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記憶

作者: 三角

 冬の日。

 振り返れば、いつもその光景が目に浮かぶ。

 春でも夏で秋でも、私の目に浮かぶのはその光景ばかりだ。

 多分、私の時間はあの日にとまってしまったんだと思う。全部が消えたあの時に、私という存在も消えてしまったんだ。

 それなら、今生きている私は何者なんだろう。

 ただの抜け殻。心を失った肉の容れ物。言い方はいろいろあるけど、そこに含まれている意味は全部同じだから、言葉を挙げ続けても無駄なことだ。

 私はこうして生きている。冬の日に、私だけが肉体を失わずに心だけを失った。

 お父さん、お母さん、雪乃。

 大切な家族。

 どうして私だけが生き残ったんだろう。

 どうして神様は、私だけをこの世に残してしまったんだろう。こんな気持ちになるなら、いっそのこと死んでしまったほうが……ああ、まただ。また意識が閉じていく。どうしてだろう。どうして、いつも死のうと思うと意識が閉じてしまうんだろう。

 お父さん、お母さん、雪乃……

「会いたいよ」


 ※


 横浜研究学園都市。その一角にある三階建ての建物。研究機関らしい殺風景なその建物の中に、精神医学研究室と書かれたプレートが掲げられた部屋がある。

「もう四年ですよ? こんなのひどすぎる」

 研究室内でパソコンのディスプレイを見つめていた男が言った。

「どうにかならないんですか? こんな風に暗示で心を閉ざして生きるなんて、あんまりですよ。あれじゃあ、ロボットとおんなじじゃないですか」

 男は、研究室に設けられた窓の向こうにいる少女を見つめた。あんなに若いのに、未来も光で満ちているはずなのに、こんな狭い部屋に閉じ込められているなんて。男は振り返り、無感情に少女を見つめるスーツ姿の男に問うた。

「柴々ししどさん。あの子の暗示を解くべきですよ。このままじゃ本当に心が死んでしまう」

「もう死んでるよ」

 柴々戸はそっけなく答えた。相変わらず少女を見つめる目には感情が宿っていない。深淵を見つめるかのような、深い黒をたたえた瞳。なにも見ていないような、そんな瞳。

「いいか、斎藤。人間ってのはさ、生きてるだけじゃ生きてるって言えないわけ。本人の意思、もしくはその家族だったりの意思があればこその命なんだよ。生きたい、生きてほしいっていう確固たる意思がなけりゃあさ、人間なんてのはただの肉塊なわけよ。あの子は今、その状態。肉の塊の状態なわけね。暗示解いたら、あの子本当に死んじゃうよ?」

 柴々戸は深淵を見つめる目で少女を見たまま、そう言った。斎藤も少女の方へ視線を戻す。暗示により、死を思うと眠りにつくようになった少女。自分は何もできず、ただデータを取るだけ。それが悔しかった。

「俺たちにできることは、彼女を生かすことなんじゃないかね。たとえ肉塊でもさ、あの子は望んでそうなったわけじゃないし、彼女にはなんの罪もないわけだからさ。まずは、あの子の過去に決着をつけてやるべきなんだよ。それが、俺たちの仕事なんだから」

 柴々戸は斎藤に軽く会釈をすると研究室を出た。

 冷たい研究所内の廊下を歩き、外に出る。

 冬はその色合いを増していくと同時に、世界から色を奪っていく。冬にイルミネーションが輝きを増すのは、世界から色が消えているからではないかと柴々戸は思う。

 吐き出した息が、冬の景色に吸い込まれるのを見つめ、柴々戸は駐車場へと向かった。

 駐車場に留めてあるシャンパンゴールドのレパードアルティマ。目につきやすい、今となってはレトロな車。柴々戸は運転席に体をすべり込ませ、助手席に置かれたファイルを手に取る。ファイルの表紙には「特別案件」と書かれており、その隅にはマル秘とも書かれている。

 ファイルを開くと、そこにはある事件の詳細が記録されていた。四年前の一家皆殺し事件。当時ニュースを騒がした凄惨な事件。

 ページを捲ると、写真が貼り付けてあった。

 生前の写真と、現場で撮影された死体の写真。

 優しそうな笑みを浮かべた男の写真の横に、ズタズタに切り裂かれた男の写真。同じ人間だとは思えないほど、死体は損傷が酷かった。

 それが、その一家の父親だった。

 母親も同じくズタズタに切り裂かれたむごい姿になっている。写真の中でほほ笑む姿が胸に刺さる。柴々戸は次のページに進む前に、煙草に火を点けた。少し間を置き、意を決しなければならない。ここまででも十分むごい。だが、次のページに貼られた写真は、それを超える異質さにみちていた。

 ゆっくりと、ページを捲る。

 父母と同じように、生前の写真が貼り付けられている。

 千堂雪乃。

 当時十二歳の少女は、ヴァイオリンを抱え、写真の中でまぶしいほどの笑みを浮かべている。優しい家族に囲まれ、幸せに育ってきたというのが、写真から伝わってくる。

 だからこそ、現場写真の凄惨さが増しているのかもしれない。

 雪乃の死体は、父母の状態とは異なっていた。

 鑑識の話では、雪乃の体には精液が付着しており、口の中には致命傷となった傷の他に、切り傷があったという。

 考えたくもないが、犯人は雪乃に父母を殺したナイフをくわえさせ、それをなめさせていた。そして、それを見つめながら、自らの〈モノ〉を愛撫し、果てると同時に雪乃の口にナイフを……そこまで考え、柴々戸はくわえていた煙草を灰皿に押し付けた。

 狂っているという言葉で片付けていいことではない。

 そんな人間に生きている価値があると言えるのか。

 そんな人間を裁くために法があるのではないか。

 答えはイエスだ。だが、それをノーに変えることもできる。金や地位。世の中に金で買えないものはない。二〇二〇年を超えたあたりから、それがより明確になった。

 富裕層という言葉は、言葉の意味以上の効力を持つ。もはや、この世界は金でしか動かない。

 ありとあらゆる場所が金で侵されている。警察も例外ではないのだ。正義よりも自らの生活。正義なんて言葉は、もう死語なのだろう。

 そして、ファイルの最後のページ。

 そこに貼られた写真。この事件唯一の生き残りにして、第一発見者。千堂冬乃。写真の中では、感情を失う前の明るい笑顔が輝いていた。

 被害者遺族の秘匿性を重視した法案が施行されているので、彼女の姿が公になることはない。おそらく、事が済み次第、彼女にはデリートが施され、新しい記憶が上書きされる。新しい人生。抜け殻になってしまった彼女には必要なことかもしれない。だが、それは彼女を殺すことと同義なのではないか。柴々戸はそんなことを考えながら、ファイルを閉じた。



 柴々戸はレパードを神奈川県警横浜港北署の駐車場に留め、刑事課へ向かった。刑事課は慌ただしい空気に満ちており、行きかう捜査員たちの間を縫うようにして、柴々戸は刑事課長の元へと向かった。

「今藤課長」

 柴々戸は、デスクで捜査資料に目を通していた今藤に声をかけた。

「ああ、柴々戸君か。今日はどうしたんだね? 執行は明日の夜じゃなかったかな?」

「ええ、そうなんですが、ちょっと顔を出しておこうかと思いまして」

「律儀な男だね君も。相変わらず、冷酷なんだか温厚なんだか分かりにくい」

「性分というやつなんですかね。俺は別にどうこう考えてるわけじゃないんですけど」

「だからじゃないかね? 普通、意思は感情に引っ張られるが、君は感覚で意思を引っ張ってる。恐ろしいよ」

「自分じゃわからんもんですね。それじゃあ、明日はよろしくお願いします」

 今藤に頭を下げ、柴々戸は港北署を去る。

 執行。

 例外執行権という警察内の一部の人間しか知らない裏の法。それを執行と呼ぶ。

 金で法を殺すのならば、力を持って金を殺す。

 警察の中から選ばれた人間が執行官となり、のさばる犯罪者を暗殺する。許されることではないだろう。だが、必要なことだと柴々戸は思う。

 執行権が適応されるにはいくつかの項目をパスする必要がある。ひとつ、特別案件選別会議において選ばれた犯罪者のみに執行権は発動する。ふたつ、犯罪者には四年の猶予が与えられ、その猶予の内に自首すれば執行は行われない。みっつ、選ばれた段階で新たな犯罪を犯した場合、その瞬間から執行が行われる。

 というものだ。

 冬乃の家族が殺されたのは四年前の冬。つまり、この間犯人は新たな犯罪を犯さなかったということだ。

 だが、それで許されるような事件ではない。

「公彦」

 背後からの声で、柴々戸は思考の海から這い上がった。

「お前の目は刑事のそれじゃないな。まるで得物を追う狩人だ」

「警視だって似たようなものでしょ」

 蘇芳香里警視。執行官の元締めである裏の総監と唯一つながりを持つ人間。柴々戸たち執行官にとっては、蘇芳が司令官のようなものだった。

「いいか公彦。私たちの行動を正義だとは思うなよ。私たちは悪だ。やっていることは金の亡者のクソどもと対して変わらん」

「分かってます」

「それなら、もっと刑事らしい目をするんだな。力の使い方を誤れば、私たちもただの殺し屋だ。あくまでも殺人デカでなくてはならない」

「どこが違うんですか?」

「さあ? どこなんだろうな」

「警視が言ったんでしょう」

「まあいいじゃないか。細かいことは気にするなよ公彦」

「あと、公彦って呼ぶのやめてくださいよ」

「いいじゃないか、公彦。なんかこう言葉にするといい気持ちなんだよ」

 柴々戸は溜息をひとつ吐き、煙草を取り出した。この人は強い。柴々戸は蘇芳と話すときいつもそう思っていた。

 蘇芳は、執行官であるとともに、刑事なのだ。

 自分はどうなのだろうか。

 柴々戸は考えるが、すぐに無駄だという結論にいたる。殺し屋と殺人デカの境界線。たぶん、それは線を越えてみないとわからないことなのだろう。

柴々戸は肺に溜め込んだ紫煙と共に、無駄な思考を吐き出した。



執行日の夜は、とても静かだった。いつもと変わらない夜なはずなのに、なぜか柴々戸にはそう思えた。

「執行補佐二名が先行する。邸宅の明かりが落ちたと同時に、執行官が踏み込む。いいな?」

 インカムの向こうから蘇芳が告げる。

「了解」

 柴々戸が言うと、補佐官二名も「了解」と続けた。

「立派な家だこと」

 柴々戸は執行対象者の邸宅を見つめる。あれだけのことをした人間が、今もこうしていい暮らしをしている。体の内側から湧き上がる冷たい衝動を抑え込みながら、柴々戸はサプレッサー付きの拳銃を取り出した。

 インカムから、「クリア」という声が響く。

 そして、邸宅の明かりが落ちた。

 柴々戸は門を抜け、邸宅へと続く道を歩いていく。

 入口までそれなりに距離がある。一歩一歩歩みを進めるたび、内側から衝動があふれそうになる。

 距離があってよかった。柴々戸は心のなかで呟いた。

 少し荒くなっていた呼吸も、少しずつ静かになった。

 もう、何も音を感じない。

 ただただ、静かな夜だった。

 その静けさの中に、「ぎぃ」という音が混じる。

 ドアが開かれたのだ。

 ドアから巨体がのぞく。

 柴々戸と目が合う。

「ひぃ」

 ただならぬ空気を察したのだろう。巨体がドアを閉めようとする。だが、柴々戸のほうが早かった。

 空気が割ける静かな音と共に、銃弾が吐き出される。二発。その二発共が、巨体の両足を貫いた。

「ひぃぃぃぃ」

 大理石の玄関に巨体が転がる。柴々戸はそれを見下ろしながら、銃弾が貫いた膝を踏みつけた。

「ぎぃぃぃ!」

 苦悶の声。いや、もはやただの音にしか聞こえない悲鳴。恐怖心と痛み。それが合わさり、意識が破壊されているのだろう。

「公彦」

 インカムから静かに声が響く。蘇芳の声だった。

 だが、柴々戸は答えない。

「お前、なんでこんな目にあってるか分かるか?」

「ぎぃぃぃぃぃ!」

「答えろよ、おい。答えろよ」

「じらないぃぃ!」

「ああ? 聞こえねえよ! 聞こえないよー! なんて言ったんだよおい!」

「柴々戸執行官!」

 インカムから強い声が響く。

「頼む、やめてくれ。君は、刑事だろう。そっち側にいくな」

 蘇芳の声は、悲哀に満ちていた。柴々戸は膝から足をどけ

銃口を男の眉間に向けた。

「ひぃ、ひ、ひぃひぃ、ああ、もしかして、ひぃ、あの、家族のぉ、つながり、か、ひぃ、ひひひ。そうか、生き残りいたんだっけぇ、あの場にいたらぁ、殺したのにぃ」

 苦悶の顔に一瞬狂気が浮かぶ。

「よかったな。さっきまでならさ、お前楽に死ねなかったよ」

 吐き出された銃弾は、男の眉間を正確に撃ちぬいた。

 そして、夜は再び静けさを取り戻した。



 学園都市の研究室では、冬乃の記憶消去と上書きが実行されていた。眠りについている彼女に取り付けられた装置。それが千堂冬乃という存在を消し、新しい佐々木京子という人格を作り上げる。目覚めたときには、冬乃はもう冬乃ではなくなる。そして、ここから遠く離れたどこかの場所で新しい人生を始める。彼女を知るものがいない、どこかの地で。

「柴々戸さん。これでよかったんですかね」

「さあね。俺らには判断できないよ。いいとか悪いとか、そういうことはさ。俺らは、ただケリをつけてやることしかできないんだから」

「そうですね。そうなのかもしれません。でも、この子の幸せを願うことくらいは、許されますよね」

「そうだな。まあ、それくらいは許してほしいなとは思うよ」

 柴々戸と斎藤は、共にほほ笑んだ。悲しげに、切なげに。それでも、冬乃の幸せを願いながら。


 ※


 冬の日。

 なぜだか私はその季節を好きになれない。

 クラスの子たちはクリスマスだなんだって盛り上がるけど、私にとって冬という季節は憂鬱な空気を運んでくるいやな季節でしかないのだ。

 お父さんとお母さんに聞いたこともあるけど、何故だか二人とも悲しい顔をしながら、「なんでだろうね。でも、思い出せないってことは、忘れてもいいことなんじゃないかな」と言った。

 確かにそうなのかもしれない。

 どうしてだろう? 何故だか、私にはそのいやな感じがすごく大切なことのようにも思えるのだ。

 でも、お父さんとお母さんには悲しい顔をしてほしくないから、もうこの話はしないと決めていた。

私は事故で四年間寝たきりだった。だから、年齢的にはクラスメイトよりも先輩になる。お父さんとお母さんはそれを気にかけている。まるで自分たちが悪かったと責めてるみたいに。だから、できるだけ二人を困らせることをしたくない。

 私がいろいろ考えるのは、こうして、学校につくまでの道のり。

「京子」

 ぼんやりと考えを巡らせながら歩いていると、声をかけられた。

「柴々戸さん!」

 柴々戸公彦さん。お父さんのお友達の刑事さん。ちょっと雰囲気は怖いけど、話してみるといい人だとわかる。私のことをなにかと気にかけてくれる優しい人だ。

「お父さんに会いに行くんですか?」

「ああ、それもあるんだけど、今日はちょっと急ぎでな。すぐ横浜に帰らないといけないんだ。だから、これを先に渡しておく」

 そういって柴々戸さんが取り出したのは、コンサートのチケットだった。

「チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲すきだったろ?」

「ありがとうございます! 凄くうれしいです」

「喜んでもらえてうれしいよ。なあ、京子。お前、今幸せか?」

 どうしてそんなことを? って聞こうと思ったけど、私に問う柴々戸さんの目はなんだかとても悲しそうで、私は少し言葉に詰まる。だけど、答えは決まってる。

「とっても。とっても幸せです」

「そうか。よかった。引き留めて悪かったな。学校なんだろ?」

「いえ、わざわざありがとうございます。横浜からここまでくるの結構時間かかるんじゃないですか?」

「いや、ちゃんと手渡したかったからな。俺の変なプライドだよ。じゃあ、いってらっしゃい」

 私は「いってきます」と返して、再び歩き出した。

 そう。私はいま幸せだ。

 少しずつ、少しずつ歩いて行こう。分からないこともたくさんあるけど、歩きながら考えればいい、ような気がする。

「うん、頑張ろう」

 私は拳を冬の空に突き上げて、言った。

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