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監禁から始まる円舞曲(ワルツ)  作者: 朝凪


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6/11

5

夜は、ゆっくりと深くなっていく

庭の木々は風に揺れ、葉擦れの音だけが響く。警備の交代を知らせる無線が短く鳴り、遠くで門の鍵が確認される金属音がした

山本曜は玄関ホールの陰で腕時計を見た

――午前2時を回っている


(遅い)


玲がこんな時間まで戻らないことは珍しくない。マフィアの幹部ともなれば多忙だ。ましてや最近は、聡太の言った通り“きな臭い”。周辺の探り、噂、内通者の疑い。片付けるべき火種は尽きない

それでも曜は落ち着かなかった


客間の奥ーー銀髪の吸血鬼が眠る部屋

そこにいるはずのアウローラは、今夜は妙に静かだった。昼間、子どもと遊び、使用人の話を聞き、屋敷の隅々にまで目を配る彼女が、夕方からほとんど姿を見せない

眠っているのかもしれない。けれど曜は知っている。吸血鬼は夜型だ。眠るならむしろ朝だろう


(嫌な予感がする)


そんな時、外からエンジン音が近づいてきた

車のライトが門の影を切り裂き、庭の石畳を白く照らす

曜はすぐ動いた。玄関の扉に近づき、護衛の位置を目で指示する

扉が開いた瞬間、生ぬるい鉄の匂いが流れ込んできた

ーー血の匂い

玲が入ってくる。コートの肩口が黒く濡れている。雨ではない。赤黒いものが染み、乾きかけて硬くなっていた

玲はいつものように微笑んだ


「ただいま」


曜の喉が鳴る


「……玲さん。怪我を」

「大したことない」


玲は軽く手を振り、靴を脱ぎながら言った。その動作が一瞬だけ鈍る。痛みを堪えたのだろう

曜は舌打ちしたかったが、飲み込んだ


「医者をーー」

「要らない。眠れば治る」

「治りませんよ、人間は」


曜が言ったその時、廊下の奥から足音がした

柔らかい、しかし迷いのない足音

薄い灯りの中に銀髪が揺れる

アウローラだった


夜の衣装は簡素で、白いカーディガンを羽織っているだけなのに、彼女がそこに立つと玄関の空気が一変する。甘い香りがほんのり混じり、血の匂いさえ輪郭を変えた

アウローラの紫の瞳が、玲の肩口を見た瞬間にスッと細くなる

怒っている。でも、それは怯えや嫌悪ではない

“放っておけない”という怒りだ


「……あなた」


玲は、アウローラを見た

驚いたような、嬉しいような顔になる。傷の痛みを忘れたみたいに


「起きてたんだ」

「起きています。……それより、怪我をしていますね」


玲は笑って答える


「言っただろ、平気だよ。少し擦っただけーー」

「擦っただけで、その匂いになりますか」


アウローラの声は静かだったが、よく通った

曜は思わず背筋を伸ばす

玲がこういう叱り方をされる場面を、見たことがない

玲は一瞬、言葉を止めた

そして、いつもの穏やかな仮面を被り直すように口角を上げる


「……曜、もういい。下がって」


曜は反射的に「しかし」と言いかけたが、玲の目が一瞬だけ冷えた

曜は唇を噛み、頭を下げる


「……失礼します」


玄関ホールから離れながら、曜は振り返った

アウローラが玲の前にまっすぐ立つ

玲はその視線を受け止め、どこか甘く笑っている

――嫌な予感が、形を変えた。これは危険だ

だが、止められない

曜が角を曲がると、二人の声が静かに響いてきた


「こちらへ」


アウローラの声

玲の足音が、素直についていく音


ーーーーーーー


アウローラの部屋には救急箱が置かれている。曜が最低限の救急用品を揃えてくれたのだ

玲はソファに座らされ、コートを脱がされた

肩口のシャツが裂け、赤黒く染まっている。深くはないが、縦に切れていた

玲は平然としていたが、アウローラの目には分かった。無理をしている。出血量を侮っている

アウローラは、清潔な布を玲の傷に当てた

玲が小さく息を呑む


「痛い?」

「……ちょっとね」

「ちょっと、ではありません。あなたは痛みに慣れすぎています」

「慣れてない人なんている?」


玲が軽く笑う

アウローラは笑わない


「います。……痛いときは、痛いと言う人が」

「言っても、誰も助けないだろ」


玲の声が、ふと低くなった

アウローラは手を止めずに言う


「わたくしは助けます」


玲の目が、微かに揺れた

その揺れは喜びに似ていた


アウローラは傷を洗い、消毒し、包帯を巻いていく。手つきは丁寧で、迷いがない

玲はアウローラの横顔を見ていた。まるで、宝物を眺めるように


「……ねぇ」


玲がぽつりと言った


「きみは、誰にでも優しいね」


アウローラは包帯の端を押さえながら、視線だけ玲に向ける


「怪我人や子どもには優しくするものでしょう」


玲は、息を吐くように笑った


「それは……きみだけだよ。人間はもっと残酷だ」


アウローラは、包帯を結ぶ手を止めない

ただ、声だけが少し硬くなる


「残酷な人間もいます。でも、残酷ではない人間もいます」

「きみは、吸血鬼なのに?」

「吸血鬼でも、同じです」


玲は目を細めた

その言葉に反論したいのか、納得してしまったのか分からない表情でしばらく黙る

そして、アウローラの手首の細さを見た


「……きみの手、冷たい」

「吸血鬼ですから」

「俺の血、飲む?」


玲は冗談めかして言った

けれど、その冗談は本気の匂いを含んでいる

アウローラはきっぱり首を振った


「結構です。あなたの血は、あなたのためにあります」

「俺は君のためにある、って言ったら?」


玲がさらりと言う

甘い言葉。危険な言葉

アウローラは正面から玲を見る


「……あなたは、ご自分を軽く扱いすぎです」


玲は、肩をすくめる


「生きてればいいだろ」


その瞬間、アウローラの瞳が鋭くなった

怒りがはっきりと形を持つ


「生きていればいい、ではありません」


玲の眉が上がる

アウローラは、玲の包帯を軽く押さえたまま、静かに言った


「あなたの怪我を、あなたが放置してはいけません」


玲は驚いたように目を見開いた

そして、次に笑ってしまった

声を出して笑う。珍しい笑い方だ


「……叱られてる」

「叱っています」

「なんで?」


玲は笑いながら尋ねた。まるで子どもみたいに

アウローラは一瞬、言葉に詰まる

“監禁されている身”が、“監禁している相手”を叱る理由

論理だけなら簡単だ。怪我を放置するのは良くない

でも、胸にあるのはそれだけではない

アウローラはその答えを曖昧にしたくなかった

だから、少しだけ本当を混ぜる


「……放置して、あなたが苦しむのは嫌です」


玲の笑いが止まった

空気が、ひゅっと薄くなる

玲はアウローラの言葉を咀嚼するように黙り、やがて低い声で言った


「……君は、俺に優しくしなくていい」


アウローラは眉を寄せる


「なぜ」

「優しくされると、欲しくなる」


玲の声は、穏やかなままだった

だが、その穏やかさが怖い

欲しくなる。もっと。もっと

優しさを鎖にして、閉じ込めて、抱きしめて、誰にも触れさせない


アウローラは息を飲む

玲は続ける


「……君が優しいほど、俺は君を離せなくなる」


正直すぎる告白だった

脅しではない。でも、脅しより強い

“俺は変われない”と言っているのと同じだから

アウローラは、玲の傷口を覆う包帯にそっと指を置いた。そして淡々と告げる


「それでも、あなたの怪我をあなたが放置してはいけません」


玲が、ふっと息を吐いた

諦めとも安堵ともつかない息

そして、弱い声で言う


「……参ったな」

「参ってください」


アウローラは少しだけ口元を緩めた

玲の目がそれを捉え、まるで初めて日差しを見た人のように眩しそうに瞬く


「……ねぇ、アウローラ」

「何ですか」

「俺が怪我をしたら、きみはまたこうしてくれる?」


アウローラは一瞬、返事に迷った

“こうしてくれる?”の中に、手当てだけではない何かが含まれている

甘え。依存。独占

それでもーー目の前の男は、今確かに血を流している

子どものように、助けを求めている

アウローラは答えた


「怪我をしたら、手当てはします」


玲は小さく笑う


「……手当てだけ?」

「手当てだけです」

「そっか」


玲は残念そうなのに、どこか嬉しそうだった

アウローラの“線引き”を受け入れられたことが、彼にとっては救いなのかもしれない


アウローラは片づけを始めた

玲はソファに深く座り直し、目を閉じた

疲れが一気に押し寄せたのだろう。顔色が少し悪い

アウローラは玲の額に手を当てた。ーー熱がある

玲は目を開けずに言う


「……ほらね。人間は残酷だよ。こんな体、すぐ壊れる」

「壊れたら、困ります」

「困る?」

「困ります。……あなたが倒れたら、この屋敷が揺れます。子どもたちも怖がる」


玲は目を開け、アウローラを見た

その瞳に、ほんの少しだけ欲が混じる


「子どもたちのため、か」

「それもあります」


玲が微笑む


「“それも”」


アウローラは答えない

まだ、自分でも言葉にできない部分があるからだ

玲はゆっくり立ち上がろうとし、よろめいた

アウローラが反射的に腕を伸ばし、玲を支えた

玲の体重が、思ったより重い

人間の体温が、夜の冷気とは違う熱を持っている

玲はアウローラの肩に軽く頭を寄せ、囁いた


「……ありがとう」

「礼を言われるようなことではありません」

「言わせて。君に触れる許可がないなら……せめて、言葉だけでも近づきたい」


アウローラは何も言えなかった

玲の“許可なく触れない”という線引きが、今日初めて彼の口から痛みを伴って出た気がしたから

アウローラは玲を寝室まで連れていく……わけにはいかない。契約はまだない。距離はまだ危うい

だから応接室のソファで横になるよう促す


「ここで休んでください。……無理に動かないで」


玲は素直に横になり、目を閉じる

まるで叱られて落ち着いた子どもみたいに

アウローラはそっと立ち上がり、部屋の灯りを少し落とした

そして、扉へ向かう前に振り返る

ソファに横たわる玲の横顔は、驚くほど無防備だった


(……危うい)


自分を軽く扱いすぎる。痛みを放置する

守られることに慣れていない

それなのに、守ろうとすることだけは上手い

アウローラは胸の奥に小さな棘を感じた

監禁されているのに、監禁している男を放っておけない棘

扉の外に出ると、廊下の角で曜が待っていた。

曜は険しい顔で、しかし声を抑えて言う


「……大丈夫ですか」


アウローラは頷く


「ええ。熱があります。しばらく休ませてください」


曜は玲の部屋の方角を見て、唇を噛んだ


「……玲さんは、無茶をする」

「ええ」


アウローラは静かに同意した

そして、曜を見て言う


「だから、あなたも見ていてください。子どもたちも、彼も」


曜は少しだけ驚いた顔をした

吸血鬼が、自分に“頼む”

それが曜の心の奥に、微かな熱を落とした


「……分かりました」


曜の返事を聞き、アウローラは客間へ戻る

扉を閉めた瞬間、屋敷の静寂がまた戻ってきた


けれど今夜の静けさは、昨夜までとは違っていた

玲の血の匂い

玲の「ありがとう」

自分が叱ったこと

そして、叱って当然だと感じたこと


アウローラは窓辺に立ち、夜の庭を見下ろした

遠くで風が鳴る

夜はまだ深い

けれど、胸の奥のどこかでーー円舞曲(ワルツ)の旋律が、確かに1つ進んだ気がした

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