第三曲 受けよ 死すべき運命を
「あちー、あち。
あちあちだぁ。」
ギラギラと照りつける太陽を見上げ、彦○は顔をしかめる。
「塗らないと焼けちゃうよ。」
美加は日焼け止めを彦○に投げる。
「オイル禁止じゃないの?」
「ウォータープルーフなら良いってよ。
確認したから。
それにプールには入らないし。
今日のステージはあそこ。」
美加はプールに浮かぶ特設ステージを指し示す。
「うあ、バランス悪そう。」
「さっき試しに乗ったら、結構グラグラしましたよ。」
彦○から日焼け止めを受け取りながらつくちゃんが答える。
「マジ?」
「マジっす。」
「ちょっとステージで合わせておいた方が良いかな?
克っちゃんは?」
つくちゃんが人指し指をくいっと向けたところに克美はいた。
高飛び込み用の台の下で克美は惚けたように上を見上げていた。
「克っちゃん、何してんの?」
「さあ、飛び込みしたいのかな。」
「え、克っちゃん、高いところ苦手じゃなかったっけ?」
「あー、だから、人って出来ないことに憧れる、見たいなとこあるじゃないですか。」
つくちゃんの分かったような分からないような説明をスルーして美加は克美を呼ぶ。
「克っちゃーん!
一度、合わそー。」
振り返ると美加が手を降り、水上ステージを指さしている。
意味を理解した克美は美加達の方へ歩き出そうとしたその時。
ピシリ。
何かが割れるような音が聞こえた。
克美は眉をひそめ、後ろを振り返り、耳を澄ませる。
暫くしても何も聞こえない。
克美は、首を傾げながら美加達の方へ再び歩きだした。
ピシリ。
高飛び込み台の根元に髪の毛程のヒビが入る。
ピシピシ。
ヒビは一気に根元から上の方に延びる。
しかし、その異変に気付く者は誰もいなかった。
「ウヮキャ?」
彦○が足を滑らせ盛大に転ぶ。そのまま、ズルズル滑る。
「わ、わわわ。」
ステージの縁でようやく止まる。
「危ねー。」
「ここ、高飛び込みのプールの上だから水深5メートル有るからね。足つきませんよ。だから、気を付けてくださいね。」
「そうなんだ。」
つくちゃんの手を借りながら起き上がった彦○が言う。
「もう一回やろうか。今度はちょっと左寄りで、なんかバランス悪い気がするから。」
水上ステージでのダンスの合わせをしていたがどうにもぐらつくのでやりにくい。
誰かがどこかで転ぶかバランスを崩す。
「「「了解。」」」
やや、疲れた声で三人が答えた時。
ギシ、ギシ、ギシ
パキン、パキン
何かが軋み、割れる音が轟く。ステージに大きな影が落ちる。
見上げると高飛び込み台が大きく傾いている。
固まる四人の頬にパラパラとコンクリートの粉が降りかかる。
クオォーン。
巨獣の咆哮のような金属の軋み音が響き、飛び込み台が落下してくる。
ステージが粉砕され、四人はプールに投げ出された。
プールに投げ出されたが美加ほ自分でも驚くほど冷静だった。何か映画を観ているようなそんな気分だった。
水面からコンクリートの塊が五月雨式に落ちてくるのを避けながら水面に向かう。
「ぷは。」
水面に出た美加は大きく息をつく。水面には彦○が加と同じようにプールサイドにいた。突然崩れた飛び込み台を見上げている。
「カハッ。」
水面につくちゃんが顔をだす。
「克っちゃん。」
美加はまだ克美が顔を出していないことに気づいた。
「克っちゃん、どこ?克っちゃん!」
水面で美加が克美を探している頃、克美はプールの底でもがいていた。水面に上がろうとした時、落ちてきたコンクリート塊に髪の毛が絡みつき、そのまま水底まで引き込まれたのだ。
懸命にほどこうとしたがひどく絡み付いていて簡単にほどく事は無理だった。肺にはほとんど空気が残っていない。
迷っている時間はない。
克美はコンクリートに足をかけると渾身の力で踏ん張る。
「いぃいぃー。」
頭に痛みが走るが克美は歯を食いしばって耐える。
克美はコンクリートを蹴る。
ブチッ。
もう一度、蹴る、蹴る。
ブチ、
ブチ、ブチ、ブチ。
皮膚が裂ける鋭い痛みと共に髪の毛の拘束が解ける。
克美の口から空気がゴボゴホと漏れでる。
水面まで5メートル。
今の克美にはとんでもなく長い距離に思えたが、最後の力を振り絞り克美は水面に向かって泳ぎ始める。
プールサイドでは飛び込み台の崩壊が続いていた。
「克っちゃんがまだ、水の中なの!
誰か助けて。」
係員の手を振りほどこうともがく美加の足元にボトボトとコンクリートが落ちてくる。
チュイーン
キンキン
金属製の梯子が剥がれ、金属の棒が落下して金属的な不協和音を奏でる。
水面下、3メートル。
克美は手を伸ばし懸命に水面を目指し泳ぐ。
堪えきれず、克美の口からゴボゴホと空気が漏れ浮力が失われる。視界が暗く、狭くなる。
後、1メートル。
後、30センチ。
「カハッ。」
新鮮な空気が肺に吸い込まれる。
足りない。足りない。もっと空気を。
克美は口を大きく開け、思う存分空気を吸い込む。
「克っちゃん!」
水面に現れた克美に向かい美加は大声で叫ぶ。
パキン
梯子の一部だったものが台から剥がれて落下した。
そのまま、鉄の棒が大きく開けた克美の口に突き刺ささる。
美加の方を向こうとした克美は信じられない、という表情を見せる。
ゴボゴホと克美の口から紅いものが溢れる出る。
驚いた時、克美の瞳は真ん丸になる。
美加は驚いた時の克美の顔を可愛いと思い、見るのが好きだった。
しかし・・・
ゆっくりと克美は沈んでいく。
「いやあぁー。」
美加の絶叫がプールサイドに木霊した。
四階建ての雑居ビル。
裏手の駐車場にトラックが止まっていた。
トラックの荷台にはグランドピアノが一台。
「あそこだな。三階の大型搬入口。」
リーダー格の男が書類を確認しながら言う。
「高田、一人つれて上に上がってくれ、管理人から鍵借りるの忘れんな。」
「あいっす。」
高田と呼ばれた男は荷台から飛び降りるとそのまま管理人室へいく。
「ちわ、笹川引っ越しセンターです。」
「美加ちゃん、待って。
お願いだから話を聞いて。」
女の子の切羽詰まった声に高田は何事かと振り返る。階段を足早に降りてくる若い女が目に飛び込んでくる。その後を同じ位の年齢の女の子が追いかけている。切羽詰まった声を出したのはこっちのようだ。
二人とも高田の後ろを足早に通りすぎていく。高田は肩をすくめる。かかわり合うには面倒臭そうだったし、そんな時間もない。
高田は顔を覗かしている初老の男に向き直った。
「待って、お願い。」
九十九は美加の腕を掴み、止めようとする。
美加は九十九の手を振りほどくと、睨み付ける。
真一文字に結ばれた口には強い意志が感じられる。だが、九十九も負けてはいない。
「克っちゃんの事でショックなのは分かるけど、解散とか考えるのは早いと思うの。
三人で頑張るとか、新メンバー入れるとか。
ちょっと休んでも良いと思う。だけど、辞めるのは、」
「アブビニベーザは四人だけ、
三人でもダメ、知らない人はもっとダメ。
だから終わりよ。」
いい放つと美加は、そのまま立ち去ろうとする。
その後ろ姿に九十九は叫ぶ。
「私、本当にアイドルがやりたかったの。
だけど、普通だった。歌も躍りも普通。なんの取り柄もなかった。
どうすれば良いか悩んでた時、美加ちゃんが誘ってくれた。
その時、美加ちゃん言ったよね。
普通で良いんだって。普通の人達を感動させるのに特別である必要はないって、普通の人が頑張って普通の人を感動させれば良いんだって。
だから、私にとってもアブビニベーザは特別なの。
普通で特別。
だから、私の場所を奪わないで。」
「おっし。じゃあ、揚げてけ。ゆっくりとな。」
クレーンに吊られたピアノがゆっくりと上昇していく。
そのトラックの横に駐車している軽自動車に一人の男が乗り込む。
バックに入れ、アクセルを踏む。
と、ギアがガリガリと異音を発する。男は何事かと驚いた瞬間、ギアが切り替わり車が前に急発進する。
ブレーキが間に合わず軽自動車はトラックに激突した。
そのショックでトラックがグラリと傾く。ワイヤーが外れピアノが落下した。
「もう一回、落ちついて話を・・・」
一歩踏み出した九十九と美加の間にピアノが落下してごなごなに砕け散る。
衝撃で地面に投げ出された美加は一瞬気を失う。意識を失ったのはほんのちょっとの時間だった。
意識を取り戻した美加は空中に浮かぶつくちゃんを目の当たりにする。
ピアノ線が両手に絡みつき吊り上げられている。悪いことに足はグランドピアノの残骸に挟まれて身動きが取れないようだ。
美加はオロオロする。どうすれば助けれるのが分からない。
金属が軋む嫌な音がする。プールの悪夢が呼び覚まされる。
クレーンがゆっくりと傾いていく。
「ああぁー。」
つくちゃんの顔が苦痛に歪む。クレーンが傾くにつれ上に引っ張られているのだ。ピアノ線はつくちゃんの両手の指に複雑に絡み付いている。
クレーンがガクンと倒れた。
ブツン。
鈍い音と共につくちゃんの指が切断される。
ブツン
ブツン
次々と指が切断される。しかし、つくちゃんは解放されない。
ピアノ線はつくちゃんの首にも絡み付いていたのだ。
美加はぶるぶる震えるしか出来なかった。
ブチン。
つくちゃんの首が千切れる。
雨のように血が降り注ぎ、ごろんと美加の足元につくちゃんの首が転がる。
美加はゆっくりとその場に崩れ落ちた。
2017/08/02 初稿