第三話
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「夏樹、あの子との友達づきあいは程々にした方がいいと思う」
洗面所で登校の準備をしていた夏樹は、髪をとかす手をとめて振り向いた。ラックに腰掛けたマモが指をいじいじと動かしながら見上げてくる。
「春菜のこと? 友達になったつもりはないわ。ただの成り行きよ」
再び鏡に向きなおり、髪にクシを通す。鏡に映っているのはラックのみで、そこにいるはずのマモの姿は映っていない。
「成り行きで結婚した男女もいれば殺人に至る者もいるよ。成り行きは運命の同意語だ。軽く考えない方がいい」
夏樹は洗面台にクシを置くと腰に手を当てマモを振り向く。
「今回はずいぶん口うるさいのね。そんなに私に友達ができるのが都合悪い?」
「他人との絆を結ぶということは必然、その人間の人生に干渉することになる。それが弱みとなることくらい君にはわかるはずだよ」
はっきりとは言わないが、マモは夏樹に冷酷であってほしいのだろう。夏樹が魔法を使わなければ取り分が減る。いかにも悪魔的な理由だと夏樹は思った。
「わかってる、あくまで表面上だけのつきあいよ。深入りする気はさらさらないわ」
「それがいい。君は今まで通りにするだけで誰より幸せな生を謳歌できる。他者に頼る必要なくね。それだけは忘れないで」
マモはそういうと溶けるようにその場から姿を消した。夏樹は珍しく口うるさい友人に違和感をおぼえつつ、ウールのマフラーを首に巻いて鞄を拾い上げる。
高校生が住むには不似合いなマンションを出て通学路へと歩を進める。周りに同じ制服を着た生徒たちが目立つようになったところで夏樹の足が止まった。
「あ、なっちゃんおはよー! まだ冷えるね」
曲がり角から現れた春菜が夏樹に気づいて手を振ってくる。周囲の視線が集まるのを感じて夏樹はマフラーに深く顔を埋めた。
「――おはよう。ねぇ春菜、みんなの前でその呼び方やめてって言ったでしょ」
「あ、そうだった! ごめんね」
夏樹は大きなため息をついた。春菜と知り合ってから一週間ほどだが、二日目あたりから二人で登校することが当たり前になり、呼び名もなっちゃんで定着してしまった。マモが危惧した通りいつの間にか深入りしてしまっている気がする。
夏樹としては周りから悪い意味で浮くことを避け、誰に対しても距離をとるポジションを貫きたいのだが。
春菜が喋りかけてくる話題に相づちを返しながら校門を抜け、げた箱までたどり着く。そこで唐突に茶髪――佐原真希という名前だと最近知った――とバッタリ出くわした。
当然のことながら真希はバツが悪そうに眉をひそめ、目を泳がせた。
自分にとってはどうでもいい相手だが、春菜にはそうでもないだろう。そう考えた夏樹の背後で声があがった。
「あ、おはよー佐原さん」
それが当然であるかのように春菜が笑顔で真希に挨拶した。逆に真希の方は一層困惑した表情を浮かべ、口元をなにやらモゴモゴ動かしながらさっとその場から立ち去ってしまった。
「――よく挨拶できるわね」
夏樹があきれた顔で言うと、春菜は首をかしげた。
「え、どうして?」
「どうしてって、忘れたの? ついこの間言いがかりつけられたばかりじゃない。普通声なんてかけないわ」
「でも佐原さんいい人だよ」
春菜はこともなげに言い切った。仲直りでもしたのかと思っていると、春菜は靴を履きかえながら笑った。
「いつも周りに誰かいるし、友達も多いし。私もあんな風だったらなぁって」
「あのね春菜――」
夏樹は言葉を失った。真希のようなタイプは人望があったり好かれているわけではなく、周りを自分に合わせることに長けているだけなのだ。本当の意味での友達など彼女にはいないに違いない。夏樹はそう言いかけたが、考えた末に思いとどまった。
「なに?」
「なんでもない。春菜はそのままでいいのよ。お人好しでいいの」
夏樹はさっさと靴を履きかえて校舎に入り、階段を上がった。
「あ、なっちゃん待ってよー」
春菜の呼びかける声が響きわたる。夏樹は頭を抱えたくなったが、不思議と悪い気はしなかった。