エリュース・ディネラ:友よ
エリュースは一人、歩いていく。
第九区から人はほとんどいなくなった。早くに帰る学生は結構多いのだ。
自分のことを親友と呼んでくれる悠果曰く、親元から離れて気づく、家を守ることの大切さ、なのだそうだ。親元を離れたからと言って、いつまでも外を歩いていいわけではないということに気づく者が多いのだ。
それは帰る場所があるという安心感であったり、自分の居場所を持つということであったり。
アイスランドの少数民族の出身であるエリュースには、馴染みが薄い感覚である。
荒砥静志は、急に用事ができたとかで、帰ってしまった。
会計を勝手に済まされたことに少しだけ腹が立った。お金の話を切り出す暇もなかった。おそらく、入店したときにホールスタッフにそれとなく伝えてたにちがいないのだ。
それにSPは絶対に自分の方が持っているはずである。
そんな風に思いながら、なかなか集合場所に帰ってこない悠果を待っていると、彼女の兄と出会った。
初めて会ったが、顔立ちの似ていない兄妹だ、というのが印象だった。だが、目が少し似ているようにも感じられる。
彼がいうには、夜には帰るという連絡が入っていたがなかなか来ないために、探しに来たのだという。悠果が約束を破るような子ではないことは、よく知っている。
『わかりました。では、私はこちらを探しましょう。お兄様は、あちらをお願いします』
そう言って、それぞれで探そうと提案すると、遊仁は頷いてくれた。
……少し卑怯だったろうな、と思う。自分は悠果がどこへ行ったのか、知っているのだから。
そもそも、自分が悠果から離れなければ、こんなことにはならなかった。
いいや、誰が悪い、というわけではないだろう。自分をお茶に誘った聖ヴァルドルの風紀委員長が知れば、彼だって彼自身を責めるにちがいないのだ。
けれども、やはり友としては離れるべきではなかったと、エリュースはやはり思うのだ。
足取りは重かった。だが、それでも進めなければいけなかった。
占い師がいたはずの大通りは未だ人が多くいるが、占い師の姿はなかった。
すでに机など一式が撤去されており、誰もいない。
だが、その裏手に路地裏へと続いていく道があった。
直感があった。この先に、何かがある。
それは経験からの、あるいは天性からのものだ。
エリュースは唾を飲み込んで、踏み込んだ。
この〈方舟〉は計画的に作られた都市である。
路地裏など作らない方が利点がたくさんあるにもかかわらず、細い路地は残されている。
なにか理由があるのだろうとは思うものの、やはり危ういものである。特に学生にとっては。
やがて、奥に人影が見えた。二人組だ。
「悠果!」
声をかける。しかし、彼女は振り向かない。
まるで人形のようだった。生気を感じることができず、足取りも不審だ。
一方の人影は、占い師としての外套を羽織った人物であった。
「おやおや、こんなところに……今日は営業しておりませんので、またお越しくださいませ」
とぼけるように、占い師は言った。
けれども、制服を見て、顔が少しこわばる。
「あ〜、この子のご友人ですね? これは失礼しました。実は、この子は私が少し借り受けようと思いまして」
「借りるって、どういうことですか?」
エリュースは言った。怒りを込めて放った言葉は、低く響く。
友を借りる、などと言われて納得すると思ったのだろうか。
あまりにもみくびっているのではないだろうか。
人をなんだと思っているのだろうか。
そんな感情が溢れる。
「やだなあ、同意はもらったんですよ? それに、この子も損はしてないはずです。いいえ、むしろ得をしているのですよ」
「得? それは?」
「パラダイスです。死ぬまで楽園へ行けることを約束したんです」
何を言っているのだ。
エリュースは足を踏み出した。地面が唸り、ヒビが入る。
先駆者としての能力を、限定的に使用したのだ。身体強化という〈方舟〉ではありふれた能力であるが、エリュースのそれは並大抵ではない。でなければ、次期〈七聖曜輝〉などと言われていない。
ひゅー、と口笛を吹いたのは占い師だった。
「素晴らしい能力ですね。私、あなたのことが欲しくなりました」
「……何を言っている。勝てるつもりなのですか?」
エリュースは占い師を睨みつける。
それとともに、彼女は外套をとった。
女の人であった。年齢にして、十八くらいだろうか。化粧っ気はないが、年上であるのは察した。
目が妖しく光る。魅入られるようにして、その目を見てしまう。
「さあ、あなたの望みはなんですか?」
占い師はそう言った。
決して答えてはいけない質問だ、と思った。
甘い言葉ほど、聞いてはならないものである。一族に伝わる言葉でもあった。
だから、答えるよりも前に、相手を倒すのだ。
踏み込んだ。爆発的な加速を身につけ、エリュースは突っ込む。
武器はない。徒手空拳だ。しかし、一族に伝わる総合格闘術とエリュースの身体強化による一撃は、大の男であっても命が危うく、硬化や形質変化能力者であっても無事ではいられないほどである。
この攻撃を止める術はないだろう、と思った。悠果を盾にしない限りだ。
悠果もまた、身体強化に近い能力を持っている。〈鬼神奮迅〉は身体強化と念動力などとして発揮されるものである。そして、その能力は「変身しなければ使えない」という制約がある。
そして、変身するよりも先にエリュースの攻撃は当たる。盾にするべく動かそうにも、決して間に合わない計算だ。
獲った、そう思った。
「やめなさい、エリュース」
ぴたり。命中する直前に、エリュースの拳は止まる。
目を見張った。唇がわななく。冷や汗がつーっ、と流れた。
わけがわからない。けれども、自分は力を振るうことはできない。
言葉の力ではない。
なぜ、どうして。
あなたがここにいるのですか。
「おじい、ちゃん……!?」