第二章 「ただのおじさん」
「下撲、あんたも学校行くわよ」
月曜日。朝早く起きて廊下の掃除をしていると朝食を食べ終えた本郷の俺を呼ぶ声が聞こえた。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「なんでこんなときだけかしこまるのよ!」
「車とかで送ってもらいたければ千尋さんとか他のメイドに頼めばいいじゃないか。当然俺は免許もってないから無理だ」
「ここ学校と近いからいつも歩いて行ってるし。しかも意味が違うわよ。あんたも学生でしょ」
「なんだ、つまり俺も学校に行って授業を受けろってか?」
「ええ、そうよ」
「嫌だ」
「なっ!」
「そんな驚くようなことじゃないだろ。俺は列記とした不良だし、学校をサボるくらい当たり前だ」
「自分で言うな! というかあんた、卒業できなくなるわよ」
「お前に心配されたくねぇよ。とにかく俺に構わず行ってきな、ほれほれ」
そう言ってシッシッと手で追いやる仕種をしたとき千尋さんが目の前の部屋から出てきた。
「根元様。お嬢様が伝えたいことを私が代わりに伝えます」
そういうと手に持っていたものを床に置いた。
「千尋、余計なことは言わないでよ」
「はい、お嬢様。ではーー」
何故か少し間を置いて、先を続けた。
「あのね、あたしナオ君と一緒に学校に行きたいな~。でも恥ずかしくて言えないよ~。ナオ君、気づいてくれると嬉しいな~、なんて」
「ちょ、千尋! 何言ってるのよ。ち、違うんだからね」
本郷が必死に弁解する。
しかし、そんなことはどうでもいい。
問題は鉄仮面のような無表情を貫いていたあの千尋さんがまさか声色を高くし砕けて話すとは。しかも仕種まで付けていて、それがさらなるギャップを生んでいた。顔は終始鉄仮面だったけど。
当然俺がとる反応は、驚愕一色。
自分でも情けないと思うほど口をあんぐりと開けていた。
「根元様、どうかなさいましたか?」
いつもの調子に戻った千尋さんに俺も我に返ることが出来た。
「って、いやいや。それやっちゃ駄目だろ。ギャップありすぎ」
「あくまでもお嬢様のお気持ちを私なりに伝えたつもりなのですが、駄目でしたか?」
「うん、伝え方を考えようか。普通に言っても大丈夫だったぞ」
「応用を利かせるのがメイドクオリティーです」
「マルチな才能を持っていらっしゃるんだな、メイドってのは。しかしこの場面ではいらないはずだ」
「そうですか。次は気をつけます」
嘘だな。次もやるって顔をしてる、なんとなく。
「二人とも。使用人揃って私を無視して二人話し込むなんていい度胸ね」
「あ、悪かった。千尋さんの行動があまりにもすごかったからつい」
「ついじゃないわよ。とにかく、あんたも早く着替えなさい。私の部屋で待ってるから」
呆れたように言い捨てるとスタスタと廊下を去って行った。
「根元様……」
「わかってる」
ここは約束した手前、こういうことも想定していた。
あ―、学校めんどくせぇ。
豪邸からわずか十分で学校が見えてきた。
「ほらね、近いでしょ」
「便利なようで不便な距離だな」
「うるさいわね。こんなに近いのに車で行くなんて馬鹿みたいだわ」
「あっそう。そんなことより俺はお前とどこまで一緒に行けばいいんだ?」
「何でそんなことを聞くのよ?」
「当たり前だろ。俺達が二人並んで校門通ってみろ。誰が何と言うか」
「私が『こいつは私の下撲よ』って言う」
「そんな馬鹿げた発言されてたまるか! 絶対白けるぞ、賭けてもいい」
「そんな気にすることないじゃない。第一事実だし」
「阿保か、色々と問題だらけだ」
「朝からテンション高いわね。そんな学校楽しみなの?」
「……ほら、校門が見えてきた。俺の仕事はこれで終了だ。気をつけて行けよ」
「なにさりげなく送り出すような態勢をとってるのよ。いい加減観念しなさい」
「……」
今日は大変な一日になりそうだ。
俺たちのクラス、二年三組は他のクラスよりも穏やかでクラスメイト同士の仲が男女関係なく良好な素敵なクラスである。
文化際とか学校行事には積極的に且つ熱心に参加するし、勉学にも真摯だからだいたい学年で優秀と教師からも褒められるし、理想とも言える集団じゃないだろうか。
で、自分で素敵と賞したその二年三組の唯一の汚点というか難点というか、クラスで浮いているのが俺たちであった。
ろくに学校に登校せず、喧嘩をしたり問題を起こしている俺と、お嬢様育ち故の自分至上主義に基づく行動から一切友達ができない本郷。
最初こそ話をかけて仲を進展させようとしてた連中も今ではすっかり触らぬ神状態。
もう少し個性的なクラスだったらきっと俺たちもそこまで浮くことはなかったんだろうけど、二年三組が異常なまでに穏やかだったことが俺たちとの溝を深くする更なる原因になっていた。
何より問題なのが……
その当事者たる俺たちが二年三組に溶け込むつもりが一切ないことである。
俺と本郷のツーショットで教室に入ると、そこにいたクラスの連中が一斉に固まった。
「ほらみろ、固まってんじゃねぇか」
「そうかしら。私には返す反応を探してるだけにしか見えないけど」
「それを固まってるって言ってんだよ!」
単体ですら近寄りたくない人物としてレッテル張られてる俺たちが揃って教室入ってきたらどうなるかなんて目に見えていた。
こういう空気が好きじゃないから余計学校来たくないってのに。全く。
「俺は帰るぞ」
「ダメ」
「なっ! お前には関係ないだろ!」
「関係あるわよ。あんた私の下僕だし」
その一言で周りの温度がさらに低くなったように感じた。
「えっと……その、二人は仲よくなったのかな?」
クラスの学級委員長が無理に笑顔を作りながら俺たちに向かって声をかけた。
「違うわ」
その通り。わかってるじゃないか。
「こいつは私の下僕よ」
こ、こいつ! 本気で言いやがった!
あーあ。完全にクラスの連中が色を失くしてやがる。委員長なんか震えてるじゃないかよ。
「チッ」
この場は無理にでも退くに限る。今は本郷に構ってる場合じゃねぇ。
「ちょっとどこ行くのよ下僕!」
教室の外に出た瞬間、我が平穏クラスの担任とエンカウントしてしまった。
二年三組が学年随一の平穏クラス足り得るのはほぼ八割この新任女教師のお蔭と言っても過言ではない。
天然で温和で、絵にかいたようなお人好し。それでいて新任ならではの熱意溢れる態度。
そんな担任の情に感化されたのか、二年三組は担任のために良きクラスを作ろうとしてる節が見られる。
ま、俺と本郷がいなけりゃそりゃもう完璧なクラスだったんだろうな。かわいそうに。
「根元君、その、学校来れるようになったんだね」
その担任が俺の姿を見てにっこり笑っていた。
「来たくて来たんじゃねぇよ」
「え!? そ、そんな……」
一変おろおろと慌てふためく。
あえて冷たく言い放って正解だな。反応が面白いのはいいことだ。
「げ~ぼ~くぅ~?」
しかし、面白がれたのもそこまでのようだ。
「なんだよ」
「よくも主人の私を無視してくれたわね!」
「学校じゃただのクラスメイトだろ」
あらら、黙っちゃったよ。なんか反論すればいいのに。
「えっと、その、主人ってどういうことかな、根元君」
「聞くなアホ」
「あ、アホじゃないもん! 先生は先生なんだからね!」
逆ギレされた……のか。よくわからん。
「でも、本郷さんと根元君が仲良くなったのは先生嬉しいかな。二人ともクラスにうまく溶け込めてないようだったし」
「先生、私はこんな野蛮人と仲良くした覚えはありません。前言撤回を要求します」
「俺だっててめぇなんかと一緒にいることが嫌でたまんねぇよ!」
「それは私のセリフよ! この変態野蛮人!」
「て、てめぇ……」
「ふふっ」
俺たちのやりとりに担任の顔が緩んでいた。
「HR始まるよ、二人とも」
「なぁ。お前なんで俺の横にいるの」
昼休み。誰もいない体育館裏の三段しかない階段の頂点に座っていた俺の横に本郷の姿があった。
「下僕が脱走しないか見張ってるに決まってるじゃない」
「余計なお世話だ」
脱走するくらいなら最初から来ないっての。
「いいから、お昼食べるわよ」
「勝手に食ってろよ。俺はもう食った」
千尋さんがわざわざ俺の分まで弁当作ってくれた。どんどん千尋さんへのイメージが変わっていく。もちろんいい方向にな。
「早弁したらすぐおなか空くでしょ。馬鹿じゃないの」
「うるせぇよ。俺なんか気にせず黙って飯食え」
「ふん」
お、黙ってくれたか。結構結構。
「……ねぇ」
「なんだよ」
と思ったら珍しい声色で声かけられた。
「男は料理ができる女子って、どう思うの?」
「俺は自分で料理ができるからなんとも言えない」
「へぇ、やっぱり野蛮料理?」
「なんだよそれ」
「あんたの作るヘボ料理」
「なんだ、喧嘩売ってるのか?」
「冗談よ。今度食べさせてもらおうかしら」
「気が向いたらな」
料理ができる女ねぇ……
結婚するならある程度できないと問題ありそうだけどな。でも男が料理作る家庭だってあるわけだし、別に気にすることでもないな。
というか――
「もしかして、お前料理できないんだろ」
「そ、そんなわけないでしょ!?」
おっと、これは図星だな。
「んじゃ、俺にも料理作ってくれよ。本郷の作るヘボ料理食ってみたいなー」
「ふ、ふん! 馬鹿にしないで。私の手料理を食べたらあんたの胃袋もイチコロよ」
「楽しみにしてるぜ」
お決まりの塩と砂糖間違えるレベルだったら思いっきり笑ってやろ。
結局しつこい本郷に無理矢理引っ張られ五日間全て学校に登校する羽目になった。
あくまで執事として本郷の家に泊めてもらってる手前、下校後家での仕事もちゃんとやっている。
しかし、望まない学校への登校と重なり馬鹿にはできない疲労が溜まっていき、かなり大変な五日間だった気がする。疲れたよ、パト〇ッシュ。
「お疲れ様です、根元様」
金曜日の放課後。戻ってきて仕事を熟し、ベッドでグダッとなっていたところに千尋さんがノックをして部屋に入ってきた。
「お嬢様、喜ばれていました」
「散々俺を思い通りに扱ってたからな」
「いいえ。一緒に学校で過ごしたことを嬉しそうに話していました」
あいつは本当にそう思っているのか。不思議でしょうがない。
「まあ、俺が役割を果たせたらそれでいいや」
俺は立ち上がり水を飲もうと蛇口がある厨房まで足を進めようとしたとき、
「うっ」
突然酷い目眩に襲われた。
「根元様、大丈夫ですか?」
その一言を聞いた次の瞬間、俺はその場に倒れた。
*
「おはよう」
どこか心に響く、低くて優しい声が齢八歳の少年の耳に届いた。
そしてその声の主である、白髪の男が屈託のない笑顔で少年を迎えた。
「……」
少年は硬い表情のまま無言の態度を貫いた。
「お腹すいただろう。朝ごはん作ったから、たくさん食べてね」
少年の冷徹な態度に全く屈することなく男は笑顔を向けた。
「……いらない」
「どうしたんだい? お腹でも壊したのかな?」
少年はその場に体育座りでふさぎ込んだ。
「おじさんのこと、嫌いになっちゃったのかな?」
男は思案顔になる。
少年の口がゆっくり開き、ボソッと言葉を呟いた。
「……あなたは、誰?」
それは、幼い少年の率直で痛烈な、なけなしの問いだった。
今までいた家から違う家を転々とし、その度に聞いてきた少年は皆が揃って返してきた言葉を言われるだろうと予想していた。
―君の、新しい家族だよ―
「おじさんかい? おじさんはね、ただのおじさんだよ」
達観し、落胆し、絶望した少年に返ってきたのは予想とは違ったものだった。
「ただの、おじさん?」
「そう、ただのおじさん。おじさんがどれだけ仲良くしようと所詮ただのおじさんだ、と思ってるでしょ。違うかい?」
苦笑いを浮かべる男が自分の心の内を全て読み取っているようで、少年の顔に困惑の色が増す。
「おじさんは無理に君と家族になろうとはしないさ。君はどうだい? おじさんと家族になりたいかい?」
「……あなたは家族じゃない。僕の家族は父さんと母さんだけだ」
少年は静かに己が心情を吐いた。
「そっか。じゃあおじさんは、直樹君のおじさんになろう。家族じゃない。『おじさん』だよ」
「……」
わけのわからない事を口にする男を、少年はおかしな人間と思った。
「……おじさん」
でも、そんな『おじさん』がいい人だと齢八歳の少年は自然と思った。
「おじさんの名前、教えて」
「どうして?」
「僕の、新しい上の名前が知りたい」
「そうだったね。でも、君のお父さん、お母さんと同じにしようか」
「……知らない」
「そっか。じゃあ仕方がない。おじさんの上の名前で我慢してね」
「うん」
「今日から君の名前は――」
*