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暗殺ギルドの下っ端さん  作者: 海蛇
二章.フィアー

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九話.死刑囚名無し

 ある冬の夜の事であった。

凍える吹雪の舞う闇の中、目標を追う影が一つ。

足跡すら乏しい、まだ美しいままの白の上を、二人分の靴が汚してゆく。


 郊外から街道へと続く道。

家屋すら乏しくなってきた辺りで、影となっていた暗殺者は目標に向け音も無く忍び寄る。

得物(えもの)は細身のナイフ一本。

これを懐に隠し、一気に詰め寄り――必殺の一撃を見舞った。


「――っ!?」

鉄の舐め合う音。暗殺者の一撃は、目標のショートソードによって受け止められていた。

「俺を狙うとは、どこの命知らずだ?」

一気に飛び退き距離をとった彼に対し、目標は不敵に笑いながら剣を構えなおす。

その気迫、殺意、並大抵のモノではないと、暗殺者にはびりびりと伝わっていた。

「なんだぁ? 黙ってるばかりじゃ解りゃしねぇ。だが、俺を狙うってことは、俺に死んでもらいたい奴だって事だよな?」

目標は楽しげに口元を歪め――駆けた。

「ちぇぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

空間そのものが()ぜたかのような怒声。鋭い一撃が影に向け放たれる!!

「くっ――」

しかし、それを辛うじてかわす。

気迫に圧されそうになっていたが、彼もまた数多の死線を潜り抜けた暗殺者である。

腕に覚えありの相手など、今まで幾人も葬ってきたのだ。

すぐさまナイフの持ち手を変え、逆手に構えていた。


 剣を構えた相手に突き刺しに掛かるのは隙が多すぎる。

こうして逆手に構える事によって、相手の一撃を受け流しやすくし、かつ隙を突いての一撃で斬りつけやすくもなる。

懐にさえ入ってしまえばしめたもの。

そのまま喉元を掻っ切ってくれようという腹積もりで、彼は目標と対面していた。


「向こう見ずな仕掛けもしてこねぇ。足音や気配を忍ばせてたのも気になったが、お前……例の暗殺ギルドとかいう――」

(いぶか)しげに様子をみていた目標だが、彼の構えを見るや、何かを感じ取ったように攻め足を止めていた。

しかし、その間にショートソードの先はゆらゆらと揺れ、すぐにでも一撃を見舞えるよう隙を(うかが)ってもいる。

一分の隙も無い。だというのに、知らぬ者が見れば隙だらけのようにも見えた。

後の先(ごのせん)狙いの剣術に見え、しかし彼がわずかでも隙を見せれば容赦なく突いてくるようにも感じられたのだ。

そのいかようにも先を読めぬ相手の様子。まさしく只者ではなかった。

(噂どおり、剣の腕は先代よりも上らしいな――)

口の利き方こそ田舎なまりの入ったやや乱暴なものであったが、その腕、見立ての鋭さ、生半可の修羅場をくぐった程度では身に付くものではなかろう、と。

額から汗を垂らしながら、歯を食いしばり、呑まれまいと唾を飲み込み。

相手が無言のままに駆け出したのを見て、彼は――跳んだ。


 交差する影と影。


「――かはっ」


 雪の上に倒れたのは――暗殺者の方であった。

腹元に一撃。まともに斬り払われ、パシャリと横一文字に血が飛び散る。

彼は最初、相手の一撃をかわしたつもりになっていた。

一撃をかわし、懐に入り込み、ナイフで喉元を掻き切る。

彼が幾度と無く繰り返した『腕利き相手の殺しの(わざ)』のはずであった。

だが、実際には彼が思った以上に目標は深く踏み込み、剣の長さ以上のリーチで以って切り払ってきたのだ。

彼が腕利き専門の暗殺者であったとしたなら、今回の目標はそういった『腕利き殺し』相手に長けていた、という事だろうか。

なんとも噛みあわぬ思考の中、次第に白くなってゆく視界を前に手を震わせ。

「あっ――おいこらっ」

暗殺者は目標の手など届かせず、自らの手に残ったナイフで己が胸を突き刺し、果てた。


「……しまったな。自刃(じじん)までするとは思わなかったぜ。ううむ――」

斬り伏せはしたものの「まだ息があるはずなので」と何かしら聞くつもりが、まさかの自害である。

渋みがかった頬を苦味ばしらせ、男は静かに息をつく。

刃先を大きく振り払い、雪の上に血を飛ばして鞘に収める。

「まあ、今に始まった事じゃねぇか。衛兵隊か近衛隊の連中か――市井(しせい)にも痛くもねぇ腹を探られては困る奴なんて腐るほどいるだろうしなぁ」

困ったもんだぜ、と、苦笑しながら。

男は死体に振り向きもせず、そのまま立ち去っていった。



「――そうですか、クロウが。彼では駄目でしたか」

街のはずれにある小さな酒場にて。

客らしき少女が、店の主に向け静かに呟く。

「残念ながら。遺体はそのまま放置されていたのでこちらで回収しておきました」

そっとレモネードの入ったグラスを差出し、主はほう、と息をつく。

「しかしフィアー。貴重な『利き腕』を失いましたなあ?」

「騎士団長を殺すには彼程度では駄目だった、という事でしょうね。より腕の望める者でなくては」

「そんな腕利きがこの国にいるんでしょうかね? 私はこの稼業について長いが、クロウ以上の腕利きとなると――」

主が語るに答えもせず、出されたグラスに口をつけながら、フィアーと呼ばれた娘は視線をカウンターの隅へと向ける。

あまり清潔ではない店だからか、蜘蛛が一匹、隅の方で(うごめ)いていた。

だが、次の瞬間には蜘蛛の腹に針が突き刺さる。

「ああ、失礼しました」

どういう意味でなのか。主はそそくさと蜘蛛の死骸を片付けながら謝罪し、フィアーに背を向けた。

「掃除屋。私は貴方に掃除以外の何も望んでいないわ」

「ええ、ええ、理解していますとも。役目以上のことを知ろうなんて思っても居ません。私ゃ、この生活がそれなりに気に入ってる」

「そうよ。それでいい。貴方はこうしてお店の酒樽を増やしていけば良いのよ。職人のことやギルドの事を考える必要なんてないの」

眼を閉じながら静かに忠告し、フィアーは席を立った。

「ご苦労様、今夜はもういいわ。また」

「ええ――また」

凍えるように冷たくなった空気の中、主は頬に汗しながら、少女を見送った。


 そうしていなくなって、ようやく息をつけるのだ。気を抜けるのだ。

なんとも恐ろしい時間であったと、主は胸に手を当てる。

「流石はギルドの重鎮だけある。あのお嬢様だけは敵にしちゃならんなあ……」

ああ怖かった、と、胸をなでおろし、主は店じまいの支度を始めた。



 酒場のあたりは、街でも墓地や処刑場などが集まる、あまり人の近寄りたがらない立地となっていた。

特にこのような夜では人の寄るはずもなしに。

墓場は、秘密裏に人が集まるには格好の場所となっていた。


 今宵、この場では五人の男女が集まっていた。

五人が五人とも異なった出で立ちをしていたが、いずれもが『暗殺ギルド』の中心人物たち。

ギルドマスターの意の元動く幹部たちであった。

「どうするねフィアー? 君の配下の中でも一番の腕利きが死んでしまった。我々としては愉快だが、ギルドとしてはあまり笑える話じゃないよねぇ? 失敗もしちゃったし?」

にやにやと口元を歪めながら、幹部の一人『神父』がフィアーを煽るように笑いかけていた。

「……」

酒場の主に対した時とは異なり、フィアーは神父を睨みこそすれ、脅しの言葉ひとつ聞かせず黙っていた。

今回の集いは、完全に『クロウ』の死が話題の中心となっていた。

幹部らはフィアーを囲むように立ち、彼女の反応を見るように話題に出す。

それに対し、フィアーは余計な事一つ言わず、黙っているのみであった。

「そもそも、騎士団長を殺させようとしたのって、『本当に』我々が動くに値する理由だったのかなあ? そこのところも踏まえて、他の皆はどう思ってるんだい?」

神父の言葉に、フィアー以外の幹部はわずかばかり考えるような素振りをするが、すぐにそれぞれ口を開く。

「私はフィアーの判断はそこまで間違っていたようには思えないわ。どちらかというと、あの騎士団長が想定外に強すぎたというだけじゃなくて?」

品の良い格好をした妙齢の女性幹部が、庇うような意見を出せば。

「むしろそこが過ちなのではなかろうか。騎士団長がかような腕利きだったというのは、少なくとも前々から解っていた事のはず。ワシとしては『一人仕事』ではなく、二人以上での『組仕事』をすべきだったのではないかと思うのだがね」

商人然とした恰幅の良い老齢の幹部が、それは間違いだと指摘する。

「そもそもの依頼に我らが動く理由があるのかどうかと考えれば、確かに疑問もあるな。フィアー自身が仕立て屋として相応しいのか、という資質の問題にもなってくるわけだが――」

フィアーの次に若そうな青年幹部は、はっきりとフィアーへの不信感を言葉にしていた。

「やはり、歳若い娘っこにはギルドの重責を担うのは難しいのではないかと思うのう」

老人もそれに同調し、二人してフィアーをジロリと見つめる。

「それは――しかし、彼女はマスターの――」

唯一擁護していた女性も、数の差からかその声は小さくなってゆく。

そんな中、ようやくフィアーが顔を上げ、にこりと微笑んだ。

「ありがとう『アンゼリカ』。大丈夫ですよ。この位で堪える私ではありませんから」

「開き直りよるのう。まあ、それ位でなくては幹部は務まらん、が――」

「問題はそこではない。幹部としてあんたが相応しいか、それが重要なのだ」

はっきりと言ってのけたフィアー。

老人の方は少しばかり嬉しそうに歯を見せたが、青年は論調を変える様子はなかった。


「私の資質の問題を問うなら、それはお門違いですよ。今回の依頼に関してはマスターにも伺いを立て、その上での人選なのですから」

責め立てられながらも、フィアーは動ずる様子もなく静かに返す。

彼女の口から出た言葉に、幹部らは一瞬びくりと震えてしまう。

「マスターが認めた上でかぁ、これじゃもうこれ以上は責められないねぇ。残念だったねぇ『詩人』クン?」

神父の煽りは今度は詩人と呼ばれた青年に向けられていた。

心底鬱陶しそうな顔で神父を睨み、しかし確かにそれ以上文句をつけられないのか、詩人は居心地悪そうにそっぽを向いてしまった。

「マスターの仰る事なら従うほかありませんものね。『長老』も、これ以上は文句はないでしょう?」

「ああ、あ奴が言うなら仕方あるまいて」

心なし嬉しそうに笑うアンゼリカに、長老も同調する。

対フィアーへと向きかけていた風向きは、一気に変わっていた。


「確かにクロウを失ったのは痛いですが、アテはあります。幸い今回の『仕事』は急ぎのモノではない。今すぐは無理でも、いずれ果たせるように『育てる』事は可能なはずです」

「ほう。育てるつもりなのか。しかし、生半可な新入りではあの団長には手傷一つ負わせられんかもしれんぞ?」

フィアーの言葉に、長老はぎらぎらとした視線を向けながら返す。

フィアーも顔色一つ変えず頷いて見せた。

「ご心配に及びません。アテがあると言ったでしょう? 逸材がいるのですよ」

「どこにいるんだい? スカウトするにしたって、少なくともこの街の中でそんな腕利きの話は聞いた事がないなあ。僕のテリトリーにもいないよ?」

何が楽しいのかニヤニヤと口元をいやらしく引きながら、神父は大仰に首をかしげて見せる。

「……とにかく任せてくれれば良いのです。少なくとも十年以内には仕事は果たせるはずですから」

「きひっ、十年かー。十年経つころには僕らは何人残ってるだろうね? 案外一人二人死んじゃってるかもよ?」

「神父っ、もう、貴方は本当に――」

軽口で煽る神父に激昂しそうになるアンゼリカ。

しかし、フィアーが手を前に、二人を制した。

「――よろしいですね? 今回の件はあくまで私が仕立てているのです。各自、決して横から手を出そうとしないように」

空気を引き締めるその言葉に、幹部らは各々頷いていた。

「お話はこれまでです」

そして解散の言葉に、各自が一斉にばらける。

それぞれが全く違う方向へ。そして、すぐにその姿が見えなくなった。



 そうして、少女が今歩くのは石畳の上。

暗く閉ざされた地下。埃舞う不浄の闇の中であった。

「ここね――」

目的地にたどり着き、足を止める。

『774番』と書かれた札。かろうじてそれが見える程度の心許ない蝋燭(ろうそく)の光。

彼女の視線は檻――その奥で虚空を見つめている男に向けられていた。

「ごきげんよう名無しさん。まだ生きているかしら?」

男に向け、少女は表情も声色も変えずに話しかける。

「私は、貴方に用事があってきたのですが」

フィアーの言葉に、しかし男は反応すらせず、微動だにしない。

関心が無い。あるいは、存在に気づいていないのかもしれなかった。

「――まあ、いいです」

無視されるのは彼女にとって、想像の内であった。


 ここは国家の敵として収容された死刑囚達の最後の住居。

その最奥、建国至上最も重い罪を犯した男が為用意された独房であった。

彼はここで、いつ来るか解らぬ『死刑』を待ち続けている。

とうの昔に感性など死に絶え、無反応になっていてもおかしくはなかったのだ。


「ちょいと失礼しますね」

腰のバックルから鍵束を取りだし、カチャカチャと牢屋の鍵をあけてしまった。

そのまま扉を開いて見せ、男の反応を見る。

「……」

やはり、無反応であった。

「思ったより重症ですね」

不敵に笑いながら、今度はフィアーが牢の中に入ってしまう。

蝋燭の光が辛うじて届くギリギリ。男の目の前にまで迫り、その場にぺたんと座り込んだ。埃が舞う。


「初めまして。私の名前は『フィアー』と言います。勿論偽名ですけど」

だんまりを続ける男に、勝手に自己紹介を始める。

反応が無い事など知ったことではないとばかりに、言葉を次々にぶつけてゆく。

「貴方は生きたくないですか? 鍵は開いています。私を人質にとるなりして逃げる事も可能なはずですよ?」

にこにこと笑って見せながら、煽るように様子を見てみたり。

「それともこの場で私を襲ってみますか? 長い牢屋生活、溜まるものも溜まっているでしょうし。何より私は処女ですから、きっと男性好みのはずですよ?」

いかがですか? と、スカートをちらりとまくって見せ、男の『本性』を伺ってみたり。

「……」

しかし、やはり反応が無い。視線を逸らしもしない。

フィアーも流石にため息が出た。

「はあ、困ったものですねぇ。私は困っているのですが」

どうしたものやら、と、眉を下げ、途方に暮れそうになっていたときのことであった。


「いきなり現れた場違いな格好をした少女に、逃げ出す算段を教えられたり、誘いをかけられたりしてそれに乗る馬鹿がいると思うのか?」


 そのままの視線、そのままの顔で、男がぼそり、呟いた。

突然の事だったのでフィアーも驚いてしまったのだが、よくよく考えればそれはありがたい事のはずであり。

彼女はすぐさま攻勢を仕掛けた。

「名無しさん、貴方の力が欲しいのです。私の元にきませんか? いいえ、選択肢なんてありません。私の元に来なさい!」

「うるさい娘だな。私に何の用なのだ。黙って聞いていれば訳の解らないことばかりを。良いから早く要件を言え。そして帰れ」

「貴方には才能があります」

面倒くさそうに視線を背けた男に、フィアーは指をズビシィ、と当てながらに語る。

「人を欺く才能が。人から身を隠す才能が。そして何より、人を殺す才能が」

「……それが何の役に立つ。役に立たないから私は、こうして牢屋に放り込まれたのだ」

そう、彼はそれらを活かせなかった。その結果の死刑である。


 だが、フィアーは構う事無く男の手を取る。

腕は痩せ細ってはいたが、それでも彼女には筋肉らしい硬さを感じられていた。

「それは貴方が役に立たない世界にいたから。処刑されてしまうような世界で暮らしていたから。私達の『世界』に来ませんか? きっと貴方は大成しますよ。貴方なら大成できる」

「まるで邪教の教主のような口ぶりだな」

「似たようなものです。私達は人を殺しますからね」

男の皮肉にもめげない。

そもそも、彼女たちは一般から見て邪悪な存在であった。

「貴方はどうですか? 数多くの死体を生み出し、たくさんの人を騙し続けた貴方は?」

「……確かに、邪教の信徒と大差が無いかもしれん。いや、それ以上に酷いかもな」

フィアーの言葉に、しかし男は機嫌を悪くするでもなく淡々と呟く。

「名無しさん。貴方にお名前をあげましょう。闇夜を跳び、獲物を(ほふ)る夜の主。『クロウ』という名をあげましょう」

「――クロウ」

呟くように復唱する男。フィアーは満足げであった。

「かつての『貴方』は判決を受けた時死にました。貴方の名は、名誉は、地位は、牢に入れられた時全てが奪われた。だけれど、貴方には生まれ変わる機会がある。選びなさい。名無しのまま罪を(あがな)い死ぬか。邪教のような私達の使い走りとなるか」

死刑囚となった男に、最早選ぶ選択肢などないはずであった。

誰だって死にたくはない。ならばこそ、生きられる道を選ぶはず、と。

だが、男は哂っていた。無表情な男の、なんとも愉快げな笑顔であった。


「――それなら罪を贖って死ぬほうが、まだいくばくかマシだな」


 驚くフィアーが愉快でならないと、男は口元を歪めていた。

差し伸べた手を叩くかのような返答に、フィアーはしばし硬直してしまっていたが。

しかし、やがて男と同じようににやりと口元を歪ませ、口を開いた。

「素晴らしいわ。貴方はこのような状態になっても『誇り』を選ぶのね。流石だわ!!」

興奮気味に手を取り、瞳を覗きこむようにして笑うのだ。

これには男も逆に唖然としてしまう。

――何を考えてるのだこの娘は?

それが、彼の頭に浮かんだ疑問であった。少なくとも外見相応の年齢の少女には見えなかった。

「そうでなくては困るわ! 私達の『仕事』はただの快楽殺人ではない。金貨や命の対価として行われる純然たる『商売』よ。だからこそ、『職人』には下劣な殺人者になられては困るの。誇り無き者に用は無いわ」

「だから、私は断ると――」

「いいえ、貴方は必ず私の元に下る。だって私――」

驚きながらも拒絶しようとする男の顔に、ぴたりと鼻先をつけながら。


「人をその気にさせるの、得意だもの」


 妖しげな空気を漂わせながら、『女』は囁きかける。

先ほどまでのわけの解らない少女然とした様子からはかけ離れた、妖艶な『女』の香り。

男は思わず息を呑むが、フィアーは微笑みを(たた)えたまま耳元へと口をつける。

「安心して良いわ。私は魔女でもなければ処刑官でもない。ただ、貴方が欲しいだけ」

「……好きにするが良いさ。これも贖いの一つなのだろう」

「いいえ? 全く関係ないわ」

「私はそう思っている。それだけだ」

男は頑なにフィアーを拒もうとする。だが、腕を掴まれ、顔を背ける事しかできなくなっていた。

長きに渡り牢に放り込まれていたため、こんな少女の腕一本、満足に振り払えなくなっていたのだ。


「拷問だと思い込みたいの? 苦痛なら耐えられるものね。苦痛を耐える事はそんなに難しい事じゃないもの。歯を食いしばってるだけで良い」

「快楽とて耐えられる。不細工な女の顔でも想像していればいかようにでもな」

皮肉げに瞳を覗きこんでくるフィアーに、男は眼を閉じ抵抗して見せた。

少女は哂った。可愛い抵抗であった。

「でも、心を攻められると人は脆いわ」

「そんなものはとうの昔に捨てた。持っていてもどうしようもないからな」

「そうでしょうか? 貴方は心を感じさせなかったから捕らわれ、それでいて心を捨てられないからこそ誇りを糧に生き続けていたのだと思いましたが?」

フィアーの言葉に思うところあってか、目を見開き、その顔を睨み付ける。

「……知らんよ。君に何がわかる」

「貴方の事は全部知っていますよ。貴方以上に。でも、貴方の誇りが折れるところは知らないわ」

「そんなものは無い。誇るべきものなど何もないのだ」

「それは嘘でしょう。誇りなき者に理性は続きませんよ。何年牢屋に入ってると思っているのです? 光のまともに射さない闇の中、貴方は何年、理性を保ち続けていたんです?」

「もう解らんよ。自分がいつここに放り込まれたのかも覚えていないのだ。自分の顔すら思い出せそうにない。今、人の言葉を話せているのが不思議なくらいだ」

そう、彼には解らなかった。今がいつで、自分が今どうなっているのかを。

今の世界を、彼は何一つ知らない。

ずっと閉じ込められていたのだ。

処刑される日がいつなのかも解らぬまま、ただ日々を生き続け、だというのに理性を失わずにいられた。

芯となる誇り無くしてどうして耐えられたものかと、フィアーは理解していた。


「貴方はとても強いわ。たくさんの人を殺し、たくさんの人を騙し、それでも尚、人々を救おうとした。貴方はとても多くの人の死を知っていて、それなのに心を保てている。ただの犯罪者に成り下がらず、惨めに命乞いをしたりせず、その誇りを今も尚心に留めている」

「放っておいてくれ。そいつはもう死んだんだ。私ももうすぐ死ぬ」

「貴方が捕らわれた時代には貴方は必要の無い人だったのかもしれない。けれど、今の世界は違いますよ? 貴方は、今の時代にこそ必要な人なのです」

またも空気は変わっていた。

妖艶な女のモノとも、元の少女のようなモノとも違う、何かに訴えかけるような、願うような声。

拒絶し難い柔らかみを持った、それでいて厳しさを感じさせるピリピリとした空気に、思わず鳥肌が立ってしまう。


「時代が、変わったのか……?」

だが、男の興味は少女の雰囲気ではなく、言葉にこそ向いていた。

「変わりましたよ。貴方が外にいた時代の国王は死に、貴方を罠にはめた第一王子も隣国との関わりが露呈した結果失脚して処刑されました。今の王は貴方を擁護しようとしていた第二王子です。騎士団は団長が世代交代し、衛兵隊や王宮近衛隊とは随分と仲が悪くなったようですが」

フィアーは男の興味が動いたのを目聡く察し、できるだけ関心が向くように説明を続ける。

「国全体、それから街の様子も随分違いますよ。貴方が知っていた頃とは大違いです。街の中なら若い娘が一人で歩いていてもそれなりに安全ですし、賊の類も大分減りました。戦争直後の混乱は、今ではほぼ消え去ったと言えるでしょうね」

「そうか。第二王子が王となったか。国も、平和になったのか――」

嬉しげであった。皮肉っぽいものではなく、心から喜んでいるような、そんな自然な笑顔がそこにはあった。

フィアーも、どこか安堵したように息をつく。

「何より――今の時代、貴方の処刑を望む者もいません。忘れられていますから。貴方の身の回りの世話をしていた者だって、貴方がなぜ牢に入っているのかを知らないはずです」

「……そうだったのか」

「名無しさん。新しい時代を生きたいと思いませんか? 貴方が変えたいと願った世界を」

男の眼には希望の光が蘇っていた。

フィアーを見つめ、(まなこ)が震える。

「私の元にきなさい。貴方にしかできない『仕事』があります。私達は皆貴方と同じ。過去を捨て今に生きる道を選んだ者達ばかりです。何を恥じる事もありません。私は、貴方に仕事を依頼したいのです」

「私は、不器用な男だ」

再び手を差し出したフィアーに、しかし男は戸惑いながら言葉で渋る。

「そうと思い込まねば何事も出来なかった。そうと思い込めば、周りが見えなくなっていた。そんな私に、君の言う『仕事』が務まるのか?」

「それが仕事であるならば。そう思い込み勤めを果たしなさい。そうしている間は、貴方は私達の『職人』でいられる。私達は殺人鬼ではありません。人を死に誘う死神なのです」

「……死神か」

「死神の鎌は、誰にでも理不尽に振るわれるものではありません。その時死ぬべき者に対し振るわれ、結果として人は死ぬ。私達はそれを生業としているに過ぎません」

フィアーは、勝手に男の手を握っていた。

もう片方の手で覆うように手の甲を包み、その瞳を覗き込む。


「教えて欲しい」

男は問う。

「君は、何者だ?」

自身の瞳を覗きこむこの少女を見つめながら。

「……知りたいですか?」

楽しげに口元を緩ませながら、少女は再度、男の耳元へと口を添える。

そうして何言か囁き、離れた。

「――君がか?」

「ええ。私が」

意外そうに驚く男に、してやったりと笑ってやりながら。

少女は正面から男の顔を見据えていた。

「……そうか。時代が変わったんだな」

噛み締めるように呟き、男は小さな手を握り返す。

「私の名は、『クロウ』でいいのか?」

「ええ。誇りなさい、その名を。誰よりも強い猛者(もさ)の名ですよ。夜限定で」

「そうか。猛者の名か。ならば、恥じぬように生きなければな」


 ぐら、と、男の身体が揺れる。

立ち上がろうとしていたが、不慣れなためかぐらついてしまっていた。

フィアーはスルリと懐に入り込み、そのまま肩を貸す。

男の体重がのしかかるが、少女は気丈に耐えていた。


「ああ、人と触れたのは久しぶりだった。しかし、臭わないかね?」

少女の髪から漂う良い香りとは裏腹に、男の身体は悪臭漂う悲惨なものであったが。

「生憎と鼻は死んでまして。貴方は多分すごく臭いんでしょうけど、私には解りませんね」

気にする様子もなく、クスクスと笑いながらゆったりと牢屋を出る。

その足取りは遅かったが、蝋燭の前までくるといよいよ、牢を抜けた実感に男は痺れた。


「ああ、腹が減ったな」

地上に出て、思い出したかのように男は、クロウは、自分の腹をさすりながら苦笑していた。

「お腹が空きましたか? 貴方は何が好きなんです?」

「――何が好きだったかなんて覚えてないが。パンが食いたいな。たらふく食いたい」

牢屋の飯は(かゆ)ばかりだったからな、と、口元を歪ませていた。

「そうですか。じゃあ、沢山食べさせてあげましょう。美味しいお手製のパンを」

冷たい風の吹く中であったが、少女は優しく微笑んでいた。

風に揺れる長い髪が美しく。クロウはようやく感じられたのだ。

――これが、今の時代なのか、と。


 白い雪の積もった道に二人分の足跡。

少女と男はこうして出会い、始まった。


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