Battle.1 彼女の憂鬱 <1>
学園内において、生徒、先生、果ては保護者に至るまで彼の評価はすこぶる良い。
成績は首席から落ちた事無く、全国模試でもトップクラスだとか。
スポーツ万能で中学の時はテニスで全国優勝したとか。
薄いレンズ越しに見せる笑顔はさわやかで、好青年さながらだとか。慈愛に満ちた微笑はまさに神のごときだとか。
断定で言い切らないのは、それら全てが勝手に耳に入ってきた人から彼への評価だからだ。
だが、私に言わせればあんなのはただの作り笑い。偽の笑顔と云ったところ。胡散臭いことこの上ない。
「はっ。皆あの顔に騙されてるんだわ。あんな性格の悪そうなのがなんでもてるんだか。何が慈愛に満ちた笑顔よ。偽会長甚だしい」
私は持っていたサンドイッチに噛り付きつつ言い切った。
そんな私を隣の友人は呆れ顔で見てくる。
「あんたの会長嫌いも筋金入りね」
「ふん、当たり前。私はあんな奴大嫌いだもん。今日は朝礼あったからあいつの顔と声が嫌でも目と耳に入ってきて嫌な日になった、本当にっ」
息巻いて言い捨てた私を見てため息を寄越した。
「いくら志保が会長を嫌いでも、向こうは志保のことなんか知らないだろうし意味ないと思うわよ」
そんな台詞なんか無視して私はがつがつとサンドイッチを口に入れていく。
そんな私にもう一人の友人もため息を一つ漏らし、再度忠告をしようと口を開く。
「私は別に会長の信者じゃないからいいけどさぁ、今の、会長の信者に聞かれたらあんた即効体育館裏呼び出しよ」
ふん
そんなのは鼻で笑ってやったわ。
「別にいいわよ、返りうちにしてやる」
こう見えても私は剣道有段者だ。
竹刀にかわるような適当な棒さえあればその辺の奴らになんか負けはしない。
「はぁ…」
そんな私を見て友人二人はこれ見よがしに仲良く息を吐いた。
「あんた、黙ってれば結構可愛いのになんでそうかなぁ…」
そうとはこの性格を云っているのだろう。
毎度のことなのでもう聞き慣れ言われ慣れた。
私は自他共に認めるほどに口が悪い。
性分なのだから仕方がないし、この世に生を受けて約15年、ずっとこうなのだから今更直しようもないし、直すつもりもない。
確かに口は悪いが、だからと言って誰彼構わず傷つけたりもしていないし、むしろ男女共に友達は多いと思う。
「でも、何で志保ちゃんはそんなに会長だけを嫌うの?」
困ったように小首を傾げながら優美が尋ねてくる。
これも毎回のことで、また、ここで私が口を閉ざすのも毎回のことだ。
「そうなのよ。志保は口は悪いけど誰彼構わず人の悪口云ったりはしないしさぁ、だからこそなんで会長をそんなに嫌うのか私も知りたいのよ。しかも、あんたが会長のこと悪く言い出したのなんて最近じゃない」
どうでもいいけど早紀、箸で人を指差すのはやめなね…誰彼構わず辺りは理解してくれてるんだって思えて嬉しかったけどさ。
なんてことを思うが口には出さない。出したら最後、倍にして返されるのは分かり切っているからだ。
美人が怒ると恐いからなぁ…早紀なんかすらっとした身長にスレンダーという羨ましいくらいの体型に、それに見合った綺麗な顔の作りをしている。興味ないからと全部断っているらしいがモデルとかのスカウトも多いらしい。
優美はおっとりとした雰囲気の娘さんで、いわゆる癒し系だ。ふわふわとした髪が肩くらいまで伸びていて、ふとした仕草で揺れるそれは女の私でも抱きつきたくなる程の可愛さを持っている。
なんて友人の考察をしていたら、額に箸が突きさされた。
「いったぁっ…!早紀!箸で刺すな!目に入ったらどうすんのよっ!」
本当に痛かった、今のは。
恨みがましく額を押さえながら目の前の友人を見ると逆にこっちが睨まれた。
私、友人の選択誤ったかもしれない…というか、絶対こいつの方が私より質悪い…
「あのね、人の話聞いてないあんたが悪い。それに間違って目を刺してたらさすがに謝ったわよ」
「いや、失明したらどうすんの?!謝ってすむ問題か!」
さらっととんでもない事を言い切る友人に、私は突っ込まずにはいられない。
「はいはい。で、質問にもいい加減答えなさいよ。いつまでもはぐらかされてなんかやんないわよ」
美人が睨むと迫力ある…
「う…」
どうしようかと考えあぐねいていると、横から優美のおっとりとした声が入ってきた。
「志保ちゃん、早紀ちゃん、後2分で予鈴だよ~」
相変わらずマイペースな優美は、すでに昼食を終えて片付けに入っていた。
私と早紀は大慌てで残りの食事を胃に詰め込む。
「んぐっ、次こそ吐いてもらうからね!」
早紀が押し込みながら何か言っていたが、ちょうど予鈴が鳴って、私たちは大慌てで屋上を後にする。
難を逃れた私は、胸中密かに胸を撫で下ろした。
そこにまだ人が居たことも知らずに。よりにもよって一番まずい奴が。
授業も終わり、部活にも入っていない私は、ドラマの再放送がみたいがためにさっさと帰り支度を整えていた。
廊下にはたくさんの生徒が荷物を持って昇降口へと向っている。
私もそれに交ざろうとクラスメイトへの挨拶もそこそこに足取り軽く教室を出ようとしたのだが、突然鳴り響いた校内放送に思わず歩みを止める。
“1年E組の高宮志保さん。至急第二会議室までお願いします”
それは聞き慣れた放送員の女生徒の声であったが、いかんせん、中にまた聞き慣れた自分の名前があった。
「は?」
特に呼び出される理由も思いつかず、志保は驚いていた。
「あんたなんかやらかしたの?」
早紀や優美が二人してこっちを見ているのだから、たった今自分の名前が呼ばれたということに間違いはないのだろう。
「さっぱり心当たりないよ」
疾しいところは何一つないので志保はきっぱりと断言した。
でも、じゃあ、何故こんな時間に自分が呼ばれるのだろうか。
腑に落ちない点があったので、志保は仕方なく会議室に向うことにした。
もしかしたら、人違いかもしれないし、たいしたことではないのかもしれない。
たいしたことでないのなら校内放送でなど名を呼んではほしくなかったが。
「失礼します」 コンコンとノックして、志保は一つしかない入り口の扉を押し開いた。
中には会議室らしく長方形に長机が配置され、そのまわりに椅子が置かれている。
だが、そこに人らしき人は見当たらない?
「あれー?」
早く着き過ぎたのだろうか。
疑問に感じつつも中に一歩足を踏み込むと、バタンッと大きな音を立てて扉が締まった。
はっとして志保は振り替える。
同時に、その目を大きく見開いた。
あろうことか、そこに立っていたのは自分が今最も苦手とする黒崎拓也、現生徒会長に他ならない。
「な、なんであんたが…っ!」
驚きに口をぱくぱくと開閉する志保とは違い、落ち着き払った拓也はその顔に人のよさそうな笑顔を乗せたまま後ろ手に鍵を閉めると、一歩志保の方へと足を踏み出した。
条件反射に志保は後退し、腰が机にあたるところまで追い詰められる。
嫌な足音が妙に響く。
「…何でだと思う?」
獲物を追い詰めるかのように拓也はまた一歩志保との距離を縮めた。
「し、知らない…」
「へぇ、知らない?分からないじゃなくて?何を知らないのかな」
そこで志保は自分の失言に気付いた。
くっくっと、到底彼には似付かわしくないような音が、拓也の喉元から零れる。
「近寄らないで!私はこう見えてもっ…」
「“剣道有段者”?」
「な、なんで知って…」
「僕は相手を知らずに近づくほど馬鹿じゃないよ…ま、少なくとも誰がよんだか分からないような呼び出しに応じたりはしないけど?」
好戦的な挑発に、早紀は奥歯を咬んだ。
「それに、ここには竹刀に代わるものは無いからね。君が来る前に確認済みだよ。そして、出口は僕の後ろだけ。わざわざ小さな会議室に呼んだのはそういう理由」
拓也は凍り付く志保の様子を心底楽しそうに喉をならす。
その表情も様子も、普段の彼からは到底想像も付かないようなもので、形の良い唇は意地悪く上がり、目には底の見えない怪しい光があった。
「やっぱりそれがあんたの本性ね!」
志保はキッと拓也に対峙し睨み付けた。
「やっぱりあの時君は見ていたんだね」
拓也が目を細目志保を見据える。
「ええ、見たわよ。あんたが告白された後に悪態ついた挙げ句、タバコをくわえていた様は!」
志保も負けじと言い放ったが、云った後にはっとした。
そう、志保が友人たちにさえ口を割らなかったのはひとえにこいつにかかわりたくなかったからだ。
それに云ったところで誰も信じたりはしない。
それほどまでに完璧な仮面を目の前の人物は被っているからだ。
「やっぱりね、あの時誰かいたような気はしてたんだ」
「っ」
カマを掛けられたのだ。
志保は唇を噛んだ。
目の前の相手は、余計にその顔を歪ませた。
「別に誰かに云っても良かったのに、君は黙ってたのはどうして?」
拓也は、品定めでもするように志保を見た。
挑戦的な、嫌な視線だ。
「…云ったところで誰も信じないからよ。下手したら私一人が非難されるもかしれないしね」
苦々し気に志保は言い放つが、拓也は相変わらずその笑顔を崩しはしなかった。
「へぇ、馬鹿じゃないんだ」
ちっとも誉められた気がしない。むしろ不愉快だ。そう云わんばかりに志保の眉間の皺は深さを増す。
「懸命だと思うよ。確かに君を信じるより大半の生徒は僕を信じるだろうしね」
謙遜もせず、言い切るその男を志保は苛立ち混じりに睨み付けた。
話したら自分が不快になるだろうことも負けるだろうこともわかっていたのだ。
何せ相手は何十もの猫を被り、全生徒、いや、学園全体を騙しているような狡猾な男なのだから。
「私は誰にも云いませんから、ご心配なく」
握りこぶしを握って出口に向かい、志保は目の前の不快でしかない男の視界から消えようとした。
だが、それもあっさりと目の前の男の腕で制止される。
「何よ」
「口約束だけじゃ信用出来ないな」
その腕を振り払おうとしたが、力で男に勝てるはずもなく、腕が離れることはない。
しかももっと腹立つのは手加減して捕まれているからちっとも痛くないという事実。
「離して」
きっぱりと言い切っているのに目の前の相手はそれを無視。
「離したら逃げるだろ」
そんなの当たり前じゃない。
私はさっさとあんたの前から消えたいのよ。
「高宮さんはどうしてそんなに僕を嫌うのかな」
「一生懸命告白した人間を影で悪く云ってるところが嫌い。未成年なのにタバコを吸っているところも嫌い。その声も胡散臭い笑顔もみんな嫌いよっ」
一気にまくしたてるように言い切ると、拓也は一瞬瞬いた後、笑いだし、掴んでいた手を離した。
「あはははっ」
いきなり笑いだした相手に、気でも狂ったのかと志保は目を丸くした。
「な、なによ」
思わずたじろいで構えてしまう。
「い、いや、ごめんごめん」
ひとしきり笑った後、拓也はまだ納まり切らない笑いを押さえるように片手で腹を抱え、もう片方の手で謝るようにジェスチャーした。
「あー。高宮さん面白いね」
面白いと云われても嬉しくはないと志保は顔をしかめる。
馬鹿にされているとしか思えないのだ。
「いや、馬鹿にしてるんじゃない」
察したように拓也が訂正を入れる。
「きっぱりと言い切られて驚いただけだよ」
嫌いと言い切られて何で笑うのか…
「うん、そうだね。嫌われてるのは悲しいけど、きっぱり言い切られると逆にすがすがしいかな」
いや、なんであんた私の考えてること分かるの!
「うーん、君、考えてること顔に出やすいからねえ」
「いちいち読むな!」
志保は一方的(?)な会話に終止符を打つべく一括した。
同時に自分に呆れた。
とっくに腕は解放され、出ようと思えば出られたのに、まんまと拓也のペースに巻き込まれていた。
「食えない男…」
「まあ、食われるよりは食う方が好きかな、俺も男だし」
「あーもー!それがあんたの本性!?」
「本性?」
「そうよ、いつもは人のいいふりしてみんなを騙してる」
志保は今すぐみんなにこの目の前の相手を見せたかった。
きっと百年の恋も醒めるに違いない。
「別に俺はみんなを騙してるつもりもないし、みんなが勝手に俺のことを誤解してるだけだよ」
にっこりと笑うその笑顔に、志保は騙されない。
騙していないといいながら誤解をとくつもりもないのだ、この男は。
「それに、あの告白してきた子なら、あっちが悪いよ」
「は?何よ。確かにあんたが頼んで告白されてたわけじゃないだろうけど、だからって『うざい、二度と来るな化粧ブス』なんて言っていいことと悪いとがあるわよ」
「いやぁ、よく聞いてるねぇ」
「勝手に聞こえたのよ!先に云っとくけど、あの屋上で寝ていたのは私が先よ。後からきたのがそっちなんだから」
それで出ていくタイミングを見失って隠れていたのだ。盗み聞きが趣味と誤解されたくないので先手を打って釘をさす。
「大体女の子には人当たりよくやんわりと断っておいて影であの悪口はどうなのよ。一生懸命思いのたけをぶつけた相手に対して卑怯だわ」
「うん。確かに君の云うことは分かるよ。俺も普通の子が告白してくれたならあんなことは云わなかったよ」
「どういう意味よ」
「あの子はね、俺の友達の彼女なの」
「は…?それって」
「彼氏に対する裏切りだよね」
会長は嫌悪するかのように顔をしかめて言い切った。
「知らないと思ったのか、彼氏がいるのに平気で告ってくるんだ。あっちの方が先に悪いと思うけど」
志保はそれを聞いて頭痛がしてきた。
最近の若者は…と、ため息をつきたくなる。自分も十分に若いのだがそれは棚上げだ。
「…でも、タバコ吸ってるし、結局周りを騙してることに代わりはないじゃない」
そうだ、結局こいつが不誠実なのは事実ではないか。
危うく口車に乗せられ懐柔されるところだった。
「まあ、それはそれ」
少しも悪いと思っていないのだ、目の前のそいつは。
「どうでもいいわ、私はあんたのことなんか」
「それは困るなぁ」
「はぁ?あんたがなんで困るのよ。困ってるのはこっちよ、折角の連ドラ、しかも最終回を見逃しちゃったじゃない!まだDVDになってないのにどうやって私は最後を見ればいいの!」
「ああ」
「ああじゃないわよ、あんたのせいよ」
「君は話が飛んで面白いね」
「ちっとも私は面白くないわっ!」
睨んでみるが、目の前の相手が態度を改めることはない。
「それなら、妹が録画したの持ってるから貸すよ」
魅力的な提案に、両手をあげて喜ぼうとしたが、必死のところで押し止めた。
ナイス、自分の自制心。
「結構よ。あんたなんかに借り作ったらどうなるやら」
ため息のオプションつきで言ってやったわ。
「じゃあ、明日にでも持ってくるね」
なのに、こいつ、さっさと話進めてるし。
もういいわ、時間の無駄。帰ろう…
ため息をついて出ようとする私を、拓也は再度呼び止めた。
「あ、まって」
「何よ…」
「タバコはもう吸わないよ」
「はぁ?」
「退屈だったから吸ってただけだしね」
「ふぅん、じゃあ退屈じゃなくなってよかったわね」
どうでもいいと私は適当に返事した。
こいつが肺癌になろうが私には関係ないのだが。
「うん、気になる子がタバコ嫌いみたいだしね」
「ああ、そう。いまさらだけどせいぜい頑張れば~」
今度こそ私はそこから出るべく去ろうとした。
だが、また腕を捕まれ邪魔される。
「なにす…」
振り向いて抗議しようとしたら、目の前至近距離に影が出来る。
いきなりのことであっという間にその影は下りてきて、暗くなったと思ったら、自分の唇に柔らかい感触が触れた。
脳の処理速度が追い付かず、凍ったまま動けずにいる私より、その影が離れるほうが早かった。
「ほら、吸ってないよね?」
極上の笑顔で私を見るその顔を、懇親の力で殴ったのは、云うまでもない。