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暗殺ギルドの下っ端さん  作者: 海蛇
三章.商人ギルド

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21/62

十九話.夜の王はその顔に涙した

 マドリス商会本社にて。

商会の会長であるマドリス=ヘルマンは、バルゴアで起きた事件について、秘書アドルフからの報告を聞いていた。

元筆頭処刑人であったラグバウトの死。

その背後に暗殺ギルドが関わっていたらしい事。

何故そのようなことが起きたのか、詳細に至るまで書かれたレポートはしかし、マドリスを歯軋りさせていた。

「下らんな。十年以上昔の、その復讐の為に動いたという事か? やはり、バルゴアの者は信用ならん!」

組織が動くに当たって、あまりにも私的というか、感情的なのではないかと。

マドリスはその人間臭すぎる運営に苛立ちを覚えていた。

「仕事とは金の為に、その責務を負う代償に得るものなのだ。そればかりは商人も職人も、軍人とて同じはずなのだ。だというのに、彼奴らはその原理を全く無視している!」

「会長のお怒りはご(もっと)もですが、ラグバウトに対しての復讐、これを誰が指示したのかが問題です」

「うむ。場合によっては『改革』の記憶を蒸し返そうとしているのかもしれんな。折角正常化した国家運営を、また混乱の中に叩き落すつもりなのだ。度し難い」

もしその復讐者の考えていることが単なる復讐に留まらず、『改革』のやり直しを求めてのモノだったなら、これは商人ギルド、ひいては商会の脅威となる事に他ならない。

以前と異なりギルドに対し協力的とは言えなくなってきたバルゴアの王。

民衆も、平和を享受(きょうじゅ)し始め、価値観が変わりつつある。

このようなタイミングで妙な活動を許せば何が起きるか解ったものではないのだ。


「単にラグバウトを狙って、というだけの事件なら誰の懐も痛まんが、これ以上続くようなら看過は出来ん。彼奴らの目標足りえる者にガードをつけねばならん」

「はい。既にピックアップし、こちらで護衛をつけております。例の教団の者達を使いまして……」

言いながらアドルフは、手に持った書類を数枚、マドリスに手渡す。

「それでいい。それでいて、暗殺ギルドとやらの動きにも注視したまえ。できることなら向こうの暗殺者本人の素性も調査したいものだが……」

書類に乗ったプロフィールに軽く目を通しながらスタンプしていく。

「流石にそこまでしようとするなら、莫大な支出が必要になるかと。教団の暗殺者の命、決して安いものではありませんから……」

「解っている。とにかく、この方向で進めてくれたまえ」

判を押した書類を突き返すと、アドルフは「承りました」と受け取り、一礼し去っていった。

「……ふん。バルゴアはようやく実りを迎えようとしているのだ。収穫前に横取りなどされてなるものか!」

秘書の去っていった後、マドリスは鼻息荒く一人ごちながら、机の上に置いてあった薬瓶を取り出し、中の丸薬を飲み込んでいった。



「今回の目標は、色街の支配者メルセリウス」

今宵もまた、フィアーが『仕事』を回しに来ていた。

いつものようにベッドに腰掛け、まるで誘うかのようにその細くも色白の足を組んで見せながら。

「メルセリウス……」

「かつて貴方が色街で貴族の仇討ちを代理した際、その舞台となった娼館を経営していた元王族の男です」

覚えがあるでしょう、と、顔を傾けるフィアーに、クロウも小さく頷いた。

「もしや、目標を口説いていた老年の男の事か……?」

「年齢的には貴方より少し上位しかないはずなんですけどね。でも、あの一件で目標としたパステルを口説いていたというなら、メルセリウスに間違いはないでしょう」

「あの老け顔で、私より少し上位なのか……?」

クロウがあの時見たカツラ頭の男は、明らかに五十過ぎの男のものであったが。

もし本当にそうなのだとしたら、何故そんなことになっているのか、クロウには疑問で仕方なかった。

「ええ。何かがあったのでしょうね。まあ、貴方がそれを知る必要はないです」

今は話を聞きなさい、と、目を見つめてくる。

クロウも黙り、フィアーが語るのを待っていた。


「目標を殺すにあたって、『何者にも見られずに済ませること』以外にはこれといって条件付けもありません。ただ、最近は物騒ですから……万全の備えを以って取り掛かったほうが良いでしょうね?」

「そのつもりだ。仕事の内容が容易に思えたからと、油断すれば命取りになりかねんからな……」

以前までの仕事で、想定外の邪魔者の介入を受ける事の厄介さ、その脅威を痛いほど学んだクロウは、素直にフィアーの言葉に頷いて見せていた。

「今のところギルドからは、目標周囲に護衛がついているという情報はありませんが。何が原因で難易度が上がることになるか解りません。色街というところは、何かと想定外が起こり易いようですから……」

「ああ。何せ酔っ払いや薬狂(くすりぐる)いが多いからな。貴族街のように警備が回ることは少ないが、想像だにしないことがたまに起きる事もある」

既に仕事の場として幾度も通った事のあるクロウからしても、夜街での仕事は普段とは別の意味で難易度が高かった。

障害そのものは少なく、薄暗がりという事もあり潜伏したり紛れ込んだりするには向いているのだが、『誰の眼にもつかぬように』という条件を満たしにくいのだ。

どこに何がいるか解りにくい。夜眼が利こうと、油断ならぬ。


「敷地に関しては前回足を運んだのもあって頭に入っているが、変更点は何かあるか? あのような事があった以上、警備体制の強化位はしていそうなものだが」

「全くと言っていいほど。強いて言うなら、以前よりメルセリウスの外部への露出が減った、という位でしょうか。警備体制には何の変更もありませんよ。つまり、ほぼノーガードです」

現状、これだけで考えるなら難易度はかなり低い。

館の中に入り込むのだって、前回と同じ手を使えば容易に入れるはずであった。

「……必要ならば下見位はと思ったが、必要はなさそうか?」

「万全を期するならした方が良いと思いますが、あまり色街に入り浸るのは感心しませんね。性病にかかりますよ?」

笑えない冗談だとそっぽを向くも、フィアーはやたら真面目な顔でじっと見つめてくるのだ。

「入り浸るほど入れ込んだ覚えもないんだがな」

「そうでしょうか? まあ、男の人の感覚は女の私には解りません。貴方にとってはそうなんでしょうね?」

刺す様な視線がなんとも鬱陶しく、クロウは参ったとばかりに背を向ける。

「――世間体位は考えるさ。『ベルク』としてのな」

そうしてフィアーを置き去り、家を出て行った。



「あらお兄さん、また来てくれたのね? 嬉しいわあ」

結局外からの下見もそこそこに帰るハメになり、翌日、こうして『仕事』を果たすため、客として入り込む事となった。

対応する娼婦も同じ。名前は以前聞いていたので、指名したのだ。

「またああいうのがしたいんだが。いいか?」

「勿論だわ。ふふっ、実はね、私、あれで目隠しして焦らされるのがクセになっちゃったみたいで……」

まるで恋人のように腕に胸を押し当て抱きついてくる娼婦に苦笑しながら、務めて冷静に館を歩く。

その合間、館の内部をチラチラと視線だけを動かして確認していく。

(……確かに、変化はなさそうだ。警備らしき者もいない。まあ、客の見える場所でそんな無粋なことはしないだろうが――)

内心では『仕事』のことのみを考え、歩きながらに雑談する娼婦の言葉には適当に応えていた。

「――それでお兄さん、また、中庭とかでするの?」

娼婦らしからぬ照れを交えながら、本日の内容を確認してくる。

「ああ。それで頼む」

どうやら本気で気に入ってしまったらしいのがなんとも罪深く感じてしまうが、本人が乗り気なのなら騒がれることもあるまいと、好都合な方向に流されることにした。


 そうして、今回もまた、草陰に娼婦を縛りつけ目隠しし、仕事着に着替えようとしていた。

ところが、直後に近くで騒ぎが起こる。

「どうかしたの……?」

既に興奮しはじめている様子の娼婦であったが、どうにもただならぬ様子であるとは気づいたらしく。

(このままでは善くないな……)

クロウは、これを想定外として、まず何が起きたのかを探ることにした。


「追い詰めたぞガイバーランド! 禁制品の薬を持ち込んでいるとの通報があった、大人しく縄にかかれぃ!!」

「うるせぇ! いますぐ道を空けやがれ! この女をブチ殺すぞ!!」

「ひぃっ! やめてっ、殺さないでぇっ!!」

騒ぎの場では、娼婦を人質に部屋に立てこもる男と、それを部屋の外から押さえ込もうとする騎士が複数。

どうにも、無関係な犯罪者の摘発(てきはつ)に巻き込まれたらしいと、野次馬の中に紛れながらクロウは頭を抱えた。

なんともついていない。これだから色街は、と。


 だが、ある意味これは都合が良いのではないかと思ったのだ。

周囲の視線はこの一件に集中している。

今ならばいけるだろう、と。

すぐさま中庭に戻り、縛ったまま不安げにおろおろとしている娼婦の肩を叩く。

「ひあっ」

びくん、と、身を震わせるも、それが客のものであると理解し、落ち着く。

「大したことはなかった。それより、続きをしよう。いいね?」

「ええ、いいわ。というか、さっきまでのも同じような感じで、私――」

「前と同じだ。一時間経ったら戻る。その間に君がどうなっているか、楽しみだな」

「前の時は何故だか意識を失ってしまって怖かったけれど……ええ、待ってるわ。信じてる」

なんとも可愛げのある娼婦であった。

フィアーのような面倒臭さもないし「こういうのもいいな」と、つい顔を綻ばせそうになるが。

これも『仕事』なのだと思い出し、再び頬を引き締め、歩き出す。



「――なんという事だ。騎士団め、私のテリトリーに勝手に踏み込みおって! これだから傲慢な軍人上がりは!!」

「ですが旦那様、このままでは客足に影響が出かねません」

以前メルセリウスがパステルを口説いていた部屋では、男が二人、先ほどの一件について語り合っていた。

片方はカツラ頭の老齢……に見える青年、メルセリウス。不機嫌さを露に、酒瓶から直接ブランデーを飲み込んでいく。

そしてもう片方は、執事と思しき、こちらこそ正しく老齢の男であった。

「むぐう……パステルを殺した犯人すら捕まえられぬクズどもが、こんな時ばかりでしゃばりおって!!」

「いかがなさいますか? ルーデリック侯を頼って騎士団に抗議なさいますか?」

「そうも行くまい。忌々しいが、実際に犯罪者が我が館に入り込み、これを捕縛するために踏み込んだのだからな……」

夜の色街、その娼館は不可侵という暗黙の了解は確かに存在していたが、それを無視したからと、実際に犯罪者を捕らえんとする騎士団をどうこうする権限は、彼らにはないらしかった。

「口惜しいが……今は捨て置く他あるまい。全く不愉快だ!」

「あ……旦那様、どちらに?」

「風に当たってくる! どれだけ酒を飲んでも、パステルのいない夜は満たされぬ!!」

どん、と、高価なブランデーを乱暴に置き、メルセリウスはふらつきながら屋上へ向かった。



「ああ、パステル……何故君は、私を置いて行ってしまったのだ」

心にぽっかりと空いた隙間に涙しながら、メルセリウスは夜風に身を任せていた。

春とはいえ、その風はしんみりと冷たく、火照った体を冷ますには程よい。

だが、愛する女性を失った悲しみは、決して癒える事無く。

男は、ただその寒さに身を置くことで、少しでもその痛みを和らげようとしていたのだ。


「そんなに、パステルの元に行きたいのか?」


 そんなメルセリウスの背に、声が掛けられる。

ふと、我に返り振り向くメルセリウスの前には、黒ずくめの男が一人。

「……お前、は?」

娼客にしてはあまり見ない出で立ち。この夜街にはお似合いだな、と感じながらも、その顔にはどこか覚えもあるようで、不思議と首を傾げていた。

「メルセリウス殿。パステルは死を望んでいたのだ。今日に絶望し、明日を見失い、昨日を見つめるのを恐れ、死を望んでしまった」

「お前……お前に、パステルの何が解るというのだ!? 私が、私がパステルを失い、どれほど悲しんだか――」

「何も解らん。だが、一つだけ言える。死の間際、パステルは満足そうであった。そうして、そんなこと(・・・・・)に満足してしまえる自分に、泣いていた」

こんな問答に何の意味があるのか解らないが。

なんとなく、この男とは向き合ってみたいと思ったのだ。そうしなければならないような、そんな気がしてしまったのだ。

「――私は、私は、パステルを癒してやりたかった。本気で愛していたのだ。初めて、人を愛するという事の意味を知ったのだ……」

クロウの言葉に、メルセリウスは膝をつき、俯いてしまった。

まるでその首を差し出さんと。クロウには、そう見えていた。

「……パステルの元に、行きたいか?」

「もう、こんな世の中に居たくはない。疲れた。疲れたんだ。私は」

鼻をすすりながらに、クロウの顔を見ようと上身が揺れる。

「私を頼ってくれた友も裏切ってしまった。昔から私は、色欲にだけは逆らえず……こればかりは、どう抑えようとしてもダメだった。弟に糾弾され立場を追われた後も、そんな苦汁を舐めてすら、私は淫欲に妄執し続け、やめることができなかった」

「惨めな物だな。異常性欲者というのも」

異常者の悲哀などまるで理解できないが、それでも、いや、だからこそ哀れに見えたのだ。

だからと手を抜くつもりもなく、ダガーを上に立て、首を狙わんとする。

「パステルだけだったのだ。私の心を呼び覚まし、狂った情欲から解き放ってくれたのは。それなのに――あの娘のいない世の中に、何の意味があると言うのだ。殺してくれ、頼む」

クロウの足を掴み、懇願。カツラがずり落ち、禿げ上がった肌色が月光に光る。

なんとも痛ましい姿であった。見るに堪えぬと、クロウは刃を振り下ろす。


「――せめて、善き次の明日を、パステルの傍で送れれば良いな」


 それがパステルの望む『明日』かは別として。

慰めもあり、そんな言葉とともに、刃はメルセリウスの首を穿(うが)った。


「かっ――はっ」

どう、とバランスを崩して倒れこみ、仰向けになってしまう。

「あ――おま、え、は――」

声を出すのすら困難な痛みに(うめ)きながら、朦朧(もうろう)とする意識の中、その顔を見ていた。

自分を刺した相手を。自分を見下ろす相手を。

「そう、か――スト、すまなかった。わたし、が――エリスティアを、殺したような、ものだ――」

「……!? お前、何を――」

「すまな、かった――ああなるなんて、おもいも――ほん……に――まなか、っ――」

全く覚えのない相手からの、涙ながらの懺悔(ざんげ)

今際(いまわ)の言葉としては、あまりにも異質であった。

「この男、何故エリスティアの名を……」

冷静に。揺らぐ事無くあったクロウの心が、大きく揺れていた。

動揺が、頬に汗を流させる。

春先の冷たい風が、クロウの頬を冷やしていた。



「メルセリウスは、彼が王族としての名を失ってから、一介の貴族として生きるために半ば無理矢理国王から与えられた名前なのです」

翌々日、夕暮れ時の内訳の段。

ベッドに腰掛けたままのフィアーは、自分にメルセリウスの正体を問い詰めてきたクロウに、表情を崩さぬまま説明を始める。

「彼の本当の名は『リヒター』。かつてこの国の第一王子だった男です。記録上は放蕩(ほうとう)が過ぎて失脚したことになっていますが、『改革』に参加している最中、生来の病的なまでの性欲が仇となり、隣国フライツペルのハニートラップに掛かってしまい、これを危惧した時の第二王子によって失脚させられた、というのが事実のようですね」

「……そうか。あれが、リヒター王子」

椅子に腰掛けながらに、信じられぬとばかりに、額を押さえながらに俯いてしまうクロウ。

「かつては美男子だったそうですが。失脚したショックと、色情の度が過ぎ、荒れ果てた生活を続けていたらしく――見るも無残な容姿に変貌していたらしいです」

怖いですね、と、目以外で笑いながら。

フィアーはクロウを見やる。見るからに落ち込んでいる様子であった。

「別に、私があてつけにしようと思ったんじゃないですよ? ただ、依頼をこなす上で貴方があの娼館に以前訪れていたからそうなっただけですから」

「……何のことだ。私だって長くこの国にいた。リヒター王子の顔くらい、知っているさ。それだけのことだ」

「そうですか。ならいいのですが」

あくまで『知らぬこと』として通そうとするクロウにはある種のプロ意識と、同時に頑なさを感じ、フィアーは苦笑していた。


「だが、何故マスターは、リヒターを殺す事にしたのだ? 誰から見ても、今になって殺す価値などない男だったと思うのだが」

しばし間を置き、今度はクロウが問う番であった。

内訳は、まだほとんど説明されていないのだから。

「そうですねえ……これに関して私に与えられた答えは、『裏切り者に対しての粛清』位でしょうか?」

「裏切り者……?」

「彼が関わった『改革』の中で、誰が一番の裏切り者だったのかを考えれば、彼が一番でしょうからね。土壇場で指導者だったガイストを罠に()め、結果として数多くの関係者を、近親だったというだけで処刑部屋に送る事となってしまったのですから」

「……本人も、今際にはその事を悔いていたようだが」

「だとしても、そんなことは関係なかったのでしょうね。報復する側にとって、目標が何を考え、どう思っているのかなんて関係ないでしょうから」

そう、ただ(ちゅう)したかっただけなのだ。

相手の気持ちなど知ったことではない。復讐とは、誰の為でもなくそれを画する自身の為にあるものなのだから。

「……惨めな物だな。時代は変わり、世の中は平和になったように見えるのに。実際には、まだ過去に囚われたままの者が多いらしい」

「過去は泥沼ですからね。ぱっと思い出し参考にする位ならともかく、ああすればよかった、あの時こうなっていれば、なんて考えると、どんどん足元が埋もれていきます。そうして気がつくと、抜け出せなくなっているんです、憎悪から」

「まるで呪いだな。今回の一件を計画した奴はなるほど、ロクな奴ではなさそうだ」

皮肉りながら、不機嫌そうに足を組むクロウ。

「私が計画した訳じゃありませんからね。勘違いしないように」

「解ってる。やっぱり、あんた以外の依頼はろくなもんじゃないな、と、思っただけだ」

クロウなりにフィアーへの信頼のようなものはあったのだ。

だからこそ、とでも言うべきか。

どうにも他からの依頼は不可解というか、趣味が悪い事が多く、好きになれなかったのだ。

「ま、好き嫌いで仕事をするつもりもないがな」

「信頼していただけてるようで何よりです」

クロウの言葉に、逆にフィアーは機嫌を良くしてか、にこにこと良い笑顔であった。



「間に合わなかったか……」

メルセリウスの死が公に広まって後。

主不在のまま解体されようとしていた娼館に、客らしき男が一人、ぽつんと立っていた。

どう見ても色街似合いの遊び人風の男であったが、その眼光は鋭く。

ち、と、舌を打ちながら、館に背を向ける。

「もっと早く仕事が回ってきてればな。稼ぎ損なっちまった」

悪態をつきながら歩き出す。

そんな姿も、いつしか消え――平和で淫靡(いんび)な夜が、また始まろうとしていた。


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