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ラブカクテルス その12

作者: 風 雷人

いらっしゃいませ。

どうぞこちらへ。

本日はいかがなさいますか?

甘い香りのバイオレットフィズ?

それとも、危険な香りのテキーラサンライズ?

はたまた、大人の香りのマティーニ?


わかりました。本日のスペシャルですね。

少々お待ちください。

本日のカクテルの名前は初恋の貴方でございます。


ごゆっくりどうぞ。



僕は恋をした。

初恋だった。

こんな気持ちは初めて。なんて、よくドラマや歌の歌詞なんかで耳にするけど、これかっ。である。

その喰らわされた衝撃と言ったら百万ボルトの電気ショック並に強烈だった。とは言ってみたものの、そんな電気は当然浴びたことなどないが。


僕がそんなショックを体験したのは、忘れもしない中学校の入学式の帰り道で、一緒に来ていた母さんが、緊張したせいで喉が乾いたと、中学校からそう離れていない喫茶店に入ろうと言い出し、その中程の席に着いた時のことだった。

母さんは僕にメニューを差し出して何にするかと聞いていたが、僕はと言えば、それどころの場合ではなかったのだった。


目に入った彼女の姿はまるで天使そのものだった。

僕がしばらく、その体中に流れた電流に動きを奪われていると、母さんは半ば強引に僕の飲み物をクリームソーダに決めて、自分のコーヒーフロートと一緒にあっという間に注文した。

よほど喉が乾いていたみたいだが、僕にはそんなことを気にしている余裕などなかったのだった。

しかし、僕は内気なせいもあり、その日は始めに少しちらりと見ただけで、もう目を合わせることなどできずに、ほとんど下か、母さんの顔しか見ていなかった。

いや、見れなかった。しかし僕の脳裏にはくっきりと、そして鮮明に彼女の顔が焼き付いたのであった。

僕は母さんの話にただ相づちを打ちながら聞いていた。

母さんはそんな僕の様子を見て何回も、ちょっと聞いてるの?といいながら変な目で僕を見出したので、慌てて気付かれないように振る舞ったのだった。


それから僕の中学校生活が始まったが、なかなか周りには馴染めずに一学期が終わった。

だが、あの喫茶店を、少し遠廻りながらも帰宅路に入れて、毎日彼女を覗いて行くのが日課になっていて、そのおかげでとりあえず一日も休まず学校には行くことができていた。

彼女はいつ見ても綺麗で素敵だった。

僕はそんなに毎日見つめていると、怪しまれるし、嫌われると思ったので毎日毎日、チラッと通りすがりに見るだけで我慢していた。それでも満足だった。


彼女は魅力的な目をしていた。その瞳は澄んでいて、無垢で汚れも嘘もごまかしも、彼女とは無縁の世界。

そんな印象が伺える、真っ直ぐな瞳。

僕の世界にいる大人たちとは大違い。

きっと彼女はそんなずるい大人にはならないはずだ。そう僕は思ったものだった。

しかし、どう見ても彼女は僕より年上。

相手はいるのだろうか?それともいないのだろうか?もしいなかったら年下の男はどうなのだろう。

きっと駄目だろう。

だって僕はそれほどハンサムではないし、魅力的なところもない。

自慢出来ることも。

僕の家だって決してお金持ちじゃないし。

でもいいんだ。彼女の事が僕は好きで、そんな今の自分が僕は気に入っているのだから。

そんな事を考えながら僕はいつも帰宅の途についたのである。


さすがに僕は夏休みまで、毎日学校に来る気はなかったが、一ヶ月近くも彼女の事を見れないのは辛い。

これといって部活もしていなかったし。

そう、だから部活をすることにしたのだった。

何部にしようか迷ったが、僕は運動オンチなので文化系でいこうと思った。

そして入ったのは美術部だった。そして彼女の絵を描くことを目標にしたのだった。

それから僕は学校に行く正当な理由を楯に、毎日学校では絵を描き、帰りには例の喫茶店の前を通る日々を続けた。

そして、意外にも僕には絵のセンスというものが少しあったらしく、課題に対して想い浮かぶままを描くと、その視点が斬新だ。と顧問の先生に褒められたのだった。

そして、共通の趣味を持つ者同士、のように部員とも結構仲良くなることができ、それがまた自分には予想外だったが、大して時間も掛からずにそれが自然なことになった。

だが、喫茶店の彼女のことはやはり、いくら仲がよくなった相手でも誰にも言わずに自分だけの秘密にしたし、帰り道は必ず一人で帰るようにしたのだった。

しかし、そんな規則的にいい調子で流れていた日常も、ある日突然、僕を奈落の底に落とす事件で崩れたのだった。


それは、蒸し暑い昼間の温度がきっと2度程下がった夕暮れ時。僕はいつものように例の喫茶店の前にきた。そしてちらっと彼女のことを見た瞬間、動きが止まった。

そう、いつもいるはずの彼女が見当たらないのであった。

僕は驚いた。

そんなことがあるとは夢にも思っていなかったので僕はどうしていいのかわからからずに、ただただそこに立ち尽くしたのであった。

しかし、お店の前でそんなに長い時間突っ立っているわけにもいかずに、なんとか無理やり足を動かして僕は家に向かったのだった。

その日はろくろくご飯も口に入らず、両親のしゃべる言葉、テレビの音、電話のベルでさえ僕の中には入って来れなかった。


次の日はとりあえず何かの間違いということもあるだろうと、なんとか軋む体と心にムチを打って学校に向かってみたが、描いていた絵にはほとんど手が入ることがなく、半分魂が抜けた状態で日が傾き、気が付くと僕は喫茶店のすぐ傍まで無意識に来ていたのだった。

僕はしばらく喫茶店に近づくのを躊躇った。

もしまたお店を覗いたときに彼女の姿がなかったら、そう考えるとなかなか足が前に出てくれないのだった。

そんな時、後ろから突然声を掛けられた。

僕は体をビクつかせ強張ったまま、ぎこちなく振り返ると、そこには見覚えのある顔がぼくを覗きこんでいた。

あのお店のウェイトレスさんだった。

彼女は腰を屈めたまま僕の顔をじっと見て、やっぱりそうだっ。と目を大きく開いて指をさしてきた。そして、

あなたいつもうちのお店を気にしてくれてる、

それを聞いた途端、僕の心臓はいっそう激しい鼓動に支配され、気づいたときにはそこから逃げ出すように走りだしていたのだった。

後ろからは微かに僕を呼び止める声がしていたが、なんと言っているかは聞き取ることさえできなかった。

僕は、彼女を見ていることを僕一人だけの秘密にしていたと思っていたが、それがまるでバレタかのような気持ちに、心が支配され、悔しいさと、切なさと、空しさが僕をグルグル取り囲み、それを振り払うように走り続けたのだった。

家に着いた僕はそのまま自分の部屋に閉じこもり、この世界と別の世界へ逃げ込んだのだった。


僕はどれくらい布団の中という自分の殻の世界に閉じこもっていたのかは覚えていなかったが、元の世界に戻ったのは真夜中だった。

すごい空腹に見舞われ、キッチンに行ってインスタント麺を手に取った。

それを自分の部屋ですすりながら、なにげなラジオを付けた。

あまり意識を向けずに聞いていたラジオはなんとなく心地よく聞こえた。

そこから流れてきたある曲が僕の耳に柔らかく入ってきた。ささくれ立った心に少しだけクリームを塗ってくれたようなその曲はだんだん僕に元気を注ぎ込んでくれた。

そして僕は、ナゼかその曲のせいでなのかはわからないが、このままじゃ駄目だ。彼女だって決してこんな男は好きではないはずだと、思うようになっていった。

そして明日、僕はあの喫茶店に行って彼女の行方をハッキリ聞いてこようと、決意したのであった。


その日は普段のように部活には出た。

そして、ふっきれた僕の顔を見て、皆が心配していたと話掛けてきてくれて、僕は何だか気持ちを温かくしてもらったようだった。

僕は教室に吹いてきた夏の風もが、僕を励ましてくれている、そんな気分に感じとれた。

そして、しばらく手をつけていなかった絵画に筆を載せ始めた。


放課後はいよいよ、一人で喫茶店に入ろうと緊張気味に、通り慣れた道を足早に歩いた。

そしてお店の手前で立ち止まり、大きく深呼吸をすると、僕は喫茶店のドアを揺らしたのであった。


店内に入ると、ドアに付いていたベルが大きく鳴り、お店全体に客が来たことを知らせた。

僕はそれを聞いて少し体に力が入り、悪い事をしているように周りをキョロキョロ見回したのだった。

そんな姿を見ていた、この間のウェイトレスさんが少し驚きながら微笑んで僕に、いらっしゃい。と声を掛けてきてくれた。

僕は少し下を向きながら彼女のことを聞こうと思って口に命令をしていると、ウェイトレスさんは僕にこっちへと手招きして促した。

僕は仕方なく、お店の中では奥まっている柱の陰の狭くて小さな席に座った。

すると、そこにはなんと、彼女がいたのであった。


僕があっけにとられるようなその姿を見ていると、ウェイトレスさんは僕にコーヒーが飲めるかと聞いてきたので、何も考えずに頷くと、彼女は微笑んで僕に、大人ね。と言った。そしてカウンターへ戻っていった。

僕はなんとか力を抜き、椅子に腰掛けた。

目の前にいる彼女をまるで取り憑かれたように見とれていると、さっきのウェイトレスさんがそっとやってきて、優しくテーブルの上にコーヒーを少し音を立たせて置いた。

そしてそんな様子の僕に、

やっぱりね。そうだと思ったんだ。毎日これを見に来てくれてたのでしょ。

と、僕に話し掛けてきた。

そして、

この前、お店のオーナーが内装を一新すると言って色々なものを用意してきたから、私はオーナーにこれだけは外さないようにと頼んだの。私も好きなんだぁ。この絵。

こんな端で外からは見えなくなってしまったけれど、でもこの席に座れば特等席でしょ。だから君にもここに座って観てもらおうと、この間は声を掛けたの。と。

僕は相変わらず彼女に見とれながら、お礼を言ってコーヒーを一口飲んだ。

なんて苦いんだ。

顔をしかめた僕を見てウェイトレスさんが笑った。

僕もつられて笑った。それが僕の青春の味となった。


それから僕は部活の帰りに度々喫茶店に寄るようになり、そのうちオーナーとも仲良くなると、コンクールに入選した僕の絵がお店に飾られたりもしたし、高校に進学すると、僕はそこでアルバイトを始めた。

彼女を見ながら。


そして今、私は喫茶店を開いた。

この辺にはあまりないハウス美術館とでもいう感じの、画廊も兼ねた落ち着きのある店だ。

定年を迎えるまでにコツコツ貯めた貯金でなんとか開店までにこぎつけた店だった。

店は小さなものだったが、画廊を兼ねた落ち着きのある店にして、コーヒーには格別こだわりを持った。

客の入りはそれなりだったが、儲けが目的ではなく、趣味の延長みたいなものだったので、とりあえずは十分だった。


そして私の楽しみはあの頃ラジオから流れた曲をバックに、ホロ苦いコーヒーを飲みながら、彼女をいつまでも見ていることだった。


おしまい。



いかがでしたか?

今日のオススメのカクテルの味は。

またのご来店、心よりお待ち申し上げております。では。

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― 新着の感想 ―
[一言] お久しぶりです。 今回はほろ苦いコーヒーによくあうシックな感じのお話でした。 この手の話は好きなので、楽しく読めました。
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