4.今までを、埋めるように
わたしの様子を心配してか、母は、ちょくちょく、病室に訪ねてきた。……わたしは、相変わらず、食事も水も取ることが出来ず、母は、心配気にわたしを見つめる。
わたしの担当医は、どうやら、若い医者のようだったが、わたしの様子に、眼鏡の奥の瞳が、困惑していると言いたげで、わたしは、心底、彼に申し訳なくなる。
わたしの身体に異常など見当たらず、精神的にも異常は見当たらない。
わたしは、心身共に健康体で……。否、食事も水も一切摂取出来ないなど、生命維持活動を放棄したような振る舞い、やはり、どこか欠陥があるのだろう。
わたし自身は、異常と思えていないが、やはり、傍目から見れば、それは異様なことなのかもしれない。
……ただ、わたしには、それら、一切が、異常とは思えず、そして、それら一切に対して、わたしは、興味を持てないのだ。
……ただ、ユキに会いたいと、思えた。あの、穏やかな箱庭で、ユキとずっと過ごしていたいとそう、思えた。そう思うと、堪らないほどに。わたしは、……ユキに会いたかった。
……今までを、埋めるように。
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……今まで?わたしは、何故、そのようなことを、今、思えたのだろう。自然に頭の中に浮かんだそれは、わたしを困惑させた。
ふと、ベット脇で、わたしが好きなはずの桃の缶詰をガラスのお皿に取り分ける母の横顔を見つめた。
目じりにある皺が、まるで、温かな生き物のように見える。母のわたしに似ていない、丸いお人形のような瞳が、ユキにすこしだけ印象が被るような気がした。……ユキの方が、当然に可愛らしいけれども。
「……かあさん、」
わたしが、掠れた声で、ちいさく問いかけると、母は、なあに?と、まるみのおびた柔らかな母の声で応える。
わたしは、水分を取っていないかさつきを帯びた唇をほんの少し、うるませてから、
「……かあさんは、わたしの、ちいさい頃を覚えている?」
と、尋ねた。
母は、不思議そうな顔をしながら、わたしの額に滑らかで、やわらかな白魚のような手を乗せる。
母の手は、まるで、年端もいかない少女のようにみずみずしく綺麗なままの人形のように美しい手。
「たーちゃんの、ちいさい頃……?覚えているわよ。もちろん」
母は、そういって、にこりと笑った。
母の少女のようなあどけない笑顔に、わたしは、胸がつきりと、傷ついたように痛む。