69. それは そらのように
あれは、遠い昔にも感じる。
――雨の日だった。しとしととした長雨が止まないそんな夜のこと。古めかしい日本家屋。僕は父の書斎へ続く冷たい廊下のそこで、父に声をかけようとそっと声をかけようとして、中から聴こえる悲鳴のような祖母の声に身体をすくめた。障子の隙間から暖色の光が漏れて、影が浮き上がって見える。池の鯉がほんのりと明かりに照らされている。しとしとと冷たい雨の音に混じって。
見るとはなしに驚いて障子の隙間から中を覗き見るとそこには、大好きで憧れてやまない着物を着た父の貫禄のある姿と、怖くていつも目を伏せてしまう祖母、そして、はかなげな少女の白い面が震えそうなそれが見えた。僕はそのはかなげな少女に目を吸い寄せられて。
「そんな……場末の宿の女中との間に生まれた子供を引き取るなんて、清三さん、正気なのですか!」
「母さん、この子にはもう身よりもないのですよ。この子の母親は先日、肝硬変を長いこと患い最後には肝臓ガンとなりこの世を去りました。私は、清古さんとの関係に疲れていた頃で、この子の母親には少なからず恩もあるのです。あの頃の私を支えてくれたのは今はもう居ない彼女に他ならない。私は、この子を引き取ります。……私には解る。母さん、この子は天才なのですよ。僅か3歳だというのに、もうこの子の描く人形にはまるで命が宿るようだ。……ほかならぬ私にしかわからない。私はこの子を認知します」
障子の端、隙間から漏れ聞こえた声の殆どを、僕が理解できたというと、その当時の僕にはとても出来なかったが、その障子の隙間から覗く、少女の顔を僕は、脳裏に焼き付けた。
――それは、この世のモノとは思えぬほどにゆるゆると脳裏に焼き付いたから