エリュース・ディネラ:譲れないモノ
エリュース・ディネラは異端である。
一つ目に、日本人の多いこの〈方舟〉において、肌も髪色も違う人種であること。
二つ目に、彼女が才女であること。成績優秀であり、先駆者としての異能もあって身体能力も高いこと。
三つ目に、容姿が端麗であること。
それだけで、学生という狭い世界で異端と扱われるには十分すぎた。
無論、悪評などではないことを彼女は理解している。規格外、という言葉を宛てられたときもそうだと思った。
エリュースの持っている力は、圧倒的だ。
それはリーグ三位である名門女子校雀瞬学院の中等部の中においても、である。
リーグ一位である聖鎧学園へ追いすがる〈叛逆の五将〉の一角でもあるその学校においてさえ偉才であり、異彩だった。
ときには七人のトップランカー〈七聖曜輝〉の次期候補とさえ言われるほどであった。
それを彼女は自覚している。決して鼻にかけたりしないのは、育ちからではない。そう在ろうとする意思からであった。
きっと人は、気高い、と言うのであろう。
「エリュースさん、ごきげんよう」
下校の時間になって、声をかけられる。中等部の二年生の頃からの友人であった。
親友、と彼女は自分のことを呼んでくれていた。そのことが、何よりも嬉しく、そして申し訳なさであった。自分は彼女のことを、胸を張って親友と呼べるだろうか、と。
「ごきげんよう、今から帰りですか?」
この挨拶にも慣れてきたな、と自分で少し微笑んでしまった。
「ええ。これから第九区へ行こうと思うのですけれども、エリュースさんもいかがですか?」
「第九区へ?」
第九区というのは、娯楽エリアのことだ。店舗やアミューズメント施設が集まっており、いつも学生であふれていた。
しかし、雀瞬学院の生徒は、あの場所を好まない。人混みが多いこともそうであるし、不潔な雰囲気があったり、柄のよくない人も多いからだ。
……というのは建前で、本当は遊びたいのだ。そして遊んでいる者も多くいる。
ただ、生徒会や風紀委員など学院でも上位に位置する者からの目を気にするこの学校らしい気風でもある。
特に先輩と後輩で組む姉妹制度などというものはその権化であるし、エリュースもまた多くの後輩から「お姉さまになってくださいませんか?」などと言われているのは、また別の話である。
誘われたからには、断るのも後味が悪い。それに彼女と遊びたい頃でもあった。首を縦に振って、寄り道をする準備をした。
二人で学校を出て、第九区へ。静かなモノレールに乗って移動すると、そこは別の世界であった。
人で溢れ、声で溢れ、笑顔で溢れていた。
自然と顔が綻ぶのはどうしてなのだろう。エリュースはそう思った。
「それで、今日はどちらへ?」
「ええ、よく当たる占いに行こうかと」
急にエリュースの顔が曇った。
アミューズメントには興味はあったが、占いというのにはあまり気が惹かれなかった。
浮ついているなどの意味ではない。自分のことを他人に決められたりするとのは好かないからだ。
「……何か、悩み事でも?」
「あったらエリュースさんに話しています。でも、少し興味がありまして。同じ年頃の子がどういうものを好むのか、なんて」
それでも占いというのは、少し古いかもしれませんが。
彼女は言った。まあ、そうだろうなと思う。いまどき、占いなんて流行りはしない。
けれども、クラスの子の何人かは「よく当たる占い」の話をしていたことを思い出した。曰く、その手にかかるとたちまち願いが叶うのだとか。
それはもはや占いとすら呼ばないのでは、と思わなくもないのだが、楽しければそれを妨げるのもどうかと口をつぐんだ。
この友人にしたってそうで、余計なことは言わないでおくのが吉であるだろう。
すると、ひとだかりがあった。
明らかに異常だった。ここには人が集まるものはなにもない。誰かが大道芸でもやっているのかとも思うが、〈方舟〉で大道芸をやったところで流行らないだろう。
だとすればこの集まりは間違いなく先駆者同士の戦闘によるものである。SPを賭けた、異能者同士の戦闘はそれだけで娯楽になる。
しかし聞こえてくる悲鳴は、とてもではないが真っ当な戦闘ではないことが伺えた。
友人と顔を揃えて、そのひとだかりの中へと入っていく。
「……ッ!?」
それは戦闘と言うにはあまりにもひどい。
鼻血を流しながら倒れる少年と、それを取り囲む三人。
どこにでもある、けれども〈方舟〉にしかない光景だ。
他人の前で甚振って、辱めて、貶して、尊厳を奪っていく。
戦闘ができないほど痛めつければ、VS-Deviceは自動的に戦闘行為の終了をアナウンスするはずだ。
しかし、これは違う。そうならないぎりぎりのところで、戦闘を続けさせているのだ。
こうしたことが行われているのは知っている。けれども目の前にするのとはまた、違う。
一人の少年は名も知らない学校であったが、三人組は皇ノ木学園の生徒であることはわかった。「自立、闘争、剛健」を校訓に掲げるその学校を、知らない者はいない。
雀瞬学院と並ぶ強豪校である。雀瞬が徹底した教養を根源にする強さであるならば、皇ノ木は自由競争を徹底したための強さを誇る学校である。
彼らの中にだって誇りを持って戦いに臨む者だっているはずなのだ。
けれども、それがすべてではない。
力があることに驕った者の、なんと醜いことか。
そして、そんな彼らに虐げられる者を、誰も助けようとしない—————。
「待ちなさい」
エリュースが前へと進み出たのは、意識したことではなかった。
けれども迷いはなかった。恐怖もなかった。
彼らを許すことができない。そして虐げられる彼を放置するのも。
なによりも、それと同じものに自分がなってしまうことが、許せなかった。
目を閉じると、蘇る光景があったからだ。
「それ以上の行為は止しなさい」
「ああ? って、雀瞬のお嬢ちゃんかよ」
制服を見て、一瞬だけ怯えたのを見逃さなかった。そして中等部の生徒とわかると、再び調子を取り戻したのも。
本当は弱いのに、粋がるからだ。エリュースはそう思った。
「これは正当な戦闘だからね。誰かに止められるような謂れはないんだよ?」
「……これが戦闘ですって? 一方的に痛めつけることが? 誰かの恥を周囲に晒すことが? 勝てるにも関わらず、虐げるのを楽しむために、ずるずると後伸ばしにすることが? 恥を知りなさい! そんなもの、匹夫に等しい行いよ!」
激昂した。
エリュースの気迫に、わずかに圧される皇ノ木の生徒。しかし、その顔は再び不敵に歪んだ。
「へへっ、んだよ、じゃあ嬢ちゃんが相手してくれるのか?」
舌なめずり。生理的な嫌悪が、エリュースの背筋を走った。
下衆な男たちだ。きっと何度もこういった行為を重ねてきたにちがいない。もしかすると、まだ生易しい方で、もっとひどいことだって。
男の手が伸びた。腕でもない。肩でもない。
胸にだった。下卑た想いのある、下劣な行為であった。
くだらないと思った。エリュースは自身の能力がもたらす、加速した感覚の中で様々な想定をする。
腕を掴む。相手を投げる。あるいはひねりあげる。懐に潜り込むのもいい。それとも、目の前の人物が自分に気をとられている隙に、後ろの二人を倒すのがいいか。
「待て」
思考に割り込んでくる、誰か。
白い制服。これもまた、見覚えがあった。
「これ以上は、見逃せない」
鋭い眼光は、皇ノ木の生徒を圧倒する。
制服に刻まれた鳥を伴う盾の紋も効果を発揮している。風紀委員の証だ。誰かが通報したのだろうか。彼らの行為は確かに、風紀委員会の取り締まり対象である。
しかし、状況が混沌とした理由はそれだけではない。
さらに言えば、その腕に巻かれた布には「委員長」を示す印があったからだった。
「戦闘行為が正当だと言うのなら、そこの少年に加勢しよう。これで三人と三人。イーブンだろう」
違うか? 彼は言った。
エリュースにはわかる。皇ノ木学園の生徒たちも理解している。
彼はただ一人で、この場を制することができるだけの実力を持っていると。
正体を知っている皇ノ木の生徒の一人が、その名を言った。
「聖ヴァルドル学院風紀委員長……荒砥か!」
そこにいたのは、〈騎士〉〈聖なる雷槍〉〈自由への翼〉とさえ呼ばれる人物であった。