を出ないため、知らなかったのだ。雪花が話さなかったのも余計なことを教えないためだと思われる。
「そもそも人間の集落はどうなっているんだ?」
「そうだな、貧しいと聞くぜ。作物もうまく収穫できず、家畜もやせ細っているそうだ。うちみたいにビッグヘッドと共存するどころか、ビッグヘッドを見かけたらすぐに殺しにかかるらしい。この国に売られて家畜同然に扱われると思ったら、きれいな服を着て、うまい食べ物を喰わせてくれることに感動して泣いていたな」
金剛はけらけら笑っている。そのくせ腕立て伏せの速度は止まらない。
その話を聞いた賢人は不安になる。人間の集落はある意味火薬庫だ。いつ自然発火で大爆発を起こしてもおかしくはない。
それも自分たちだけでなく、周りを巻き込む可能性が高い。
金剛は笑い話にしているが、この国にとってビッグヘッドは神の使いだ。それを殺しにかかるなどありえない。もちろんビッグヘッドの性質を知らないかもしれないが。
それに売られた女性によると彼女たち自身も家畜同然の扱いを受けたようだ。
人間の集落は将来自分たちの敵になる可能性がある。賢人はそう胸に秘めるのだった。
「ふう、腕立て伏せ千回、終了! 次は腹筋千回だ!!」
金剛は冷たいお茶を飲み、一息ついた。数分休み仰向けに寝ると、腹筋を始めた。
雪花はここにはいない。小夫に呼ばれたからだ。言いつけた相手がいなくても、雪花の言いつけは必ず守る。真面目なのか不真面目なのかよくわからない男だと賢人は思った。
「げへげへげへ……」
突如不気味な声が聴こえた。いったいどこから聴こえるのだろうか。賢人と主角は真蟻を見回すが、窓の方を見てぎょっとなった。
そこには不気味な生き物が窓の下に脚をかけていた。鹿の身体に人間の男の顔が付いていた。
男の頭には鹿の角が生えている。男の目は白目を剥いており、鼻水が垂れ、口からよだれを垂れ流していた。
先ほどから不気味な声を上げていたのは、こいつの仕業だろう。金剛たちは生まれて初めて見る異形の怪物に恐怖を覚えた。
「ひぃぃぃぃ!! なんだこの怪物は!!」
「へっ、兵士は何をしているんだ!? こんな闖入者を許すなんて怠慢だぞ!!」
賢人は暴れ馬のように興奮していた。主角も身体の大きさから反して混乱しているようだ。侍女たちはあまりの事態に身体が硬直しており、子供たちも泣き始めた。
「へい、お前たち。子供たちをこの部屋から出すんだ。あとは俺に任せな」
金剛は腹筋を終えて立ち上がった。身体中から湯気が出ている。
闖入者は部屋に上ってきた。鹿の身体に人間の頭部がある怪物だ。普通なら自分の常識が破壊され、動けなくなるはずである。
相手は正気を失っているが、自分たちに敵意を持っているのはわかる。
人間鹿と名付けよう。
「さぁて、俺の弟たちを泣かせた罪は重い。地獄へ堕ちる覚悟を決めてもらおうか」
金剛は右手の人差し指を指すのであった。




