68. それは そらのように
「君に、姉さんの話をする前に……そのためには、僕の父の話をせずに、……それは、語れないと思う。――君は、きっと……知らないのだろうが、……僕の父は、香山 清三と言った。――活人形の世界はとても狭いが……今は、人形師なんて言葉も聞かないだろうな。今の人は人形作家と言うのだろう。父は、そんな狭い人形師の世界の中で特に天才と言われていた。僕の家系は人形師を生業としていてね、元は、江戸の頃、天才と言われた香山 聯生から続く人形師界では知らない人が居ない天才を生み出す家系なんだ。……僕には人形師としての才能はなかったが、父は、その家系の中でも特に天才だと……そう、言われていた。そう、まるで香山 聯生の生まれ変わりなのではないかとそう、目される程には。父の作品を数十年先であっても欲しいと目をぎらつかせるコレクターばかりで、僕は、生活に困ったことなどない。父の遺産で、こんな好き勝手が出来る程には――僕は父から恩恵を授かっている。……ただ、僕は父の子なのに、肝心な人形師としての才能が無かった。親戚は皆、口に出さないが本当に僕を見ては、失望した顔をする。僕は、それが子供心に本当に嫌だった」
わたしは、目を大きく見開いて、青年の話を聞く。――人形師。初めて耳にする言葉に、まるで別世界の話を聞いているようでまるで現実感がない。そんなわたしの様子に、すこしだけ、青年はふっと笑うとわたしの頭にそっと手を絡めてやわらかく撫ぜた。
「すまない。そんなに驚いたような顔をしないで。面白くない話かもしれないが、姉さんの話をするには、この話は外せないからね。すこし、我慢して聞いて欲しい。ふふ。本当に君は可愛らしいな。姉さんは、そんな表情はしなかったから、君は、姉さんよりもずっと魅力的かもしれない」
わたしは、青年の軽口に思わず顔を赤らめて、俯くと、青年の話に耳を傾ける。
「そんな僕の灰色の子供時代に光明が灯ったのは、それは、僕が姉さんに出会ったからだ。姉さんは、ある日、僕の姉さんになった。
――あの日のことを、僕は一生忘れられないと思う。まるで、現実には思えなかった」
わたしは、はっと顔を上げて青年の顔を見つめる。潤んだ瞳は苦しそうに俯かせて、それなのに、声音は熱を持っていて、まるで狂気に浸された人のようだった。わたしは、思わず、身を震わせる。