5.わたしではない子の記憶
母は、身体が弱く、わたしの子供の頃の記憶の中には、母は、居ない。
父は、そんな母とわたしを会わせることを嫌がった。幼いわたしには理解出来なかったが、
……今なら理解できる。
母は、少女のままに心を置いてきてしまっていたのだ。
母は、わたしを産んだことを覚えていなかった。……母が覚えているのは、わたしではない子の記憶だ。
母が今の母に心が追いついたのは、わたしが、この世界に興味をうしなう、割とすぐのことだ。
母は、それまで、少女であり続け、父は、そのような母を溺愛した。
父は、わたしにも甘かったが、特に母をまるで自らの檻の中に閉じ込めるように、まるで、自らの所有物の大切な宝物のようにあつかった。
母は、少女のままに、父にすべてよりかかり、疑問にもおもっていないように思えた。
なにを考えているかわからない瞳をしたままに、母は父にささえられながら、生活を父の用意した、彼の大事な箱、母の部屋のなかで、過ごした。
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そんな母が、急にわたしを思い出した、その事実に、わたしは、どのように向き合ってよいのかわからないでいる。
……そのまま、わたしは、世界に突然、興味をうしなってしまったのだから。
……ああ、ユキにあいたい。
彼女の箱庭で、彼女と共に、穏やかな時間を過ごしたい。
わたしは、たまらずに、涙をつたわせた。
右の目じりから、つぅっと、涙がひとすじたれ落ちるのを、わたしは、肌で感じ取ったが、それが、わたしのなにを指すのか、どのような感情をさすのか、わたしには、わからなかった。