プロローグ
森の奥にある小さな村は、夏の名残をまだ抱いていた。
朝の光が木々の葉を透かし、地面に淡い影を落とす。湿った土と草の匂いが混じり合い、鳥たちのさえずりが森に静かに響いている。
その森の広場で、二人の少年が木剣を打ち合わせていた。
「もっと腰を落とせ、レオン」
兄のアルトは落ち着いた声でそう言い、半歩だけ踏み込む。
レオンは慌てて姿勢を低くし、剣を構え直した。
――次の瞬間。
乾いた音が響き、レオンの木剣が弧を描いて宙を舞った。
喉元に、アルトの切っ先がぴたりと止まる。
「……また、負けた」
「腕の力で振りすぎだ。剣は振り回すものじゃない。身体全体で、だ」
悔しそうに唇を噛むレオンを見て、木陰から柔らかな声が飛んだ。
「ふふ、レオンは今日も一本も取れなかったわね」
幼馴染のリーナだった。
籠を膝に置き、二人の稽古を眺めながら、どこか楽しそうに微笑んでいる。
「兄さんが強すぎるんだよ」
「言い訳だな」
アルトはそう言って笑い、剣を下ろした。その動きには無駄がなく、村の大人たちが口を揃えて称える理由がよく分かる。
「でも本当よ。アルト兄さん、村で一番強いもの。パパも、アルト兄さんには敵わないって言ってたし」
「まだ父さんには敵わないさ」
そう答えながらも、アルトの表情に驕りはなかった。
やがて日が傾き、三人は村へと戻る。
リーナを家まで送り、兄弟が自分たちの家へ戻ると、中からは湯気とともに温かな匂いが流れてきた。
「おかえり」
母はそう言って笑顔を向け、大鍋の中身を木べらでかき混ぜている。
父は裏で薪を割りながら、ちらりと二人を見た。
「今日も剣か?」
「うん。レオンは相変わらずだよ」
「もう少し優しくしてくれよ」
そんな何気ないやり取りに、家の中は笑い声で満たされた。
夕食は質素だったが、母の作るスープは体の芯まで温めてくれる。
明日の畑の話。
リーナの家の話。
次の祭りの話。
それが、疑いようもなく続いていく日常だった。
食後、父はレオンを外に呼び出した。
「少しだけ、魔法をやろう」
父の手本を真似て、レオンは掌に意識を集中させる。
小さな火が生まれるが、すぐに揺らぎ、ぱっと消えた。
「……難しいな」
「焦るな」
父は穏やかに言う。
「お前の魔法は、素直じゃないだけだ。力が強い分、無理に押そうとすると暴れる」
「才能がないのかな」
「そんなことはない。制御に時間がかかるだけだ」
その言葉に、レオンは小さく息を吐いた。
その夜、布団の中で天井を見つめながら、レオンは思った。
この家、この村、この日々が、ずっと続くのだと。
――翌日。
森での稽古の最中、空気が変わった。
遠く、山並みの向こうに赤い軍旗が見える。風に揺れるそれは、明らかに異質だった。
「……なんだ、あれ」
答えるより早く、森の中から金属の光が現れる。
帝国兵だった。
「レオン、リーナ! 逃げろ!」
アルトは迷いなく前に出て、剣を構える。
「兄さん……!」
「行け! 今すぐだ!」
一瞬、レオンの足が止まった。
兄を、ここに一人残す。その現実が胸を締めつける。
「でも――」
「行けって言ってるだろ!」
アルトの声には、怒鳴りつけるような必死さがあった。
それ以上、言葉を交わす時間はなかった。
レオンは歯を食いしばり、リーナの手を取って走り出す。
背後で剣がぶつかり合う音がした。
振り返りたい衝動を、必死に押し殺しながら。
だが、村に辿り着いた時、そこはすでに戦場だった。
家々は燃え、悲鳴が飛び交う。
男たちは武器を手に必死に応戦しているが、帝国兵の数は多い。
「母さん……!」
レオンは人波をかき分け、ようやく母の姿を見つけた。
だが、その母はすでに肩を斬られ、膝をついていた。
「レオン……来ちゃだめ……!」
「母さん!」
駆け寄ろうとするレオンを、リーナが引き止める。
「待って、レオン! 私が手当てする!」
震える手で布を裂き、必死に母の傷を押さえるリーナ。
その目には、恐怖と必死さが滲んでいた。
「レオン、お願い……無茶しないで……!」
迫る帝国兵を見て、レオンは剣を抜く。
振り返り、リーナを見る。
「母さんを頼む。逃げ道を探せ。俺が、ここを止める」
「でも……!」
「大丈夫だ」
そう言いながら、自分自身に言い聞かせていた。
レオンは戦いに身を投じた。
だが、訓練された兵の前で、剣技は通じない。
弾かれ、殴られ、地面に押さえつけられる。
「子どもか……だが、魔力反応があるな」
腕を拘束され、引きずられていく。
「離せ……!」
村の外へ連れ出される途中、さらに兵の増援が現れる気配がした。
剣では勝てない。
逃げ場もない。
――魔法しかない。
父の言葉が、脳裏に浮かぶ。
制御が難しい、と。
それでも、母とリーナを守るためなら。
レオンは全力で、火の魔法を放とうとした。
その瞬間――
魔力は制御を失い、暴走した。
白い光と熱が、世界を塗り潰す。
そして、レオンの意識は闇へと沈んでいった。




