データ4 マハリ平原 北東:カオスLv.1
喉が、胸が、呼吸が苦しい。
そんな感覚が私の意識を上へと押し上げた。
「――ッぐ、がっ……! げほっけほっ……」
口を押さえて咳き込みながら、深呼吸する。
……あれ、私、今どこにいるんだっけ。
踏みしめるのは草の大地。ゆっくり顔を上げると、勇者の背中が見えた。そっか。マハリ平原を進んだ先の洞窟の前で、分厚い本に手をかざしてたわね。
洞窟。
その暗闇を知覚した瞬間だった。
せっかく空気を吸い込んだのに、口から抜けて喉が鳴る。中から得体の知れない、恐怖が滲み出ている。なに、この感覚。
「マイア?」
呼びかけられて、私の肩はびくりと揺れた。身体が自分の物でないように、カタカタ震える。頭の中に黒い霧がかかっていて、なんだかすっきりしない。
「なんで、私……震えてるの?」
「知らないよ。さ、行こう」
腰から下げた細めの剣を手に取り、勇者は中へ入ろうとする。私は慌ててボロくてダサいマントを引っ張った。
「な、なに考えてんの!」
「何ってレベル上げするんだよ」
「ちょっと待ってってば! 私、行きたくない。行っちゃダメな気がするのよ」
「なんとかなるでしょ。経験値稼がなきゃ」
「――っそう言って私達、殺されたじゃない!」
「え?」
2人して、静止した。今、私はなんて言ったの。――殺された? 死んだ覚えなど、微塵もない。でも、体の震えは止まらない。
勇者は少しの間、空を見上げた。そして溜息をついて、私に向き直る。
「……分かったよ。行かない。今はね」
「次にここに来る時、あんたは1人よ」
人差し指を勇者に刺して、私は歩き出した。洞窟から離れれば離れる程、震えが収まってきた。息も苦しくない。ほっと胸を撫で下ろす。
そよ風が髪を撫でた頃、マハリ平原の一本道が見えてきた。ここを右に行くとデフテト方面。左に行くとプロト村方面。私達が行く先って、デフテトで合ってるのよね。
「ねぇ勇者、この先は――って、何やってんの」
確認するために、私は後ろを振り返った。勇者は木の枝葉を剣でつついている。何遊んでるんだか。
ただそれが気になって、つい覗いてしまった。葉っぱが何度か散った後、モゾモゾと動く影。待って、これってもしかして。
「魔物っ⁉︎」
「経験値稼ぎは諦めてないから」
2つの影が、私達の目の前に飛び出してきた。というか勇者がちょっかい出して、怒らせた。私の体くらいありそうな、大きな植物の魔物と、大きな蜂の魔物。ビーってこんなに大きいっけ。
勇者は剣を、私は恐怖を背に杖を構える。私は魔物に詳しくないので、勇者に聞いてみた。
「こいつらの、名前は?」
「でかい植物がバッズプラント。でかい蜂がキラービー」
そう言い捨てて、勇者はキラービーに突っ込んだ。キラービーは軽やかに宙を舞った。振り回した細身の剣は空振りで、魔物に掠りもしない。
「何やってんの。あんた、戦ったことないの?」
「あるってば。……あぁこれ、チュートリアルかぁ」
「こうやんのよ! ファイヤーボール!」
お母さんから貰った杖を握りしめた。目を強く閉じて、魔物に魔法を放つ。杖先から放たれた火の球は、キラービーに当たったみたい。
やった。初めて魔物に攻撃したけど、ちゃんと当たったじゃん。私もしかして、強いかも。
ふふんと勇者を見たのも、束の間。全身が動かなくなって、驚きで杖を落としてしまう。バッズプラントが伸ばしたツルで、ぐるぐる巻きにされたみたい。
「きゃぁああ! 勇者! 助けて!」
「え?」
「私が捕まっておくから、その剣で倒すのよー!」
「シナリオ違うんだ。細かぁ」
ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと倒しなさい。走っているのか歩いているのか、分からない速さで勇者は向かってきた。そして横に剣を振って、バッズプラントを一刀両断。
なんだ、やればできるんじゃない。
ツルから開放されてバランスを崩した私は、尻餅をついた。そのまま落とした杖を手に取る。
あとはキラービーを倒すだけだ。お尻の針がキラキラ光ってて……あぁ怖い。早く倒しちゃおう。次の魔法を打とうとしたけれど、勇者に止められた。
「ちょっと待ってマイア。防御してて」
「防御?」
言われた通りかは分からないけれど、とりあえず攻撃から身を守る体勢をとった。私に攻撃が来たら承知しないわよ。痛いのは嫌だからね。本当に。
そんな勇者も、剣で攻撃を受け止める体勢になってた。なにをするのかと様子を見てたら、キラービーが勇者に一直線。危ない! 声をかける前に、勇者が攻撃を食らって仰け反った。
「……なにやってんの?」
「いやー。やっぱ判定シビアだなー。慣れておかないと」
私のことは無視で、また剣で攻撃を受け止める体勢をとる勇者。キラービーが再び勇者に攻撃を仕掛ける。
「これでどうだ俺のパリィ!」
勇者が振るった剣と、キラービーのお尻の針がぶつかって、鈍い音がした。ぱりぃって言う技なの? キラービーがむしろ、勇者に傷負わせてるけど。舌打ちした勇者がまた剣を構えた。
そんなのが5回くらい続いたかな。見飽きてきた頃、キィンと澄んだ音と乾いた空気がその場を制圧した。
「よっしゃ! やっと感覚掴んできた」
「ってことは終わり? 私あんたに聞きたいことあるんだけど」
「むしろこっからが本番だよ」
私は首を傾げた。キラービーの羽の音がさっきよりも、はっきり聞こえる気がする。辺りを見回せば、どこからかキラービーの仲間が集まってきた。どう数えても10体はいる。
「これで多少は稼げるだろ」
「何怒らせてんのよ!」
ここからが長かった。
私は魔法を打ち続けて、勇者はぱりぃの連打。当然、私の魔力は空になって戦えなくなった。勇者はまだやってる。
キラービーが少なくなったと思えば、また仲間が増えて。その繰り返しだった。
どうせ私は足手まといになるだろうし、こっそり逃げちゃった。疲れたし、木の下に座る。念の為上を覗いたけど、魔物はいなかった。
それにしても。勇者が自分で強いって言ってるのは、本当なのかもね。結構な数倒している割には、疲弊してなさそうだし。
そうだ、お母さんが作ってくれたサンドイッチ。食べちゃおうっと。いただきまーす。……美味しいっ! フルーツサンドだ。
やっぱり疲れた時には、甘い物が一番いいわ。
勇者の戦いを見物しながら、食べ終わった時だった。目の前に出てきたのよ。例の半透明の四角いやつね。また文字が書いてある。
【フルーツサンドを消費】
『HPとMPを350回復しました。▶︎』
お……? 回復したの? 言われてみれば、戦う前くらいには、力がみなぎってる気がするかも。このHPとMPってなんだろ。後で勇者に聞いてみよう。半透明の四角いやつ、確か勇者が触って消してたよね……。
「えいっ」
恐る恐るだけど、同じようにやってみた。冷たい壁に触れたような感覚と共に、それが消えた。次からはこうやって消せばいいのね。覚えたわよ。
「マイア何やってんだよぉおお!」
「えっ、急になに、どうしたの」
キラービーとの長い戦いは、終わったらしい。勇者が全速力でこっちに向かって来た。その速さがあるなら、さっさと倒せただろうに。
「サンドイッチ勝手に食うなよ! 勿体無いだろ!」
「はぁ? 疲れたし、せっかくお母さんが作ってくれたのよ? 食べない方が勿体無いでしょ。ていうかなんで食べたの分かったの? 見てなかったよね」
「メッセージウィンドウが出たからだよ!」
なんか怒ってる。
フルーツサンド、食べたかったのかな。
「その、めっせなんとか、って何?」
「半透明の四角いの、見えてんだろ。あれがメッセージウィンドウだよ!」
あぁー。半透明の四角いやつって、そういう名前なんだ。勇者の故郷の言葉は難しいわ。これも一応覚えておくか。
「だから俺が預かるって……無理矢理奪っておけばよかった……」
怒ったり嘆いたり、忙しい奴ね。でも元よりあんたに譲る気なんてなかったんだから。私は指についたクリームをひと舐めして、ふふんと笑ってやった。




