四十三話.共闘
街というものは、存外容易く変わるものである。
時代時代によって建物の趣が変わり、そこに住まう民によって治安が変わり、そうして、時の権力者によって、雰囲気までもが変わる。
今、彼の眼にはこの街は、なんともくたびれた、荒廃しきった、まるで戦争直後の街のように映っていた。
通りだというのに、若い娘一人、歩く様子がない。
それだけならフライツペルでも目にした光景だが、更に王都では、男すら歩く姿はまばらである。
商店はほとんど閉まっているか、開いていても客が入っている様子が見られない。
これもやはり、若い娘が店主をしているような店は何重にも板を打ち付けられ、入り口から入れないようにされていた。
街は、騎士達に占拠されていた。
同胞のはずの、同じ国に属するものであるはずの、本来、自分達を守るはずだった者達に、民は圧迫されていた。
道を往く騎士の邪魔をすれば、男ならば斬り捨てられ、年頃の娘ならば暗がりに連れ込まれ陵辱の憂き目にも遭いかねない。
少しでも客入りのありそうな店や酒場などには騎士達が入り浸り、今宵の玩具にしようと、または酒の肴にしようと、住居から若い娘達をさらって回るような真似までする。
容姿が合わない娘ならまだいい。一度気まぐれででも好きにされたら解放されるからだ。一度だけで済む。
容姿の良い娘にとっては、まさに生き地獄である。
一度騎士達の手に落ちれば、死ぬか壊れて捨てられるまで弄ばれ続けるしかないのだから。
これが騎士のする事かと、内心で苛立ち怒りを抱く者は決して少なくはない。
だが、行動に起こすものから次々に捕縛されて処刑されるとあっては、最早反抗するだけの気概を表に出せるほどの余裕はないのだ。
こうして瞬く間に支配領域は広がり、かつての平穏な、豊かな王都は、堕落した騎士達の楽園へと変貌していた。
クロウ自身がこの街で『ベルク』として暮らしていた頃とは明らかに異なる街の様相に、しかし、クロウはどこか楽しげに口元をにやつかせていた。
全く以って、人間というのは馬鹿らしい生き物だ、と。
どこかで何かを信じていた気もするが、今の彼には、そんなものはただの過ちだったのではないかとすら思える。
――人とは、ここまで容易く、そして愚かしく堕落できてしまえるのか。
救い様のない有様であるが、そんなものはもう、どうでもよかった。
そう、彼にとっては、こんな街など最初からどうでもよかったのだ。
「……久しぶりですねクロウ。まさか、こうして再会できるとは」
教会へと向かった彼を迎えてくれたのは、以前と変わりない聖女の姿。
シスター・アンゼリカはどこか愁いを帯びた表情のまま、クロウに静かに微笑みかけようとする。
「ああ。私もまた会えるとは思っていなかった。アンゼリカ」
表情一つ変えぬクロウに、アンゼリカは頬を引きつらせ、一歩下がってしまう。
「……貴方、本当にクロウですか? 雰囲気から顔立ちから、何もかも違うような――」
怯えすら見せるその顔に、どこか愉しげに口元を歪めながら、クロウは二歩、前に出る。
「お前には、私がどのように見えている? 私はクロウのつもりだが、もしかしたら別人なのかもしれんな?」
「え……きゃっ!?」
更に近づき、それにあわせて後ずさろうとするアンゼリカに詰め寄り、その手を掴み取って引き寄せる。
顔と顔とが間近に迫り、アンゼリカは顔を逸らそうとしたが、後ろ手に首裏を掴まれ、視線を固定されてしまった。
「な、何を……」
「街の状況を見てきた。酷いものだな? 多くの民が苦しんでいる。特に女がな。だが、教会組織は我関せずだ。被害者の救済すらせず、騎士団の暴虐に、見て見ぬフリをしている」
ぎり、と、掴む力を篭めながら、アンゼリカの紺色の瞳を覗きこんでいく。
「お前は、暗殺ギルドの幹部であると同時に、聖堂教会の幹部でもあるはずだ。教会は、バルゴア王家に恩を売りたくてこのような事をしているのではないか?」
「ぐっ……だ、だったら、何だというのですか……? 私達聖堂教会は、あまねくこの世に広がり多くの民を救うことを本懐としている組織です。そうであるならば、これもまた、多くの民を救うための――」
「既に幸せな民を更なる幸福に持っていくのは困難だろうが、どん底まで落ちた民を救うのは容易いものな? 奇跡を演出するには、まだまだ時間が掛かるという事か?」
「今は、まだ……その時ではないと、バルゴア国王が仰るのです。私たちとて、決して好ましく思っているわけでは――あっ、ぐっ――!?」
どんどんと圧迫を強めていく。
アンゼリカは苦しげにもがくが、そんなものでは、彼の腕を揺るがす事すらできなかった。
「なるほどよく解った。お前たち教会組織は、今回の状況ではまだ動けない、というのが解ればそれでよかった」
そのまま聞いたのでははぐらかしていただろう。
刃物をちらつかせて脅そうとしても、恐らくは揺らぎもしないだろう。
だが、嘘をつく時、人は視線をそらしたがるものだ。
それができない状況において、ゆっくりと力を思い知らせながら聞けば、このように素直に話してくれもする。
「あっ――はぁっ、はぁっ――」
現に、今、彼の手から解放されたアンゼリカは、恐怖にかたかたと震えながら、早くなった鼓動を抑えようと必死に胸を押さえ、肩で息していた。
「せいぜい、民を善い方向へと導いてやればいい。邪魔者はいくらでも消せるだろうしな。フィアーもマスターもいなくなった暗殺ギルドだ、恐らくはお前が牛耳っているのだろう?」
バルゴア国王という影の支配者がいるのは別としても、実質的に組織を管理・運営できる幹部というのはもう数えるほどしかいないはずであった。
更に言うならその中で活動の中枢とも言えるこの王都で中心的に動ける人物などアンゼリカ位しか、彼は知らなかった。
「……あ、貴方は、何を考えているのです……? 以前会った時の貴方には、そんな恐ろしげな空気は感じられなかったというのに……」
歩き出すクロウに、くったりと座り込んでいたアンゼリカが、なんとか声を絞り出し、問う。
「では、その時にあったモノが無くなったから、こうなったと考えるのが妥当ではないか?」
「フィアーがいなくなった今、貴方は一体何をするつもりなのですか?」
背に向けられた視線にどこか愉しいものを感じながら、クロウは歩き続け――そして、教会の扉に手を伸ばしてから、思い出したように振り向き、一言。
「私は……そうだな、奇跡を。そう、奇跡を起こそうとしてるだけさ。お前たちが喜びそうな、な」
教会を出たクロウを待っていたのは、ライトアーマーをつけ、剣を構える騎士らが五名ばかり。
いずれも男ばかり。女の騎士はどこにいったというのか。
憎たらしげに睨みつけながら、警戒心を露にしたままにクロウへと詰め寄ろうとしていた。
「何だ、お前たちは?」
煩わしげに問いかけながら、クロウは歩こうとする。
だが、騎士らは一気に詰め寄り、剣をクロウへと突きつける。
「貴様、昨日はよくもやってくれたな? 今度はきちんと副団長殿に確認も取った!」
「……うん?」
見れば、騎士達の中心に立っていたのは、彼が先日絡まれた短髪の騎士であった。
「不審者め。大人しく我らの指示に従え。まずはこの場で全裸になってもらおう」
「断ると言ったら?」
「罪の無い市民ならば従えるはずだ。従えないという事は、貴様は何がしか後ろめたい事でもあるのではないか?」
噴出しそうになっていたが、クロウは「たしかにそうだ」と、内心で笑ってしまっていた。
恐らくは普通の民にも同じことを言っているのだろうが、彼に対して向けているならば、それは間違いなく正しいのだから。
後ろめたい事など、幾度行ったかも定かではない。
『仕事』の名目で殺した人間など、忘れるほどに多く踏み歩いてきたのが、彼という人種なのだから。
「もしかしたら『例の暗殺ギルド』かもしれんからな。さあ、早く言われた通りにしろ!」
喉元に剣を突きつけたまま、騎士らはにやついた顔で先を促す。
自らの優位を信じて疑わない。あまりにも浅はか。あまりにも儚い自信であった。
「――おやめなさい!」
しかし、「面倒だし、片付けるか」と思ったところで、思わぬ事態になった。
剣を片手に飛び行ってきた栗色の髪。シルビアである。
「うぉっ!?」
「なっ――」
瞬く間に騎士らの剣を弾き、クロウの前へと立つシルビア。
その鮮やかな動き、なるほど、どうやら不安は立ち消えたらしい、と、クロウはわずかながら、自分の事であるかのように嬉しく感じるのを自覚していた。
「シルビアじゃないか? なんだお前、我らの邪魔をするつもりか?」
「元隊長殿が、今更何の用だってんですかい? 俺達ゃ仕事の最中なんだ、邪魔しないでもらいたいねえ」
騎士らも驚いてはいたものの、シルビアの姿を確認するや、にや、と、口元をいやらしく緩めてその全身を嘗め回すように見ていた。
口々に感じられる軽視侮蔑が、シルビアの頬を固く引き締めさせているとも解らずに。
「この方は私の恩人です。もし捕縛するというのなら、きちんとそれらしい罪状を仰いなさい!」
「この男は暗殺ギルドの関係者の可能性がある! 逮捕するのに何の問題があると言うのだ!!」
「そうだ! こいつが巷で暴れまわった暗殺者かもしれんではないか! この場で全裸にでもしなければ、捕縛する我らの身すら危ういのだ! これは当然の措置だ!!」
視線をシルビアに向け始めた騎士らは、シルビアの問いに、さもそれが当然であるかのようにまくし立ててゆく。
だが、それを受けて直、シルビアはまっすぐと騎士らに向かい合い、頑なにそれを拒む。
「――だとしても、然るべき手段はとらなくてはならないはずです。今の貴方がたがしている事は、ただの暴虐。自らに与えられた騎士という地位を利用して、罪も定かではない市民に強権を振るおうとしているに過ぎません!」
「なんだと? はっ、笑わせやがる」
「どうやら元隊長殿は、我々の邪魔をしたいらしいぞ?」
「あれだけ職務熱心だった隊長殿が、男が出来たら途端に犯罪者擁護か。見てて呆れちまうぜ」
短髪の男が煽り語りを始めた途端、周りの騎士らも嘲るようにシルビアを見下し、笑い始める。
「……くっ」
ぎり、と、歯を噛み、それでも直睨み付けるように騎士らに視線を向けるシルビア。
しかし、このままでは話が進むまい、と、クロウは一歩、前に踏み出す。
「――駄目ですっ。今は、まだっ」
シルビアはそれに気付き、抑えようとする。
恐らくは、自分の正体などある程度察しがついていたのだろう、と、思いながらも。
それでも、自分を守ろうとしているこの娘に、どこか嬉しい気持ちになり、だからこそ、あえてその制止を振り切る。
「――あん?」
ヒュバ、と、空気を斬る音が一瞬の沈黙を縫いつけるように、男達の合間を薙いでゆく。
「えっ?」
「お、おい……おま、え――?」
男達は一瞬、何をされたか解っていなかったようだが。
一人が、他の男の首元を指差しているのに気付き、それを見て――そして、ようやく気がつくのだ。
「かひゅっ」
「ぎひぃっ!? かっ、かはっ――」
「ひぐぁっ!!!」
男達の声になれぬ断末魔は、閑静な教会地区を埋め尽くしていく。
短剣で喉を掻き切られた騎士らは、そのまま倒れこみ――やがて痙攣し、そのまま動かなくなったが。
それは、しかし、それを聞く二人にはまるでどうでもいいオブジェクトに過ぎなかった。
「――これで、疑惑は明確に『罪』になった訳だが」
「……」
瞬く間に自身を囲んでいた騎士らを絶命させた暗殺者は、しかし、悪びれもせず騎士であるシルビアの前に立ち、その反応を窺う。
「君は、何を考え私を守った?」
シルビアは手に剣を持ったままである。
対して、彼は自分の得物をからん、と、落として見せた。
「今なら容易く私を殺せるかも知れん。捕縛するのも、恐らく君ならば容易だろう。どうする?」
「私は……」
沈黙し、自分を見つめていたシルビアであったが、それを見てようやく、唇を小さく震わせ、そして言葉を紡いでゆく。
「私は、貴方を騙していたのです」
「騙していた?」
「……シルビア=エレメンタ。それが私の本当の名前。騎士団の隊長……だった者です」
「今では違うのかね?」
「ええ。隊長職を解かれ、ただの騎士となってしまいました。そして恐らくは……騎士としても、もう」
「……なるほどな」
グリーブの話から、彼女が騎士であるというのは解っていたものの、そのような状況に陥っていたとまでは、彼はまだ想像していなかったのだ。
現実は想像の先を往くもの。
そうは思っても、事態の流れの速さに、クロウはつい、笑いそうになってしまう。
シルビアの真面目な、それでいてどこか物憂げな顔を見て、流石にそれはすまいと頬を引き締めはしたが。
「ですから、今の私に貴方を捕らえる資格はありませんわ……それに、この者達は、貴方が罪を背負っていようといまいと、関係無しに剣を向けていたでしょうから――」
「違いないな。だが、君はどうする? 私が人殺しだと解ったのだ。侮蔑するかね? それとも、敵意を向けるか?」
慰めとはいえ、一度は肌を重ねた相手であった。
シルビアがどのような反応をするのか、ただそれが気になり、そんな意味のない事を聞いてしまう。
これもまた、無駄ではあるのだが……彼にとっては貴重な、好奇心のようなものであった。
「……私は」
クロウの問いに、シルビアは戸惑ったような表情を見せる。
彼女としても、身体を許した相手にこのような事を問われるのは予想だにしていなかったのだろう。
恐らくは、衝動的に助けたに違いない、と、クロウは考えるのだが。
「私は、貴方が敵のように……思えませんでした」
手に持った剣を落とし、視線を下へと落とす。
明確な戦意の放棄。
信頼とは違うのだろうが、クロウにたいして、彼女なりの考えというものがあるのは、これで確認できた形となる。
「騎士として貴方を見ていましたが、貴方は、つかみどころがなくて……今の業を見て尚、貴方が暗殺者だなんて、信じられない位で……」
「君が見ていたのは、偽りの私だ。そのように演じていたに過ぎない、真実とは異なる姿だ」
「そうかもしれませんが! それでも……私には、そのように見えなかったのです」
アンゼリカに接した時と、そう変わらないつもりで彼女を見ていたクロウであったが、シルビアは怯えすら見せず、じ、と、クロウを見つめ返す。
恋に浮ついた娘の顔ではない。相手を真摯に見つめ、そしてその本質を捉えようとする、強い瞳であった。
「……」
その眼がどこか似ているように感じて。
クロウは、自分の方から問いかけたにも関わらず、一瞬、一瞬だけ、言葉を失ってしまっていた。
その強い瞳に、魅入られそうになってしまっていた。
「私は、自分の信じた貴方が本当であると、信じますわ」
「そうか……」
続けて聞こえた声にハッとさせられながらも、クロウはシルビアへと近づき、そして――唇を重ねた。
「ん……む――」
シルビアもそれを自然と受け入れ、抗おうとしない。
唇と唇とが繋がっていたのは一瞬であったが、離れてから互いを見つめる時間は、一瞬とも思えぬ長い、わずかな時間であった。
「私は」
嬉しそうに微笑みながら自分を見つめてくるシルビアに、言葉を続ける。
「私は、君に協力したい、と、思っている。騎士団の為ではない。君の為にだ」
利用したいと思っているのか、単に惹かれているのか、彼にもよく解らない。
だが、口をついて出た言葉は、彼女を喜ばせるものであった。可愛らしく笑わせるものであった。
愛らしい、華のある笑顔であった。




