第9話 大頭の力
雪が降る村の郊外で、物置小屋が一軒ぽつんと建っていた。生活感がまるでなく、生者から見捨てられたように孤独に佇んでいる。
崖の下は別名死の谷と呼ばれており、村人はあまり立ち寄ることがない。
深い谷で川が細長い線にしか見えないのだ。上から見ると不気味に笑っているように見えるため、気味が悪いのである。ぱっくりと口が開いてかみ砕かれるような不安を抱かせた。
物置小屋にはノヤギの亜人である龍英雄と、殺戮者の頭領である毬林満村が入っていった。
パンダの亜人であり、英雄の実弟である虎鳳は大頭と共に兄の補佐にやってきたのだ。
虎鳳は息を切らしている。村での戦いは自分たち龍一族の勝利だ。もっとも犠牲者もかなり出たが……。
「哥哥なら大丈夫さ。だってあの人は最強なんだから」
「虎鳳は英雄が好きなんだね。とても声が弾んでいるよ」
「当然だよ。僕にとって哥哥は文字通りの英雄なんだ。憧れであり、尊敬しているんだよ」
虎鳳は出来の悪い少年であった。兄が優秀だから比較されているわけではない。同年代の平均以下であった。
運動もだめ、勉強もできない。何もできない存在だった。
龍一族では長男が跡継ぎになるため、期待されていなかった。いてもいなくてもどうでもいい扱いである。
もっとも英雄は弟を可愛がった。両親は教育を放置しがちだったが、兄は粘り強く教育を施した。
落ちこぼれの彼が唯一ものにできたのは酔拳であった。
酔拳は中国武術のひとつである。
酔拳は酒に酔っぱらったような動作をするだけで、酒を飲む必要はない。
虎鳳は英雄の言葉を信じ、訓練を頑張ったのである。
おかげで虎鳳は少しだけ評価を高めることができたのだ。
「さて哥哥は大丈夫かな……」
その瞬間、物置小屋が轟音とともに吹き飛んだ。耳がつんざく音がして、物置小屋に積もっていた埃が舞い上がった。
さらに火薬の臭いが漂ってきている。
いったい何が起きたのか。虎鳳は固まってしまった。
大頭は空を見上げた。真っ黒い雲で見えづらいが何かが落ちてくる。
ぼとんと地面に叩き付けられた。最初、何が落ちてきたのかわからなかった。
頭がはっきりすると、虎鳳は目をむき出しにし、口を大きく開けて驚いた。
「英雄!!」
それは英雄であった。彼は頭と右腕のみを残し、すべてを失っていた。
おそらく先ほどの爆発で、彼の身体は吹き飛んでしまったのだろう。
虎鳳は信じられない現実に混乱していた。なんで兄がこんな目に遭っているのかわからない。
「どうした! 英雄!!」
大頭だけが冷静であった。英雄は口から絞り出すように声を出した。
「……敵が、爆弾を、持っていた……」
「爆弾だって!? 相手はどうなったんだ!!」
「わからない……。だが向こうも、俺と同じ、かもしれ、ない……」
ぐふっ。
英雄の口から血が噴き出た。今まで生きていたのが奇跡だったのだ。
虎鳳は気を取り直すと、兄の身体にすがりついた。
「哥哥、哥哥!! 死なないで、お願いだから死なないで!!」
虎鳳は大粒の涙を流した。もう英雄は助からない。それは誰の目にも理解できる。
しかし虎鳳には関係ない。英雄は頼もしい兄で、すべての不幸や困難は打ち破る力を持っているのだ。
それなのに無残な兄の姿を見て、虎鳳の常識が粉々に砕かれたのである。
「……虎鳳。俺は、死ぬ……。だが、終わりじゃ、ないんだ……」
英雄は残った右手で虎鳳の頭を撫でる。とても優しく、父親の様な愛情を感じた。
「誰か、ひとりに、頼るんじゃ、ない……。みん、なの、力を、合わせるん、だ……。だい、じょうぶ、お前は、ひとりじゃ、ない……」
優しい声色で虎鳳に語ると今度は大頭の方を向いた。
「大頭……。お前が、どんな、存在かは、知らない……。だが、お前は、特別な、存在だ……。お前さえ、いれば、世界を、救う、ことが、できる……。たのん、だぞ……」
そう言って英雄は事切れた。積もる雪は解けることなく、英雄の遺体に積もっていく。
虎鳳はそれを見て、吠えた。兄を失った悲しみを、すべて声に乗せて。
大頭は何も言わなかった。
☆
「うぅ……。英雄さん……」
村の中心には犠牲になった子供たちの遺体が積んであった。中には生まれたときから一緒であった幼馴染も混ざっている。
襲撃者の遺体も山積みにされた。本当なら死の谷に落としたいくらいだが、食料にするためにあえてとっておいたのだ。
憎い敵でも必要な食料となる。その矛盾に子供たちはやるせなさを感じていた。
それと毬林の死体は発見されなかった。おそらくは爆弾で木っ端みじんになったのであろう。
胸糞悪い敵がこの世から消えてくれて、子供たちは清々していた。
死体を発見したら、あいつだけ加工しないで、みんなで踏みつぶして楽しむ予定でいたのだ。
英雄の遺体の前で泣いているのは、ユキヒョウの亜人、雪花だ。
彼女は英雄と一晩の契りを交わした仲である。年の離れた妹で、白いイエネコの亜人である月花は姉を慰めていた。
それでも彼女は村の子供たちの母親代わりだ。たっぷり涙を流した後、気持ちを切り替える。
「くそぅ、英雄のやつ、俺に許可なく死にやがって……」
キンシコウの亜人である胖虎は苛立っていた。手下でアカギツネの亜人の小夫は難しそうな顔をしている。
彼らにとって英雄は目障りだが、競い合う相手であった。
その男が突然死んだのだ。やり場のない怒りに震えても仕方がない。
虎鳳はじっと立っているだけだった。尊敬する兄が死んだのだ。
弱虫で泣き虫の彼はもう終わりだと思われていた。心が壊れていると判断された。
だがその目は生気が宿っている。瞳に炎がちらちらと燃えているのが見えた。
「……ねえ。英雄の遺体を食べていいかな?」
突然大頭がとんでもないことを言い出した。胖虎はそれを聞いて激怒した。
他の面々も同じだ。雪花も驚いた表情になった。
ただ虎鳳だけは石仏のように顔をぴくりとも動かしていない。
「ふざけるな、英雄を食べたいとはどういう了見だ!!」
「これは好奇心じゃない。直感なんだ。僕が英雄を食べればすべてがわかる気がする」
「なんだそれは。そんな曖昧な事で英雄を食わせてたまるか!!」
胖虎はさらに食って掛かる。彼にとって英雄は敵ではない。口には出さないが尊敬する人間なのだ。
それなのに大頭が遺体を食べたいと抜かす。
やはりこいつは怪物だ。人心を理解できない異形だと思った。胖虎を始め、小夫たちも武器を手に大頭に向けようとしている。
「……大頭。それは意味のある行為なんだね?」
虎鳳がぽつりと声を漏らした。語尾に力強さを感じる。
「そうだよ。でも何が起きるかわからない。でも何か起こるかは確かだよ」
大頭の曖昧な態度に胖虎の顔は真っ赤になった。しかし虎鳳は冷静なままである。
「わかった。そこまで言うなら食べていいよ。僕が許可する」
「許可するだと!? ふざけるな虎鳳!! 俺が認めないぞ!!」
「英雄は僕の兄だ。肉親の処置は血縁である僕の采配で行わせてもらう」
虎鳳は胖虎を睨んだ。その目には固い意志を秘めている。
胖虎はそれを見てたじろいた。まるで百戦錬磨の強者の様な目付きになった。
たった数時間で凄みのある表情を浮かべているのだ。
「さあ、食べてごらん」
大頭は許可を得て英雄の遺体を食べた。バリバリと英雄は喰われていく。
肉をくちゃくちゃと音を立て、ぼりぼりと骨をかみ砕く音が響いた。
子供たちはそれを見て若干引いている。
大頭はしばらくすると目をぱちぱちさせた。その目付きは英雄を連想する。
すると胖虎に向かって声をかける。
「胖虎。お前は十歳の頃、森の中で野ぐそをしただろう。知らない実をたくさん食べたために、一日中ふんばるはめになったもんな」
それを聞いて胖虎は驚いた。過去の話は英雄だけしか知らないはずである。
大頭は次から次へと声をかける。どれもこれも英雄しか知らない話ばかりであった。
みんな度肝を抜かれてしまった。
「どうやら僕は食べた人の神応石を食べることで、相手の知識を自分のものにできるようだね」
みんなは驚いた。大頭は英雄の知識を披露した。ただ経験がないため、たどたどしいくはあった。
大頭には英雄が見た光景を映像として視ることはできる。しかし、実際に視たわけではないため、理解できない部分があるのだ。
「これからは僕の知識を利用して生活しよう」
「そう、大頭を使って僕らは生き延びるんだ。死んでいったみんなのためにも」
雪花たちも虎鳳の言葉を聞いて頷いた。胖虎も反対しない。
英雄の死は子供たちの心を闇に落とした。
しかし大頭という異質な存在が彼らを闇の底から引き揚げたのである。
彼は仏が差し出したか細い蜘蛛の糸みたいなものだ。
彼らを極楽へ連れて行くか、それとも地獄へ突き落すかは大頭次第なのである。




