二十話.旅路へ(後)
黒に包まれた夜。深化した闇は、本来ならば人々を眠りへと誘い、新たな今日と言う日の朝へ運ぶ揺り籠となるはずであった。
鐘の一つ鳴る頃。指定された通りにバーレン伯爵の館に赴いたクロウ。
その入り口の扉の前には、紙切れが一枚貼り付けられていた。
『そのまま入って来い』
(……随分とご丁寧な)
言われずとも入ってやる、と、扉を押し込むと、重厚な見た目とは裏腹に扉はそのまま開いてしまう。
すぐには踏み込まず数秒置き、闇の先に何がしかがないかを確認してから足を入れた。
館の中は、既に異様な雰囲気が漂っていた。
濃密な死の香り。赤を黒く腐らせたような鼻をつく臭いが、クロウの警戒を更に強めさせる。
灯り等は持たない。敵は腕利きの暗殺者であると考えられた。
わざわざ目印になるような物を持ってきてやる事もない。自身は夜眼が利く。それで十分だとばかりに。
「これは……」
エントランスの中心、がつ、と、靴先に当たる何かに即座に飛び退いたが、靴先に一瞬伝わった感触からその正体を察する。
落ち着いて近づき、確認すれば、それは首のない女の死体。
顔が確認できないので「まさかフィアーか」と思いはしたものの、残された身体のシルエットを見るに、彼女にしては太りすぎているようにも見え、わずかばかり安堵する。
階段の前にはまた張り紙。
『そのまま上がってきな』
書きなぐりの一文に、クロウは苦笑する。他に向かう先もないだろうに、これである。
きっと、これは何かの誘導に違いない。「そんなの解ってる」と思わせておいて、どこかで不意を打ってくるつもりなのだ、と。
中々の策士らしいが、これ位の誘導・操作は彼には慣れたものであった。
人と付き合うのは苦手だが、人を動かすのは彼の得意とする事であった。そんな彼だからこそ、とも言えるのだが。
そのまま二階へと上がり、いくつも扉がある廊下を進むと、一番奥にある、左側の扉に張り紙。
『そのまま入れば愛しの娘とご対面だ』
なんとなしに部屋の中に人の気配を感じる。なるほど、確かに彼女はこの先にいるのだろう、と。
だが、部屋の中にある気配は一人分。
それ以外は何も感じない。殺気すらなさそうな辺り、恐らくそういう事なのだろう、と考えながら。
ドアノブに手をかけ――勢いよく開いて中へ飛び込んでいった!
ガコン、という鈍い音が真後ろから聞こえたのはその直後。
目の前には椅子に縛り付けられたフィアー。気を失っているのか、眼を閉じたままで項垂れていた。
「ほう、中々勘が鋭いねえ。大した奴だ」
部屋の入り口には、柄モノのシャツを着た遊び人の風体をした男。
手には血まみれの斧を持ち、にやにやと口元を歪めていた。
「お前が……ギルドの関係者を殺して回ってた奴か?」
「おうよ。ホントはメルセリウス子爵を護衛しろって命令だったんだけどよう。どうにも運が悪く間に合わなくって。そんで、殺した張本人を探してぶっ殺さないと、俺の立場もちょっとやばいからさ」
「……メルセリウスを殺したのは確かに私だが、私と直接関係のない他の奴を殺したのは何故だ?」
「探すのが面倒くさかった。それっぽい奴を皆殺しにしちまえば間違いないだろう? その内、ぶっ殺そうとした一人が泣き喚きながらお前さんの話をしてくれたからさあ……まあ、そいつも殺したけど」
クロウの問い詰めに、男はあっさりと白状する。なんとも軽薄というか、危機感の薄い様子であった。
それだけ余裕なのか、あるいは本当に頭の弱い男なのかもしれないが。
だが、関係者三人にはクロウ同様職人も含まれていたはずで、その上でフィアーを誘拐しているという事実からも、その実力の高さはうかがい知れる。
危険な奴だ、と、クロウは歯を噛んだ。
「ああ、お前さんの恋人には手を出してないから気にしなくて良いよ。俺、女の子にはあんま興味なくてさ。首が落ちた女の子にならいくらでも欲情できるんだけど」
とんだ異常者であった。面倒この上ない。
腕利きの異常者なんてロクな相手じゃないと、そんな相手と戦うハメになり、クロウは自分の不運を呪った。
「首が落ちた男にも欲情できるけどなっ!!」
「――この変態が!!」
いきり勃たせながら襲い掛かってくる変態に、クロウはフィアーを庇うように前に立つ。
横薙ぎに振られる斧をダガーで弾こうとし、受け流し損ねて弾かれてしまう。
「ちぃっ」
ダガーを吹き飛ばされるも、刃は逸れる。
だが、すぐに振り上げ、にぃ、と笑う男の顔が見えた。
縛られたままのフィアーを突き飛ばし、自身も横に跳ぶ。
「――おらぁっ!!」
両腕の力を込めての体重が乗った一撃。
辛うじて回避が間に合い、ズドン、と斧先が床板を抉り割った。
「やっぱ斧じゃ重過ぎるなあ。弱い奴ならこれで十分だったんだが」
首をこきこきと鳴らしながらめり込んだ斧を手放し、腰からナイフを抜く。
「……この館の持ち主はどうした?」
懐からもう一本取り出し、構えを取るクロウ。
「別室で家族皆で仲良く眠ってるよ。首はないけどなぁ!」
男は「くへへ」と、いやらしく笑いながら飛び込んでくる。
技術自体は大したものでもないが、フィアーを庇いながらの戦いでクロウが動ける範囲など限られており、どうしてもかわしきれない部分が出てくる。
「うぐっ――このっ、ロクデナシがぁっ!!」
腕を軽く切られ、血がバシャリと零れ落ちる。クロウは気合を込め、声と共に突っ込んだ!
「ぎゃははははっ、よく言われるよっ! 言った奴は皆土の中だけどなあっ!!」
ガキリ、とナイフとダガーとが舐め合う。体格は互角。
だが、勢いの差もあり、クロウはじりじりと押し込んでいく。
「きぃ……強ぇなあ。ナイフでも、押されるのか、よっ!!」
男は、これをなんとか耐えながら後じさり、一気に部屋の外に飛び退いていく。
「なっ――」
なんとも身軽な様で、クロウも驚かされていた。
「いやあ悪いねえ。俺はあんま力もないし、あんたらみたいに一芸に秀でてる訳じゃないんだ。何せただの殺人狂だからさあ。だから、ここは逃げさせてもらうよん」
けたけたとやかましく笑いながら、殺人狂はクロウに背を見せながら走り出す。
「……」
すぐに追いかけるべきか、一瞬迷ったクロウは、意識を失ったままのフィアーを見た。
なるほど、確かに胸は前後している。息はあるらしい、と安堵する。
今あの男を逃がせば取り返しがつかないことになるかもしれないとは思いながらも、クロウはフィアーの縄をダガーを斬り、解放してから男を追いかけた。
「――うぉっ!?」
そして、階段へと戻った直後に真上からの声無き不意打ちであった。
男の手には飾られていた壷が一つ。これで頭をかち割ろうとしていたらしい。
「きひっ、まさかかわすなんて。本当に厄介な奴だなあアンタ!」
「うるさいっ、大人しく死ね!!」
段々とその声に苛立ちを感じながら、男が抱えた壷をどうするのかを注視する。
「生憎と、俺は死なないよ? 『ゾンビー』って知ってるかい? うちの教団は、そういう儀式もやってる。死体になっても蘇るぜ? 死んでも人をクビれるなんて、最高だよなあっ!!」
そのまま壷を振りかぶり、突っ込んでくる。
まさかこんなもので近接戦闘をするつもりか、と、驚くクロウを見て笑いながら。
「こいつは――こう使うのさぁっ!!」
「ぐっ!?」
壷を地面へと叩き付け、がしゃりと砕け飛ぶ破片を目くらましに、真横をすり抜けていった。
そう、真横を。先ほどの部屋に戻っていったのだ。
「しまった!!」
その先には、未だ意識を失ったままのフィアーがいるはずだった。
「きひひひっ! お帰りなさいベルク君!! 君の彼女は間男とランデブー中だぜぇ!?」
急ぎその後を追ったクロウ。部屋では既に、フィアーの首にナイフを向けている男の姿があった。
「さあ、楽しい自殺ショーの始まりだよ。ベルク君、そのダガーで自分の首を刺せよ。可愛い恋人を傷つけたくはないだろう?」
「……恋人?」
そういえば、と、クロウには一つ、気になった事があった。
この男は、今でもフィアーの事を『ベルクの恋人』だと呼んでいる。
この様子を見るに、彼女とクロウの関係が『職業上の上司と部下』というものではなく、本当に恋人同士だと思いこんでいるのか? と、その可能性に気づいたのだ。
「確かにエリーは私の恋人だ。愛しい人だ。失えば……辛いだろうな」
だから、クロウは念の為に、と、演技でその反応を見てみる事にした。
関係ないが、その言葉でぴくり、と、フィアーの眉が動いたのが見えた。
「きひっ、そうだろう? 誰だって自分の恋人は可愛いよぉ。まして、自分の正体を隠してまで付き合ってる恋人だもんなあ!」
その言葉で、クロウは確信した。
(こいつ、フィアーの事を本当にパン屋の娘としか思ってないんだな)
演技の続行が確定された。彼がそう思い込んでいてくれるなら、その方が都合が良いからだ。
「解った。私の負けだ。だが頼む、エリーには手を出さないでくれ」
敢えて敗けの風を見せ、懐から取り出した真新しいダガーを首に押し当てる。
「そうかい。この娘をさらって正解だったなあ。もう一人は、なんかやばそうな感じがしたからやめたんだ」
男は、にやけた顔でそんなよく解らないことをのたまいながら、油断した様子でクロウに注視していた。
「――ふんっ!!」
そうしてわずかばかり首から刃を離し、勢い良く突き刺す――直前で手が止まった。
「がっ――あっ、ああっ!?」
同時に部屋に響く絶叫。
見れば、男の股間にぐさりと、太めの針が数本、突き刺さっていた。
まさかの急所攻撃に男は悶絶し、フィアーに向けていたナイフもその位置をずらしてしまっていた。
「油断しましたね?」
フィアーが立ち上がりざまに右肘を顔に叩き込み、振り返りながら膝蹴りをみぞおちへと打ち込んでいく。
「あがっ、ぎひぃっ!」
獣のように呻きながら頭を垂れる男の顔に蹴りを入れ、それでも尚気を失わず振り回してきたナイフをジャンプでかわし、肩に蹴りを入れながら飛び退く。
「クロウっ!!」
「うむっ」
入れ替わるようにクロウが前に飛び出て、ダガーを振りぬく。
「じょ、冗談じゃねぇっ!?」
半狂乱となって暴れていた男はしかし、振り回すナイフに何ら正確性がなく、あっさりとクロウの接近を許してしまう。
「お前には――次の明日など要らん!!」
どんな極悪人でも次の明日を祈るのがギルドの習わしであったが、クロウは今回に限り、それを捨てた。
「あっ、ああっ、死んじまう――オレ、死んじゃう……」
ひゅー、ひゅーと、空気の抜けたような音を出しながら搾り出した声は、そんな間の抜けた言葉であった。
「ゾンビーに……ゾンビーになれ、ねぇよう……死ぬ時は、ちゃんと、組織に戻んなきゃ……」
うろうろと揺れる濁った瞳はやがて動かなくなる。
そのまま、息を切る音は聞こえなくなり――終わった。
「――とんでもない奴だった」
戦いが終わり、ようやく収束した死の気配に、クロウはほう、と息をついた。
「ごめんなさいクロウ。貴方に迷惑をかけてしまったようですね」
殊勝なことに、フィアーは申し訳なさそうな顔でぺこりと頭を下げる。だが、クロウはつい、口元を緩めてしまう。
「あんたの事だ。わざとだったんだろう?」
特に毒を受けた様子も無く、切り傷を抑えながら笑い飛ばす。
「それはそうですが……まさか、情報を聞き出す間も無く貴方を呼んでくるとは思いもしませんでした。あの男、かなりイカれてましたね。行動に統一性が無い……」
「ああ。この館の伯爵一家も皆殺しらしいしな……とんだ災難だっただろうよ」
ただこの舞台を用意するためだけに殺されたのだとしたら、彼らは不幸だったとしか言いようがない。
「罪の無い伯爵一家には不憫と言うほか無いですね……せめて、できる限りの手向けをしたいものですが」
フィアーにも思うところがあったのか、沈痛な面持ちで地面に突き刺さった斧を見つめていた。
「今回の一連の流れは、どうやらラグバウトの一件から始まったことのようですね。私達に警戒した『何者か』が、自分達に刃が向く前にカウンターとしてこの変態を送り込んだ、と言ったところでしょうか」
「メルセリウスの件に間に合わなかった、と言うのだから、本来ならこの男とはあの娼館で戦うことになっていたのかもな」
あの人の多い娼館でこの男と戦うなど冗談ではない、と、クロウは苦そうな顔をしていた。
「彼の言っていた『教団』とやらは、まあ、『夜の裁き』のことなんでしょうけど。問題は、そこに依頼した者達でしょうかね。フライツペルとメルセリウスは多少なりとも関わりがありますが、ラグバウトには何ら関わりが無いはずですから」
「メルセリウスが依頼したならともかく、あの様子では彼が教団に護衛を依頼したとも思えんしな」
むしろメルセリウスは死にたがっていたのだ。愛する娘のいない世を耐え難いものと感じていた。
ならば、と、クロウは思考を巡らせる。
やはり、メルセリウスの護衛を依頼した者は別にいるのだ。
それも、ラグバウトの死から危機感を感じるような『関わり』を持っている者が。
「ラグバウトの粛清には違和感を感じていましたが、どうやら、私が思った以上の大物が釣れたようですね。ある意味マスターの狙い通りだった、という事でしょうか」
「結果として、狙った通りにプレッシャーを掛けることに成功した、という訳か」
その結果がコレである。正直笑えなかったが、先を考えるとそれどころではないともクロウには思えた。
「この変態が私達の、もっと言うなら貴方の情報を誰にも伝えてなければ良いのですが。まあ、そんな楽観はできないでしょうね?」
「――潮時か。事態が落ち着くまでは、街には戻れそうに無いな」
敵に自分の居場所が割れてしまっている可能性がある。これは非常に不味い。
今回はフィアーだったから救出に成功したが、これが他の知人や近隣の住民なら難易度は更に跳ね上がる。
そして、その時に救出が成功するとは限らない。
ギルドとは無関係の人間を巻き込むのは、流石にギルドの意向にも、クロウ自身の気持ち的にも問題であった。
「仕方ないですね。街でのお仕事はアンゼリカに一任して、しばらくの間、旅に出るとしましょうか」
はあ、と眉を下げながらも、さほど残念でもなさそうにさっぱりとした顔で提案するフィアー。
「あんたもか? 狙われているのは私だけではないのか? この男も、あんたの事はただのパン屋の娘だと思っていたようだが……?」
「そうかもしれませんが、逆に言えば『あのパン屋の娘をさらえば隠れているクロウを引きずりだせる』と考えるかもしれませんし。その場合、私の周りにいる一般人が巻き込まれる恐れもありますからね」
結局、二人で離れるしかないのだ。そういう結論になる。
「恐らくはこの辺りもマスターの想定の中にあるのでしょうね。本当、憎たらしいったらない」
悪態をつきながら、服についた埃を叩き落とし、歩き出す。
「とりあえず、貴方の家に戻りましょう。明るくなり次第私も家に帰りますが、この時間帯に別々に帰るよりは自然なはずですし」
あくまでそれまでは恋人として振舞いましょう、と、はにかみながら手を差し出してくる。
「……ああ」
やけに機嫌が良いのは気のせいか。クロウはそんなフィアーの様子に違和感を感じながら、その手を握り、先を歩き出した。
こうして、翌日の内に二人は街から旅立つこととなる。
向かう先すら告げず、いつ戻るのかも報せず。
それが、恋人同士の、とても幸せな旅であるかのように振舞いながら。




