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30.虫
コロコロコロ、コロコロコロ……
ずっと、鳴いていた、エンマコオロギが、ピタっと鳴きやんだ、と、思った時、庭百合の香りが、頬をかすめた。
コオロギは、日中がまだ暑いからなのか、涼しい夜に鳴く。
学習机を窓際に置いていたわたしは、ぼんやりと、開け放した窓から入り込んでくるコオロギの鳴き声を聴くとはなしに、聴いていたように思う。
……だからなのか、わたしがその変化に気づいたのは。
風も、コオロギの声も、すべて止まったように消えた。
むせかえるように漂う庭百合の香りが、部屋に満ちていく。
すると、行き成り、ふわりと部屋が揺れ、窓の外に、赤く燃える、部屋が見えた。
燃え立つ部屋の中で、きちんとした服装の女性が、椅子に座り、ただただ、空を見つめている。
その目は、まるで人形のようだったのに、わたしは、数秒固まったのちに、それが、母だと、直観で気づく。
母は、わたしに向かって、口をひらく。
たった、一言、【ごめんね】と。
母の白い顔。右目から、すぅっと、ひとすじ、涙が零れ落ちて。
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