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第五話

*


 その一軒家の全ての窓には雨戸が閉め切られ、手入れする者のいない庭は草木が生い茂っていた。


 立ち入り禁止のプレートがかけられている門扉を押し開けると、錆の浮いた金具が耳障りな音をたてる。最後にここを訪れたのはもう3年くらい前だろうか。


 夏樹は玄関の側の地面にはめられた小さな鉄蓋を開ける。埋め込み式の蛇口が取り付けられたそのスペースに手を入れ、ふちの裏側を探ると指先に金属製の鍵が触れた。鍵を抜き取り、玄関の鍵穴に差し込む。軽い音がして施錠されていた扉が開いた。

 運良く鍵は変えられていなかったようだ。


 合鍵の隠し場所なら今でも覚えている。何しろここはかつて夏希が両親と暮らしていた家なのだから。


 物件の管理会社が定期的に清掃でもしているのだろう。中は埃に覆われていたりするわけでもなく、思っていたより綺麗に片付いていた。

 薄暗い廊下を抜け、かつてリビングだった部屋の前の階段から2階へと上がる。陽の光が遮断されているために闇の帳が下りてはいたが、夏樹の目は暗闇でもその機能を失わない。構わず廊下の突き当たりにある部屋の前に行き、ドアノブを回した。


 ここはかつて夏希の両親が使っていた部屋だ。


 ベッドや鏡台、タンスなどの家具が一切取り払われたその部屋は見る影もないほどに閑散としていた。夏樹は記憶の中で鏡台の置かれていたあたりの壁を背にして腰を落とす。両膝に顔をうずめ、虚空に向けて語りかけた。


「マモ。いるんでしょ?」


 夏樹の呼びかけに応えるようにマモが部屋の中央に姿を現す。いつもよりうつむき気味に背中を丸め、怯えたように眉を寄せている。

 まるで叱られることを恐れている子供のようだが、今の夏樹にはそれを愛らしいと思える余裕はない。


「私にはけして嘘はつかない。あなたがいつも言ってることよね?」

 マモはこくりと頷いた。


「だったら教えて。あなたは私から一体何を奪ったの? 私は契約を結ぶためにあなたが望んだものを捧げた。私の――」

 夏樹は一瞬言いよどみ、深く息を吸い込むと顔を上げてマモをまっすぐに見据えた。


「両親の命を私は捧げたはず。そうよね?」


 視線を下に向けたままマモが頷いた。

「うん。その通りだよ」


「だけど私は小さい頃の記憶も失っている。まだ子供だったのと、なによりあまり思い出したくなかったから気付かなかった。もちろん思い出せることもあるけど断片的なものばかり。これはあなたが関与しているんでしょ?」


「確かにぼくだよ。思い出や人間関係は君がこれから生きていく上での枷になる。過去に苛まれるくらいなら人間性なんて捨ててしまえばいい――」


「だから私の記憶を奪った? だけど私は自分の欲望のために両親を捧げるような人間だったんでしょ。事実、私はあなたから自分の行いを告げられた時も心は動かなかった。本当にそこまでする必要があったの?」


 夏樹が覚えている限り、両親は夫婦仲が悪く喧嘩ばかりしていた。きっと自分は両親のことが嫌いだったのだろう。だから躊躇することなく悪魔への贄とした。そのはずだ。


「マモ、隠し事はしないで。あなたが私の記憶を奪った本当の理由は何? 契約の時、私とあなたの間にどんなやり取りがあったの?」


 きっといつものように納得のいく説明をしてくれるはずだ。夏樹はそう期待した。だがマモは全身を小刻みに震わせ、ゆっくりとかぶりを振った。


「言えない」

「どういうこと? 今まではなんだって答えてくれたじゃない!」

「僕は君に対して嘘をつかない。これは絶対の約束事だ。だからその質問に答えることはできない――答えないんじゃなくて、答えられないんだ」

「なにを言ってるのよ、都合が悪くなると答えられない? そんなの私に対してなんらかの嘘をついてるって認めてるようなものじゃない。卑怯だわ!」

「たしかにぼくは夏希に対して嘘を抱えている。それは確かだよ。だけどそれは今まで君に話したことになんら関わりのないことなんだ」


 マモは顔を上げ、両手をいっぱいに広げて言った。

「都合がいいのはわかってる。だけどぼくを信じて! 君を欺くことはけしてしないと誓うよ」

 マモが見せた真剣な表情に夏樹は戸惑った。だが彼が自分に対して打ち明けられない秘密を抱えているのも事実だ。


 迷いはしたが、結局何も答えずに夏樹はゆっくりと立ち上がった。


 マモと視線を合わさぬようにして足早に部屋を後にし、そのまま階段を下りて玄関から外へ出る。扉に鍵をかけ、合鍵はブレザーのポケットにしまった。


「なっちゃん!」


 突然名前を呼ばれ、飛び上がりそうになりながら振り返る。

 門扉に手をかけ、身を乗り出すようにして春菜が立っていた。


「春菜――」

 夏樹は息を飲んだ。春菜の目からせきを切ったように大粒の涙が溢れ出したからだ。


「ごめん、ごめんね。本当は言おうかどうか迷ったの。私ってドジだし、地味だから忘れられるのなんて当たり前だし――」

 春菜は肩を震わせしゃくり上げる。

「だけどお父さんのこと覚えてくれてた時、私うれしくなって、それで我慢できなくなっちゃって。ごめんね。本当にごめんねぇ」


 夏樹はまるで心臓を射抜かれたような息苦しさを覚えた。あの時自分が動揺したのは、遺影に写った男が魔法をかけた相手であったからにすぎない。


 つまり、かつての友人の父を殺したのは自分ということだ。


「春菜に謝られる覚えはないわ。さっきは突然で驚いただけ。私の方こそごめん」

 ポケットからハンカチを取り出して涙を拭ってやる。春菜は少し落ち着いたのか大きく頷いて鼻をすすり上げた。


「ほら、帰ろ。きっとひなたも何事かって思ってるわ。お姉ちゃんが泣いてたらあの子達も不安になるよ」

「うん――ありがとう」


 春菜と並んで住宅街の通りを歩く。すぐ先にある公園で子供たちが遊ぶ声が聞こえた。

「ねえ、春菜は今困ってたりしない? その、お父さんが亡くなって色々大変じゃない?」


 気になっていたことを聞いてみる。要領を得ない質問に春菜は最初首をかしげたが、すぐに察したようにかぶりを振った。

「大丈夫だよ。私の隣の家の建物――お父さんの会社は人手に渡ることになったけど、難しい問題とかは全部片付けてくれてたみたい。お母さんから聞いただけであんまり詳しくは知らないけど、社員の人たちのお給料とかもちゃんと払ってあげられたって」

「――そう」


 春菜の父は自身に生命保険をかけていたことを夏樹は知っている。おそらくそれらのほとんどが事後処理に当てられたのだろう。それでも、借財などが春菜たちに被さることがなかったのは不幸中の幸いというべきか。


 その時通りのはるか向こうの脇道から一台のダンプカーが走り出てきた。荷台に鉄骨などの建材を満載しておりひどく危なっかしい運転だ。

 道の端に寄ろうとした夏樹たちのすぐ前方を小さなゴムボールが横切った。後を追って小さな男の子が公園から飛び出す。


 嘘でしょ――夏樹はダンプカーに目を向けた。運転手は片手で携帯を操作しており、気付いた様子もなく車を走らせている。


 魔法を使う? だけどあんな子供に? 夏樹は躊躇した。たとえ今助かったとしても一ヶ月後には逃れられぬ死が待っている。それでは何の意味もない。


 だが夏樹の思考はそこで停止した。隣にいた春菜が弾かれたように駆け出していったことに気付いたためだ。


「春菜、駄目ぇ!!」


 夏樹は悲鳴に近い声を上げた。

 運転手はそこでようやく子供に気づき、急ブレーキをかけた。だがスピードに乗った車体が停止するには遅すぎた。春菜はボールを拾って立ち止まっていた男の子を抱きかかえるようにしてうずくまる。


 轟音が鳴り響き、あちこちから人が姿を現した。周囲が騒然としだす中、夏樹はただ呆然とその場に座り込むことしかできなかった。



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