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監禁から始まる円舞曲(ワルツ)  作者: 朝凪


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9/11

8

玲が書類を持ってきたのは、襲撃から数日後のことだった


屋敷は表向き、何事もなかったかのように静かだった。割れたガラスは交換され、壁の弾痕も塗り直され、焼けた匂いは消臭剤で薄められている

けれど、空気は変わってしまった

誰もが知っているーーこの屋敷は狙われた。これからも狙われる

そしてその理由が、2つあることも


1つは、綾倉玲という男

もう1つは、銀髪紫眼の吸血鬼ーーアウローラ


アウローラは庭の温室にいた

ガラス越しの陽が白い花弁に落ち、濡れた土の匂いが柔らかく漂う。彼女は花に触れない。触れなくても、そこにいるだけで十分だった

人間の世界にある、脆い美しさ

それはいつだって、守らなければ壊れる


(守る、という言葉は)


玲が使うと、鎖に聞こえる

自分が使うと、祈りに近い

同じ単語なのに、どうしてこうも違うのだろう


「ここにいた」


背後から声がした

振り向くまでもなく分かる。玲だ

アウローラがゆっくり振り返ると、玲は黒いシャツに薄いジャケット姿で立っていた。怪我はまだ完全ではない。肩の動きが少し硬い

それでも、彼の顔色は戻っていた。目の下の影が薄くなり、呼吸が整っている

玲の手には、薄いファイルがあった。白い紙の束

屋敷の空気に似合わない、あまりに現実的なもの


「……何ですか、それは」


アウローラが問うと、玲は少しだけ笑った


「君に渡したいもの」


玲は温室の入口で止まった

勝手に距離を詰めない

その誠実さが、アウローラの胸を少しだけ揺らした

そして同時に、怖くなる

誠実な檻ほど、逃げにくいからだ

玲はファイルを差し出した


「契約書」

「……契約」


アウローラは受け取らず、ファイルを見つめた

玲は焦らない。少しだけ息を吐き、静かに続ける


「君は俺を信用していない。正しい。だから、言葉じゃなく、形にする。俺の“やり方”を、君が縛れる形に」


“縛る”

玲の口からその言葉が出たことに、アウローラは一瞬だけ目を瞬かせた

玲は、自分が縛る側である自覚がある

その自覚があるからこそ、余計に厄介なのだ

アウローラはようやくファイルを受け取り、ページをめくった

活字。条項。署名欄

法律家の手が入っている。形式が整っている


条項① 一緒にいる代わり、一定の自由を保障する

条項② 玲は、アウローラの「子どもを助ける活動」を容認する

条項③ 玲は、アウローラに許可なく触れない


アウローラは指先で条文をなぞった

紙が冷たい。でも、その冷たさは不思議と落ち着く

感情ではなく、線として境界が引かれているから


「……あなたが、これを書いたのですか」


玲は首を振った


「弁護士に起こさせた。俺が勝手に書いても、君は信じないだろう」


アウローラは少しだけ口元を引き結んだ

図星だ。玲は、こちらの心をよく見ている

それが腹立たしいのに、同時に助かるのも事実だった


「……自由、とありますが。具体的には?」


玲は待っていましたとばかりに答える


「屋敷内の移動は完全自由。屋敷外はーー行き先と時間を共有すること。護衛は付けるが、君が選べる。それと、君の許可があれば、必要な買い物や活動もできる」

「わたくしの許可、ではなく……あなたの許可が必要なのですね」


アウローラが淡々と刺すと、玲は笑みを消さずに頷いた


「完全な自由は、渡せない。……外は危険だから」

「危険、という言葉で全てを正当化できます」


玲は一瞬だけ目を伏せる

痛みを噛み締めるような沈黙

そして、正直に言った


「そうだね。正当化できる。俺はそれを使ってきた。でもーー今回、襲撃があった。君の言う通り、俺の支配は“敵”を呼ぶ。だから、せめて……君が息をしやすい形にしたい」


アウローラは条項②を指で押さえた


「“子どもを助ける活動”を容認する、と」


玲が頷く


「君はそれをやめない。俺が止めても、君はやる。それなら、俺の目が届く場所で、俺の資金で、俺の人員で……安全にやってほしい」

「……あなたは、わたくしを守りたいのですね」


玲は否定しなかった

ただ、静かに微笑んだ


「君が死ぬのは嫌だ。……君に嫌われても、それだけは嫌だ」


アウローラの胸が、わずかに痛む

“嫌われても”と言う玲の声に、あの夜の孤児院の少年が重なる

優しさに飢えた目。救いに縋る目

それを思い出してしまう自分が、悔しい


アウローラは条項③を見つめた


「……これは」


玲の喉が動いた


「君が1番嫌がることだろ」

「……当然です」


アウローラが言い切ると、玲は苦笑した

それでも、目の奥は真剣だ


「俺は、君に触れたい。抱きしめたい。連れて行きたい。閉じ込めたい。ーーでもそれをやれば、君は壊れる。だから、触れる前に、必ず君に許可を取る」


アウローラは目を細めた


「許可を取れば、触れても良いと?」


玲は首を振る


「いや、許可が出なければ触らない。……君が拒むなら、俺は我慢する。我慢してでも、君がここにいてほしい」


言葉が甘い。甘すぎて、毒になる

けれど、条文として書かれている以上、これは玲の“弱点”にもなる

アウローラは、ファイルを閉じた


「……この契約を結べば、あなたは“縛られる”のですね」


玲は頷いた

その頷きに、迷いがない。迷いがないことが、怖い


「縛って。君の言葉で、俺を縛って」


玲は穏やかに言う

まるで、願いのように

アウローラは深く息を吐いた

契約は完璧ではない。完全な自由ではない

それでもーー今の状況で、玲からこれ以上を引き出すのは難しい

そして何より、玲が“自分から”差し出している形だ

アウローラは言った


「……条件を、ひとつ追加します」


玲の目が僅かに見開かれる

期待が滲む


「何?」

「わたくしに対する銀の使用を、屋敷内では禁じてください。護衛が必要なら、銀ではなく別の方法を用意するべきです」


玲は一瞬、考えた

銀は“最後の手段”として彼の支配を支えている

それを捨てるのは、玲にとって痛いはずだ

しかし玲は、ゆっくり頷いた


「……分かった。屋敷内で銀は使わせない。持ち込みも禁止にする」


アウローラは眉を上げる

予想よりあっさりだった

玲が、少しだけ小さな声で言う


「君が怖がる顔を……もう見たくない」


その言葉は、卑怯だった

優しさの形をした、拘束

でも、アウローラは視線を逸らしたまま、小さく頷いた


「……では」


アウローラはファイルを開き、署名欄を見た

自分の名を書く

本名を書くべきか迷ったけれど、今は“アウローラ”でいい

彼が呼び、彼が縛られる名前

ペンを取る指先が、わずかに震えた

玲はその震えを見て、何も言わない

急かさない。ただ、待つ


アウローラは静かに署名した

署名欄に書かれた、流麗な文字

もう戻れない線が引かれた

次に玲が署名した

躊躇いのない筆致だった

サインを終えた瞬間、玲はふっと息を吐いた。肩の力が落ちる

まるで、長い戦いがひとつ終わったみたいに


「……成立だね」


玲が言った

アウローラはペンを置き、玲を見た


「あなたは、約束を守れますか」


玲はまっすぐ頷く


「守る。……守れなかったら、君が俺を捨てていい」

「捨てる、とは」


玲は微笑む

その笑みは柔らかいのに、どこか切実だった


「君が去るなら、止めない。……止めない努力をする」


“努力”

またその言い方。不完全な誓い

でも、不完全だからこそ玲は嘘をつけない

その時、玲が小さな箱を取り出した

ベルベットの小箱

蓋を開けると、指輪が1つ

派手ではない。けれど上質だと分かる。細い金属の輪に、小さな紫の石が淡く光っている

アウローラの胸がわずかに波打った


「……これは」


玲は箱を持ったまま、少しだけ視線を落とした

珍しい仕草だ

玲が“迷い”を見せるのは、ほとんどない


「契約成立の証。……俺の勝手じゃない。形式として必要だと思った」

「結婚の、指輪では」


玲は一拍、黙る

そして、正直に言った


「……そう見えるよね。俺も、そう思ってる」


アウローラは指輪から視線を逸らし、静かに告げた


「わたくしは、まだあなたを愛していません」


玲は頷く

否定しない。焦らない

ただ、声だけは優しい


「うん。知ってる。……でも、君の左手に、俺の“約束”を置きたい」


アウローラは左手を見つめた

薬指。そこは、本来なら自由と同じくらい軽いはずの場所なのに、指輪ひとつで重くなる


アウローラは、ゆっくり手を差し出した

それは承諾ではなく、契約を受け入れた行為

“今はここにいる”という意思表示


玲の指先が、ほんの少し震えた

玲は息を整え、慎重に指輪をアウローラの薬指にはめる

金属が肌に触れ、冷たい感触が残る

玲は一瞬だけ、その指に触れたまま動かなかった

――許可なく触れない

その条項が、2人の間で静かに鳴る

玲はすぐに指を離し、少し離れた位置で微笑んだ


「……ありがとう」


その言葉は、勝利の礼ではなかった

救われた人間の礼だった

アウローラは指輪を見つめ、呟くように言った


「……これは、鎖にもなります」


玲は静かに頷く


「そうだね。だからこそ、君の鍵にもなる」


アウローラは玲を見る

黒い瞳の奥に、相変わらず危うい熱がある

けれど、今日の熱は少しだけ違う

奪う熱ではなく、約束に縛られる覚悟の熱

温室のガラス越しに、薄い光が差していた

夜明けではない。昼でもない

曖昧な光の中で、指輪だけが小さく輝く

アウローラは胸の奥で、まだ形にならない感情を抱えながら、静かに言った


「……契約は、守ってください」


玲は微笑んだ


「守る。君のために。……俺のためにも」


その言葉が、甘くて、怖い

けれどアウローラは、逃げなかった


円舞曲(ワルツ)は、次のステップへ進んだ

檻が契約へ姿を変え、鎖が約束へ姿を変えるーーその危うい進行の中で

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