20 慟哭(1)
マルテミアの産室に新たな結界が張られた。受ける衝撃が緩和され、ブランシスがホッとする。だが、その上方で城の結界がメリメリと破られている。産室に結界を張ったのはサリオネルトだ。魔導士の剣を使ってサリオネルトが張った結界は、そう簡単に破れるものではない。
「サリー、子どもは? 赤ん坊はどうしている?」
稲妻の後、赤ん坊の泣き声が聞こえない。ブランシスの問いにサリオネルトの答えはない。
見るとサリオネルトは、この部屋に結界を張るのに使った魔導士の剣とは違う、黄金色に輝く剣の剣先を下に向けて持ち、表をブランシスに翳して小声で何か唱えている。ブランシスに術を掛けている。
それが終わるとマルテミアのベッドに向かい、マルテミアの顔を覗き込んだ。
「シス……マリは最後に見るのはわたしの笑顔がいいと言った。叶えてやれただろうか?」
ブランシスの胸が詰まる。
「赤ん坊の顔を見てから、二人は見詰め合っていた。そして微笑み合っていた。マリは幸せに満たされたまま逝ったと、俺は思う」
「そうか……」
次にサリオネルトは赤ん坊の穴の開いた胸を手で撫で始める。
「サリー、それは?」
結界を補強する必要がなくなったブランシスが赤ん坊を覗き込む。
「息を……していないよな?」
赤ん坊を貫いた稲妻は、胸にぽっかりと穴を開けている。息をしているようには見えないし、泣き声ももちろん先ほどから消えている。
「サリー?」
ブランシスを無視して、サリオネルトは赤ん坊に開いた穴を撫で続ける。
「治癒術では死者を蘇らせられない」
聞こえていないと思いながらブランシスは言った。が、サリオネルトを止められるとは思っていない。
生まれたばかりの子が殺されたのだ。判っていても助けようと躍起になるのも無理はない。ましてマルテミアを失ったばかりだ。それでも、いずれ止めなくてはならない。それもなるべく早く。早くこの城から出る算段をしなくてはならない。
焦れる心を隠しながら、サリオネルトを盗み見る。赤ん坊の死体はできれば見たくない。と、サリオネルトが剣を赤ん坊の上に置いた。
「えっ?」
よくよく見ると、いつの間にか胸に空いた穴は塞がっている。しかもゆっくりと上下している……って、息がある?
「シス」
急に名を呼ばれ、飛び上がるほどブランシスは驚いた。
「先ほど、わたしはおまえに術を掛けた。必ず安全に南の魔女の城にたどり着ける術だ」
「サリー」
「魔女たちの時のように南の城側にジョゼシラの援護はない。が、おまえなら心配ないと思っている。赤ん坊を護り切れるか? どうだ?」
「飛んだ事も飛ばされたこともある。必ずサリーとマリの子を護って、南の城まで飛んでみせる」
ブランシスの返事にサリオネルトが微笑む。
部屋が大きく揺れて城を守る結界が完全に崩壊した。サリオネルトが掌を下に向けて、何か言った。
「大地に加護を願った。これで当面、この建物が崩れる心配はない」
ブランシスは何も言えない。自分よりはるかに偉大な魔導士だと、二人の従兄を尊敬していた。堅実で判断が早く、そして他者の良い面を見逃さず、素直に褒めてくれるビルセゼルト、いつも穏やかで優しい言葉で話し、けれど時々口にする皮肉はなんとも辛辣で、甘いだけではないサリオネルト。
ギルドに行ってビルセゼルトを助けるか、西の城住みになってサリオネルトを助けるか、迷った末にサリオネルトを取った。ビルセゼルトには助けは要らないと思い、どこかに繊細さを感じていたサリオネルトの傍にいる事を選んだ。
そのサリオネルトが、ブランシスには想像もできない神秘術を連発して使っている。ここまでこの従兄は偉大だったのかと、改めて畏敬の念を感じていた。
「誰か城に入り込んだね」
そう言ってサリオネルトが目を細める。
「ホビスとニア、それとあの魔女がドウカルネスか。それと、スナファルデ」
「スナファルデ?」
「たぶんね。見た事のない力の加護を受けている。それが悪魔なのかもしれない」
「……」
「もう一人いる。あれはビルセゼルトだ。わたしを探している。まぁ、わたしを探しているのはホビスたちも、なのだけど」
「ホビスを討ちますか? 親友だったはずなのに、サリーを裏切った」
サリオネルトが微笑む。
「ホビスはわたしを助けてくれたんだよ。気付いていなかったのかい?」
「ホビスが? ホビスは北の陣営を指揮していたはずだ」
「そうだね、うまく誘導してこの三日、陣地や城の結界が崩れるのを防いでくれていた。ホビスがその気なら、お産で弱体化したマルテミアの結界なんか一発で崩せるよ。あぁ、でも、この事は無暗に口にしないように。北の陣営に知られると、ホビスに危険が降りかかる」
そしてニコリとした。
「ホビスがわたしを見つけてしまった」
「え?」
慌ててブランシスが身構える。
「うん、ホビスのすっ呆けは相変わらずだな。スナファルデさえ騙している。わたしに逃げろと目配せしたのに、魔女たちはともかく、スナファルデにさえ気取られていない」
ブランシスが慣れない遠見をしてみると、四人の影と、それとは離れた場所に一人いる。
「向こうからはこちらが見えていないのですよね?」
「そうだね、見ようによっては見えるが、そう簡単には見えない。ビリーとダガンネジブの騙惑術は良く効いている。数多く、多種に渡って掛けてくれているから、解術に手間取っている。こちらには好都合だが、あちらには気の毒なことだ」
クスクス笑うサリオネルトに、どう答えたものかブランシスが迷っていると、
「それでもいずれ術は解かれ、ここは見つかることだろう」
サリオネルトが改まってブランシスに向き合った。
「わたしはこれから大きな術を掛ける。良く聞いて、間違えずに従って欲しい」




