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Kiss&Happiness  作者: 千秋
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第五章 「一匹狼の決意」

 多少の買い物以外は家を出ない日々が続いた。

 とても普段の生活を送る気にはなれない。

 風呂も気分によって入ったり入らなかったり。食事も胃が受け付けない時さえあった。

 そんな気力の失せた俺のことを、当然おじさんは心配してくれた。


「直樹君、具合悪そうだけど大丈夫かい?」

「ええ、まあ」

「そっか。でも何かあったらちゃんとおじさんに話してね。なんでも聞くからさ」

「はい」


 おじさんは俺が病気ではなくただ精神的に弱ってるだけだってわかってるようだった。

 家族として接することを避けてくれたおじさんに、あろうことか他人の家族の問題を相談するなんてできるわけがない。

 それでも、もう頼れるのはおじさんしかいない。


「あの、おじさん」


 ある時おじさんになるべく平然としながら聞きたいことを質問した。

 家族に関することを。


「おじさんには家族がいないんですか?」


 おじさんは結婚をしていない。本人が言ってたことだから間違いない。

 なら、おじさんの両親とか兄弟はどうしているんだろうか。

 俺の言葉を聞いたおじさんはしばし俺の方を見つめ困惑していた。

 しかし、すぐにもとの温厚な顔に戻る。


「そうだね。もう直樹君も高校生だから話しても問題ないよね」


 何を言ってるんだ。おじさんの話が何か俺に関係するのか。


「おじさんの家族はもういないよ。両親はおじさんが大学を卒業し就職するころに離婚してそれっきりもう会ってないし、兄弟は――弟は嫁と一緒に交通事故で亡くなったよ」

「その、俺と同じ境遇だったんですね」


 そっか。おじさんも俺と同じ、残された方の人間だったんだ。


「……」


 なぜか、おじさんが目を伏せたまま黙り込んでしまった。


「あの、おじさん? どうかしたんですか?」

「……直樹君。本当に申し訳ない」

「えっと、なぜ謝るんですか。俺には謝られるようなことをされた覚えは――」


「おじさんの弟は、君の父親なんだよ」



 どうしよう、俺の脳は全力で耳を疑っている。


「つまり、おじさんは……君の伯父さんなんだよ」


 チェックメイト。今度は完全にその言葉を脳が呑み込んだ。

 おじさんに拾われて、おじさんに育てられて、その根幹にあった家族足り得ない距離が崩れた今、俺は、オレハ――


「なんで……じゃあなんでおじさんはあの時『ただのおじさん』と言ったんですか! 家族であることを隠してまで、家族であることを否定し続けてくれたのはなぜなんですか!」


 もう、おじさんを責めるしかなかった。どんなにおじさんが苦しもうが傷付こうがそれを汲み取るだけの余裕が欠片も残ってない。


「話を聞いてほしい。文句は、後でいくらでも受けるよ」


 それにもかかわらず、おじさんはいつもの優しい顔を俺に向けてくれていた。


「……お願いします」


 話を聞く。それ以外に選択肢はない。


「事故の当日。おじさんはそれまで仕事で行っていた海外から飛行機で帰国する日だった。いつ帰るか気になってたらしい弟に帰国の旨を伝えると、久しぶりに会いたいからとわざわざ空港まで迎えに来てくれるということになった。

 弟とは彼の結婚式以来何年も会ってなかったからね。お互い住んでる家も近かったこともあったし、おじさんもつい嬉しくて迎えをお願いしたんだ。で、空港に着いてそれを弟に伝えて、その迎えを待ってたんだけど……」


 少しだけおじさんが間を置いた。


「弟の迎えはいつまで経っても来なかった。その時点で心配になって電話やメールをしたんだけど、弟の返事がなくて、仕方ないからタクシーで家に帰ったよ。

 それで、家に帰って何度か弟に電話を掛け直したら、数度目でようやくつながった……病院の看護師にね」


 それって……


「弟は……おじさんを迎えに来る道中で、事故に巻き込まれたんだ」

「!?」


 こんなにも無残な話があるのか。


「十字路の赤信号でアクセルとブレーキを踏み間違えたトラックに横から衝突されて……そのまま息を引き取った。一緒に乗っていた弟の嫁も含めて。家で寝ていた幼い直樹君は事故に逢わずに済んだけど……」

「……」

「おじさんが……あのとき迎えを断っていれば……二人は死ぬこともなかった……直樹君が一人になることもなかったんだ!」


 おじさんが大声を出す。


「そう、全ておじさんのせいなんだ。君の人生を狂わせたのも全て、おじさんのせい」

「じゃあ……おじさんが俺を拾ったのはなんで、なんですか」

「……弟は両親の離婚に最後まで反対していた。家族が良くない形でバラバラになることをすごく嫌っていてね。でも、そんな弟の反発も空しく強情な両親はおじさんたちを無視して離婚してしまった。

 それから、弟は殊更家族というのを大事にしようと決意した。将来できる家族は両親のように壊さないと。唯一の家族となったおじさんに何度も話してくれたんだ。弟を失って初めて……おじさんにもその気持ちがすごくよくわかったよ。

 でもね、おじさんはもう家族なんか失いたくなかったんだ。こんな辛い思いをするくらいならもう家族なんかいらないと。

 そう思ってしばらく生活してた時に最早血縁など関係ないような遠い親戚から直樹君を預かってほしいと頼まれてね。色々な家にたらい回しにされていると聞いてたから、きっと両親のことを考えている、両親のことを引きずってそう簡単には他人を受け入れられないと思ったんだ。だから……おじさんは君を引き取った。

 もし、君がおじさんを家族と認めてしまったら、また家族を失うかもしれないと恐れて君を引き取れなかったと思う。でも、君ははっきりと家族じゃないって言ってくれた。それだけでおじさんはどれだけ救われたか」

「いや、その……その時はおじさんが本物の伯父さんだとは思ってなかったので」

「いや、いいんだ。それに、理由はもう一つある。家族を大事にすると決意した弟の、唯一の家族である君をおじさんの手で育てようと思ったからなんだ。

 それが、弟に対するせめてもの罪滅ぼしになると……もう、おじさんにはそうするしか自分を許せなかった」

「……」

「これが、君とおじさんの家族のお話だよ」

「……ありがとうございました」


 いろいろ聞いて頭の整理が追い付いてない。


「もちろん、ここまで君を育ててきたからって許されるとはまだ思ってないよ。だから、おじさんは死ぬまで君の後見をしていくつもりさ。こんな話を聞かされて迷惑だと思うかもしれないけ――」


 でも、これだけははっきり伝えなければ。


「おじさんは、罪滅ぼし以上のことをもうすでにしてきていると思います」

「え?」

「何故なら、俺の父の唯一の家族ーー俺が今こうして生きてますから。それに、家族は両親だけなんていうガキのわがままを聞き入れて、そういう風に接してくれたことは決しておじさんのエゴではありません。今の根元直樹がいるのは間違いなくそんなあなたに育てられたからです」

「なんてことを……」

「これ以上自分を責めないでください。そんなことを父は、おじさんのお兄さんは望んでないはずです」

「……」


 ここで聞いておくか。


「育ててもらった身で偉そうなこと言ってすいません。その、最後に一つだけ聞かせてください。両親は、俺に関して何か言ったことはありませんか。なんでもいいんです」


 知りたい。心の底から聞きたい。

 両親の言葉を。両親の思いを。


「……たくさんあるよ。弟はすごく親バカだったからね。君のことをものすごくかわいがっていた。でも、一番伝えたいことはいつでも変わらないはずさ」


 父親の言葉。


 『家族を大切にしてほしい』


 ……家族、か。


「ところで、突然家族の話を聞いて何が知りたかったんだい?」

「いえ、もう大丈夫です。おじさんのおかげで自分がすべきことが分かった気がするので」

「そっか、それならよかったよ」


 いつもの温和な笑顔が俺に向けられる。

 決めた。

 本郷が家のために身を捧げるというなら、俺は本郷のために身を捧げてやる。

 俺が本郷を笑顔にすればいい。俺が本郷を幸せにすればいい。

 例え本郷が強がったとしても、それが本郷の不幸に繋がるなら俺は全力でそれを阻止しようじゃないか。


 そのためには――



 本郷の結婚式当日。

 俺は当主のいない豪邸の鉄の門に来た。

 程なくして門が開く。今思えば些細なことに驚いていた自分の姿が寂しさを際立たせた。


「根元様」


 門と玄関の中腹に千尋さんが静かに立っていた。


「千尋さん。この前はあいつを止められなかったけどさ。やっぱり俺はこの結婚おかしいと思うんだ」


 千尋さんは黙って俺の話を聞いてくれた。


「あいつが犠牲になる必要なんてないんだ! あいつを支えられる奴が必ずいるはずなんだ! たった十七歳でその可能性を全て潰すことはないんだ……」


 どうしても興奮を抑えられない。


「……私は」


 千尋さんの口が開く。


「私は、根元様のことを信じておりました」

「え?」


 信じていた、だと?

 どういうことだ。わけが分からない。


「いつか根元様にはお話ししなければならないと思っておりました。今日ここにいらしたという事はきっと、あの方からもお話があったかと思います」


 あの方? お話?

 ますます理解できない。


「十年以上前。根元様のお父様と共に交通事故に逢われた方がいらっしゃったはずです」


 おじさんの弟の嫁、つまり……


「俺の、母親」

「その通りです」

「って、なんでそれを千尋さんが知ってるのさ」


 当然の疑問を投げかける。

 返ってきたのは……


「私の……姉ですから」


 まさかの一言だった。


「えっと、その、あはは……嘘だろ。嘘だって言ってよ、千尋さん」


 だめだ、もう壊れてしまいそう。


「根元様とは亡くなった二人の葬儀の時だけですが、お会いしたことがあります。まだ三歳の頃のお話ですから、根元様には見覚えのないことでしょう」


 幼い頃の記憶はたらい回しにされたことと、おじさんとの出会い以外覚えていない。

 両親の顔すら覚えてないのに、たった一回会っただけの人物なんか知るわけがない。


「事故が起こった後、病院から連絡があって家族で姉の病室へ向かいました。病院に搬送された時点で亡くなっていたというお義兄様とは違い、姉の意識はまだ残っていました。まだ、会話が可能な程には……」


 千尋さんの顔が少しずつ暗くなっていくように見えた。


「千尋さん……その、無理はよしてくれ」

「姉は、生死を左右するほどの大きな事故に逢っていたのにも関わらず、私が姉と対峙したとき笑っていました」


 肩を震わすほどの物事をそう簡単に言わせちゃいけない。

 早く千尋さんを止めないと。


「千尋さん、もういいって」

「そのまま……私に向かって言いました」

「千尋さん!」


 俺は千尋さんの肩をしっかり掴んで静止を試みた。


「もうやめてくれよ。千尋さんが苦しむ必要なんてどこにもない」



「……お姉ちゃんは、千尋の笑った顔が一番好きだよ――と」



「!?」


 今まで見てきた千尋さんの鉄仮面のような顔の頬に、二つの涙の軌跡ができていた。

 泣いて、いるのか。


「精一杯の笑顔を向けようと頬を上げて姉に顔を向けた時には、すでに姉は眠りについていました。最期に、姉が好きだと言ってくれた私の笑顔を……姉に見せることが……」


 千尋さんにつられて、俺まで泣きそうになってきた。


「そんな私を……生きる気力を失い川に飛び降りようとした私を救ってくださったのが……お嬢様です」

「本郷が?」

「当時中学生だった私を拾いメイドとして新しい人生を与えてくださった方はご主人様ですが……その新しい人生で私の柱となったのがお嬢様の存在です」

「本郷の存在、か」

「もう十数年お嬢様を見て参りました。今となってはお嬢様の一挙一動でお嬢様の感情が分かります。元々、感情が表に出る方ですが、それほど私にとってお嬢様は大切な存在です」


 一時は涙が溜まっていた目も、気が付けば輝きを放っていた。

 ここにきてすぐの頃にも感じてたけど、千尋さんは本当に本郷のことを大切に思っている。


「根元様にお願いがあります」

「お、おう」


 千尋さんが頬に残る涙を拭った後、いつもの鉄仮面を見せてそのお願いを言った。


「もし、根元様がお嬢様の幸せを考えて行動なさるのでしたら、どうか根元様自身もお幸せになってください」

「俺が、幸せになる?」

「はい。お互いが幸せでいることこそ、最高の家族です」


 最高の家族。

 父さんも最高の家族を作ろうとして、母さんや俺の幸せを願っていた。

 それと同じように、母さんも父さんや俺の幸せを――


 なら俺は――


「分かった。最高の家族を、本郷と築いてみせる!」


 残された人間として、託された人間として、俺自身の家族を作るのみ。

 そう決意し千尋さんに向かったとき、ああと納得してしまった。


「お嬢様と接吻なさった時は気付きませんでしたが、生徒手帳を拝見させていただいた時は驚きました。ご成長……なさいましたね」


 わずか十年程度しか変わらない年齢の叔母の、優しさに満ちた純白の笑顔が眩しく見えた。

 


                   *

「――健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも――」


 私はこれから、白鳥純と結婚をする。

 会場に集まる人たちは、ほとんど私か白鳥に係わる会社の人間。本心からこの結婚を祝ってくれる人なんかいるはずもない。

 当本人すら望んでない結婚を祝ってもらっても複雑でしかないけど……それでも、私は目の前の男と結婚をする。

 私は、本郷家の娘として全うする。


 そう決めたんだ。


 式が進み、目の前の婚約者と接吻を交わすために一歩前に出た。

 そういえば、根元と親しくなったのもキスがあったからだった。

 あのときは最悪と思ったけど、今思えば私のファーストキス……あいつで良かった。

 それから色んなことが頭に浮かんできた。


 根元の執事服姿が似合ってたこととか、根元が倒れて心配だったこととか、誕生日に根元と遊びに行ってプレゼントをもらったこととか……


 こんなにも根元といたんだ、私。

 いろんな思い出が浮かんでいくうちに目頭が熱くなるのを感じ、目の前の景色が不規則に揺らいだ。


「どうした? そんなに私と婚約するのが嬉しいのか」

「ち、違う。目にゴミが入っただけ」


 ……未だに根元に未練があるのだろうか。


『クソッたれ! 忘れようとしても、忘れられねぇよ! お前のことが頭から離れねぇんだよ!どうしたらいいんだよ! なあ、本郷!!』


 屋上で言っていた、根元の言葉を思い出す。

 あいつは、私のことどう思ってるんだろう。やっぱり、わがままなお嬢様とか。

 まぁ、仕方ないか。勝手に結婚の約束して根元の意見を無下にしてここにいるわけだし。

 千尋がいつも言っていたけど、もう少しだけ素直になればよかったかもしれない。

 もっと、早く気持ちを伝えれば良かった。今更後悔しても仕方ないのはわかりきってる。


「ほら、ベールを上げろ。誓いのキスだ」


 でも、私は――


 そのとき、遥か数十m先に位置する出入り口の扉が豪快に吹っ飛ばされるのが目に入った。

 あれは――


                   *



 千尋さんから話を聞いた後、俺は千尋さんの運転で結婚式の会場へ向かった。

 もちろん、結婚式を止めさせるため。

 いきなり式に乱入したら不審者として扱われるのはまず避けられない。

 なら、本郷を奪って逃げればいいだけ。こっちには千尋さんが付いてるんだ。

 どのみち本郷の両親を説得するとか、そんなことはもう望めないんだ。


 やるしかない。


 程なくして車が停まる。


「根元様、こちらが会場になります」


 千尋さんが手を示す方向には、白一色の教会があった。

 ここだな。あいつがいるのは。

 入口付近にいる受付に招待状を見せ中に入る。

 俺が望むのは祝う側の特等席じゃない。


 本郷の隣ただ一つ!


 式が行われている場所を見つけた。

 俺は――目の前にある扉を勢いよく蹴った。

 見た感じ堅そうな材質だったが、割とたやすく壊れてくれた。

 周りの視線が一気に俺に集まる。が、そんなもの気になどならない。

 俺は肩にかけただけの学ランの袖をはためかせながらゆっくり本郷のいる場所に向かった。

 二人が立っている場所までそう時間はかからなかった。


「根元……」

「なんだ、貴様はあのときの奴隷、いや下撲だな。わざわざこんな派手な真似して何のようだ?」

「俺は決めた」

「いきなり何を言い出すんだ? 私たちを祝うつもりなら早く――」


 俺は白鳥の方向を一切見ることなく、ウェディング姿の本郷をお姫様抱っこで腕に乗せて入口へ猛ダッシュした。


「おい! 誰かその無礼者を捕まえろ!」


 白鳥の怒号が結婚式場に響いたが、突然の出来事に誰も動こうとはしなかった。

 その好機を見逃さず、俺は教会内の側面の窓を勢いよく開けてそこから脱走を謀った。


「根元……」

「お前を奪いにきた」

「え?」


 うまく教会から出たところに首尾よく千尋さんが乗った車が停まっていた。

 しかし、すぐ横から追っ手が来てとても近づけなかった。


「チッ」


 とっさの判断で反対方向に走った。

 どうせ追いつかれるだろう。

 ならば……


「止まれ!」


 大きな広場についたときに、黒服のボディーガードマンのような男たちに周りを囲まれた。


「ここまで逃げたことは褒めてやろう。だが、貴様が仕出かした罪は万死に値する」

「……だからなんだってんだ?」

「ふん。貴様はこの状況がよく呑み込めてないようだな。これだけ人がいて勝てるとでも思ったか?」

「……当たり前だ」

「なに?」


 俺は袖に腕を通すと一歩前に出た。


「この学ランは俺が初喧嘩で勝利を修めたときのものだ。それ以来、俺は負けることのできない特別なときだけこれを身につけてきた。この意味があんたにわかるか?」

「……ちゃんと説明しろ。そんな抽象的では理解に苦しむ」

「俺は、常に自分のために戦ってきた。でも、今日は本郷のために戦う!」

「ふざけるな。貴様がなぜそいつのために戦うのだ?」


「心の底から本気で惚れたやつのために決まってんだろ!!」


「貴様が、そいつに?」

「悪いか?」

「ククッ、アッハッハ。これは滑稽だ」

「何がおかしいんだ?」


 白鳥は不快な笑みを浮かべた。


「そこの女は、私の奴隷として一生を費やす運命の人間だ」

「なんだと?」

「そいつは実に美しい。これほど上等な女は見たことがない。だから、わざわざ本郷家の経営を悪化に追い込んで結婚まで持ち込んだのだ。当然、こちらが本郷家を手助けする形になったのだ。その女は最早私のなすがままというわけだ。どうだ? 凡人にはできないだろう」

「……クズめ」

「貴様に何と言われようが知ったことか。とにかく、そいつは俺のものだ。早く差し出せ」

「断る」

「なら実力行使に出るまでだ。やれ」


 白鳥の合図で周りの男たちが一斉に俺に向かってきた。


「本郷、これだけは言わせてほしい」


 黙ったまま立ち尽くす本郷に堅い思いを告げた。



「俺は、お前が好きだ」



 本郷が顔に手を当て驚いていた。

 言いたいことは伝えた。後は、やるべきことを果たすまで。


「よそ見するな、ガキが」


 後ろから男が俺に殴り掛かってきた。


「グヘッ!」


 俺の拳が先陣を切った男の鳩尾に入った。


「お前ら、覚悟しろ。一匹狼の喧嘩を見せてやる」


 俺はもう迷わない。

 弱気になることも逃げることもしない。

 ただ、己が決めた道を決して揺らぐことなく真っすぐ突き進む。

 本郷の幸せのために、自分の幸せのために、そして、家族の幸せのために。


 それが、俺の使命だ。


「ば、馬鹿な!?」


 白鳥は俺が積み上げた男たちの山を見て驚く。

 その白鳥に、俺はゆっくり近づく。


「わ、悪かった。欲しいものをなんでもやるから、許してくれ」

「……」

「金か? 地位か? 権力か? それとも、女か? 私に任せればいくらでもやれるぞ」

「……」


 手を伸ばせば届くところまで追い詰めた。


「ここは仲良くいこうじゃないか。だから、許して――」


 高速に出した俺の拳が白鳥の鼻柱からわずか三ミリのところで止まった。


「……俺が、俺が本郷を幸せにする。本郷家の会社も俺がどうにかする。今日のことも許してもらえるくらい俺が身を尽くす。だから――」


 ありったけの思いを、この男に。


「もう二度と本郷に近づくな!」


 俺の大声に恐怖のあまり腰を抜かした白鳥がエイリアンでも見たかのような目で俺を見ていた。

 とてもさっきまで傲慢な態度をとっていた人間とは思えないほどみすぼらしかった。


「散れ」


 白鳥は覚束ない足どりで広場から去って行った。

 さて、終わったな。

 一歩も動かない本郷の下へ歩み寄った。


「すまない、本郷。お前の覚悟を踏みにじったような勝手なことをして」

「……」

「でも、やっぱり本郷には幸せになってほしいんだ。心の底から笑って過ごしてほしいんだ。だから――」


 俺は最後まで言い切ることができなかった。

 本郷が俺に抱き着いて、泣きながら叫んだ。


「せっかくあんたのことを諦めたのに、覚悟を決めたのに、あんたが邪魔するから……心が揺らいじゃったじゃない!」

「わ、悪い」

「……責任、とるわよね?」


 本郷のファーストキスを奪ったあの日の責任とは違う。

 俺が望んだ、俺が果たすべき責任。


「もちろんだ」

「……うん、なら許す」


 本郷が俺から離れる。


「あのさ! 俺、本郷を幸せにするから。だから、俺と付き合ってくれないか?」

「……キス」

「なに?」


 突然、本郷が目を閉じて何かを待つ態勢になった。

 俺の取る行動はたった一つしかない。

 俺は本郷の唇に自分の唇をゆっくり重ねた。

 あれ、キスって舌を入れるもんだっけ。ま、どっちでもいいか。既にお互い入れちゃってるし。

 たっぷり時間をかけた後、ようやく離れた。


「……ねえ、もう一度告白して」

「何で?」

「今度は、下の名前で言ってほしいから」


 そういえば、一回も下の名前を呼んだことないな。


「俺は……舞のことが大好きだ」


 なぜだか、下の名前で呼ぶ方が気持ちがいい。

 次から、舞って呼ぶことにしよう。


「私も……直樹のことが大好き」


 舞もなんだか清々しい顔をしていた。

 やっぱり、舞の笑顔は反則だ。

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