20 慟哭(5)
北の魔女の寝室では、ベッドに突っ伏してジャグジニアがわんわん泣いている。ホヴァセンシルは傍らのソファーに、身を投げ出すように深々と腰かけている。寝室には入室制限を再施術させ、夫婦しか入れないようにした。この寝室でだけ、ホヴァセンシルは気を抜けた。
居間にはドウカルネスが常に控えていた。それだけでも鬱陶しいのにスナファルデという、とんでもない男が増えた。
気が抜けるのはこの寝室だけ……西の城を攻めると決めてから、ジャグジニアは機嫌よく過ごすようになり、ホヴァセンシルに食って掛かるようなことはなくなった。二人きりになれば気を使って、静かにも、にこやかにもなり、ホヴァセンシルの気持ちを苛立たせることはなかった。
だが、どうも今日は違う。無理もない、と思いながら、ホヴァセンシルはこう言わずにいられない。
「サリオネルトを殺せ、と言ったのはおまえだぞ?」
ジャグジニアは泣き続け、ホヴァセンシルに答えない。
宙からビールを入れたグラスを取り出す。それをグイッと飲み干して、もう今日は寝ようかな、とふと思う。
西の城に行くとは言ったが、行ったところで瓦礫があるだけだ。どうなることかと思ったが、ビルセゼルトは上手くやった。
あの勢いでは南の城に到達するとき、多少怪我をするかもしれないが、まぁ、なんとかなるだろう。南の城にはジョゼシラがいる。必ずビルセゼルトを見守っていたはずだ。
しかし、形ばかりでも探さなければスナファルデが黙っていないだろうし、ともかくジャグジニアが納得しない。それに、この戦争をこの後どう進めるのか、北の魔女の意思を決めておかなくてはならない。
サリオネルトとマルテミアの死を持って、矛先を納める……ギルドはそれで納得してくれるか? 統括魔女とその夫、そして西の城を失った。
弟を失ったビルセゼルトは納得してくれるだろうか? サリオネルトとマルテミアの死に、北の陣営は直接関わっていない。が、理屈はどうあれ感情はどうだ?
西の城については補償を求められても仕方ない。後始末、大地の平定、そして城の建造。早急に進めたほうがいい。
そして西の魔女を選定し、陣地を守護しなくてはならない。
それにしても結局、示顕王はどうなったんだ? 魔導士が連れ去った赤ん坊が示顕王だったのか?
赤ん坊はきっと南の魔女の城だ。伯父の許で大切に育てられることだろう。
飲み干したまま手に持っていたグラスをホヴァセンシルは宙に消す。ジャグジニアはいつの間にか泣き疲れて眠ったようだ。
ホヴァセンシルが、やっと大きく息を吸った……思考が停止すれば、感情だけが残る。
(サリー……マリ……)
唇を噛みしめたホヴァセンシルの頬を、幾筋もの涙が伝った。
南の魔女の居城では、やっと止まった球体を魔導士たちが取り囲んでいた。
球体は白く弾力があり、巨大なゴム毬のようだ。ジョゼシラが解術しようとしたが権利者が設定されていて、ビルセゼルト以外に開けられないようになっていた。あの状況でよく施術したものだ、とジョゼシラが呟いた。
そこへビルセゼルトが姿を現す。
「なんとか無事についたようだな」
息が上がっているし、ローブはあちこち切り裂かれ血が滲んでいる。瓦礫がぶつかったのだろう。
手当てしようとするジョゼシラを『あとでいい』と断って、ビルセゼルトが球体に手を翳す。
ふわっと震えて球体は消え、そこには横たわるサリオネルトとマルテミア、サリオネルトはしっかりとマルテミアを抱き締めている。ビルセゼルトが翳した手を横に振ると、真っ白な寝具が二人の下に用意された。
「よかった、大きな傷はない。ジョゼ、マリの手当てを頼む。サリオネルトは俺が看る」
ビルセゼルトはそう言ってサリオネルトの体を撫でる。瓦礫による損傷が、見る見る修復されていく。
「相変わらずおまえは、綺麗な髪をしているね。その髪のお陰で、俺はおまえを見つけられたよ」
ビルセゼルトがそっとサリオネルトに話しかける。ジョゼシラがそんなビルセゼルトを盗み見る。ビルセゼルトはなかなかサリオネルトから目を放さない。
「マリには傷一つなかった。服は少し破れていたけど、綺麗に修復したよ」
やっとサリオネルトから視線を移したビルセゼルトにジョゼシラが話しかける。
「サリーのかけた保護術は無効になったようだけど、ブランシスが掛けた術が効いていたみたい」
「そうか……ブランシスは無事か?」
「飛び込んだ衝撃を赤ん坊の分まで自分で受け止めて気を失った。今はベッドで寝かせてある」
「赤ん坊は無事?」
「もちろん。魔女を付けて世話をさせている」
「そうか……」
もう一度、ビルセゼルトはサリオネルトを見ると、立ち上がった。
「どこか部屋を見繕って、二人のためのベッドを。二人がゆったり休めるような大きなベッドがいい」
ビルセゼルトがジョゼシラに言った。
「ベッドは一つでいい。『決して引き離せぬ契り』が掛けられている」
「今も有効?」
サリオネルトが掛けた術はその死を持って無効とされるはずだ。
「有効だ。だから落下の中で二人は離れずにいた」
不思議なこと、ジョゼシラが呟いてサリオネルトとマルテミアを見る。ビルセゼルトは何も言わず、歩き始めた。赤ん坊を見に行くのだろう。
一歩踏み出すたびにビルセゼルトの顔が歪んでいく。そしてとうとう歩みが止まる。両手で自分の顔を抑え、膝が崩れる。涙が溢れて止められない。
「サリーが……サリーが死んでしまった」
ビルセゼルトが声を絞り出す。
サリオネルトがあの笑みを、見せる事はもう二度とない。不安げな瞳が俺を見ることもない。皮肉があの口から飛び出すこともない。もうあの声を聞くことはできない――その現実がビルセゼルトに今、重さを増して圧し掛かってきた。
嗚咽はすぐに号泣と変わる。ジョゼシラが寄り添って咽び泣く。人目を憚らないビルセゼルトの慟哭に、取り囲む魔導士たちは驚くが、貰い泣きこそすれ非難する者はいなかった。




