第四曲 死と変容と
美加は真っ暗な部屋で一人、膝を抱えて座っていた。
泣いてはいない。
涙は涸れ果てた。
眠ってもいない。
眠れば悪夢を見そうだったから。
扉が開いた。
「真っ暗じゃん。」
彦○が電気をつける。
美加は光に目を細めながら扉の方を見る。
彦○と、その後ろに近藤さんの姿があった。
美加は興味を失い、そっぽをむく。
彦○は美加の近くに座る。
「大丈夫?・・・の訳ないよね。」
美加を心配そうに見つめながら彦○は呟く。
それは自分に言い聞かせているようでもあった。
「二人の葬儀は事務所としても改めてやることに決まったよ。」
と近藤さん。
「辛いとは思うけど二人にも参列してもらうよ。」
「無理かも知れない。」
美加がボソリと言う。
「気持ちは分かるが一時の感情で・・・」
「違うの!!」
説得しようとする近藤さんを美加は激しく遮る。
想像以上の語気の強さに彦○と近藤さんは顔を見合わせる。
「何が、ちがうの?」
おずおずと訊ねる彦○の顔を美加は見る。
「その頃には、わたし、死んでるかも知れないから。」
「美加ちゃん!」
彦○は美加の言葉を聞き、今にも泣きそうな顔になる。
「そんな事言っちゃ駄目だよ。
強く生きないと、二人だってそう思っているよ。」
彦○は自分が自殺でもするんだと勘違いしているのだろうか?
違う、わたしは殺されるのだ。得たいの知れない何かに。
きっと、目の前の彦○も・・・
そう思うとなんだか腹が立ってきた。
何故、自分が殺されなくてはならないのか?
彦ちゃんもだ。
克っちゃん、つくちゃんが何であんな無惨な死にかたをしなくてはならないのか。
美加の胸の内で怒りがふつふつと沸き上がった。
美加は深く息をつくと全てを話す決意を固めた。
美加は、彦ちゃんと近藤さんに全てを打ち明けた。
地下の広間で見た幻夢の事。そして、その幻夢が現実になって克っちゃんとつくちゃんが死んだこと。
このままでは自分も彦ちゃんも火に焼かれたり、ネズミに食い殺される事。
二人は黙って聞いていた。
「いや、だけど、そんな事って・・・」
話は終わったが、彦ちゃんはなんと言えば良いか分からず、近藤さんの方を見る。
美加は静かに言う。
「信じてはもらえないと思うけど、」
「いや、信じるよ。」
近藤さんからそんな言葉が出るとは予想していなかったので美加は心底驚いた顔をする。
近藤さんはバッグから分厚いファイルを取り出し、二人に見せる。
「これはテレビ局の人が例の広間の事を調べた資料だ。
あの広間はハロウィーンのイベントとして企画されたものだったらしい。
題して『血の貴婦人 エリザベート』。」
「エリザベート!」
美加は思わず叫ぶ。
「ヨーロッパの実在の人物だったらしいね。
領地の娘たちを惨殺した事で有名らしい。
それをモチーフに蝋人形をこしらえた。
だけど、余りに気合い入れて作ったせいで刺激が強いってことで没になったらしい。」
「あはは、まあ、あれじゃ、そうなるだろうね。」
彦ちゃんが半ば呆れた顔で呟く。
「そうこうしているうちにドリームランドは廃園。設備はそのまま放置されたらしい。
で、それはそれとして、僕が美加ちゃんを信じる気になったのは、コレのせいだ。」
そう言うと近藤さんは二枚の写真を見せる。
一枚には大鍋の中から手を出し逃れようとする女と棒を振りかざす男が写っている。
もう一枚はネズミにまとわりつかれている少女の蝋人形だった。
「あの広間の左側にはこの写真の蝋人形が設置されているらしい。」
「・・・、これって美加ちゃんが夢に見たって言うのと同じだ。」
「そう、そして君達は左側の部屋は見ていない。
知ってる筈がないんだ。」
「つまり、美加ちゃんが見た夢はやっぱり本物ってこと?」
彦ちゃんの言葉に近藤さんは黙って頷く。
「ど、どうするのよ。このままだと私達・・・、死んじゃうの?」
「エリザベートが全ての元凶なのよ。でも、どうしたら良いか分かんない。」
美加は悔しそうに答える。
「エリザベート・・・、か。」
近藤さんは何かを思いついたかのようにページをめくる。
「あの広間にはもうひとつ部屋がある。
美加ちゃんがノブに手をかけて気を失った部屋だ。
あの部屋には中世の拷問器具が展示されていたらしい。
そのほとんどが紛い物だったが一部に本物があった。
コレだ。」
近藤さんが示したページには何枚かの肖像画と豪華な服が写っていた。胸元の深紅の宝石がラピスラズリを思わせる深い青の服に良く映える。
「肖像画は後世に描かれたものなので想像で描かれた物だろう。だが、この服は実際にエリザベート本人が着ていたものらしい。」
「本人が・・・、じゃあ、それが力の源かも。」
「それは今、どこにあるの?」
彦ちゃんが勢い込んで聞く。
「分からない。ドリームランドの廃園のどさくさで行方不明らしい。」
「マジですか。」
彦ちゃんはガッカリして椅子に体を沈める。
「いえ、きっとまだ、あそこにあるわ。」
美加は立ち上がる。
「あそこって?」
良く分からないという顔の彦ちゃんに美加は低いが力強い声で答えた。
「ドリームキャスルの地下。
あの扉の向こう側よ。」
午前零時少し前。
美加達は近藤さんの運転するワンボックスカーで裏野ドリームランドに向かっていた。
緊張した面持ちで後部座席に座る、美加と彦○。
膝の上には物を詰め込んだリュックサックが置かれていた。
中にはライト等、必要になるかも知れないものを集めれるだけ集めて詰め込んでいた。
こんな時間になったのはそのせいもあった。
「ね、まだ、着かないの?」
「後、10分位かな。
危ないから二人ともシートベルト着けなよ。」
身を乗り出して尋ねる彦ちゃんに近藤さんは静かに答える。
「窮屈なんだもん。もう着くなら良いじゃん。」
そして、後部シートに身を沈めて美加の方を見る。
「それで、ドリームランドに着いたらどうするの。」
「例の地下室へ行ってエリザベートの服を燃やす。」
「それで私達助かるの?」
美加は悲しそうに首を横に振る。
「分かんない。助からないと思う。」
「え?じゃあ、何で行くの。」
「あの服、エリザベートが大事にしてたぽいから燃やされたら嫌がるだろうなって思った。
あいつにも私達と同じ思いをさせてやるんだ。
ただ、そんだけ。」
彦ちゃんは一瞬、口をポカンと開けて美加を見る。
美加は口を真一文字に結んでいる。こんな表情の美加は物凄く怒っているか、物凄く真面目な時のどっちかだ。
恐らくは両方なのだろうと彦ちゃんは思う。
「あははは。そりゃ、良いかも。」
彦○は膝のリュックからキットカットを取り出す。
「近藤さん、はい、あ~ん。」
運転している近藤さんの口にキットカットを放り込み、自分も一枚くわえる。
「きっと勝つ!なんちってー。」
笑いながら彦○は、最後の一枚を美加に手渡す。
その手は少し震えていた。
美加は彦○の手を優しく包み込むように握ると微笑む。
「うん、エリザベート、泣かしてやろう。」
「到着。」
近藤さんの言葉で美加と彦○は車から出る。
手に持ったライトで周囲を油断なく照らす。
異常なし。
「うん?
近藤さん、何してるの?」
一向に出てこない近藤さんに彦○が声をかける。
「いや、なんかシートベルトが外れなくて。」
近藤さんは腰のシートベルトと格闘していた。
「もう、何やってるのよ。」
彦○が手伝おうと車に近づく。
バチン
バチン
バチン
車のドアがロックされる。
「あ?何ロックしてんのよ。開けて。」
彦○は口を尖らせて窓をバンバンと叩く。
「いや、僕じゃないよ。勝手にロックが・・・、あれ、何で解除出来ないんだ。」
ボン
大きな爆発音がしてエンジンからモクモクと黒い煙が立ち上る。
すぐにチロチロと赤い炎も上がる。
「近藤さん、ヤバイって。開けて、開けて!」
彦ちゃんが狂ったように窓を叩く。近藤さんも焦るがシートベルトもドアのロックも外れない。エンジンから立ち上る炎はどんどん大きくなる。運転席にも煙が侵入し、近藤さんは苦しそうに咳き込む。
「彦ちゃん、退いて!」
美加は叫ぶとリュックから出した手斧を振りかざす。
その時。
バン
物凄い音と共に運転席が炎に包まれる。
「うわ、熱い、熱い。助けて、うああ!」
炎に全身を焼かれ近藤さんが身悶えし悲鳴を上げる。
もう手のほどしようがなかった。
まただ、と美加は手に持った斧を力なく降ろすと思う。
結局、いつも見ているだけで誰も救えない。
すぐ横では口に手をやり、ボロボロ涙を流しながら狼狽えている彦ちゃんがいた。
「彦ちゃん、行くよ。」
美加は彦ちゃんの手を引っ張って炎上する車から離れる。
まだ、やれることをやるために。
彦ちゃんは泣いていた。
知っている人の死ぬところを目の当たりにした悲しさ半分、怖さ半分。そのショック状態から中々抜けられないでいた。
自分も克っちゃんやつくちゃんの事がなければ同じような状態になっていただろう、と美加は思う。
自分、慣れちゃったのだろうか?
と自問する。慣れたとしたら、それはそれで嫌な事だった。
「はい、飲んで。」
ミネラルウォーターを彦ちゃんに渡し、美加は辛抱強く待つ。
待ちながら、何でエリザベートは近藤さんを狙ったのか考えていた。炎で焼かれるのは彦ちゃんの予定だった筈だ。
それが何故、近藤さんになったのだろう。
考えられるのは、エリザベートも万能ではないということだ。
何でもかんでも自由に物事を操作出来るわけではなく、なんらかの制約があるという事だ。
それが何なのか分からないがこっちの行動にエリザベートがついてこれなくなっているのかもしれない。
だとすればこの状況を打開することも出来るのかも知れない。
そんな事を考えているとようやく彦ちゃんが落ち着きを取り戻してくれた。
「美加ちゃん。もう大丈夫。行けるよ。」
彦ちゃんは涙を拭くと立ち上がる。
美加は頷くとドリームキャスルに向けて歩き始めた。
「上だったよね。」
上に上がる階段を照らしながら彦ちゃんは囁く。美加は無言で頷く。この間来た時とは様子が一変している。地下の広間で感じられた冷気が今は一階の大広間まで侵食しているようだ。自分の二の腕の鳥肌を撫でながら美加は二階の階段を登る。
「なんか音がしない?」
二階に上がると彦ちゃんが言う。耳に意識を集中させる。
何も聞こえ無い、いや、聞こえる。
カサ、カサ、カサ、カサ
何かが床を擦るような音だ。
どこから聞こえるのだろうか、美加は方向を探る。
下のようだ。
美加はライトを階段の下に向けて息を飲む。
階段の踊り場にライトの光を反射する目があった。数十では効かない、数百を数える数だ。
目の正体はネズミだった。
どこからこんなに涌いて出てきたのか?
潮が満ちるようにネズミ達は美加達に迫る。
「走るよ!」
美加は叫ぶが早いか走り出す。
それを合図にネズミ達も一斉に美加達に迫る。
「食らえ!」
走りながら彦ちゃんが持ってきたネズミ花火に火をつけて後ろに放り投げる。
ネズミ花火は勢い良く廊下を駆け巡り、ネズミ達を蹴散らす。
「はぁ、はぁ、ネズミ花火にネズミがビビるっどうなのさ。」
走りながら彦ちゃんは面白そうに笑う。
追い付かれそうになる度にネズミ花火を投げて時間を稼ぎつつ二階の廊下を抜ける。
だが、二階と三階の踊り場で二人は立ち止まる。
三階に大量のネズミが待ち構えていたからだ。
手持ちの花火ももうなかった。
後ろを振り向くと、二階も大量のネズミがひしめきあっている。
上にも下にも行けない。
ネズミ達は美加達の様子を見ながら、ジリジリと距離を詰めてくる。いずれ、一斉に襲いかかって来るだろう。
ここまで来たのに、この先に進むのは絶望的だった。
「ね、美加ちゃん。
美加ちゃんの見た夢って火に焼かれるのとネズミに襲われるってやつだよね。それっきりだよね。」
彦ちゃんは美加の耳元で囁く。
こんな時に何でそんな事を聞くのだろうと美加は思う。
「さっき、近藤さんが火に焼かれた。
で、これってネズミに襲われるシチュだよね。」
「なに?何がいいたいの?」
何か妙な胸騒ぎがして美加の鼓動が早くなる。
「ネズミに襲われるのが現実になったら、その後はどうなるんだろう?
それで打ち止め?」
美加は信じられないものを見るような表情で彦ちゃんを見る。
彦ちゃんは、見たこともない穏やかな表情をしていた。
「何いってるの意味分かんないよ。」
「エルザだかエリザベスだか知らないけど、絶対、横っ面張り倒してね。」
彦ちゃんは、そう言うと美加が止める間もなく二階に飛び下りる。
たちまち、ネズミ達が彦○に群がる。それを合図に三階のネズミ達も一斉に彦○を目指して階段を降りる。
美加に興味わ示すネズミは一匹もいなかった。
「な?!
嫌だ、彦ちゃん、何で、何て事を!」
絶叫する美加。
その絶叫に応えるようにネズミの塊の中から彦ちゃんの血まみれの手が現れる。
人差し指を立て、そして、かくんと折れる。
前へ進め、と。
2017/08/02 初稿