三十二話.月夜を駆ける
教会での昼。食後の礼拝を済まし、シルヴィ、もといシルビアは一人、シスターに指示されていた倉庫の整理をしていた。
重い荷物を抱え、棚の中身と数を確認しメモ。
それを綺麗に埃や汚れを拭き取って、また戻す。
単純な作業ながら、中々に腰に来るルーチンワーク。
普通の年頃の娘ならあっという間に泣きが入ってくるような重労働であった。
「よい、しょ――と」
それを、こともなげに黙々と続けているのだ。
やはりというか、騎士らしく、彼女も相応に鍛えられていた。
同じ年頃の娘とは比較にならぬほどの力が、その身体には備わっていたのだ。
「えーっと、こちらの品は――」
彼女にとって、この作業は洗濯や料理と比べ、かなり楽に感じる部類の仕事であった。
確かに疲れる。いくら鍛えられているとはいえ、棚と床とで物品を上下させるのは、かなり負担の掛かる作業だった。
だが、それでも指先に気を使うことはほとんどない。
割れては困るものを扱う時は慎重に運ぶが、繊細な布地のように破れてしまうのを恐れたりする事もなく。
料理の時のように刃物が指に触れたり、魚が変な風に壊れてしまうような、そんな恐れを抱く必要は全くないのがシルビアにはありがたかった。
「――ふぅ」
一段落し、床の上に膝を抱えて座り込む。
素早い動きを制限するこの村娘の衣装にも大分慣れてきていて、窮屈さを感じなくなりつつあった。
――普通の娘としての生活。
彼女は今、それまでの人生で全く感じた事のない感覚を味わっていた。
栄光ある王国騎士の家系。
騎士の娘に生まれ、父以外女ばかりの家で育ったシルビアは、家ではほとんど女らしい仕草を求められた事がなかった。
むしろ「男顔負けな位に強く振舞え」と躾けられたほどで、女言葉で喋る事すら厳格なる父の前では許されぬほどであった。
それでも、彼女は女なのだ。
娘として生まれた以上、それ相応に女らしい生き方に憧れ、いつかは恋して愛する人と幸せに結婚し、愛らしい子供に恵まれて、幸せな人生を謳歌するのだと信じて夢見ていた。
無論、娘のそんな想いなど知った事でもなく、彼女の父は娘が騎士として、いずれは自分の後を継ぐものだと決め付けていたのだが。
結果として、彼女は騎士となり、今は、騎士団の幹部。
三人いる隊長の一人として満たされぬ日々を送り――現状に至る。
「私、何をしているのかしら……」
ほう、と、ため息。
国に対して忠誠心がない訳ではなかった。
民が平穏に生きるその姿を見るのは彼女にも嬉しい事で、そんな彼らを守り続けることは、騎士としての自分にとっても誇らしい事なのだと信じていた。
悪党の存在は許せないし、それによって苦しむ人は救いたいと真心で思っていた。
だが、それ以上に、自分に疑問を感じてしまってもいた。
普通の娘らしい生き方に憧れていたはずの自分は、どこかへと行ってしまった。
確かに騎士になってから、異性とまともに話す機会は増えた。
恋に恋をしていた頃の自分なら喉から手が出るほどに望んでいた状況のはずだった。
だが、それは彼女にとって、職場での部下や上司、同僚との接点でしかなく、異性として興味を覚えるほどの相手は未だに居ないのだ。
何かを勘違いしてか口説こうとする者もいたが、彼女はそういった軽薄な態度は好まなかったし、何より職場での恋愛ごとは、全体の士気にも関わる問題行動だと思っていた為、これに関しては明確に拒絶し、同じようなことが起きないように注意を払ったりもした。
騎士であろうとする自分と、女であろうとする自分。その齟齬が、彼女を悩ませる。
女らしく幸せに暮らしたいはずの彼女は、しかし騎士であるが故にその機会を逃し、また自らの意思で拒絶していた。
きっと、どこかで妥協すればもっと早くにそれなりの幸せ、それなりの女としての人生を送れているだろうとは、彼女自身気が付いていた。
だが、それができないのだ。安易な幸せを受け入れられないのではない。
騎士である自分を、どこか捨て切れなかったのだ。
結局、そんな宙ぶらりんな気持ちのまま日々を送り、今では村娘の格好までして教会の世話になる始末である。
意味が解らないわ、と、シルビアは苦笑交じりに整理の終わった棚を見やる。
こういった仕事は、そんなに嫌いではなかった。
もしかしたら、剣を捨てた自分は、このように生きるようになるのかもしれない、と、うっすら考え。
そうして、また立ち上がる
「今の私は、教会住まいのみすぼらしい女。でも、いつかは」
ぐ、と、拳を握り、まだ整理の済んでいない棚を睨み意気込む。
――いつかは、そう。きっといつか、私の事を――
「いつかは、なんだ?」
「きゃんっ!?」
さあ取り掛かろう、と、袖をまくって再び仕事に戻ろうとした矢先であった。
真後ろからの声に、シルビアは心底驚かされ、奇妙な声をあげてしまった。
「あ、あなた……」
見れば、いつの間にそこにいたのか、ベルクが先ほどまで彼女が座っていた場所の隣に腰掛けていた。
「さっきから居たんだがな。まあ、何か考え事でもしているのだろうと、黙っていたのだが。それにしても驚きすぎではないか?」
眼を見開き疑問を口にしようとしていたシルビアに、しかしベルクは先んじて答え、苦笑していた。
呆気に取られたのはシルビアのほうだが、すぐに眼を細め、かがみこんでベルクと視線をかみ合わせる。
「――居たのなら、そう仰ってくださいまし!」
「声をかけるタイミングが掴めなかったんだ。それだけ真剣に何事か考えていたように見えた。違っていたなら悪いが」
正面からのシルビアの言葉にも悪びれる様子一つなく、ベルクはじ、と、シルビアの瞳を正面から覗きこむ。
「……っ」
耐えられずに視線をそらしたのはシルビアの方であった。
奇妙な恥じらいのような感覚。何故そんなことをしたのか、シルビア自身がわからず、困惑してしまったが。
「わ、私は……これから、どうしようか、ちょっと悩んでいただけです」
背を向け、取り繕うように言い訳するが、それが果たしてこのベルクに通じているのか。
「そうか」
シルビアの言葉を真に受けたのか、それとも何がしか含みを感じたのか、表情一つ変えずにベルクは立ち上がり、ゆったりとした様子で出て行こうとする。
「……なぜ、ここに?」
その背に向け、どうしても気になったことを聞かずにはいられず、シルビアは問うてしまう。
「気になったから来ただけだ。何せ重労働だ、辛いのではないかと思ったが。片付いている量を見る限り、ただのお節介だと気づいた」
ぽりぽりと後ろ手に頭を掻きながら、それだけぽそりと呟き、ベルクは出て行った。
「~~~~~っ」
今のは一体何だったのか。ただ気になったから来たのだと言っていた。
大変そうだからと手伝いに来たのだと。心配していたのだと。
あのベルクが。恋人もいるはずのあの男が、自分なんかにそんなに気を向けるのが何故だか解らなかった。
(あの男、何を考えて――)
白い頬が熱を帯びていくを感じていた。
身体がぞわりとした感覚に震えてしまう。恐れにも似た何かが、シルビアを支配していた。
「隊長、シルビア隊長」
夕暮れ時。倉庫整理を終えたシルビアは、倉庫傍の木陰からの声に足を止めていた。
「――ハインズ」
倉庫での出来事を夕暮れの風で冷まそうとしていたシルビアは、聞き慣れた部下の言葉にどこか安堵していた。
そう、この声には何の危険も無い。安心して聞ける、部下の言葉だった。
「団長よりの指示です。今宵、教団本部にて潜入作戦を行う故、機会を見て抜け出すように、と」
「……先日の施設の炎上は、私の耳にも入っていますわ。ですが、いささか早急ではなくて? まだ、教団についてまともに情報が入っていないのに――」
疑問に思うところは多数あれど、明確な情報は何一つ入っていない。
ベルクがこの街にいるという状況も気になり、シルビアは先を急ごうとする団長の指示に疑問を抱いていた。
「未だセンカの姉が見つかっていないのです。団長はそれを気にしているようでして――」
木陰のハインズの声色からも、どこか納得ずくではない様子を察し、シルビアは眉をぴくり、震わせる。
(――あの方らしくも無い。焦った結果失敗すれば取り返しの付かない状況になるかもしれませんのに。情に篤い方ではありましたが、このような無謀な作戦を考える方だったかしら……?)
疑惑、という程ではないが、ここまでついてきた団長の行動に、いささかの不安を覚えていた。
明確な理屈がある訳ではない。ただ「団長らしくない」というシルビアの感覚が、どこか足を引っ張る。
「――解りましたわ。ですが、急な話ですから、いつ抜け出せるかは解りません。今宵の内に抜け出して作戦を実行するのは無理かもしれないと、団長に伝えてくださいまし」
「隊長は、あくまでベルクの監視ができる今の立ち位置を重視する、という事ですね?」
「そうとってもらって構いませんわ。ベルクは未だ私の事を警戒していないようですし。それなら、今の位置にいてベルクの行動に何らか制限を加えるのも悪くないと思いますの」
それは、言ってしまえば後付けの理由ではあったが。
言葉にして出せば、それなりに筋の通ったものなのではないかと、シルビア自身妙に可笑しく感じてしまっていた。
「承知しました。では、私はこれで」
「ええ。頼みましたよ、ハインズ」
言葉と共に木影の気配は薄れ、やがて何も感じなくなり。
シルビアはまた、一人の教会住まいとして、不慣れな家事手伝いへと戻っていった。
「……ふむ」
陽も落ちて久しい時刻となり、夜は虫たちの音色のみが支配する柔らかな静寂に支配されていた。
そんな中、部屋にて本を読んでいたベルク、もといクロウは、かすかに感じる『音』に眉をピクリとさせ、わずかばかり、視線を窓の外へと向ける。
何かが動いた気配はないが、窓の外、虫の音が、わずかばかり乱れたのを感じ。
すく、と、立ち上がった。
その夜は、騒がしい風が吹いていた。
何かを急くような風。かすかに震えているのは納得ずくではないからか。
視界の先には最近見慣れるようになった栗色の髪が、夜の闇に紛れて静かに揺れていた。
(……何かを警戒している)
周囲への目配せも欠かさず、目の前の栗色――シルヴィを追跡していく。
心配からではない。その不穏な行動に、疑問を感じたからだ。
元々気になる点が多い娘であったものの、その都度わざと自分でごまかし、「そんなはずはない」と思い込んでいたが。
流石にこれは目立ちすぎだろう、と、半分呆れ、半分嘲笑い、その後を追う。
周囲の警戒に抜かりなしと思い込んでいるようだが、背後のクロウに気付く様子もなく。
シルヴィの足はやがて、ちょっとした広場へとたどり着く。
街を歩き慣れている様子も無いのが不思議だったが、ここで誰ぞかと落ち合うつもりなのかと見守る事いくばくか。
やがて、赤髪の背の低い、やはり村娘風の出で立ちの娘が現れ、シルヴィに抱きつく。
(……あの娘は)
なんとなしにその顔が眼に入り、即座に思い出す。
海辺の町で、自分とフィアーを襲撃してきた追跡者だ。
恐らくは教団の遣い。やはり、シルヴィは教団の手の者だったのか、と、若干失望を感じながらも、同時に安堵も覚えていた。
彼女が教団の手の者だというなら、仮に敵対しても笑って手に掛けられるだろう、と。職人としての安堵である。
そのまま、二人は急いだ様子でその場から駆け出す。
少女から短柄の剣を受け取り、腰に装着したシルヴィは、その重さすら気にせず俊敏に走っていた。
――やはり、彼女は剣を扱うのか。
柄に手を掛けながらも姿勢を低くし、スカートに鞘が取られぬよう動くその様は、中々に堂の入った仕草であった。
よほど慣れているのだろう。敵対すれば苦戦するやも知れぬ。
放置するよりは、今、自分に気付かぬうちに距離を詰め、鉄杭で狙撃してくれようか。
クロウの眼には、最早シルヴィは哀れな村娘ではなく、敵対した場合にいかほど脅威かの見定めが必要な相手となっていた。
(……いや)
だが、追跡はしても、腕は上がらない。
狙えば最早届かぬ距離ではないのだが、どうしてもそれをするのはいけないように感じ、躊躇してしまっていた。
(様子を見てからでいいだろう。それからでも、遅くはない)
何より、ちらりとだけ見えたシルヴィの真剣な表情が、その判断を鈍らせていた。
そうしてたどり着いた先は、件の教団の本拠地。
白塗りの、まるで神殿のように巨大な二本の柱が入り口を飾るその建物は、一見すると中々に勇壮で、人目を惹き付けるシンボル、宗教のカリスマ足り得る造りであった。
夜の闇にあって尚、多数のかがり火に照らされ、建物の周囲は幾人もの信者らしき男達で固められている。
いや、違った。固められているように見えたその男達は、全員が立ったまま絶命していた。
一突きの下、喉やら胸やらを穿たれ、建物に寄り添うようにして、そのまま息絶えていたのだ。
(……まさか。また男が)
ぞくり、と背筋に感じるのは、先日味わったばかりの絶望的なまでの死の感覚。
びりびりと伝わる空気は、やはりクロウの指先を痺れさせ、足を鈍らせる。
一体何が起きているのか。見なくてはならない様な気もするが、可能ならば逃げてしまいたくもあった。
臆していると笑われるならばそれでもいい。
死ぬよりはずっといいはずだと、自分を納得させようとしている事に気付き、口元をにたり、歪ませる。
(情けない。私は情けないな)
見れば、彼が追いかけていた二人は異変に気付いた様子ではあるが、そのまま建物へと向かっていた。
彼女たちにはこの恐怖が感じられないのか。
あるいは、こんなものは実はまやかしで、自分だけが臆病風に吹かれていただけなのか。
そう考えると、異様なほど重くなっていた手足は普通に動くようになり、いつものように、軽やかに歩が進むようになっていた。
ならば、と、先を睨む。
あの二人が入っていった先に何が待っているのか。
ごくり、唾を飲み下しながらも、クロウはその後を追い、教団本部へと乗り込んだ。




